2010年7月27日火曜日

富士登山競走でぼろぼろになったターサー

朝のスタート前の出で立ちはこんな感じだった。足首のバンドがポイント。
そしてアウトソールが完全に剥がれてむき出しになった哀れなターサージャパン。

4日経過したが、まだ階段を上ると筋肉疲労を感じる。
奥武蔵ウルトラマラソンまであと5日。回復するかどうか・・・朝のスタート前の出で立ちはこんな感じだった。足首のバンドがポイント。
そしてアウトソールが完全に剥がれてむき出しになった哀れなターサージャパン。

4日経過したが、まだ階段を上ると筋肉疲労を感じる。
奥武蔵ウルトラマラソンまであと5日。回復するかどうか・・・。




2010年7月24日土曜日

富士登山競走~やっと余裕の完走、ついでに4時間切り

2年前に初出場したときには(山頂コース)、馬返しまでのロード区間も暑くてペースが上がらないわ、不整地になったらまったく走れず歩いてのぼるしかないわ、挙句の果てには七合目以降でたびたびふくらはぎが痙攣して立ち止まるわで、やっとこさ4時間28分という制限時間2分前のゴールだった。
当分出ない、と決めていたのだが、なんと今年から過去3年以内の同大会の実績(五合目通過タイム)がないと山頂コースのエントリーさえできなくなるということになり、それなら少なくとも2-3年おきに出場し続けないと、山頂コースのエントリー権を失ってしまうわけで、急遽出場を決めた。
今回も山登りのトレーニングは十分にできなかったが、先週の1500m、5000mのトラックレースで最近5年間のベストタイムが出ていて走力自体はまずまず好調、裏TTRや医局旅行三ツ峠などのトレイルランはまあまあやっていたことから、2年前のようなことはないだろうと見ていた。ただし仕事の疲労はけっこう溜まっていたが・・・。
半袖ジップアップシャツ+ボックスパンツ+2XUアームスリーブ+ザムストソックス+古い(7年前くらいの)ターサージャパンという装備。 キャップとサングラスと指切りグローブとボトルポーチ(400ml)両足には件の痙攣防止バンドも。
馬返しまでは暑さとの戦いだったが、快調に登ることができ、ペースを落とす選手をどんどん抜いていく。ただし苦手の不整地区間に入ってからはなかなか走り登ることができず、それでも脚に余裕はあるので、少しずつ順位を上げていく。
馬返しは63分、五合目は1時間57分の通過。ゴールは五合目の2倍になる、という先輩ランナーの言葉を思い出し、2年前に比べて好ペースであることを自覚する。
ところがアクシデント発生。古ターサーのアウトソールが爪先側からはがれ始めている。もしミッドソールまで損傷が及んだら登り続けられないかも。幸い足に突き上げ感はなく、不安になりながらもそのまま登る。
五合目以降もほとんどが歩き登りだが、少しずつかわしてピッチよく上がれた。六合目で応援してくれていたというハリ天さんを見つけられなかったのは痛恨。このあたり日が陰っており、一時、急速に冷え込んだ。汗とかけた水でびしょぬれだったパンツとシャツが少しずつ乾き始める。
さすがに八合目あたりからはだいぶ脚に来て、砂地に足をとられるたびにペースダウンしていったが、ふとカシオ・プロトレックの高度計を見るとすでに標高3200mを越えていて、残りもわずか、両手もフル動員して最後の岩場を登り切り、念願の3時間台(57分半)でゴール。前回を30分以上上回ったわけだから、自分としては大満足、感激だった。幸い頂上は晴天。500円でコーラを買ってしばし休憩。
もちろんフルマラソンや5000mのタイムからするとこのタイムは「遅すぎるんじゃないの」という向きもあるだろう。フルマラソンなら勝てる女子選手にもことごとく負けてしまう。いつか奥武蔵ウルトラで競った落合尚美さんは、僕より30分も先着して2位に入賞していて、少々ショックを受けた。喜んでばかりもいられない。ただ富士登山競走は自転車のヒルクライムと一緒で軽量選手が圧倒的に有利。中量級が歩くしかない傾斜でも軽量級の選手は走り登れる。というわけで平坦路ではまた違うだろう。
なお、途中1回だけ右ふくらはぎが攣りかけたが、その後は大丈夫。2年前に痙攣で苦しんだことを考えると、「痙攣防止バンド」、効いているような気がする。
一方、ソールのはがれたターサーは完全にお陀仏。あまりに古いシューズだと接着が弱っているのか過酷なレースには耐えられないようだ。反省。 
9日後には奥武蔵ウルトラマラソンに出走予定。疲労がどこまで抜けるか。

2010年7月20日火曜日

「街場の教育論」内田 樹

大学設置をめぐる規制緩和により、全授業をインターネットで行う初の4年生大学として、2007年4月、福岡にサイバー大学という株式会社立の大学が開学した。ウチダ先生は「この大学はあまり長く保たないだろう」と本書で予言する。
なぜか。それはこの大学が「通販」というビジネスモデルに準じて制度設計されている点にある。課業として支払われた労働価値に対して、商品が「単位」というかたちで交付される。これは教育ではない、「お買い物」だとウチダ先生は喝破する。「買い物」的勉強はまず「カタログ」(大学だとシラバス)を眺めるところから始まる。ところが通販には「カタログにない品物は買えない」という根本的な難点が存在する。これが「学び」と「通販」の決定的違いである。
「学び」は「どうしていいかわからないときにどうすべきかの目鼻をつけようとする」ときに起動する、とウチダ先生は考える。人の本源的な力がいちばんはっきり現れる瞬間である。
実際、学生が大学に求めているのは「カタログに載っていない」知的活動の現場に「巻き込まれる」ことなのだと、本書では学園漫画を例に解析されている。シラバスを読んで、すでにその意味や有用性が知られているような「教育商品」を規定の単位数集めて学士号を手に入れることではないのだ、と。
はたしてサイバー大学は入学者数低迷により、本年5月に二つある学部のうち片方の学生募集を停止すると発表した。ウチダ先生のご明察どおりである。
本書にはユーモアたっぷりに「たとえ話」を押し出すウチダ節満載である。「キーボードを押すと、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子を二個もらったとか、そういうどこを迂回したのかよくわからないようなやりとりが果たされるのが教育というものの本義なのです」など、言い得て妙ながら得も言われぬおかしさ。しかも痛快。
省みて自分の関与している医学教育の現状はどうだろうか。成績査定における「努力と成果の相関」という前提を国家試験を越えて研修医にまで延長することで、(そんな前提が意味をなさない)仕事の場における「労働のモチベーション」形成が阻害されやしないか。あるいは専門教育肥大化に伴い教養教育が縮小されるあまり、他の専門領域とネットワークを組んで新しいものを生み出すためのコミュニケーションの仕方を知らない医師を増産してしまわないか。いずれもウチダ先生が本書で警鐘を鳴らしているところである。
あまり「医学部教育は特別だ」などと肩肘張らぬがよろしかろう。ウチダ先生と神戸女学院大学から学ぶことはたくさんある。