2009年2月18日水曜日

世界クロスカントリー選手権の場所!

3月の世界クロスカントリー選手権の日本チームにチームドクターとして帯同することになっている。
昨年の世界ジュニアで一緒だった佐久長聖高校の両角先生に「世界クロカンも一緒に行きましょうよ」と誘われ、(大好きな)長距離種目だけだし競技は一日で終わるから拘束期間も少ないだろうからとすっかりその気になり医事委員長に届け出たところ、あっさりOK。
ところが自分で何を勘違いしたか、開催場所がドバイだとずっと思っており、いろんな知人や同僚に、今度ドバイに行くことになっててさ・・・と吹聴してまわり、しかも「ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか」などという新書まで買い込んですっかりその気になっていた。

が、先日の千葉国際クロカンの新聞記事に「なお3月にアンマン(ヨルダン)で行われる世界クロスカントリー選手権の代表選考・・・・」と書いてあるのを見て仰天。世界陸連(IAAF)のサイトを見たらやっぱりアンマンだった。しかも自分のiCalには、最初に「場所:アンマン」と入力している・・・。どこでドバイに入れ替わったのか?
アンマン、ヨルダン・・・。うーん予備知識がない。これから仕入れなくては・・・。
昨今のパレスチナ情勢で、そもそも大丈夫か?
さらに本当は千葉クロカンの放映があったのなら見て、選考される選手の情報も、得ておかねばいけなかったが。そもそも放映、あったのだろうか? 結果を見る限り、村澤君(佐久長聖)や高橋優太君(城西大)など、世界ジュニアで一緒だった選手が選ばれる見込みみたいで心強いところ。

2009年2月17日火曜日

ウインドベスト補足

昔(私が学生で「陸上競技」をやっていた15年前)はベストなんていう製品(ウェア)はなかった。
最初これを見たときも、ウインドブレーカーの袖を切り落とした変なウェア、腕のところが貧相に見えて格好悪いし絶対着ないだろう、と思っていた。
ところが最初に日本代表チーム帯同で支給されて着てみると、これがいいのだ。
まずTシャツ1枚ではなんとなく涼しいときの調節用にいい。
トレーニングウェア(いわゆるジャージ)の上を羽織るよりファショナブルだし、チノパンや半ズボン、ハーフパンツにも合う。
襟があるので、ロングTシャツだけ、などよりもちょっとだけフォーマルになる(あくまでもスポーツウェアの中だけでの話だが)。
ポケットがあるので、iPodや携帯を入れるのに便利。
それになによりも、通勤ランで着ると、バックパックのベルト類にシャツがこすれて生地が傷むのを防ぐことができるというのが最大のメリット。もちろん多少はベストもベルト部分でこすられるのだが、傷み方は圧倒的に少ない。
だから春、秋の通勤ラン、トレイルには特におすすめ。今回の購入で5着目。黒、白、赤、紺、グレーと各色取りそろえ状態になってしまった。

2009年2月15日日曜日

青梅マラソン結果〜史上稀に見る大凡走

気候コンディションも良かったので、あわゆくば1時間56分の自己ベストの更新を!と思っていたが、もう序盤から崩れた。
5km19分30秒のペースがきつくてたまらない。じわじわ抜かれていき、5-10Kは20分、10-15Kは21分近くかかる始末。後半は完走目標に切り替えたのであまり無理しなかったが、それでもきれいにビルドダウン。
いい練習になったと強がりを言いたいところだが、自己ワースト(勝田のフルの4日後に走った2時間05分50秒)も大きく更新して2時間08分24秒(ネットタイム)では・・・。
幸いふくらはぎはつったりピキッと痛んだりはしなかった。これだけがいい材料。
今日、もっとも疲労を感じたところは大腿の裏(大腿二頭筋の臀部に近い起始部)だった。
オーバートレーニング?貧血?

5kmごとのラップタイム(見事なビルドダウン!「後半上げる」と書いていたのに何という!)
19:30-20:18-20:48-21:16-22:54-23:37


***もうひとつ収穫があった。会場に出ていたasicsの直売店で、青梅マラソンのエンブレム入りのカーボン色ウインドベストを発見し、購入。

2009年2月14日土曜日

青梅マラソン出走

別大の終了直後の両脚の極度の疲労具合、張り、痛みからして、青梅の出走は無茶かなあとも思っていたが、案外早く回復してきているので、明日は30kmに予定通り出走。幸い天気は良さそうだし、気温も高そうなので、無理せず前半を楽しく行って、脚が問題なければ後半じわじわ上げていこうと思う。東からの風の予想なので、後半は向かい風だろう。二俣尾からの8kmでがくっとペースダウンしないように、とにかく余裕を持っていくつもり。

2009年2月7日土曜日

別大マラソン結果

1週間近く経ってやっと元気が出てきたので、報告を載せます。
残念ながら、40km関門でストップとなってしまいました。


序盤は追い風に乗って19分台前半の入り。ところが気になっていた右ふくらはぎの痛みが10km手前から出現してしまい、右脚のキックを使えない走りに。走りきれるか不安がよぎる。幸い痛み走れないほどに増すことはなく、関門通過ぎりぎりのペース(キロ4分ペース)で刻んでいった。25kmの通過では関門閉鎖1分前。
ここで折り返してからは追い風に乗ってスピードアップするはずだったが、右脚をかばって走ってきた影響か、左のふくらはぎもつり、右のハムストリングも痙攣し始める始末。ペースはじりじり落ちて、30kmでは40秒、35kmでは10秒差でぎりぎり関門をくぐり抜けた。
次の5kmを21分でカバーすれば完走、というところだったが、さすがに一度落ちたペースを引き上げるのは難しく、40km関門30秒遅れで完走を逃してしまった。もし走っていればラスト2.195kmを10分かかって2時間52分台、というところだったろうが、しょうがない。
今回は走る前から勝負が決まっていたということだろう。