2012年10月7日日曜日

世界ハーフ〜女子が団体3位のメダル獲得

 昨日がレース当日だった。
寂しいカバルナの町が急遽飾り立てられて、少なくともスタートフィニッシュ付近は世界大会の雰囲気が(無理矢理)作り出されていたという感じ。

女子の結果は以下の通り。上位6名のアフリカ勢とは大きな差がついてしまったが、その次の地位は確保した。団体銅メダル。

1 23 Meseret Hailu ETH 1:08:55 (PB)
2 24 Feyse Tadese ETH 1:08:56 (SB)
3 41 Paskalia Chepkorir Kipkoech KEN 1:09:04 .
4 38 Lydia Cheromei KEN 1:09:13 .
5 21 Emebt Etea ETH 1:10:01 (PB)
6 40 Pauline Njeri Kahenya KEN 1:10:22 .
7 29 Gemma Steel GBR 1:11:09 (PB)
8 36 Tomomi Tanaka JPN 1:11:09 .
9 32 Mai Ito JPN 1:11:25 .
10 27 Caryl Jones GBR 1:11:52 (PB)
11 30 Sabrina Mockenhaupt GER 1:12:04 (SB)
12 33 Asami Kato JPN 1:12:11 .
13 65 Maegan Krifchin USA 1:12:29 .
14 1 Lara Tamsett AUS 1:12:58 (SB)
15 34 Yoko Miyauchi JPN 1:13:00 .
16 54 René Kalmer RSA 1:13:16 .
17 22 Derbe Godana ETH 1:13:16 (PB)
18 66 Adriana Nelson USA 1:13:30 (SB)
19 35 Kayo Sugihara JPN 1:13:36

一方、男子は以下の通り。大幅に省略させていただく。団体は9位。

1 190 Zersenay Tadese ERI 1:00:19 .
2 199 Deressa Chimsa ETH 1:00:51 (PB)
3 217 John Nzau Mwangangi KEN 1:01:01 .

21 208 Yuki Kawauchi JPN 1:04:04 .
29 212 Tsuyoshi Ugachi JPN 1:04:49 (SB)
35 211 Naoki Okamoto JPN 1:05:40 .
58 210 Chihiro Miyawaki JPN 1:08:33 .
67 209 Masato Kihara JPN 1:11:31

どうしても女子はある程度力を出してメダルを確保したのに、男子は不甲斐ない、しかも実業団勢はどうした、という話になってしまうだろうが、コンディショニングの問題などいくつか簡単には片付けられない課題がある。
陸連の医事委員会に報告し、議論をして今後に役立てることが必要になるだろう
 チームドクターとしては、団体入賞した女子から2名のドーピング検査に付き添い、午後は数名の選手の手当て。それなりに忙しかった。
写真は7位争いで力走する田中智美選手と、表彰控室の女子チーム。

2012年10月6日土曜日

世界ハーフ前日はコース下見など

午前中に、今度はホテルから海側の崖を降り、黒海沿いの道(海抜60mくらい)をカバルナ方面(東)へ走って行った。写真のような絶景の道路で、片側に黒海が見え隠れする。緩いカーブと傾斜で舗装もよく、日本ならさぞかし「黒海ビューライン」とでも名前が付いて観光道路になりそうな道である。車の通行量も少ない。台地の上の「高速自動車道」を戻って、計17km、85分。
 午後はテクニカル・ミーティングとコース下見で、初めて12km離れたカバルナ市内へ。世界ハーフを開催する町にしては、何もないうらぶれた貧しい感じの町である。中央広場の回りのアパートはまるで1950〜60年代建築?という古くささで、その頃の東欧映画にでも出てきそうである。

ミーティングが行われたcity hallもこのような小ささで、昔は共産党の市委員会でも開催されていたのかという雰囲気である。
コースは5kmの周回4周。さほどのアップダウンはないが、スタートフィニッシュ地点回りが傾斜がやや急なのとタイル張りの舗装で足場がやや悪い。また折り返しのスペースが狭く、スピードが速いと事故が懸念されるところ。
レース本番は、9時半スタートの女子はともかく、11時スタートの男子は暑さがどう影響するか。

