はじめに
薬物は本来、疾患の治療のために用いられるべきものですが、競技力を高めるために不正に用いたり、その使用を隠蔽する薬物を用いたりすることをドーピングといいます。スポーツにおいて用いてはならない物質を世界ドーピング防止機構(WADA)は禁止表に定めています。こうした薬剤が競技力を高めるための使用でなかったとしても、アスリートはドーピング防止規則違反として責任を問われます。また、薬剤を処方した医師も実に嫌な思いをし、状況によっては責任を問われることにもなるでしょう。したがって女性アスリートが産婦人科外来を受診してきた場合には、ドーピングに関して十分注意を払わねばなりません。産婦人科で用いられる薬剤には、ステロイドホルモンが含まれるものや中枢の刺激/抑制作用を有するものが多く、一部に禁止物質が含まれます。ただし経口避妊薬を含む日常処方されるホルモン剤に含まれるのはステロイドといっても性ステロイドであり、蛋白同化作用を持つものは例外的ですのでおおむね問題なく処方できます。ホルモン剤以外の薬剤についてもある程度の知識を持っておくことが必要です。
最新の禁止物質情報は、WADAのウェブサイトから、現在であればThe 2014 Prohibited List(2014年禁止表)をダウンロードすることによって入手できます。禁止表に掲載されている産婦人科関連の禁止薬剤は、子宮内膜症治療薬でアンドロゲン作用を強く有するダナゾール、抗エストロゲン作用を有する経口排卵誘発薬であるクロミフェンとシクロフェニル、乳癌の術後ホルモン療法に用いられるアロマターゼ阻害薬、骨粗鬆症治療薬としても用いられるSERM(選択的エストロゲン受容体モジュレーター)です。
WADAには、アスリートの治療にどうしても禁止物質を投与しなければならない場合には、アスリートが事前にTUE(Therapeutic Use Exception)申請を行い、認められれば治療のために禁止物質を使用することができるというルールがあります。すべての禁止物質に適用されますが、申請は定められた書式を用い、臨床経過、検査所見などをあわせて提出する必要があります。TUE申請を行ってもすべてが認められるわけではありませんので、この点は誤解がないようにしてください。
表:WADA禁止表2014に掲載されている産婦人科関連の薬剤
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薬剤の種類
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薬剤名(一般名)
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①
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アンドロゲン作用薬
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ダナゾール
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②
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アロマターゼ阻害薬
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アナストロゾール・エキセメスタン・レトロゾール
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③
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SERM(乳癌・骨粗鬆症)
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タモキシフェン・トレミフェン・ラロキシフェン・バゼドキシフェン
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④
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他の抗エストロゲン薬
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クロミフェン、シクロフェニル、フルベストラント
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問 経口避妊薬(低用量ピル)の中に処方すべきでないものがあると聞いたことがありますが?
答 ピルに含まれるプロゲスチンのうち、ノルエチステロンは体内で蛋白同化剤であるナンドロロンの代謝物の19-ノルアンドロステンジオン(禁止物質)に代謝されることがあり、ドーピング検査で陽性と判定されたことがかつてありました。しかし現在は両者の区別は可能となっていますので問題なく処方できます。産婦人科診療ガイドライン婦人科外来編2011には上記の注意記載がありますが、2014年の改訂で削除されます。ちなみにノルエチステロンが含まれる低用量ピルは、オーソM-21錠®、ルナベル®配合錠LD、ルナベル®配合錠ULDなどです。
問 利尿作用があるとされる経口避妊薬(低用量ピル)は問題ないでしょうか?
答 利尿剤は、禁止物質の使用を隠蔽する目的で使用されることがあるため、全て使用禁止となっています。ヤーズ®配合錠に含まれるドロスピレノンには軽度の利尿作用があるとされますが、WADAの禁止表では「ドロスピレノンを(禁止物質から)除く」と明記してあります。したがってアスリートにも処方可能です。参考までに低用量ピルをプロゲスチンの種類別に示します。表中のすべてのピルが問題なく処方できます。
表:低用量ピルに用いられるプロゲスチンと薬剤名
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プロゲスチンの種類
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薬剤名
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第1世代
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ノルエチステロン
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オーソ、シンフェーズ、ノリニール、ルナベル
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第2世代
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レボノルゲストレル
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アンジュ、トライディオール、トリキュラー
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第3世代
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デソゲストレル
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マーベロン
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第4世代
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ドロスピレノン
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ヤーズ
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問 ホルモン補充療法に用いられる薬剤は問題ないでしょうか?
