2008年1月27日日曜日

大阪国際女子マラソン〜福士選手の惨状 見ていられず

福士の初マラソン挑戦で注目された大阪。録画予約を忘れて、埼玉県医学会から帰宅してテレビをつけたらもう34kmにさしかかっていた。福士がトップだったが、すぐわかるほどに明らかにペースダウンしていて、なんじゃこれじゃすぐ抜かれちゃうでしょ、と思ったらやはりまもなく次々と抜かれ始めた。
トップ争いはそのまま順位の変動もなく、マーラ・ヤマウチ選手が優勝、森本友選手が2位に入った。2人とも実力はもちろんあったが、メディア的には注目選手でなかったし、タイムもさほどでなく、森本選手の追走もぐっと差を縮めるほどではなく、テレビとしても盛り上がりようがなかった。ただ僕としては日本で練習を続けるヤマウチ選手を多くの日本人が応援している様子や、ゴール時のうれしそうな笑顔にそれなりに「よかったねえ」と感動はしたが。まあドラマチックかというと正直そうでもなかった。
で、テレビとしてはよれよれで走り続ける福士を追い続けるのもしょうがないところ。
キロ6分まで落ちていたというからもはやジョギング以下。もう足が硬直して痙攣して、何回も転倒してしまっていた。
哀れだなあと気の毒だったが、それは倒れたのが気の毒というよりも、そんなシーンをテレビカメラに執拗に追い続けられることが気の毒だった。トラックの女王で、プライドもあるだろうに、あの姿は映されたくなかっただろうなあ。気丈に引きつった笑顔は維持していたけど。かわいそうだった。
ただ、僕も何度も足がつって立ち止まったり歩いたりしたことがはあるけど、倒れたことはない。じっさいフルマラソンの終盤で痙攣して転倒している人は見たことがない。あれは相当足にきていた証拠だ。
今までのロードシューズよりさらに軽量化をはかって130gのシューズで臨んだという話だったが、この軽量シューズはばててからは全く助けになってくれなかったはず。結果的には普通の発想通り、少々重くてもきっちりクッションとサポートのあるレースシューズを履くべきだっただろう。アディダスジャパンの作戦ミスだ。ゲブレシラシエはちゃんとフルのときはハーフのときと異なり、厚めのセカンドランクのアディゼロを履くと言うが、福士もその方がよかったのではないか。アテネで勝ったイタリアのバルディーニだってターサーを履いていたのだ。
福士の初マラソンへ向けての練習も、距離走は32kmまで、たった1ヶ月の準備期間。それじゃやっぱりフルマラソンは走れなかったわけだ。ハーフとはわけが違う。僕自身どこかに福士に対して、フルをなめちゃいけないよ、これで思い知ったろ、という気持ちがあることは否定できない。
福士のことだから、次のレースにはいよいよモチベーションアップして周到に準備して臨むだろうけど、最初があまりに失敗しすぎると次にどう改善すればいいかわからず、いつまでもマラソンがわからない、こわくなってしまう、という悪循環に陥りかねないので、心配している。必ずいずれはフルで好タイムを出せるはずの選手だけに、監督コーチは心して次のマラソンを迎えてもらいたい。
これで高橋尚子選手にかかる期待が俄然大きくなった。高橋以外にも名古屋に出る選手にしてみれば名古屋で25分切って日本人1位に
なればオリンピックにかなり近づくわけで、名古屋がさらに注目レースになりそうだ。ついでにいうと世界選手権6位の嶋原選手にも目が出てきたといえる。

