2009年4月30日木曜日

絶好のトレイル日和〜笠山から飯盛峠まで縦走

昨日の昭和の日。始発電車で東武竹沢駅まで行き、6時スタートでまずは外秩父七峰縦走のコースをたどる。
官ノ倉山をあっさり越えて、少々長いロードを走って和紙の里へ。ここまでは昨秋に寄居から小川町まで逆コースをたどったので、道もよくわかる。45分で到着。
さて問題は和紙の里から笠山までの道。和紙の里の裏からトレイルが始まっているらしいことはわかっていたが、実際は掃除中のおばさんに寺の裏の方から細い道が続いているよ、と教えてもらってやっと道がわかった。
急な登りが続くが、林道部分が多いので走り続けられる。ようやく萩平の見覚えのある小川沿いに出てきたときはほっとした。
ここからはいよいよ笠山への急登。さすがに走り登り続けることは難しく、膝押しでぐいぐい登る。


続いて堂平山へ。ここまではあっという間、前回は小雨降る中をへとへとで進んだ道だが、今回は快晴で余裕があり、実に気持ちよい。
そこから白石峠へ。車道にいったん出るが、200段近くの階段を上って定峰峠方面へ数百メートル進み、左折して七峰縦走コースから離れる。車道をおりると奥武蔵グリーンラインに合流し大野峠へ。







このあたりからはグリーンラインの車道とつかず離れず平行してトレイルが延びているので道に迷う心配が少ない。地図を覗き込んでいるトレイルレディー3人組に出会う。長瀞まで行くとのこと。けっこうな道のりだ。白石峠からちょうど外秩父七峰縦走の後半部分を走ることになる。正丸峠から登ってきたのだろうと推察する。行きすぎてから写真を撮っておいてもらえばよかったと後悔した。
刈場坂峠まで来ると奥武蔵道場の折り返し点で見覚えがあるだけにほっと一息。
飯盛峠から越生方面へ下ることにした。ガードレールの隙間から降りていく。ここは本当にこの道でいいの?と迷うような、倒木をかき分けながら進む小径だ。じきに舗装道路と合流し下り続けると見晴台があって、さらに下りるといよいよカーブの頂点から大平尾根を羽賀山を経て下りていくトレイルになる。ここは人も少なく、傾斜がなだらかで、岩もごつごつしておらず、おすすめのトレイル。途中バイク(モーターバイク)3台が爆音を上げて登ってきたのには興をそがれたが、さすがにおとなしく止まって僕が行き過ぎるのを待ってくれた。
戸神の集落まで下りると(ここは逆から登ろうとすると登り口がわかりにくいので注意)、後は一気にロードをバス通りまで下る。バスで越生に戻ってもよかったが、ここは欲張ってコーラ1本買い込んでから、最後の大高取山越えに挑む。いったんロードを駆け下りた脚には標高差200m程度の山越えでもきつい。
それでも無事に越生駅にたどりついたのが正午前。6時間弱の行程となった。
とにかく好天にめぐまれたトレイルはそれだけで楽しい。これまで外秩父七峰と奥武蔵グリーンラインをつなげたコースなど考えてもいなかったが、思い切って白石峠からの南下にチャレンジしてみて、これからのコース設定の幅が広がったような気がする。
今度は学生を連れてきてやろう。

東武竹沢6:10〜官ノ倉山6:33〜和紙の里6:52〜萩平7:39〜笠山8:08〜堂平山8:28〜白石峠8:38〜高篠峠9:01〜大野峠9:22〜刈場坂峠9:46〜檥峠10:08〜飯盛峠10:21〜野末張展望台10:34〜羽賀山10:41〜戸神10:57〜大高取山11:40〜越生11:59

