2011年12月31日土曜日

「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」〜クラシック三昧の年末にぴったり

平成20年に新潮選書から発刊されたこの本を、タイトルに惹かれて購入したのが2年前。以来ずっと「読むものがなくなったとき用に」毎週金曜日のみ勤務する病院のロッカーに入れていたが、なかなか食指が動かず、寝かせたままとなっていた。
それが、昨日の当直中に突然気になって手に取るや、今日にかけて一気に読んでしまった。これが実に面白かった。
著者の川口マーン恵美は大阪生まれだがドイツでピアノを学び現在もドイツ在住。ベルリン・フィルのかつての楽員たちが、フルトヴェングラーとその後継者となったカラヤンについて、きわめて率直に尊敬と愛憎を語っていく。
自分が音楽に没入し張りつめた緊張感をもって指揮台に上がったフルトヴェングラーは、やはりその精神性をもって楽団員の敬意を集めたようだ。一方、カラヤンに対する評価は様々である。過重な録音スケジュール、ビデオのアフレコ撮りの強要、本人の打ち解けにくさに辟易しつつも、音響美に対する飽くなき追求、完璧主義によりベルリン・フィルの全盛期を作り上げたことには楽団員も理解と誇りをもっているようだ。それだけに晩年のベルリン・フィルとカラヤンの不協和音は残念であった。
この著者は老年期にさしかかった楽団員達を気持ちよく語らせるのが実に上手である。女性ならではと思わざるをえない。また巧まざるユーモアを交えたり、他の楽団員のコメントを振り返りながら話をすすめたり、読者に対するサービス精神も旺盛だ。実に読みやすい。
フルトヴェングラーとカラヤン。対照的ではあるが、どちらの美点も臨場感たっぷりに語られるので、二人の演奏をいくらでも聴きたくなってしまう。というわけで、すでに2日で以下の6作品を聴いてしまった。
フルトヴェングラー:べートーヴェン第9交響曲、シューマン第4交響曲、ブルックナー第8交響曲、ワーグナー作品集
カラヤン:ベートーヴェン第9交響曲、マーラー第9交響曲
ちなみにフルトヴェングラーの演奏といえば思い出がある。大学生の頃、リクエスト番組で何とも重厚で悲劇的、心が揺さぶれられるような10分程度の管弦楽小品が流された。指揮がフルトヴェングラーで曲名は「タウリスのイフィゲニア序曲」と聞きとれた。この演奏が収録されているCDを探すこと15年、「フルトヴェングラー:ポピュラー管弦楽曲集1」にこの演奏を見つけ即購入。自らを奮い立たせたいときの愛聴曲となっている。
なぜ突然、積ん読状態だったこの本を読む気がおきたか不思議だが、第九などの重厚なドイツ音楽に聴き入りたくなる年末の雰囲気が、この書の題材にぴったりだったからなのだろう。

2011年12月30日金曜日

生島淳「箱根駅伝」~読むなら今!(あと2日)

幻冬舎新書にて11月末発売の「箱根駅伝」を、3日後に間に合わせるべく急遽読み切った。生島さんは以前より「駅伝がマラソンをダメにした」「監督と大学駅伝」の著書がある通り、とりわけ大学駅伝には造詣の深いスポーツジャーナリスト。内容は私のような年季の入ったコアな駅伝「オタク」(「関係者」というほどではないが、単なる「ファン」以上ではある)をも満足させるモノであった。
箱根駅伝の長い歴史を振り返るというよりは、5区重視の傾向変化、大学当局の駅伝支援体制、リクルーティングの様変わり、留学生問題など、ここ数年で浮かび上がってきた箱根駅伝をとりまく話題や問題点にかなり深く切り込んでいる。だから面白いのだが、3日後に迫ったレースの後では、たちまち色褪せてしまう部分もある。
僕が興味深く読んだのは、東洋大学・酒井俊幸監督のインタビュー部分。面識があってもそのプロフィールは知らなかったことだらけ。
あとは各大学を「校技系」「積極派」「留学生受入派」「期せずしてボーダーライン派」「大枠提示系伝統校」「踊り場系伝統校」「無関心/諦め系伝統校」に分類している項が面白い。例えば最もご近所の城西大は「ボーダーライン派」、次に近所で同期の奈良君が監督をしている大東大は「踊り場系」、かつての常連・慶応/筑波は「無関心/諦め系」というわけ。ユーモアを交えつつも的確。
読むならとにかくあと2日!