2008年1月23日水曜日

ランナーズの電話取材〜妊娠・出産とランニング

昨日の夕方6時過ぎ、ランナーズから電話取材があった。医局にかかってきた電話をたまたま通りかかった僕がとったのだが、「株式会社ランナーズと申しまして・・・」と相手が言った時点で、当然僕宛の電話だとわかった。他にこんな雑誌と関連のあるドクターはいるわけないですからね。
で、趣旨は2月号に妊娠・出産とランニングという特集記事を組む予定で、コメントをほしいとのこと。
ちょうど去年の今頃だろうか、柔道の谷亮子選手が出産後1年ちょっとで復帰するというときに、テレビ局やスポーツ新聞からコメントを求められ(これはJISS経由で紹介されたためだが)、このテーマにはちょっと慣れている。
今回もそうだったが、まず記者が聞きたがるのは、最近出産後に活躍する女子選手が増えてきたけれども妊娠出産は競技に対してプラス面があるのかどうか、ということ。
僕の答えは、「医学的には特にないでしょう」。もちろん妊娠中は循環血漿量が増えるから循環系の「トレーニング」になる可能性はあるし、体重も増えるから骨に対する重力加重が増えるのでこれも「ウエイトトレーニング」になるとも言えるけれども、そんな変化は出産後あっという間に失われてしまうし、効果も長続きはしないはず。
以前、共産圏の国で女子選手に計画的に妊娠させ、しかも中絶させることで競技力向上を図ったという伝説があるが、これは胎盤から分泌されるステロイドホルモンによる蛋白同化作用を狙ったものかと予想される。だから妊娠中も激しいトレーニングを続けたに違いない。もちろん今回の特集の趣旨とは全く相容れないものであろう。
次に、妊娠中にはどのようなトレーニングが適当か、という質問が来る。おそらく多くの産科医が思っている以上に、ランニングは行ってもかまわないはずだと思う。もちろん切迫早産や妊娠高血圧症などの産科リスクがない場合に限ってのことだが。ただし妊娠中にレースに出て好成績を上げようというのではなく出産後になるべくスムーズに競技に復帰する、というのがトレーニングの目的のはずだから、それならば自ずとせいぜい柔らかくて平坦な路面でのジョギング程度ということになるだろう。
妊娠中にもランニングを続けていたという記録は、たとえば松田千枝さんの著書や赤羽選手のブログにも記載はあるが、競技ランナーが計画的に妊娠中にトレーニングを行って、かつそれを公開している例は知らない。ラドクリフ選手やリディア・シモン選手、ヌデレバ選手がどのようにトレーニングを行っていたか、気になるところである。
長距離走ではないが、ハンマー投げの大橋千里選手が妊娠中のトレーニング内容や筋力測定結果をかなり細かく陸上競技マガジンに公開したことがあり、僕もコメントをつけさせていただいたが、やはり妊娠週数の深まりとともに筋力は落ちてきている。もちろん思い切った筋力発揮ができなくなっていくことが要因であろうから、無理は禁物だと思う。
蛇足ながら、出産後に活躍している選手が増えてきているのは、元々それなりに競技力のある選手こそが出産後も競技を続けようというモチベーションを維持しやすいわけで、元々強いから当然復帰後も目立つ、というバイアスを忘れてはいけない。決して出産したから強くなったわけではない、ということがいいたい。
それから、彼女たちは家族のサポートに恵まれている。夫がコーチであることも多い。ベビーシッターや実家の両親の協力を仰いでいる場合も多いだろう。この要因がひょっとすると一番重要かもしれない。
最後に出産後、ランニングに不利なことがあるかどうか。まず帝王切開になった場合などは、当然創部や腹直筋が回復するまでに半年はかかるだろう。また経膣分娩後に恥骨離開や恥骨痛を訴える褥婦もいるから、こうなったらしばらくは走るどころではないはずだ。それから授乳。谷亮子選手は復帰時点ではまだ授乳をしていて、となると当然乳房も張って重いだろうし、時間が経過すれば搾乳せざるをえないだろうし、スポーツには不利と思われる。精神的な面も無視できなくて、乳房が張ってくると赤ちゃんが恋しくなって練習に集中できなくなるようだ。ラドクリフ選手が授乳をどうしたかは知らないが、最初の2-3ヶ月で母乳育児を打ち切ってさっさとトレーニングに集中するという作戦も当然ありうる。
以上のような話を電話でした。さてどのような記事になるか。

