2010年2月21日日曜日

「風邪は走って治す」

そう豪語するツワモノランナーは(特にベテランに)多い。実際、たいていの風邪は走りながらでも治っていく。
先週の月曜日のSクリニック当直の翌朝に(当直室が乾燥していたのか)喉の調子が悪いな、と思っていたら、その日の夜の飲み会(診療チームの学生・研修医を慰労する会)の途中で声が出なくなった。それ以降、喉局所の違和感と、時々の咳、ごく少しの痰と鼻水があって、皆さんに「風邪ですか」と言われる状態が5日間ほど続いている。
幸い熱が出ていないので「局所の炎症」にとどまっていると判断し、この間もランニングは普通に続けている。実際、特に問題なく走れる。
この5日間のクスリの使い方は、朝一番のロキソニン1錠/日(これは喉の炎症に効かせたい)と1〜2回/日の小青竜湯(なるべく煎じて)。喉の大敵は「午前午後ぶっとおし外来でしゃべりまくること」なのだが、マスク着用、頻回水分摂取、のど飴逐次投与、で乗り切る。本当は加湿器も持参したいくらい。
不思議なのは、治ってきた最後の段階では(それなりに強度の高い)ランニングをきっかけにぴたっと症状がよくなること。それが今日だった。久しぶりの「激」当直明けで、陽光にふらっときながら東京マラソン1週間前の20K走ビルドアップを敢行したら、その後から鼻水も咳も喉の痛みもほとんど消えた。
この治り方はいつものこと。これをもって「風邪は走ったら治った」と言えないこともないので、タイトルの言葉もまんざらウソではないと思っている。
「治る」メカニズムは明確に説明できないが、喉局所の血液循環がよくなることが関係するのではないかと思っている。喉は乾燥しそうだが、案外ハアハアした呼吸でむしろ湿度が維持されるのではないか。走っている間に咳き込むことはめったにないから。
ただ熱があるときだけのレースはダメ。絶対に結果は付いてこない。解熱薬をのんで、見かけ上熱がなくなっていてもダメ。適切な体温で適切に働くよう制御されている体内の諸酵素、タンパク質の働きに狂いがでるのに違いない。あるいは体細胞の微妙な脱水によるものか。

2010年2月7日日曜日

別大マラソン〜痙攣との闘い

スタート直後からなぜか左のアーチにずっと張りというか痛みを感じており、特に傾斜の強い路面ではそれが強まる有様。25km過ぎから早くもぴくぴく左脚の痙攣が始まり、それでも30kmまではキロ4分ペースを維持する集団の中にいたのだが、そこからは右大腿裏も痙攣を始める始末。21分にペースダウンして抜かれまくりながら35km関門を通過。

40km通過はあきらめかけ、じっさい最後尾を監視する役割の白バイが横を並走し始めたが、多少追い風気味になったことと、左脚のぴくぴくが多少おとなしくなってくれたので、逆に追い抜き体勢に入り、白バイも振り切ってこの5kmを21分でしのいだ。40秒差で40km関門を通過し、なんとか競技場にたどり着いた。2時間51分12秒で447位。

一時完走をあきらめかけただけにゴールしたときは実にほっとしたが・・・うーんどうしてこうなってしまったんだろう。温泉に浸かりながら考える。

2010年2月6日土曜日

別大マラソン前日〜調子は、いいみたい



別府に到着。今年のナンバーカードは530番。同じタイムで申し込んでも年々番号が下がって来る。出場者が増えている証だ。今年は700番台まである。増えすぎると標準記録が上がってしまうのではないか、45分になっちゃうと厳しいなあ、でも来年は60回記念大会だから、逆に標準記録が緩和されるかも、などととりとめもない話をしながら「激励の夕べ」へ。
大学の陸上部の先輩に会う(写真の向こう側)。大学時代のウインドブレーカーなどを着込んでおられて、物持ちがいいですねえなどと話す。物欲の旺盛な僕は、新しいものばかり持っているから、申し訳ない気がする。
いったん温泉に浸かり、ホテルで休憩してから、再度近所の定食屋へ夕食へ。この夕、別府はどこへ行ってもランナーばかり。首から腰にかけて(大荷物の移動のためか)凝りを感じたので、皮内針を買ってプチッと刺した。ピップエレキバンよりは即効性があることを期待。ちなみに僕はピップエレキバンも効く(信じていない、という医者がたまにいるが)。

当日のコスチュームはこちら。一応、エリートマラソンなのでランシャツ・ランパンの「正統的スタイル」にしなきゃいけないかとも思ったが、最高気温10度と低めの予想だし、どうせ後の方を走るのでスタイルにケチを付ける人もいないだろうし、今シーズン続けているスタイルで。
これに2XUの黒のハーフタイツとカーフガードをつけると、完全に浦和レッズだかマンチェスターユナイテッドだかになってしまう。不本意ながら。