2008年12月24日水曜日

全国高校駅伝雑感

(1)女子で優勝した豊川高校の留学生(ワイリム)の日本語は下手すぎる。インタビュアーが気をつかってゆっくり問いかけても、聞き取れていなかった。あれでほんとに日本語で高校の授業を受けられているのだろうか。ちゃんと教育もしないと、単に勝つために連れてきた助っ人と思われてしまうでしょ。あのインタビューで一気に豊川高校はイメージダウン。テレビ解説の山下さんにも「言葉もよく通じない中、指導がたいへんでしょうに」なんて言われてたけど、これは決して「感心」ではなくて「イヤミ」ないし「チクリ」でしょう。
(2)それに対して好感度高かったのは女子2位の興譲館。森政監督と1区の小原選手とは7月の世界ジュニアで一緒に遠征した。5区の久保木選手もわずか4秒差の2位なのに顔をゆがめて悔しがるでもなく「悔しいけどみんなで笑顔で襷をつなげてよかった」のコメントもグッド。
(3)世界ジュニア組からは熊谷女子から3区で岡田選手も出場。でも中継ラインに並ぶのが早すぎ。1位が到達する前から並んでいるのがテレビに映っていた。2分してやっと15位くらいで来るまで他校の選手に押しのけられそうになりながら中継ライン上で位置をキープしていたのは立派。
(4)「日本高校最高記録」というのは、外国人留学生がメンバーに入った記録は含まれないらしいことを初めて知った。
(5)男子はオレンジ色のユニフォームの学校がやたら多かった。佐久長聖、仙台育英、埼玉栄、倉敷・・・・。小林もパンツがオレンジ。チームカラーとしては確かに目立つけど、テレビでは区別がつきにくい。
(6)仙台育英の清野監督(24歳)。若い。青年監督。渡辺高夫監督から引き継ぐのは荷が重いだろう。テレビインタビューでのしゃべり方を聞いていても・・・・たどたどしい、というか少々幼い感じも。若いからダメということでは全くないが、他の海千山千の監督達や、生徒を預ける父兄達、選手を獲得しなければならない相手の中学校の先生達にナメられやしないか心配である。頑張ってほしい。
(7)仙台育英の4区斎藤君は、前半から少々顎の上がったあえぐようなフォームで、後続に絶対抜かれると思っていたが、独特の口ぱくぱく走法で逃げ切った。主人公が悪漢に追われているユーモア漫画みたいにも見えた。終盤はなんども目を見開いて歯を食いしばってあえぎながらペースアップを試みていて、普通はこれを何回もやっていると最後にがくっとペースダウンしてしまうものだが、この斉藤君は粘りきってしまった。驚き。
(8)佐久長聖はみんなフォームが同じような感じ。両肩を軽く持ち上げて腕でかかえるような感じでリラックスさせて、左右のぶれは全くなく頭も不動で、適度に上体を前傾させている。ピッチとストライドのバランスもみんな似たような感じ。箱根駅伝を走っている完成された大学選手みたい。本当に完成度の高いチームだった。
(9)佐久長聖がみんな似てみえるのはもちろん坊主頭のせいもある。世界ジュニアのときに両角監督が「坊主と携帯禁止が駅伝部の基本でしょ」とおっしゃっていたが、全くその通り。生活指導も行き届いているに違いない。立派である。そういえば村澤君もポーランドで一人で机に向かって勉強していたなあ。
(10)八千代松陰の1区は前半から上体が揺れ、苦しそうに集団についていて、最後はナンバーカードが一部とれて脚をひきずりながら後退していったように見えた。あれはもともとのフォームなのか、アクシデントだったのか、今でもまだ気になる。