答 エストロゲン製剤は経口・経皮を問わず問題ありません。併用されるプロゲステロン製剤も問題ありません。ただしボセルモン®、メサルモン-F®などの混合ホルモン剤にはアンドロゲンが含まれますので、使用できません。
問 偽閉経療法は問題ないでしょうか?
答 子宮筋腫や子宮内膜症に対して行われる偽閉経療法に用いられるGnRHアゴニスト(スプレキュア®、リュープリン®など)は、広い意味では抗エストロゲン作用と言えますが、禁止表には掲載されていません。使用可能と考えられます。
問 不妊治療を行いながら競技を続けることはできますか?
答 クロミフェン(クロミッド®)とシクロフェニル(セキソビット®)は抗エストロゲン作用をもち、下垂体を刺激する結果、蛋白同化作用も促進するとされ、禁止物質に指定されています。アロマターゼ阻害薬であるレトロゾール(フェマーラ®)も禁止物質です。一方、注射剤ではFSH成分を主体とするゴナドトロピン製剤、hCG製剤が2005年まで男女を問わず禁止物質に指定されていましたが、2006年以降のWADA禁止表では「男性のみ禁止」と変更されました。女性アスリートに対する不妊治療が行いやすくなったといえます。
問 静脈注射も違反だと聞いています。手術の際の点滴や麻酔はどうすればいいでしょうか?
答 WADA禁止表では薬剤の投与経路として、薬剤の種類を問わず「静脈注射および6時間毎50mlを超える注射は禁止される」となっていますが、「正当な入院加療や診断の必要な場合は除外」されます。したがって救急医療、手術時の点滴、麻酔薬静注などは通常の患者と同一で問題ありません。TUE申請も必要ないと考えられます。
問 貧血の治療は通常通り行ってかまわないでしょうか?
答 経口鉄剤の処方は問題ありません。ただし静注は前項の通り「入院が必要なほどの」極度の貧血の場合に限るべきでしょう。中高生アスリートの一部に競技力の向上目的に鉄剤静注を希望する風潮があり、これに安易に応じるのは違反行為になる可能性があるので注意が必要です。輸血、エリスロポエチン製剤の投与は禁止となっています。救急の場合を除いて投与はできません。その場合でもTUE申請が必要です。持久的スポーツにおいてはもっとも厳しく検査が行われる分野であり、最近は不自然なヘモグロビン値の上昇が認められれば禁止物質薬物が検出されなくても違反を問われる事例が続出しています。
問 その他に産婦人科で処方される可能性のある注意すべき薬剤を教えて下さい。
答 エフェドリン作用のある麻黄が含まれる漢方薬(葛根湯、小青龍湯など)は違反を問われます。骨粗鬆症治療薬であるラロキシフェン(エビスタ®)、バゼドキシフェン(ビビアント®)も禁止物質です。若年アスリートの骨密度増加目的に使用することはできません。なお糖質コルチコイドの全身投与は違反ですが、口内炎や痔などに対して局所投与として用いる分にはかまいません。
問 ドーピング検査を受ける可能性のあるトップアスリートだけを注意していればいいのでしょうか?
答 ドーピング検査に協力する義務は「全ての競技者」に課せられています。すなわちトップアスリートに限らず、ジュニアやマスターズ、記録や成績、競技種目に関わらず対象となります。もちろん中学・高校の女子サッカー部員や女子バレーボール部員も対象であることをご理解ください。「プロ選手でないから」「高校生だから」という理由でドーピング防止規則を無視していいことにはなりません。実際には「競技会検査」はほとんどの国際大会と(国体などを含む)国内主要大会において行われます。また「競技会外検査」は世界ランキング上位者とその所属チームに対して行われています。
おわりに
競技力の向上を目的とした意図的なドーピング違反は当然として、アスリート自身や処方医の無知に基づく「うっかりドーピング」がアスリートの人生を大きく損なう事例は枚挙にいとまがありません。不安があれば、WADAの禁止表や日本薬剤師会の「ドーピング防止ガイドブック」などを自ら調べる手間を惜しまないようにしましょう。
参考:WADAのウェブサイト http://www.wada-ama.org/
Quick Links 中の Prohibited List のボタンから、2014 Prohibited Listのダウンロード画面にとぶことができます。
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