2008年1月21日月曜日

サンスポ千葉マリンマラソン〜快走に機嫌よし


別大マラソンの2週間前の調整として千葉マリンを走った。なにしろこの大会は、一昨年が降雪中止(中止のニュースをキャッチできなくて当日幕張まで行ってしまった)、昨年がコース誘導ミスで怪記録誕生、と2年続けて「顧客の満足」からほど遠い結果に終わっているいわく付きのレースだ。昨年はさすがに僕も思うところがあって、主催者にメールも書いたし(旧ブログ参照)、その中で翌年の出場料減免処置を提案したり、当初発表された不足距離が間違っていることを指摘したりした。
今年の大会の申し込み受付が始まっても、昨年のエントリー者は出場料を考慮してくれるわけでもなく、もちろんメールに対する個別の返事もなくて、「二度とこんなレースに出るもんか」と意地を張っていたのだが、別大の出場が決まって、さて2週間前にハーフでも、と思ってレースを探すと、なんと千葉マリンしかないのである。しょうがないので、昨年の反省ぶりを見届けてやろうと思い、不本意ながらエントリーした。というのが、出場決定までの経緯。
さてレースだが、寒くなると予想された気温も坂戸や毛呂山の寒さに比べれば全くたいしたことはなく、気になる海風も微風程度の好コンディションになった。19分ペースで行って、ラスト1.1kmを4分で上がって1時間20分、というのを目標に定めておいた。
5kmの通過は19分03秒。スタートの数秒ロスを考えれば、ぴったりのペース。こういうところがレースを重ねて、年齢を重ねて、うまくなってきている。ところが思った以上に余裕がある。前を追おうとする選手に背中を借りながら徐々に前方に進出。次の5kmは18分48秒と自然に温まって上がった感じ。
登録者の部は、背腹両方にナンバーカードがあり、番号はタイム順、しかも姓名が書いてあるから、自分の前を引っ張ってくれている人はずいぶん番号が早いので実力者が余裕を持っているんだな、とか、そこを走っているのは某ランニングクラブの有名コーチだなとか、わかる。これはペースを決めたり誰に着いていくか決めたりする上でたいへん都合がいい。
300番台の僕は200番台の選手をペースメーカーに利用させていただきつつ、200-300番台の選手を次々に抜いていった。なかなか好調。
昨年コース誘導ミスがあった地点では、とても緊張して周囲を見回しながら走ったが、係員はさほど気にとめている様子はなかった。先頭を無事に誘導し終えたので気が緩んだ後だったか。15kmまでの5kmは18分38秒とさらに上がる。このあたりから少しずつ疲労を感じ始めるが、相変わらずちょうどいいペースで件の選手がリードしてくれるので、そのまま着いているうちにやや楽になり、18kmすぎの橋の下りを利用してペースアップ。自分でも驚くぐらい順調にピッチが上がり、20kmまでを18分39秒とイーブンでカバーした後は、尻上がりのスパートで余裕を残してゴールに駆け込んだ。
1時間19分30秒というのは、自己3位記録のはずだが、上位2回はいずれも20代のときの犬山ハーフだから近年では一番いい。コンディションに恵まれたのは差し引かないといけないが、好調であることは間違いないようである。
気になるのは、自己新の出たつくばマラソン、今回の千葉マリンと2回とも家族が応援についてきていないレースだということである。この方がレースに集中できていいのだろうか。次回の別大は家族も来るのだが・・・・?
レース後はまず海浜幕張駅横のアウトレットのアシックスショップでお買い物。子供のトレーニングウェアやシューズを買った。その後は、前任の三楽病院時代のお仲間、あるいはそのつながりのお仲間と一緒にお台場まで移動して「大江戸温泉物語」で風呂&打ち上げ。
結果がいいと何をやっても楽しい。我ながら現金である。少々食べ過ぎたので、あと2週間ウエイトコントロールに気をつけねば。

2008年1月19日土曜日

都道府県対抗女子駅伝〜湯田選手に釘付け・里帰り分娩についても


ちょっと遅くなってしまったけど、先週日曜日の都道府県対抗女子駅伝の感想を。
この駅伝、ひところ有力実業団選手がほとんど出なくって、アンカーの顔ぶれ見てもほとんど知っている選手がいなくて、実際レベルも低くて、全然面白くなかった時期があった。でもここ数年、また見ていて面白い駅伝になってきているような気がする。
弘山晴美、今年は出なかったけど福士加代子、今年の目玉・野口みずきなどのメジャーどころに加えて、嶋原清子、杉原加代などの世界選手権組や、小林祐梨子などの話題組、中村友梨香、森本友の売り出し中天満屋組など、けっこういい選手がいろんなチーム、いろんな区間に分かれて走ってくれる。
見ている方は、真ん中より後ろの遅れているチームでも急に名のある選手が出てくることがあるうえ、普段の所属チームと違うユニフォームを着ているものだから瞬時に見分けるのには熟練を要し、なかなか疲れる。
さて、気の付いたこと。
まず2区で湯田友美ちゃん(ここは「ちゃん」をあえて敬称として付けさせていただこう)がスーパーだった。白い帽子のアクセントだけでも目立ったうえに、結った髪をなびかせ、しかもかわいらしい。走りの方でも追い上げてトップを併走し、最後に突き放して先頭に立つのだから、テレビカメラも独占。走りもカンベキで区間2位の好走。先頭を併走した浦田佳小里選手も区間賞の小林選手も完全に引き立て役になってしまった。男性視聴者は絶対に湯田選手に釘付けになったはず。女性もか。
全日本実業団女子駅伝で福士選手の後で中継点に出てくるのが遅れてミソを付けたのを一気にひっくり返して大挽回・大ブレイクである。日本陸連の医事委員という立場上?、女子選手の容姿のことをあれこれ言うのはいかんと思うが、これは特別。今後絶対に人気が出る。
で、優勝した京都だが、今回大会記録をつくって満足したら、もう地元出身じゃない大学生と実業団選手を使わないでチーム編成してほしい。強すぎて勝負の興味が薄れる。だから湯田選手も次回は愛知でどうぞ。
ちなみに京都のアンカーの小島一恵選手は大学生ながら強かった。骨格もしっかりして逞しい。今後きっとマラソンで強くなる。
栃木のアンカーをつとめた赤羽有紀子選手もすっかり10kmを問題なく走りこなせるようになっている。好調持続。順調に行けば北京五輪へ10000で選ばれそう。
野口みずき選手は少々前半突っ込みすぎたのかな。思ったより後半は伸びなかった。それでも群馬の選手を抜いていくバイクカメラのシーンなど、「ものが違う」ところを見せつけてくれた。
最後に、岩手のアンカー那須川瑞穂。なんと47位のビリでスタートしたからどうなるかと思ったけど、ちゃんと5人も抜いてきた。さすがである。岩手は実業団も大学も有力チームがない。ふるさと選手にたよるしかないわけで、戦力的にはなかなかきついだろう。
この大会、ふるさと選手としての出場回数制限がなくなったらしい。これはいいこと。企業や大学の多い都府県ばかりが有利になるのを防ぐことができるし、やはり福士選手なら青森、野口選手なら三重、というイメージがこちらにもある。弘山選手だって東京で出るより徳島のユニフォームを着た方が燃えるはずだし、後輩との交流にも熱が入るだろう。
急に産科の話で恐縮だが、人での少ない地方の病院では「里帰り分娩受け入れお断り」というところがちらほら出てきている。やむを得ない対処法であると思うが寂しい話である。自分の育った土地で両親にまた世話になりながら、親のありがたみを感じつつ、久しぶりに少々甘えながらお産を迎えるというのも日本特有のいい習慣だと思うのだが。老境に入りつつある両親もつい頑張ってしまうのが、なかなか微笑ましい。
これがみんな大都市の病院で生むということになると、効率の面からするといいのかもしれないが、やはり味気ないと思う。
駅伝のふるさと選手拡大の方針は、そんな残念な流れに竿をさしてくるようでちょっとうれしくなった。