2009年4月28日火曜日

「冬の喝采」〜懐かしい記憶を呼び起こされた


武蔵ウルトラマラソンクラブの会報で絶賛されていた「冬の喝采」を読んだ。陸上関係者、特に早稲田大学関係者や箱根駅伝ファンには知られていたようだが、僕は紹介されるまでこの本の存在を知らなかった。
このノンフィクションに近い小説、瀬古選手の現役当時を知っている世代にとっては、たまらなく懐かしいし興味深い。
当時の早大競走部は全員スポーツ刈りで居ずまい正しく、カリスマ中村清監督のもと修行僧たちのように長距離走に打ち込んでいるという、かなり極端化されたイメージだった。しかし彼らも大学生、監督に反発したり悪ふざけをしたりしながら、しかし箱根駅伝に対しては確かに純粋に取り組んでいる様子が新鮮である。
またこの本の魅力は陸上競技に関するディテールにある。一人一人の記録や戦績、出身校などは言うに及ばず、「マラップ」や「サテンのランニングパンツ」など、私が中学で陸上を始めた頃のアシックスのカタログを思い出させる名詞にぐっとくる。
また著者(金山選手)が故障と背中合わせでレースを断念したり、かろうじて出場できたり、その気持ちの浮き沈みに自然と共感・同化して、一緒にせつなさを味わえるのも魅力。
最後には、うーんやっぱり長距離も努力より素質?と自分にひき比べて少々落胆するところもあるが、読後感は充実している。
私の手元にあるベースボール・マガジン社刊(クリール)の「マラソントレーニング―世界を制した日本の名ランナーが明かすマラソン練習法」に、瀬古さんが箱根の2区から3区へタスキを渡そうとするカラー写真があるが、ひょっとしてこの3区の後ろ姿は著者(金山選手)?
誰か答えがわかったら教えてください。

2009年4月24日金曜日

脚がつったときどうするか

腓腹筋の痙攣時の対策法である。マラソンレース時ばかりでなく、夜明けに寝床の中で下腿がつった経験のある方も多いだろう。
以前は僕もつった側の下肢を伸ばし、手で足指を懸命に背屈させて痙攣している腓腹筋を伸ばすようにしていた。ところがこの伝統的かつ一般に広まっている方法ではなかなか痙攣がおさまらないことが多い。
即効性のあるのは、膝下すなわち腓腹筋の上端にあたる位置で、下腿を細い紐などを用いてぎゅっと締め上げる方法だ。紐が手近になければ、痙攣している腓腹筋の上端縁を親指でぎゅーっと押しつけてもいい。
これでつりかけているのはすぐ止まる。止まれば、下腿を伸ばすよりもだらんとゆるめて、すなわち足指を背屈でなく伸展させて、軽くマッサージして腓腹筋のこわばりがとれるのを確認すればよい。これですぐに走り出せる。

2009年4月21日火曜日

筋肉痛は昨日よりも今日

レース直後から昨日の日中にかけてはさしたる脚へのダメージもなく、今月末の休日には、外秩父七峰縦走に行こうかなどと計画を練っていたくらい。昨晩から今朝の当直も、朝に分娩が1件あったくらいで幸い起こされることはなかった。
ところが今朝からは(2日経って)かなり筋肉痛が来ている。まずつりかけた左ふくらはぎをピークに右も、それから両大腿前側面。階段の下りはもちろんロボット歩きになりそうになる。階段の上りも痛いのでついエレベーター。
レース中は余裕を持って走れて楽しかった、などと書いた気がするが、どうしてかなりぎりぎりまで追い込んでいたらしい。
産婦人科にまわってきている研修医や学生にハセツネ30Kの話をしてみるが、平地の30Kでもたいへんなのにわざわざそんなレースに、とますます変人扱いされるのがオチである。でも中にはワンダーフォーゲル部だった研修医などは、日曜は天気がよかったし山日和だったでしょう、と多少の理解を示してくれた。その程度で十分と思わなくちゃ。

2009年4月19日日曜日

ハセツネ30K〜心地よい疲労感、だが

総合248位、4時間19分50秒。
ハセツネ30Kの結果速報を見ると、なんでこんなに前の方と差をつけられちゃったんだろうねえと思う。トップとは1時間半以上の差だし、フルなら勝負できるないしはいつも勝っている相手にも数十分の大差を付けられている。
まずはスタート15分前までトイレに並んでいたのだが、その後、スタート地点に急ごうとしたらもう渋滞。スタートまでの山道を1000人以上が列をなしているから、まったく動かない。スタートラインを通過したのは5分以上過ぎたところ。
しかも2Kくらい比較的広い林道を登り切ったところで、息を呑んだ。数百人が渋滞をつくっている。ちょうど林道からシングルトラックに入るところ。ほとんど動かず、抜けるのに20分以上かかったかな。
で、その後の急勾配のシングルトラックは当然ながらなかなか追い抜けない。でも最初のピークを過ぎて得意の舗装道路(林道)下りに入ってからは抜きまくり。周囲の選手たちが止まって見えた。林道の登りもほとんどの選手が歩いている中、全部走りきった。16Kからはまたトレイルなんだけど、ここは楽しめた。快晴で木立の間から日が差し、風もなく、日なたはちょっと暑かったけどノースリーブシャツならちょうどよし。余力も十分。
でもさすがに20Kをすぎてからは、つまづいたり、滑って足を踏ん張ったりすると、ぴくっと痙攣しそうになり、実際一回はふくらはぎの起始部を押さえて20秒くらい座り込んでしまった。
でも本格的な痙攣にはならずに持ちこたえて、さらに抜きまくり、筋肉疲労がちょうど限界に達したところでゴール。おそらく約1200人中900番くらいでスタートして248位まで上がったという感じだと思う。
もちろん渋滞の間はイライラとストレスたまったけど、その後はなにしろ余裕を持ちつつどんどん抜いていくわけだから面白いに決まっている。