2008年12月22日月曜日

チャレンジド宮沢湖クロスカントリー

昨年に引き続き、宮沢湖クロスカントリーに出場した。飯能にある宮沢湖といく周囲2kmほどの湖の西側山中を通るハイキングコースを用いたトレイルレースで、5kmを2周する。今年は発着場所が変わり湖1周の2.5kmが加わって12.5kmの走りごたえのあるコースに変更されていた。昨年は39歳以下の部で(1位、2位からは大きく離されたにも関わらず)ラッキーな3位入賞を果たして賞品をいただいた大会だ。
アップダウンはさほどのことはなく全て「走れる」トレイル。岩場などもない。昨年は用心してゲルトラブーコを履いて出場したが、今年は古い(3世代前の)ターサージャパン。あえてトレイルシューズでなくて、スピードに対応するためランニングシューズを選択した。
まずウォーミングアップでレースコースを1周走ったところが、7kmもあって40分以上かかり、あぶなくスタートに遅刻するところだった。
レースの方は、とにかく2周目でがっくりペースダウンするのを防止するために、ゆっくり入って徐々に上がっていく作戦をとった。ほとんどが比較的平坦な走れるトレイルと書いたが、周回の最後に一山越えて宮沢湖畔に出る急な登りがある。この登りだけはかなりきついのでマークが必要。1周目はまだ余裕あり無難に越えられた。しかしさすがに脚と心臓に平坦なロードとは違う負荷がかかり、心拍計を見るともう178などというバクバクする値が出て、なかなか下がらない。
2周目は自分でもはっきりわかるペースダウンだったが、じわじわと3人を追い抜いて、件の登りも息を止めて一気に駆け上った。ここで心臓が口から飛び出そうになり、「トレイルレースの登りは中高年男性の心臓突然死を誘発するかも」と改めて実感しながらゴールへ。
ラップタイムはこんな感じ。湖畔を2/3周走った昨年までのゴール付近でラップを押してみた。
思ったほどは2周目落ちていなかった。ならすとほぼキロ5分ということのようだ。

スタートから湖畔2/3周 6:22(140)
外周1周目      26:13(168)
外周2周目      26:38(171)
ラスト湖畔1/3周    3:18(180)  計 62:32
( )内は平均心拍数

レース後はトレイルシューズに履き替えて、またハイキングコースを7km jog。快晴で暖かく、実に気持ちの良いレース日和の日だった。

2008年12月14日日曜日

小川和紙マラソン〜雨中寒かったがまずまず

坂戸から電車一本で行けるこのマラソンは、タイムにこだわらなければ、前半なだかにのぼって後半の下りでペースアップと気持ちよく走れる大会だ。ただし今回はけっこうな雨。小川町駅から会場も雨中jogで行って、さらにそのまま10kmコースの前半を6kmくらいjogするという「だらだらロングW-up」で、ハーフに出場した。
前半はやはりなかなかペースに乗れなかったが、後半は集団から飛び出す3人とマッチレースを繰り広げながら順位を上げていくいつものパターン。ところが今年は競っていた2人にラストで突き放されるという、少々衝撃の展開。きつかった。

ゴールタイムは1時間21分42秒で、19:36-20:20-18:57-19:16-3:51というラップタイム。下り基調なのに15-20kmの19分台がいただけない。
帰りはぐっしょりぬれた荷物を背負って武蔵嵐山駅まで約6kmをとぼとぼとjog。一日合計36km。距離は稼げた。さすがにへとへと。