2008年1月14日月曜日

また当直前に奥武蔵練習会〜寒かった


今日は僕が9時から埼玉医大で当直の日。その前に山をひとっ走り、ということで6時半、病院の一室に集合してもらった。
この練習会はだいたい月1回のペースでやっていて、最近はあえて僕が当直の日に合わせることにしている。
今日のコースは、
医大〜ゆずの里オートキャンプ場〜毛呂川沿いの登り〜奥武蔵UM12K地点から7K地点を逆走〜コースから左へそれて下山〜黒山〜そのまま左奥の細道へ〜急登〜一本杉分岐(T字路)〜ユガテ〜北向地蔵〜右へそれて急下り〜宿谷の滝〜毛呂山総合公園〜医大
約24km、2時間10分。
やはり寒くて気温はおそらく零度くらいか。グリーンラインの一本杉分岐あたりではフリース手袋の指先が凍りそうに冷たかった。
ただ心配された路面凍結はほとんどなく、走りやすかった。
参加してくれた学生は4名(埼玉医大、明海大、防衛医大)。防衛のY君は6年生で初参加。試験勉強などたいへんだと思うが走力は落ちていないようだ。3月の荒川で初マラソンに挑戦とのこと、2時間45分ぐらい出そうである。明海のS君はいつもながら軽々と急坂を登っていく。昨日の駅伝でも一緒だったが、平地のレースやトラックよりも登りの方が向いているみたいだ。実際昨年の富士登山競走では3時間21分で、63位に入っている。埼玉のM君も6年生だが、この時期熱心に走ってくれるのはうれしい。市民ランナーとして4月以降一緒にレースに参加するのが楽しみである。短大2年のS君は1500、5000は僕より強いスピードランナーだが、坂は得意じゃないみたいだ。今日はなんとか付いてきてくれたので、いい練習になったと思う。
途中で奥武蔵道場メンバーの健気さんとすれ違った。直接話したことはまだないが、健気さんのホームページには、埼玉県に引っ越してきて練習コースや参加レースを一から考えるうえでとてもお世話になった。今度会ったらお礼を言わなくてはいけないと思う。
さてこれが別大マラソン前、最後の山練習のつもり。あとは疲労を抜きつつスピードを取り入れていくつもり。
千葉マリンのGTMailSを登録した。寒すぎないことと距離が正確であることを祈る。
(写真は、最高点の一本杉分岐、ただし去年7月のもの)

2008年1月13日日曜日

県南駅伝〜寒さとスピード不足でガチガチ


今日、東京近郊で行われたレースは、谷川真理ハーフも川崎新春30kmも、そしてこの埼玉・県南駅伝も吹きすさぶ寒風にやられたと思う。
といってもまだこの駅伝は河川敷で行われたわけでもなく、朝霞市の公園や高校・中学校の一区画を周回する2.7kmのコースで行われたからまだましだった。
僕は「うしろぐちRC」のDチームの2区で5.47kmを走った。1区のK島さんが足をひきずりながらの苦しい走りで相当後ろの方で来たので、前をみても100m以上誰もいない。勢いよくスタートしたが、寒いせいかこの距離にレースが久しぶりなせいか、着地とピッチが定まらない。爪先着地もしっくりこず、そのうちに自然に勢いが衰えていつもの踵着地になった。でもその分ピッチががた落ち。1周目は10分00秒。2周目は最初一気に詰めた高校生を追い抜けそうでなかなか抜けず、ペースダウンを自覚する。ラストもいったん抜いた50代くらいのおじさまに抜き返される不始末で2周目10分15秒。5kmに換算して18分30秒だから全くの大凡走だった。そのくせやたらときつかったし、大腿二頭筋から大臀筋にかけて走行中も後も疲労感があった。別大へ向けて、課題はここの筋肉の強化と刺激である。
「うしろぐちRC」はAチームが見事優勝。アンカーのM松君の走りも軽やかでさすがだった。
その他いろんな仲間と情報交換をすることができた。
帰りはとうてい坂戸まで30kmを走る元気はなく、志木駅までの4.5kmだけ。お粗末。でもアップやダウンや全部合計すると26kmぐらいになった。
明日は、学生を誘っての早朝奥武蔵練習会。埼玉医大だけでなく明海大、防衛医大からも参加してくれる予定。
来週の日曜はサンスポ千葉マリンマラソン(ハーフ)。もう少しスピードに対応できるように仕上げて、1時間20分を切りたいものである。

