2009年10月22日木曜日

奥武蔵グリーンラインチャレンジの結果〜おお3位!

スポーツエイドジャパンのページに結果が掲載された。
3時間16分35秒で、男子の第3位である。トップ賞には10分ほども差を付けられて、全く惜しくなかった。しかも優勝者は奥武蔵ウルトラマラソンでも優勝争いの常連さんである。77Kでは2時間以上差を付けられても、42Kでは10分差なのだから、満足である。
ちなみに表彰は2位、3位にはない。そういうゆるい「イベント」ではあるが、山岳タイムトライアルとしては十分満足。
快走だったという自負があったおかげかさほとの疲労感はなかったが、レース翌日あたりから、イレウス症状で少々苦しんだ。おなかがパンパンに張っていて、なかなか解消しない。少々ものを食べると、ぎゅるぎゅる腸が動いてまた苦しむ。聴診器を自分のおなかに当ててみたら、耳をつんざくばかりの強烈な衝撃音が聞こえてきてびっくりした。
本日あたりようやく回復傾向。原因がよくわからない。
ところが今日あたりになって風邪気味になってきた。喉が痛い。例年この時期に風邪をひいているような気がする。

2009年10月19日月曜日

奥武蔵グリーンラインチャレンジ42.195km〜得意コースで快走

やはりランナーには相性のよいコース、距離というのがあるようだ。
この上り主体で最後に駆け下りるコース設定、42.195kmという距離が僕には適合しているらしい。
このイベント(自由な時差スタートだし、表彰も限られているのでレースと呼ぶのはややはばかられる)は2年前の参加したときも、思いもかけず確か3時間19分くらいで走破して「トップ賞」だった。
今回もさしたる気負いもなく淡々と山岳ロードコースを上っていったらどんどん抜ける抜ける、上り坂に苦しんでいるランナーたちを尻目にぐいぐい顔振峠、高山不動、飯盛峠、ブナ峠、刈場坂峠、大野峠と標高があがるほどに元気になっていった。
奥武蔵ウルトラマラソンの前半戦の再現のような好調さだ。15-20℃程度というちょうどよい気温で、給水もあまりとらずにいける。だいたい5Kごとを22分台から遅くとも24分台でカバーしてのぼりきった。
37Kを過ぎて県民の森近くからの横瀬までの強烈な下り坂も、心の準備と若干の脚の余裕があれば一気に駆け下りることができる。ここは19分台のラップに上げてゴールの横瀬小学校へ飛び込むと、今回は3時間16分台と、前回よりもさらに記録を伸ばすことができた。
快晴でコンディションがよかったこと、2回目でコース特性がわかっていたこと、給水が充実したことがわかっていたのでボトルもウエストポーチも持たずに走れたことがの3つがタイム向上の要因だと思う。
さて、すぐには自分が何位かわからないというのも、奥ゆかしくてよろしい。誰にも抜かれなかったから、トップ賞の可能性だってある。ゴールにたどりついたランナーたちも、コースのきつさを嘆きながら、会話をしやすい雰囲気だった。

帰りはそれぞれ横瀬の駅から西武秩父線に乗る。高麗駅で降りたランナーもう一人と高麗神社の駐車場までの3K余りを一緒に走って行く。同じ坂戸在住のトライアスリートであることがわかった。この人もなかなかにタフ。

2009年10月17日土曜日

箱根駅伝予選会〜順大落選ショック

箱根駅伝人気はついに予選会を生中継(といっても地上波ではなくて日テレG+だが)で放映するに至っている。本日行われた予選会は、VTRで見た。
上武大や青山学院大の健闘には感心したが、一番びっくりしたのは、順大が(たいして惜しくもなく)落選したこと。エースがいないうえに粒が揃っているわけでもない。レース中継を見ていても全く上位にユニフォームが見えなかった。結果発表後に順大のミーティングで沢木部長が訓示しているシーンが映っていたが、頭から湯気を立てて怒っておられるかと思いきや、案外冷静に奮起を促していたのでほっとした。といっても時々言葉が詰まっていたので相当悔しかったには違いない。
毎年問題になる「インカレポイント」だが、今年は国士舘も順天堂も他所以上の3分以上のアドバンテージを持っていたのにもかかわらず届かなかったのだから、順位をひっくり返す要素とはならなかった。とはいえ、換算基準の根拠の不明確なこのようなシステムはなるべく早く廃止すべきだという意見に変わりはない。
私の後輩たちはよく頑張っていたが、学連選抜に引っかかるほどの快走はなかったように見えた。