装備の方は、アシックスのトレイルアタックは問題なし。トレイル区間はもっと軽量で固いシューズでいいんだけど、林道の下りでは新品のクッションが威力を発揮してくれた。バックパックミニは最初背中で遊んでいて走りにくかったけど、左右の縦ヒモをよく引っ張ってフィットさせたら、2リットルのドリンクが減るにつれ問題なくなった。ジェルフラスクは確かに一息で多くは吸い込めないけど、まあ
許容範囲内。コーヒー味のカーボショッツもまあまあ。ニューハレ(ひざ)とあしくびかんたんは今回も有効性を確認。
総括としては、天候に恵まれ心地よい疲労感と満足感。だけどタイム差にはがっかり。フルのタイムに比べると相当遅いはず。去年の富士登山競走や奥武蔵ウルトラマラソンでも同じだった。ま、トレイルはあくまで練習の一環と気分転換で、これで勝負するわけじゃないからまあいいか。それからトレイルのレースは30Kくらいが限度かな。ハセツネ本番は・・・まだいいや、というのが今の気持ち。そのかわりこの大会には来年も出てみたい。そのときはもっと早くスタートに並ばなきゃ。

2009年4月18日土曜日

明日はハセツネ30K

ヨルダンから帰国してから忙しかった・・・・。更新するヒマなし、というより元気なし。そのわずかなヒマがあれば寝ていたい、という毎日であった。
なんとか通勤ランだけは細々と続けていると、あっという間にハセツネ30Kの前日になってしまった。
もともとは大学産婦人科野球大会の準決勝・決勝の日。2回戦までに敗退した場合に備えてエントリーしていたのだが、走れることになってしまい複雑な気分である。
といっても、送られてきたハセツネ2008の報告書や今回のハセツネ30Kのプログラムを目にしていると、ふつふつとやる気が出てくるのが不思議なところで、追加募集の日に10時からパソコンの前に座っていち早く申し込みしておいてよかったなあと感じている。
トレイルの場合、この「やる気」が往々にして「トレイルグッズ」への興味・執着に向かうところが面白い。他のランナーもおそらくそうではなかろうか。
今回の装備はアシックスの新品のレース用バックパックミニにハイドラパック2リットル、中身はアミノバリュー、さらに同じハイドラパックから出たジェル・フラスクにコーヒー味のカフェイン入りカーボショッツ4個、ウェアは迷った末、晴天で気温が上昇すると想定してアシックスのノースリーブシャツとランニングトランクスのみとした。シューズはこれも1回試し履きしたばかりのアシックス・ゲルトレイルアタック。ソックスはアメリカから輸入したアシックス・トレイルセンサーの最後の1つをおろす。
で、明日の目標は4時間。順位にして全体の1/5に入れれば合格か。

2009年4月1日水曜日

野球〜続編

関東大学産婦人科野球大会。私の不在中に慈恵医大と1回戦を戦った埼玉医大P.Bustersは残念ながら3対12で完敗してしまったとのこと。やはり優秀なピッチャーがいないと難しい。今回は駒不足で野手の守備もなかなか厳しかったようだ。
これで2年連続1回戦負け。一昨年準優勝の記憶も段々霞んできた。医局長業務で忙しくて野球の強化に手が回らなかったが、今年度は心を入れ替えて?!野球にも気を配ろうと思う。本気だよ。
それから、WBCに関するエントリで、セ・リーグの選手で日本代表レギュラーだった青木の存在を忘れていたのを指摘を受けた。確かに青木、いい仕事していたよね。トータルではイチローよりも活躍したと思うよ。