2011年12月29日木曜日

新田次郎「聖職の碑」〜33年後の邂逅

小学校の夏休みには、映画の割引券が配布されたものである。2年生のとき(昭和53年)に配られたのがこの「聖職の碑」であった。ずぶ濡れになりながら肩を寄せ合って暴風雨から身を守ろうとする少年達の姿が割引券にプリントされていたのを鮮明に記憶している。実は前年(昭和52年)には「八甲田山死の彷徨」の割引券をもらって父親と映画館に行き、冬山遭難のあまりのおそろしさにショックを受け、しばらく一人で夜トイレに行けなくなったものだ。そのトラウマもあって、またしても遭難モノである「聖職の碑」は見に行かなかったはずである。よくも当時、新田次郎原作の山岳遭難映画ばかり小学生へ推薦していたものだと思うが、深い意味はなく東宝がプロモーションのために配っていただけのかもしれない。
気になりつつも結局見ることのなかった「聖職の碑」だったが、自分が山を登ったり走ったりするようになって「剱岳・点の記」を初めとする新田次郎の著作に触れる機会が増えたことをきっかけに、このたび原作を手に取ることになった。
大正2年8月、中箕輪尋常高等小学校の生徒・教員ら37名が修学旅行として伊那駒ヶ岳に向かったが、山頂付近で大暴風雨に巻き込まれて11名の死者を出した事件が題材となっている。新田次郎らしく綿密な史実考証、聞き取り調査を行ったうえで、悲劇の全体像が克明に描かれる。些細な装備の違いであったり(冬ジャケツを持参していたか、袈裟を確保できたか)、下山路の選択の違いであったり、わずかな差異が生死を分かつところに運命の残酷さと山の厳しさを感じる。やはり3000m級の山岳は8月といえども低体温症→凍死のリスクを忘れてはいけないのだ。今年の夏に立山で3000mを経験したばかりなので、とりわけ実感が湧く。
また、自分を犠牲にしてでも一人でも多くの少年の命を守ろうとする教員達の姿も胸に迫るものがあり、「聖職」のタイトルを捧げた作者に共感できる。
さらに、こうした遭難事故においては、自然の驚異にさらされた極限状態におきるパニックを他者が後から想像・理解することの困難も浮かび上がる。
作者の創作によると思われる身分違いの恋の悲劇の描写も、小説の時代と地方性を実感させるのに大いに役立っており、心中の場面では不覚にも涙してしまった。
僕もゆくゆく必ずや駒ヶ岳に登って、遭難記念碑(慰霊碑でなくどうして記念碑かというのも第三章のテーマとなる)に手を合わせたいという気にさせられた一冊である。
講談社文庫はしばらく絶版になっていたようだが、本年(平成23年)6月に新装版として再発行されたから、現在は手に入りやすくなっている。

2011年12月28日水曜日

ノルエチステロン〜60年の歴史

ルナベル®やオーソM®に含まれるプロゲスチンであるノルエチステロンは、世界初のプロゲスチン(プロゲステロン合成製剤)である。最初に1951年に開発されてから60年が経過しているから、実に長い歴史をもつ薬剤だ。
開発された順に、第1世代(ノルエチステロン)、第2世代(レボノルゲストレル)、第3世代(デソゲストレル)のプロゲスチン、そのホルモン活性を比較してみる。
主作用であるプロゲスチン活性はノルエチステロンは、第2・3世代のものに比べて見劣りする。月経困難症や子宮内膜症に対する治療薬としてはプロゲスチン活性の高いものが有効であるとされているため、その点では不利である。
その反面、にきび・男性化症状などの副作用の要因となるアンドロゲン活性も低く、プロゲスチン活性とアンドロゲン活性の比率でいうと、第2世代と第3世代の中間に属する。
また、ノルエチステロンは代謝産物に一部がエストロゲンに転換されるという特徴があり、骨量低下が危惧される若年アスリートなどにとっては好ましい薬剤とも考えられる。骨密度が同年代女性比で70%程度にまで低下した長距離選手に対するホルモン療法としては、今後選択肢に入れていきたいと思う。
ノルエチステロンは半世紀以上の使用実績があるので、今後新たな副作用が出現する可能性は限りなく低いという利点もある。
以上まとめると、ノルエチステロン(またはこれを用いたOCであるルナベル®)は、きわだった特長も欠点もないが、長年用いられた安全性と(月経困難症に対する)有効性のデータが存在する点が強みといえるだろう。
(参考:「ノルエチステロン〜半世紀以上使われ続ける、その理由」NETシリーズvol.3 (株)メディカルレビュー社)