明日は、奥武蔵グリーンライン・チャレンジ42.195kmに出走予定。2年前に3時間19分で走破してトップ賞とだったこともある相性のいい大会だ。余裕を持ってリズム良く山を登り切り、最後の横瀬までの急坂下りをブレーキをかけずに駆け下りるのが目標。

2009年10月15日木曜日

東京マラソンの出場枠の話の続き

クリールの樋口編集長も期せずして、男子3時間以内の人には出場権を与えては、という私と同じ提案をしていた。女子3時間15分、というのもこれまでの「国際レース」参加基準と同じなので、受け入れられやすい区切りだ。
確かに申込人数、倍率が増えれば増えるほど、増えた分はマラソン未経験者であることが多いので、3時間以内、3時間半以内がさびしくなってしまうだろう。ただ昨年のレースを医務員として38km地点で見た限りにおいては、2時間40分から3時間レベルの選手もそうポツッポツッというほど点在していたわけではなく、小人数集団形成できるくらいには人数がいた。
それよりも、ある程度本気で冬にフルマラソンのタイムを狙おうという市民ランナーが、東京マラソンへの出場はアテにできないため、年間計画に組み入れようがない点が問題だ。結果として、ベテラン市民ランナー(3時間半を切るレベル)層にとっては、東京マラソンは「当たればラッキー」のイベントになり、なかなか半年前から計画を立てて臨む「メインレース」からはずれていく傾向にある点が淋しい気がする。
今度の東京マラソンは再び2月開催に戻ったので、冬型の気圧配置で北西の季節風となれば一昨年の大会のように、全体として(特に終盤)追い風という好記録を生む気象条件になる。前回は3月下旬の春の嵐に選手達は悩まされただけに、気象条件も注目だ。

2009年10月14日水曜日

馬軍団ドーピング?

上野さんのブログで「馬軍団、ドーピングの事実認める」というニュースを知り、リンク先を見てみると、
・認めたのはシドニー五輪当時の「政府高官」
・ドーピング物質は「興奮剤」
ということだ。馬軍団の選手、コーチが認めたわけでないという点がまず弱く、しかも長距離走で「興奮剤」が本当に競技力を高めるか疑問な点から、あまり強い証拠にはならないだろう。
馬軍団は日常から「冬虫夏草」をよく摂取しているというのが喧伝されたが、例えば漢方薬でも葛根湯にはエフェドリンが含有されているように、その中から興奮物質が検出された可能性はありうる。決して単独成分の意図的な摂取ではないのではないか。
支那の国内スポーツ界でも、コーチ間、地域派閥間の脚の引っ張り合いは激しかったと言うから、当事者以外の「証言」というのもあてにならないところがある。五輪不出場は馬軍団が強すぎる、とやっかんだ他勢力との抗争の結果だったかもしれない。
馬軍団の選手たちの走りというのは確かに異次元だった。独特の腕をあまりふらない腰高で爪先着地のピッチ走法を顔色一つ変えずにどこまでも続けていく。ただ、ドーピングを利用していたかどうかはともかく、あの走りが猛烈な練習量から生まれていたことは、ドキュメンタリー映像からもうかがい知れた。その超人的な練習量を可能とするためにどのようなこと(秘密)が行われていたか。
これには今後まだ解明、証言が必要な気がする。もちろん当事者の。

2009年10月13日火曜日

東京マラソン抽選結果通知

落選通知が来た。
何となく当選するつもりだっただけに放心状態、というのはちょっと大げさだが、昨年と違って、ではすぐ荒川市民マラソンにエントリー、という気にもならない。
2月は別大に集中せよ、ということなのかもしれない。

そもそも大会主催者が多すぎる申込者から出場者を選ぶときにとる手段が抽選のみというのが適当なのかどうかわからない。
無条件に出場できるいわゆる「エリート枠」をもっと緩めてはどうか。例えば3時間までとか。励みにもなる。
あと、昨年心臓発作で倒れた肥満の某お笑いタレントのような「リスクの高い」選手をはじき出す。ただし体格による差別もしにくいから、これは案外難しい。
それから、毎年はずれている人を優先する。
これくらいは何とかできるだろう。