マラソン大会の安全管理〜主催者準備編

人為的に(主として主催者により)左右されるコンディションについても述べておく。
まずは給水の量と内容である。季節はずれの暑さに対して予定量を大きく上回る給水の需要が当日明らかになった場合は、全くもって対応困難かもしれない。しかしたとえばホノルルマラソンでは消火用の水道を給水に用いることで給水不足がおこらないようにしているというというから、参考になるだろう。
ドリンクの内容については、多くの場合協賛飲料メーカーから提供されるスポーツドリンクをそのまま供する場合がほとんどと思われる。ところが近年、各メーカーが販売に力を入れるアミノ酸飲料と称してブドウ糖をほとんど含有しないドリンクもよく用いられている。これは必ずしもレース後半のいわゆる「ガス欠」時に役立たないのである。2003年の東京国際女子マラソン「記念市民マラソン」の際も、バナナやチョコレートなどの給食はなくこのアミノ酸ドリンクが不足がちに残っているだけであった。この点も主催者としては一考の価値がある。
また、ある程度悪コンディションが予想される場合などは、特に初の参加者に対してレース前の郵送文書やホームページ上で、たとえば「例年気温は○℃くらいになる」とか「帽子の着用が望ましい」とか「多くのランナーがドリンクボトルを自ら持参している」などと、事前に目にとまるかたちで通知しておくことも有効である。
次に、交通の問題である。エリートレースでは完全交通規制が実施されるので問題にならないが、ローカルレースやウルトラマラソンではランナーに「なるべく道路の左側を通るように」注意を促しておいて同方向の車の通行をさせたままの場合がある。これはランナーからすると非常に危険を感じるところである。スピードを落とさない車もあれば、対向車とすれ違おうとしてランナーのすぐ脇をすり抜ける車もある。地元警察との協議、コース設定の工夫(一つ裏道を使うなど)により改善したい問題点である。

マラソン大会における安全管理の大部分は、ランナー自らが体調の自己把握をすること、適切な用具の準備をすること、コンディションに応じてペース配分を柔軟にすること、の3つで解決可能である。多くのランナーが手に取っているランニング専門誌を通じてこのことを啓蒙していくのが望ましい。
ただし主催者側は、全てのランナーが必ずしも上記の3つの基本を守るとは限らないという立場から、安全管理対策を講じていかねばならない。速いランナーだから安心だともいえない。一大会が終了するごとに、いわゆるヒヤリハット事例を広く集め、検証・改善につとめる地道な努力も必要であろう。

2008年12月13日土曜日

マラソン大会の安全管理〜環境要因編

マラソン大会は屋外で行われるものであるから、時として過酷な自然コンディションがランナーたちを苦しめることがある。
2007シカゴマラソンは10月としては季節はずれの猛暑で気温31℃に達し、ついには給水が枯渇しレースを4時間で打ち切ったという。数百人が救急搬送され死亡者も一名出ている。
私自身の経験でも、2003年の東京国際女子マラソンは「記念市民マラソン」として多くの男性市民ランナーが参加した。ところが11月下旬の開催にも関わらずスタート時の気温が23℃を越えたため、ほとんどのランナーが結果的にオーバーペースとなり、しかも給水が不足して脱水とガス欠に苦しめられることになった。招待選手の捨てていったスペシャルドリンクを拾い集めたい気持ちになったのを記憶している。私を含めて多くの男性ランナーがほうほうのていで時間内完走がやっと、タイムもベストから20分以上遅れる者続出であった。この惨憺たる結果のためか、この男性ランナー参加の試みは1回限りに終わってしまった。残念である。
北海道マラソンなどの夏場のレースやホノルルマラソンのような亜熱帯地域でのレースは、参加者も初めから暑さを想定して帽子やウェアを工夫したりペース配分を考慮したりするからまだいいが、「季節はずれの暑さ」というのは咄嗟に頭の切り替えができず、悲惨な結果に終わることが多いと思われる。
寒い方では、毎年2月に行われる青梅マラソン(30km)で氷雨に打たれたときは、ゴール後歯の根が合わずいつまでもガチガチと震えが続き、生きた心地がしなかった。フィニッシュ地点からすぐ全員を温かい室内に誘導できればよいが、なかなかそうはいかない。