2011年12月27日火曜日

ルナベル®とヤーズ®の違い

以前の記事のコメント欄にルナベル®とヤーズ®の違いについて質問があった。
ルナベルもヤーズと同様に月経困難症に対して保険適応のあるOC(経口避妊薬)である。現時点では保険で処方できるOCはこの2種類しかない。ただしルナベルは使用されている黄体ホルモンがノルエチステロンといういわゆる第1世代プロゲスチンである点と、エチニルエストラジオール量が35μgとヤーズ(20μg)の1.75倍もある点が大きく異なる。
ルナベルは最初の保険適応OCとして2008年に発売された。ただし薬剤自体は従来から自費のOCとして処方されていたオーソMと変わらず、名称のみの変更がなされての発売だったわけだ。これは従来のOCと同様、「吐き気」「ムカムカする」「体重増加」「むくみ」などの副作用がどうしても一定頻度で起こる。印象としては3割程度の女性に起こるだろうか。もっとも、そうした副作用は際限なく続くわけではなく、飲み始めの1〜2周期に限られる場合が多いため、特段の問題なくこれまで処方されてきた。
一方のヤーズは昨年2010年の発売。含有するドロスピレノンという第4世代プロゲスチンのメリットとして「体重増加」「むくみ」の副作用頻度がほとんどなくなっている。さらにエチニルエストラジオールが少ない分、「気持ち悪さ」の頻度は圧倒的に少なくなっているようだ。僕自身が処方した中では、これまでに一人だけがムカムカ感の持続を訴えている。ただしヤーズには欠点もあって、内服中の少量不正出血の頻度はやや高いようであるし、血栓症リスクがやや高いのでは?という問題提起に対する決着もまだついていない。
肝心の排卵抑制作用、月経痛抑制作用については同等と考えられている。薬価も同一に設定された。
したがって、これまでルナベルを使用していて特段の問題がない女性にはそのまま継続していただいているし、上記の副作用軽減を希望する女性にはヤーズの内服をおすすめしている。
スポーツ選手、特に長距離ランナーは、軽量痩身のためか上記の副作用が出やすい傾向にあるようなので、ヤーズをお勧めすることにしている。国立スポーツ科学センターにも発売と同時にいち早く導入してもらっている。
ヤーズについては以前の記事(ヤーズの利点と注意点ヤーズの血栓症リスク)も参考にしていただきたい。

2011年12月20日火曜日

全日本実業団女子駅伝監督会議で月経状況のアンケート調査依頼

日本の実業団クラスの女子長距離ランナーの半数ないしはそれ以上が無月経ないしは稀発月経であると予想されている。これは正式な調査はないが、いくつかのチームの選手の話を聞いたり、日本代表チームの遠征に帯同してチェックをすると、だいたいそんなものである。
こうした選手の多くは現役引退後に、1年以内くらいにだいたい月経が再開しているようだし、その後に問題なく妊娠・出産に至っている選手も多い(と、数人の監督から話を聞いている)。
例えば、大学生の間はちゃんと月経があったが実業団入りして間もなく月経が止まった、という選手などは、10代後半のいわゆる思春期にしっかり卵巣機能を司る中枢の調節系が成熟して、それが20歳をすぎてから「冬眠」しているだけだから、引退後に運動量が減って体重が増加すれば、確かに卵巣機能は回復するだろう。
問題は、初経が中学であって、ほとんど規則的にならないうちにもう無月経となり、高校3年間もほとんど無月経ですごし、そのまま実業団入りしたような選手の場合である。こうなるとほとんど一度も月経が発来したことのない「原発性無月経」に近い。こうした選手は本来性機能が成熟すべき時期に全くそれがなされていないわけであるから、今さら20代後半になって現役引退したからといって簡単に排卵がおき、月経がくるようになるのか。ひょっとすると結婚後も無月経が続いて不妊治療を必要としたりしているのではないか。
こういう仮説から、引退後の元実業団女子長距離走選手を対象にアンケート調査をしようという発想が生まれた。
これを日本陸連医事委員会で承認してもらい、今回「引退後の女子長距離走選手の卵巣機能と妊孕性に関する調査」を計画したというわけだ。
日本陸連が「元選手」の名簿を持っているわけではないから、この調査には、現場の実業団チームの監督さんやマネージャーの方々の協力が欠かせない。各チームからそれぞれのOG向けにアンケートを発送してもらうわけだ。
というわけで、その調査をアピールする大チャンス、先日仙台で行われた全日本実業団女子駅伝前日の監督会議で10分程度の時間をいただいて、アンケート調査の主旨説明をしてきた。
なにしろその辺の体育学部の学生の修士論文研究ではなく、陸連お墨付きの調査研究だということを示さなければならない。緊張した。
幸い、第一生命・山下監督や大塚製薬・河野監督の強力な後押しも得られ、目的とするところは各チーム関係者に伝わったのではないだろうか。質問が出なかったのがむしろ心配だが。
調査期間は1月いっぱい。もし実業団OGでこの調査用紙が送られてきたらぜひ協力して欲しい。あるいは自分も調査対象のはずなのに調査用紙が来ないという場合には、ぜひ僕に問い合わせて欲しい。
世界各国には日本のような実業団長距離選手のような大きな選手プールはない。一部のエリートランナーだけが、スポーツメーカーなどをスポンサーに個人活動をしているだけであるから、その数も圧倒的に少ない。高校駅伝をめざす若年時期からからそのまま継続して長距離走を競技しつづけているというのも特異な環境である。
医学的にも「運動性無月経のその後」というのはわかっていないことが多い、興味あるテーマなのである。