2008年1月12日土曜日

激走 福岡国際マラソン―42.195キロの謎 (小学館ミステリー21)


自宅から徒歩4〜5分のところに坂戸市の図書館がある。そこでふと目にとまって借りてきたのがこの本だ。要するに、福岡国際マラソンを舞台にしたミステリーだが、あまり期待しないで読んだところが案外面白くて後半は一気に読んでしまった。
発刊が確か2005年だから、舞台になっている2007年の福岡国際マラソンは2年先の近未来ということか。
ランナーの目から見ると、1キロ3分ペースからいきなり中間点で2分46秒ペースに上げるのは無茶だろ、とか、フルの途中でそんな全力でスパートすることはありえないだろ、とか、2時間20分台の選手や「無名の大学生」がいきなり2時間6分はないだろ、とか、高校の陸上部はいくらなんでもそんな陰湿なところじゃあないだろ、とか、白バイの警官が救護活動をしてどうする、救護車がいるはずだろ、とか、いろいろ言いたくなることはあった。たぶんこの著者は(本格的に)フルマラソンを走ったことはないのではないか。ただその割には、そもそもマラソンレースをミステリーの舞台にするという難事業(普通の感覚ではかなりミスマッチ)に挑戦してくれたり、なるべくディテールを書き込んで臨場感を出そうとしてくれたり、かなり努力の痕が見える。少なくとも、普段テレビでだけフルマラソンに接している人にとっては全く違和感はないのでは。
僕自身、福岡国際マラソンが「市民化」で出場制限が2時間50分に緩和された年にこのコースを走っている。後半の強い向かい風と言う悪コンディションに耐えて2時間52分台でギリギリ完走を果たした!15km地点がどんなところか、25km地点がどこか、記憶が鮮明なので、その分楽しめた。
なるほどと考えさせられた箇所が1ヶ所。スペシャルドリンクに毒物や生物が混ぜられる可能性について。悪意ある者がこれを企めば確かにひょっとするとありえないこともない。レース前のスペシャル預かり場はけっこうルーズで他の選手のドリンクに手を触れることだってできそうだし、運搬中や陳列中だって手を加えるのは不可能ではない。毒でなくともドーピング禁止物質を混ぜれば、相当なダメージを与えることだってできる。陸連医事委員としては看過できない問題提起だった。
ミステリーとしてもラスト100mで訪れる衝撃の結末に思わず唸らされたので、上々の出来である。
もういちど福岡の出場制限が2時間50分に緩和されてあのコースを走れることになったらいいのに、と思う。

***「もう一つの箱根駅伝」見逃した!録画も忘れてた。
***明日は県南駅伝(朝霞)に出場予定(5.5km)。会場は坂戸から約30km。行きか帰りかどちらか走るつもり。

2008年1月11日金曜日

村上春樹「走ることについて語るなんとかかんとか・・・」


このけったいな題名のついた本を読んだ。もってまわった題名からして、気取ったモノローグではないかと警戒して読み始めたのだが、案外面白くすっと読めた。
まず、村上春樹がこんなにたくさんマラソン、ロードレース、トライアスロンの試合に出ているというのを知ったのがまず驚きだった。しかもさすが凝り性で、いい加減にぽっと出ているわけでなく、ちゃんと自分の体を分析しつつ練習をし、トライアスロンの場合はバイクとスイムのコーチまでつけてやっている。やるならそれだけやるのは好感が持てる。
それから、ボストンやニューヨークやアテネなど海外のマラソンシーンが多く出てくるのがうらやましい。僕も決して日本のランニングライフに飽きたわけではないが、せっかくそれなりに走れるうちに海外で(レースに限らず)走ってみたい。
マラソンと老いということについても盛んに考察している。やはり走るからにはタイムにこだわる著者ならではだ。40台中盤からは同じことをしていればどんどん落ちてくる。やはり避けようのないことらしい。こういう話題を読まされると、もじもじするような焦りにおそわれてしまう。本当にタイムが落ち始めてからもマラソンを楽しめるかどうか、自分に自信がないからだろう。
著者も一時マラソンに「燃え尽き」ていたようだが、それなりに自己をチューンアップしていく楽しみは捨てきれないのだろう。ただトライアスロンに逃避?したり新たな世界をのぞきつつ今後も走り続けていくようである。
僕もウルトラ、トレイルなど以前は食わず嫌いで遠ざけていたランニング分野に足を踏み入れつつあるわけで、こうして息の長いランナーになっていけるのかもしれない。
いずれにせよ、ランナーであれば間違いなく面白く読める本だ。