2012年10月5日金曜日

ブルガリア3日目〜隣町バルチクまで遠征

昨日の午後は、国会沿い西側に約6km離れたバルチクの町まで走って行ってみた。最初は宿泊先のある台地上を黒海から離れる北方向に走ってから幹線道路沿いを西へ。この自動車道路は田園地帯をつっきる片側1車線の一直線。当然ながらたまに来る車は相当な速度で飛ばす。車道の脇には幅の狭い路側帯ともいうべき未舗装路があるので、そこを走ってよけながらひたすら炎天下を進んだ。
そのうち気づいたのだが、道路沿いにところどころ墓碑がある。どうやらこの地点で交通事故で亡くなった人の墓碑のようだ。車の絵が彫られているものもある。似顔絵が彫られていて若者がほとんどらしい。こうした墓碑が何と1〜2キロおきに少なくとも7つはあった。写真をとらせていただき、手を合わせて進んだが、あまりにも墓碑が多い。そんなにここは事故多発道路なのか、と思うとだんだん怖くなり、(車同士の衝突に巻き込まれる可能性まで考慮して)なるべく車道から離れた路側帯の端を走った。死亡事故現場に墓碑を設置するのはブルガリアの文化なのだろうか。

さて、遠回りをしながら約12kmでバルチクの町に到達。海抜200mから一気に0mまで下る。バルチクはかつて黒海貿易の港町として栄えたところで、大聖堂などの歴史的遺物やビーチなどもあり観光名所にもなっているところ。しかし何しろ町の中心部にも人の気配があまりない。だらーっとカフェのようなところに群れている地元の中年男性達だけ。買い物をしたくなるような店もない。
中央広場のようなところにツーリスト・インフォメーションがあったが、まわりに観光客は皆無。というわけで、名所にも寄らず、バルチクの町は走って通り過ぎただけに終わった。ここはギリシャか、という印象はますます強固なものになった。
それから時々黒海の見え隠れする、海岸沿いの風情のある道を東(カバルナ方面)へ。帰りは朝練で確認していた道なので、不安に感じることもなく、最後に150m急登してホテルへ帰着。21km、2時間。




午後練を終えたところで、ちょうど競技会前検査が開始。日本チームからも男子選手1名が選出されたので、検査に付き添った。走ってばかりではなく、少しはチームドクターらしい仕事もしている。

2012年10月4日木曜日

ブルガリアはほとんどギリシャ〜GARMINは実業団ランナーにも浸透

1日半滞在したブラチスラバ(派手さはないけどなかなかいい町だった)から、ウィーン国際空港を経て、いよいよ世界ハーフの開催国ブルガリアへ。ヴァルナ空港は、1970年代の東欧の雰囲気が漂うみすぼらしい田舎の小空港。かなり蒸し暑い。
おんぼろバスに乗って約40km離れたカバルナ近郊のホテルへ向かう途中にアクシデント。車内に焦げるような異臭がしておかしいなと思っていると、車内前方の床面がどんどん暑くなり、運転手がエアコンを切り、緩い下り坂をエンジンoffでニュートラルで下りながら何回もエンジンをかけ直そうとしている。さすがに車内がちょっとした騒ぎになりかけたとき、ガソリンスタンドへかろじて滑り込み、ここで応援のバスに乗り換えることとなった。オイル漏れからエンストを起こしたらしい。ちなみにいすず製の古い小型バスだった。
選手村となるゴルフリゾート(ホテル)に到着すると、ここでも大問題。次々と選手団が到着しているというのに、部屋の割り当てがなされていない。数部屋分の鍵を渡されて行ってみると、広いくせにベッドが一つしかない、床の舗装がされていない、その部屋に管理人が住んでいる(!)、などのトラブル続出。最後にはなんとか部屋を獲得して、野宿・雑魚寝はかろうじて避けられた。
ブルガリアに入った途端のこのドタバタ続出具合は、やはり西欧とは明らかに違う。運転手のラフな服装や、道路沿いのまさに何もない荒野の連続した風景、昼間の日差しなどは、ギリシャに近いかも。経済的なレベルもドイツ・オーストリアではなく、おそらくギリシャ寄りのはず。緑の牧場とバラとヨーグルトとというブルガリアのイメージをだいぶ修正しなければならない。実際、少し南に行くとトルコ、ギリシャに連続しているわけだから。

さてそうなると選手の練習場所にも事欠く。とりあえずこの日はゴルフリゾート内の車やカートが通る固い舗装道路で走るしかない。こういう新しい土地でいきなり距離を測りながら走るのに役立つのはなんといってもGPSウォッチである。僕のGARMIN(Forerunner 401)も狩り出されて、ある女子選手のペース走のお供になった(ちなみに僕自身は部屋割りのドタバタで走るどころではなかった)。コーチや監督たちに訊くと、もはやGARMINは相当な割合で実業団チーム、選手に浸透しているという。それはそうだろう、便利だもの。2年前の世界クロカンの頃は、まだ僕のGARMINを見せても「なんですかそれ?」という選手が多かったのに、ここ2年の変化は大きい。
実業団へ浸透するタイミングがやや市民ランナー(の中のマニア層)に遅れをとったのは、こうしたランニング関連グッズのとるいつものパターン。SKINS、2XUなどのコンプレッションウェアなども同様だった。