2011年12月19日月曜日

医局忘年会〜アスコットタイで「おしゃれ」

医局忘年会。17時半に仕事を終え、実習中の5年生と毛呂から坂戸まで走り(久しぶりの「合同」練習でついとばして学生をノックアウト、45分)、自宅でさっと着替えて坂戸グランドホテルまで自転車にて参加。
さすがにスーツにネクタイでは堅苦しいかと思い、久しぶりのアスコットタイを着用。15年前なら「おじさんくさい」と言われたファッションだろうが、1周遅れで先頭に出たのか、見る人からはおしゃれ扱いしてもらえた。ただ、どうしてそんなにキメてるの?と訊かれても、走る格好以外は、これしか持ってないから、中間がないから、としか答えられず。
iPhone4Sに替えて、「自分撮り」が実にしやすくなった。というわけで、南7階の新人ナースと1枚。
今年は「忘れてはいけない」年だという教授の挨拶に共感した。

2011年12月16日金曜日

小川和紙マラソン〜またもや83分台の凡走

11月20日に坂戸市民チャリティマラソン5Kから始まった毎週のレースは、小江戸川越ハーフ、きやまロードレース10K、小川和紙ハーフまでの4連戦で終了。本当はその後、宮沢湖クロカン、サヨナラ年の瀬フル(航空公園)とエントリーだけなら6連戦だったのだが、さすがに大学病院の日曜当直をしないわけにはいかず、今週末の宮沢湖は欠場。
というわけで今回の小川和紙マラソン。前半アップダウンを繰り返しながらの登り、後半なだらかな下りというコースなので、前半我慢すれば後半自然にペースアップできるという案外走りやすい設定だ。実際2年前には冷雨の中、81分46秒で走れている。
今年は快晴に恵まれて暑いくらい。ランニングシャツに手袋は付けたがアームウォーマーは不要と判断。前半は登りを意識して我慢しながらじわじわと追い抜いていき、後半の下りは一転スピードアップでやはり追い抜きモード、とほぼイメージ通りにレースを進めることができた。ところがストップウォッチを見てびっくり。遅い!
ゴールが83分24秒で、ラップは19:30-20:45-19:32-19:32-4:07。10-15Kが失速といっていい落ち方だ。後半の下りも18分台の爆発的スピードアップできず。2年前より2分近く遅い不満な記録となってしまった。
これは加齢変化か?いや、ハセツネ以降の疲労蓄積かもしれない、あるいはスピード持続の練習をとりいれていないせいかもしれない、とまだまだ抵抗したいところ。

一方、埼玉医大陸上部1年の轟君はゲスト出場の大東文化大勢に伍して1時間10分で堂々の優勝。ハーフ用の練習をしていたわけではないのに才能の高さを見せてくれた。小川町の出身・在住だけに故郷に錦を飾った格好。お見事。

2011年12月3日土曜日

第65回福岡国際マラソン

日本陸連の医務監査にあたる仕事(NFRという)のため、夜になって福岡入りした。出場資格タイムが2時間50分にまで緩和され、大濠公園スタートのBグループが最初に設けられた2004年の第58回大会に出場して以来の福岡国際。あのときは終盤の強い風に悩まされ、多くのランナーが関門に阻まれる中、平和台競技場の入口を20秒差でかろうじて通過し、2時間52分台ながら完走を果たした。いい思い出になっている。また出場したいと思いながらも、この大会での完走率の低さが災いしたのか、出場資格タイムが手の届かないところまで上がってしまって未だに果たせないでいる。
プログラムを見たところ、知り合いのランナーがざっと15人ほど。4年に一度の五輪選考会を兼ねた大会だから、もしも優勝すればオリンピック出場だってありうるわけだ。市民競技者にもそういうチャンスがあるのは、マラソンくらいではなかろうか。頑張ってほしい。僕はおそらく競技場の医務室のテレビで観戦、となるだろう。