2008年1月7日月曜日

東京マラソン試走会〜銀座を3回突っ切る



不忍池ACの東京マラソン試走会に参加した。コースは浅草〜銀座〜台場(ゴール地点)折り返し〜銀座〜品川折り返し〜銀座〜浅草、というもの。本番のコース後半をだいたいまわる感じになる(実際は台場〜銀座の帰り道はないわけだが)。
昨年の第1回には出場して、あの冷雨にやられて2時間54分だったのだが、案外細かいところのコースを覚えていなかった。新宿から品川までは道も単純だし、普段からおなじみの道なので覚えていないもないのだが、銀座と浅草の間、銀座と台場の間はこんなに曲がり角あったっけ?というぐらい。まあ前回出場前のコース下見が甘かったと言えばそうなのだが、実際コース下見をした人はそう多くはあるまい。
と思っていたところが、今日は案外たくさんのコース下見ランニングの人たちに出会った。少なくとも40人ぐらい。多くは集団で来ていた。アミノバリューなど近年林立のランニングクラブが主催しているようだ。そろいのオレンジ色の帽子などかぶっていた。
本番と試走の違うところは歩道を走らなければならないことと信号で止まらなければならないこと。これが疲れた。歩道の段差の上がり下がり、走りのリズムがでるたびにぶつっと止まらされる赤信号。前半は、信号待ちの時間も入れてならすとキロ6分より遅かったのだが、案外脚へ疲労感があった。
走りやすかったのは銀座〜品川往復の国道1号沿い。信号の間隔が長かったおかげだ。
銀座の人混みも3回かきわけて通った。明らかに異質の格好をしたランナーが走り抜けるのだからびっくりされたはずだ。いや、東京だから変わった格好やパフォーマンスにはみんな慣れているか。
計45kmを4時間11分で。別大前、最後の走り込みとするつもり。
練習後は焼き肉パーティー。21時過ぎに坂戸に帰還。

2008年1月3日木曜日

毎年1月3日は皇居練習→箱根駅伝10区観戦



今日はすっかり恒例となった1月3日の皇居練習。鉄門陸上部の後輩やその他の医学部陸上部の仲間、病院のランニング仲間などに声をかけて、毎年続いている。今年は僕自身は当直明けのため10時半にしか到着できず、例年の40kmではなくて30km走とした。
一緒に走るのは研修医1年目のT君。
最初はニコニコペースでスタート。風もほとんどなく快晴で、本当にいい天気だ。ここのところ1月3日はずっとこんな好天に恵まれているような気がする。ランニングの人はもちろん皇居周囲を散策している人、観光客なども多くて、たまに走りにくい箇所がある。
体が暖まってくるにつれて自然にペースが上がってくるのはいつものこと。ペースは素直に体の反応に任せて走り続ける。
T君が左側、僕が右側の位置関係もずっと変わらない。
1時間前にスタートした40km組の2人のうち、内科医のNさん(女医)には間もなく一度追いついたが、もう一人のS君(4年生)の姿はなかなか見えない。こちらも相当いいペースなので、同じくらいで回っているとすればすごい。
5周目では20分台に上がり、フルのレースペースに近くなってくる。そして6周目はT君に引っ張られて全力に近いところまでペースアップできた。ラップタイムは以下の通り。
22:48ー22:00ー21:45ー21:07ー20:40ー19:15
最近ちょっと気になっていた膝も痛まず、質の高いいい練習ができた。へろへろになるまで追い込んだという感じもない。
別大マラソンまでちょうどあと1ヶ月。上手に調整していこうと思う。
40km組の2人はそれぞれ3時間10分、32分とこちらも余裕を持って好タイムで走りきった。2人とも東京マラソンが期待できる。

その後は日比谷公園まで徒歩で移動して、箱根10区を観戦。これも恒例。
毎年思うことだが、駒沢大の藤色のユニフォームとタスキは生で見ると実に映える。テレビ画面ではただの紫色に見えるのだが。
2位の早稲田は総合優勝を逃して残念だろうが、目標が3位だったとのことだから満足すべき大健闘だろう。
中央学院、学連選抜、山梨学院の躍進にも目をみはった。
亜細亜が昨年の失敗を取りかえすようにきっちり5位に上がってきたのにも感心した。
それに引き換えいわゆる伝統校の中大、日大、日体大あたりが全く不甲斐なかった。
東海大は日比谷公園の前を通過するときは、全くこの後のアクシデント(途中棄権)を予感させるような要素はなかった。
ところが11位の日大が必死の形相で10位の東洋大に迫っているのを見届け、さてシード争いはどうなるかと思った直後、ラジオから東海大棄権の報が。劇的な展開にびっくりした。東洋、日大の選手はどんな思いで追い抜いていっただろう。
棄権の理由や詳細がわからないが、シード圏外の11位に転落した時点で大崎コーチが早めに棄権の決断をはやむを得なかっただろう。その後の区間はないわけだから。
結果的に、埼玉の地元である城西大はこれで3年連続11位。今回が一番「惜しくなかった」とも言えるが、あと1つに泣き続けていることはかわらない。これまたドラマである。ちなみに10区は2つめの区間賞らしい。いい選手が入ってきているのは間違いないのだから、来年は今年の中央学院並みの飛躍を期待したい。