2012年10月3日水曜日

ドナウ川沿いで練習

 昨日はブルガリア入り前の一日、ブラチスラバで調整練習。ドナウ川沿いにそびえ立つブラチスラバ城を中心とした街で、両岸には(ヨーロッパらしく)自転車道が完備されている。

日本でサイクリングロードというと、街中からはずれて田舎の河岸などに「サイクリングを楽しむため」に設置されているイメージだが、ヨーロッパのそれは町と町をつなぐ自転車専用道路が市街地にもそのままつながり、自転車道を辿るのみで街中まで通勤できてしまうようなものだ。
ただし通勤通学者で混み合うということは全くなく、のんびりしたもの。サイクリストよりもむしろジョガーと多くすれ違った。平日の夕方から走っている若者は案外多い。


 世界ハーフ出場の選手達は、数名があてにしていたトラックが使用を断られるというハプニングがあったものの、多くはこのドナウ川沿いのコースや公園をjogで調整練習。
僕もウィーン方面へひたすら自転車道をひた走り、適当なところで折り返して帰ってきた。約16km。気温は18℃くらいで涼しく、曇時々小雨。走りやすい。
明日、いよいよ世界ハーフの開催地、ブルガリア・カバルナへ移動する。

2012年10月2日火曜日

ブラチスラバに到着〜長旅だった・・・

成田からロンドンまで12時間、2時間ちょっとの乗り継ぎでウィーンまで2時間。今回ウィーン市内にホテルが確保できなかったとのことで隣国スロヴァキアのブラチスラバまでバスで1時間の移動。ブラチスラバのホテルに入ったのは現地23時半の夜中だった。街灯が少なく、暗くて人の少ない街。日本が明るすぎるのだろう。成田のホテルを出てから22時間の大移動、やっと終了。ここに明後日の朝まで滞在していよいよブルガリアへ向かう。
ロンドンまでの機内では、こまめに体操をしたり、歩き回ったり、廊下を疾走したり(!)、体が固まらないように工夫をしていた選手もいたようだが、僕は型どおり機内映画と読書。いわゆる「名画」のラインナップが弱く残念だったが、結局「外事警察〜その男に騙されるな」(2002)と「ザ・シークレット・サービス」(1993)の2本を見た。
さて、明日はブラチスラバ市内で練習だ。幸いまだ医務としての出番はない。

2012年10月1日月曜日

痔の治療薬はドーピング違反か?

痔で悩むアスリートは案外多い。ところが痔の治療薬のほとんどは、抗炎症作用を期待してステロイドが含有されている軟膏や坐薬である。例えば、外来でもっとも頻繁に処方される強力ポステリザン軟膏もネリプロクトもステロイド含有である。
ところがWADAの禁止リストでは、糖質コルチコイドの経直腸投与が(以下のように)禁止されている。


S9. GLUCOCORTICOSTEROIDS
All glucocorticosteroids are prohibited when administered by oral, intravenous, intramuscular or rectal routes. 

したがってステロイド含有「坐薬」をやめておく方がよいのはいいとして、肛門周囲へのステロイド含有「軟膏」塗布は(経直腸投与かどうか)微妙なところであるが、従来から「使用すべきでない」とアドバイスされていることが多い。
しかし一方、ステロイド含有の経皮塗布軟膏類(例えば強力ポステリザンと同じヒドロコルチゾンを含むロコイド軟膏)を湿疹や皮膚炎に用いるのはかまわないわけである。ロコイドは1グラム中ヒドロコルチゾン1mg、強力ポステリザンは2.5mgと大した違いはない(10倍、100倍のオーダーでの違いはないということを言っている)。皮膚の広い範囲に塗ればステロイド量は同じである。

禁止リストでいう経直腸投与とは(経口、経静脈、筋肉注射と並べられていることでもわかるように)、全身効果を狙っての使用法を禁じたと解釈されるから、痔疾患の治療薬までも禁止されたと反応するのは、いささか過剰自粛なのではなかろうか。
そういう疑問が湧いている。JADAの見解を尋ねてみたいところである。はっきりするまでは「自粛」でやむを得ないと思うが・・・。
実際、アスリートというだけで痔の有効な治療を受けられないのでは、気の毒だ。
ちなみに外用薬以外にも痔には漢方薬(例えば五苓散)などの治療が存在する。考慮してみていいと思う。