2011年4月13日水曜日

「三陸海岸大津波」(吉村 昭)

Amazonでしばらく品切れしていた吉村 昭「三陸海岸大津波」(文春文庫)がやっと届いたので、一気に読了した。
今回「千年に一度の未曾有の大震災」だと思っていたけど、津波に限って言えば昭和8年にもほとんど同じことが起きていたことにまず驚き。しかも同じ3月。
明治29年のその前の大津波から30年以上経過し、津波の恐怖感もだいぶ薄れてきた頃。「晴天のときには津波はないものだ」「水平動の後には津波はない」などと「自信ありげに」動かなかった人が随所にいたようだ。最悪の事態を想定して避難しようとする人を見下すかのように、皆を安心させるのが自分の役目とばかりに自信ありげに抑えにかかる人・・・安心していい根拠はないのに・・・今回の震災でも原発事故でも、いたような気がする。人はつい「安心な」提言に従いたくなるものだ。医療、特に手術の場面においても同様のことがある。自戒したい。
さて昭和8年の場合は、いったん津波を警戒した人々の多くも15分後には、大丈夫と再び寝についている。地震から30分も経過しての、しかも深夜の津波来襲だったため、不意を襲ったかたちになったのだ。
津波から町が復興し、記憶が薄れてくると、高台に集中していた家が再び海沿いに進出してくる現象が見られたと記載されている。数十年に一回起きるかどうかわからない津波に備えるよりも、漁業活動に便利な海沿いへ住む方がラクだから。痛みが過ぎるとすぐ忘れてしまい目先の利益を追求してしまいがちな人間の悲しい本性なのだと思う。
今回医療支援で訪れた大船渡でも、津波で壊滅した地区は「津波警戒地域」と(おそらくこの昭和津波の経験から)道路上に標識で明示されていたエリアにほぼ一致していた。
これからの被災地の町づくりに必ずや過去の経験から得られた叡智を生かしていかねばならない。

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