箱根観戦後は、有楽町ガード下のドイツ居酒屋で乾杯。鉄門陸上部のOB会のような新年会となった。陸上部の仲間の近況情報交換など。

箱根駅伝往路〜選手自身も予想していなかった?早稲田の優勝

箱根駅伝往路についてその他の話題。

早稲田は花の2区で区間12位。こんなチームが往路優勝というのは従来の常識に反する。ただし区間順位は悪くても1位との差は少なく、3区の竹澤選手で挽回可能であった。故障気味の、竹澤君は周りがモグスに引っ張られてハイペースでとばす2区をもし走っていたらきつかったかもしれないが、3区では上手にまわりの選手に引っ張ってもらいながら実力を出し切れていた。だから結果的に竹澤を3区で使ったのが逆に早稲田の勝因ともいえる。

早稲田の駒野君はサンフレッチェ広島の駒野君に顔が似ている。

早稲田の渡辺康幸監督は現役時代は今の竹澤君以上に「プリンス」で大人気だったのに、太ったせいととあの髪型のせいですっかり面影がなくなっている。がっかりした女性ファンも多いはず。

早稲田の往路優勝を予想した専門家・評論家はほとんどいなかったのでは。5区の快走が第一の要因だが、そもそも5区はトラックや平地ロードの記録では実力・調子が推し量れないうえに、差がつきやすいという意味で往路の中で重要度がもっとも高い(距離が23.4kmに延びてからさらに高くなった)。
ゴール後の表彰式に3区の竹澤君しか間に合っていなかったというのが例年と違うところで不思議。早稲田の選手自身も往路優勝するとは思っていなかったのではないか。表彰式に間に合うような電車のスケジュールを調べていなかったと疑われてもやむを得まい。

日本テレビのゲスト佐藤敦之選手(中国電力・早大OB)は竹澤君の話題で「エースが出ないとチームがしまりませんからねえ」などと言っていたが、自分は4年のときに大エースだったにもかかわらず故障で箱根に出場できずチームを盛り下げたはず。反省している?

2区のケニア出身2選手ともオーバーペースによるブレーキをおこさず快走した。だいたいこれまでは、この距離に慣れていないせいで、前半つっこみすぎて去年のモグスみたいに最後バテバテになっていたが、今年はモグスもダニエルも23Kに問題なく対応してきていた。コーチングも選手も賢くなってきている。

城西大のエースで、私が世界ジュニアに帯同したときに一緒に行った高橋君(去年1区3位)は3区出走のはずだったが欠場した。故障だったのか?残念。城西大は1区区間賞で、当直引き継ぎ中の埼玉医大医局では大いに盛り上がったが、結局は尻すぼみ。またシード権争いをすることになるわけだが、今回も厳しいか?

学連選抜チームが10位以内に入ったら、シードの大学が1校減って、予選枠1枠が増えるとのこと。これはいつからの新趣向か?名案だと思う。学連選抜チームのモチベーションを高めるいい作戦かも。単なるオープン参加だと、少々故障気味でも調子が悪くても「俺が、俺が」と個人主義に走っていたと思われるが、チームとしての結果が評価されるようになれば、潔く譲ったりすることも出てくるだろう。予選不通過の全大学が学連選抜チームを陰ながら応援しているかと思うと面白い。中には今回シード落ち濃厚な大学の選手(ただし3年生以下)もひそかに学連選抜にエールを送っているかも。

4区は後ろを走るチームほど区間順位がよくて驚いた。おかげで大混戦になって面白くなった。特に国士舘はダントツのビリからタスキをもらって、一人も追い抜かないのに区間賞とはすごい。普通はビリでスタートすると、やる気がなくなるか焦って自分の走りができないものなのに。

2008年1月2日水曜日

箱根駅伝往路〜順大の5区途中棄権は早まった?

