2011年2月28日月曜日

東京マラソン2011〜2時間47分台の快走(自己セカンド記録)

天気予報がどんどんいい方向へはずれていって、最初「曇後雨、強い南風」だったはずが「快晴、北西の弱い風」ということになり、最高のコンディションで走れた。東京マラソンのコースはスタートからゴールを結ぶベクトルが都庁→お台場で、標高も下がっているわけだから、北西の風が吹けば、元々反則気味の高速コースになるわけだ。
さらに今回は晴れて、気温も5℃から12℃くらい、湿度も多少あるという絶好の条件。自然とペースが上がった。
ずっと19分台ラップを続けることができ(35-40kmこそ20分をわずかに4秒ほど越えたが)大崩れすることなく、脚もつることなく、粘り切れた。
別大から3週間。昨年と違って疲労感も特になく走れたつもりだが、やはり見えない疲労はあったろう。35K以降の失速に現れてしまったかもしれない。別大からわずか3週間で、そのタイムを上回れたというのはもちろん嬉しいが、もし別大に出ていなければもっと早く走れたかも・・・?とも考えてしまう。
他選手の快走を見てもそういう気がする。例えば、昨年勝った「ねこひろし」氏の急成長により、10分差をつけられてしまったこと、実力互角でライバルと意識していた女性ランナーK選手に2分の大差で敗れたことが、手放しで喜びきれないところ。

なお、日本人最高の3位で2時間08分台で世界選手権代表を勝ち取った川内選手には本当に驚いた。同じ埼玉陸協所属の市民ランナーということで、親近感抜群。録画でその頑張りをみて、涙が出そうになった。今後も絶対、応援する。

テレビ録画を見ていたら、女子の上位ゴール後の豊洲からの中継で、アナウンサーの背後、およびコースを俯瞰する映像で10秒近くうつっていたぞ。一人中央線寄りを独走しているのでわかりやすい。写真はそのちょうどテレビ中継されているところ。

2011年2月7日月曜日

大分から帰京

せっかく温泉地・別府にわざわざ行くのだから、レース当日に帰るのはもったいない。貴重な「冬休みの権利」を今日のために使った。
昨晩はゆっくり北浜のホテルの温泉につかり、頑張ってくれた脚をなでさすり、痛みを感じていた左アキレス腱上端付着部位あたりにピップエレキバンを貼り、今朝ももう一度温泉。湯につかりながらこれが別大の醍醐味だなあとしみじみ。一夜明けて幸い特別に痛いところもないし(明日出てくるのか?)、階段を降りるときにカニ歩きを要することもない。胃がやや疲れているが、食べ始めてみると実際にはモリモリ食べられる。レース前夜の食事や当日の「詰め込み」に少々反省点があって胃腸に負担をかけてしまったので、反省材料としなくては。
今日の午前中はマラソン応援のために福岡から出かけてくれた親戚のおばさんたちと食事。40km地点でちゃんと僕を見つけてくれて大声で応援してくれた。ちゃんと写真もとってくれている。ありがたい。

さて今回の別大は60回記念大会ということで出場資格が3時間半まで緩和された。来年以降の出場資格はどうなるだろうか?
過去、私が走った「記念大会」モノは、東京国際女子マラソンが男子にも門戸を開いたときと福岡国際マラソンが2時間50分で出られたときの2回ある。いずれも厳しい気象条件となり、女子マラソンの場合は、給水が足りないなどの問題もあってほとんどのランナーが散々な出来だった。途中収容者も多かった。福岡国際のときも厳しい関門制限も相まってやはり収容車が不足するほどの事態となり、ギリギリのタイムで出場した選手の多くが完走できなかった。
いずれの場合も(たまたま主催は朝日新聞だが)、この出場枠拡大を失敗と見たか、一回きりの企画に終わり、翌年以降はほぼ元の形態に戻っている。特に福岡については、その後私にチャンスは訪れていないわけで、残念に思う。
で、今回の別大だが、出場枠拡大のおかげで別府の旅館は大賑わいだったし、夜の北浜の町を歩いている「打ち上げ」中のランナーも例年の比ではなかった。家族連れや応援者も目立った。例年出場が600人程度だったのがいきなり3倍になったのだから、当然だろう。ただし宿泊者を収容しきれなかった話も聞こえてこないし、飛行機がとれなかったという話もない。これくらいの来訪者の収容能力は別府と大分にはあるということだろう。それならば地元は相当潤ってよかったのではないか。
関門を緩くしたせいで当然交通規制時間も伸びるわけだが、東京や福岡のど真ん中ならいざ知らず、大分の警察もタクシーの運転手もカリカリしている様子はないように見えた。そのあたりおおらかな土地柄なのではないか。
またコンディションがさほどきつくなかったおかげで完走率も高い。
というわけで来年も3時間半とはいわないが、従来の2時間50分から今回のカテゴリー2に相当する3時間までは出場資格を繰り下げてもらいたい。今後地元の旅館業界などから声が上がってくるだろうが、地域振興の意味でプラスが多かったと判断されれば今回の出場資格が当分続くことだってありうる。
毎日新聞の英断を期待したいところ。まあ自分が2時間50分をきって余裕がでたからこその発言ではあるが・・・。

2011年2月6日日曜日

やった!三年ぶりのサブ​50(自己セカンド記​録)

4回目の別大マラソンに出場。三年前の2時間46分以来、三年間50分切りから遠ざかっており、今回が60回記念大会で出場資格が緩和されなかったら、走ることさえできないところだった。年齢も40を越え、もう二度と50分は切れないかもと弱気になることもあったが、年末年始に充実した練習ができたので、この別大には期するものがあった。それだけに2時間48分23秒(手元)という結果は素直に嬉しい。


10~30kmの別大国道が海からの強めの横風ないし向かい風でキツく、胃と腹も痛み、今日もダメかなあとネガティブになりかけた。中間点は1時間23分半。

しかし周りの選手がペースダウンを始めた28kmあたりから急に元気を取り戻せたのはマラソンの不思議なところ。追い風区間に入って、他の選手たちが止まって見えるほど抜きまくった。久しぶりに味わう快感。50人は抜いたんじゃなかろうか。このまま行けば、確実に50分を切れるという感動にじわーっと泣きそうになる。
38kmくらいからはさすがに両大腿裏とふくらはぎがピクピクきて、ペースダウンを余儀なくされた。いかん、せっかく泣きそうなくらい感動したのにつぶれたのでは笑い話。幸いラスト2kmで復活。さらに10人以上抜いて、競技場内でライバルである?青梅のI選手までかわして満足感100%のゴール。ほっとした。

きつかった中盤からよく持ち直したというのが率直な感想だ。

とりあえず別府の湯につかって疲れを癒やし、せっかく好調なわけだから三週後の東京で今日を上回るタイムを目指したい。この三週間の過ごし方を考えるのはエキサイティングだなぁ。