今日の箱根駅伝5区では衝撃的な順天堂大の途中棄権があった。5区23.4kmのうち、22.9km地点というから最高点を過ぎて下り終わる手前、芦ノ湖畔にもう少しで出るというあたり。ゴールまではわずか500mしかないところだけに悲劇が強調された。
鍛え抜かれたはずの、しかも名門の順大の選手がどうして?と誰もが思うはずだ。
ところが、なされている報道には誤解させるものが多い。
そもそもこの選手は病院で「脱水と低血糖」と診断されたというが、20km以上走った後なんだから血液濃縮傾向にあり血糖値が下がっているのは当たり前だろう。快走した早大の選手だって採血をすれば同様の診断になるに決まっている。
だから「脱水と低血糖」は原因ではないはず。他校の選手は誰も脱水などにはなっていない。コースコンディションは日差しがあったとはいえ、気温10℃程度で特に暑くもなかった。
では何が原因か。一言で言えばオーバーペースの結果、下りで脚にきた、ということだろう。
前年優勝の順大だから当然連覇を狙っている。ところがこの日は1区からおかしく、区間最下位のスタート。2〜4区も浮上することなく5区は18位でタスキをもらっている。この区間でなんとか猛追して優勝圏内に入ろう、と意気込んでスタートしたことは疑いない。頭には昨年まで3年連続区間賞をとった同大学の先輩・今井正人選手のイメージもあったろう。
その結果、今井選手の区間新のラップを上回るようなハイペースでとばしこれが仇になったと思われる。登りでいっぱいいっぱいになり脚も使ってしまい、下りの衝撃に筋肉が耐えきれなくなりいうことを聞かなくなった、ないしは痙攣・硬直をおこしたと思われる。
似たような症状はかつて早稲田の6区小林選手で見たことがある。箱根湯本まで下ってきて、ゴール前十数メートルで脚が立たなくなったが、残り距離が少なかったのが幸いしてなんとか這うようにたどり着いた。やはり下りの後にこういう症状が起こりやすいようだ。
そうなると今回の順大の途中棄権は少々早まったような気がする。仲村監督は「将来ある選手だから大事をとった」というコメントを残したそうだが、アキレス腱を切ったとか故障個所を再発した、とかなら「大事をとる」理由としてわかるが、今回は単なる(といってもかなり激しいが)筋肉疲労による一時的な症状。その場に腰をおろさせて、ゆっくり自分でマッサージさせて、可能ならストレッチングをさせ、ドリンクをゆっくり飲ませ、3分も待てば少くとも残り500mは歩くかゆっくりjogでゴールできたはず。
私自身も激しいアップダウンの連続する奥武蔵ウルトラマラソンで45km地点で一歩進むと大腿とふくらはぎが痙攣する同様の症状に見舞われたが、膝下を自分でしばるように圧迫してしばらく腰掛けていることで結局は75kmを完走できた。
仲村監督と審判員も、周囲(観客とテレビクルー)のなんとかしてやれという有言無言の圧力に負けてしまい、しばらく様子をみるという選択肢を採用できなかったのではないだろうか。選手自身も先を急がずに座ってなんとかするという対処をする心の余裕があれば、と残念に思う。
ただ、この日の順大5選手は5区の選手に限らず調子がおかしかった。1区も途中で大腿が痙攣しているような仕草を見せつつ、止まりそうになりながらようやく完走したし、他の選手もまったくペースが上がらなかった。チーム全体としてコンディショニングないしは疲労除去がうまくいっていなかったのではないかとも推測する。4区までに積もり積もったひずみが5区の自然の大地形を前に一気に悲劇的なかたちで表面化したのである。

2008年1月1日火曜日

東松山元旦早朝マラソン〜凡タイムにがっかり


あけましておめでとうございます。
ランナーは元旦早々レースだ。というのは、元旦から練習会をやろうという酔狂な人はいない代わりに、せっかくの休日にjogしかしないんじゃつまらない。というわけでレースに人が集まることになる。
この東松山のレースは昨年に続き2回目の参加。朝7時前に坂戸から東松山へ向かう東上線の車内から初日の出を拝みながら、凍り付くような冷気の中を会場へ向かう。
東松山市役所前から5km北上し折り返して戻って来るという10kmコースはアップダウンに富んでおりなかなかタフなコース。気温零下5℃でなかなか暖まらないのでコース沿いに8kmばかりもjogした。
東松山「陸上競技」協会主催大会らしく、ランニングシャツにアームウォーマー、みたいなスタイルの参加者が多く、耐寒マラソンとしてはいいが、さすがに今回はランニングの下に起毛の長袖シャツを着込ませていただく。
スタートから周りがハイペースでとばす中、なかなかついて行けない。女子の2選手にも先行を許す。元は中距離ランナーだったというのに、どうして1km3分45秒程度のペースがこんなにきついんだかわからない。それでも途中から徐々に追い抜きモードに入り、少しずつ前のペースダウンした選手を一人ずつかわしていく。折返しの5kmは昨年とほぼ同タイムの19分00秒。
後半は下り基調で、少しずつペースを上げていった。女子の2位も1位もかわしたが、最後の2kmは僕自身も伸びず、誰も追い抜けなかった。昨年18分ちょうどでカバーした後半を今年は18分半かかり、結果は37分29秒という不本意な記録となってしまった。
別大までの間は走り込みよりもスピードを磨きたいと思っているので、途中経過としては黄信号。
ただし前々日に奥武蔵道場で40km以上走っている疲労を考えると、前年並みなのかも、と自分を納得させている。