また最近愛好者を急激に増やしているトレイルレースは、山岳地帯にコースが設定されることが多いため、ときとして過酷なコンディションとなることがある。
2008年のOSJ志賀野反トレイルレースでは、梅雨の豪雨と低温に悩まされた。コースは泥濘と化し転倒者が続出。標高1000mを越える尾根筋では強風も吹き荒れ、低体温症となり動けなる選手も出たという。
気候コンディションはよくてもトレイルの場合コース自体が転倒、打撲、捻挫や骨折の危険に満ちているわけで、2008年の青梅高水山トレイルでも、山中で強度の捻挫によりヘリコプター救助を要する選手を目の当たりにした。
2007年の日本山岳耐久レース(通称ハセツネ)ではついに夜間走行時の滑落による死亡者が出てしまった。
またトレイルには登り下りがつきものであるが、登りでは(ロードレースのラストスパート時に匹敵するくらい)心拍数が上昇することから、今後心停止などの事故も増えてくることが懸念される。じっさい2008年の富士登山競走では第61回にして初の死亡者が報告された。

2008年12月12日金曜日

マラソン大会における安全管理〜自己体調管理編

マラソン大会に参加する人というのは本来、休日をレースのために費やせるほど体力的に(時間的に、経済的にもだが)余力のある人のはずである。
こういう人があくまでも自由意志で参加してくるものであるから、その中にレース距離を走りきれない者や体調の悪い者が混じっていることを主催者側が想定すべき根拠は本来乏しい。だから、「レース中の健康管理、安全管理は自分の責任で行ってください」というそっけない文言が要項に含まれているレースも多く、これはある意味当然ともいえる。ランニングというのは本来そういうもの、すなわち自分の体調・安全管理を自分で行いながら自分の責任で行うものだからである。少なくとも、トレーニング中の安全管理は自分で行っているに決まっている。
ところが最近、ランニングイベントも多様化し、日頃からトレーニングを積んでいるとはいいがたい人たちが多く出場してくるレースや、酷暑期のレース、不整地や丘陵地帯のレースなども出場者を多く集めるようになってきた。
またレース中の突然死が(昔から存在したはずだが)特にクローズアップされるようになり、あたかもあらゆる事故は主催者側が防がねばならないかのような風潮になっている。現に、あるマラソン大会などではことこまかに「以下の方は走行しないでください」という条件をホームページに掲載したり、レース当日にも配布したりしている(表)。少しでも事故を防止しようという善意から出た発案だとは思うし、じっさいよくできていることは認めるが、一方でランナーに対して過保護ではなかろうか。ランナーとはもっと自分の体について自分で判断し自分で責任を持つべき、そしてそれができる人たちのはずである。
2008年の大阪国際女子マラソンで初マラソンに挑戦した福士選手が終盤失速して4度も路上に転倒したことに対して、日本陸上競技連盟が安全管理の立場から、競走強制中止の要件を定める対策を打ち出した。これなども市民ランナーとしては「そこまで決めてもらわなくてもダメなときは自分で判断する」と少々反発心を感じるくらいが正常である。「よろよろになっても走り続けようとする選手」は「結果が全て」の競技エリートであることが多いのだが、これがテレビで大写しにされることで市民ランナーへの悪影響を心配する、というのが日本陸連の考えである。
確かに多くのランナーは、日々のトレーニングならば体調や天候が悪いときには「今日は中止!」と即決できるが、ことレースとなると「せっかく出場料を払っているのだから・・・」と出場をとりやめたり途中棄権したりする勇気を持てないのも事実である。したがってこのような大会主催者や日本陸連の試みも無駄とはいえないのかもしれない。
じっさいにランニング中の突然の心停止や不整脈などからかろうじて生還した人が共通して語ることは、「いつもとは違った」「尋常でない痛みや苦しさがあった」ということである。この他人からはわからない「なにか変」に自分自身が気づくかどうかが非常に重要なポイントで、この「なにか変」を決して根性や気合、精神力で乗り越えてはならないのである。

2008年12月8日月曜日

黒山鎌北湖駅伝


昨日、毛呂山町と越生町のそれぞれの体育協会の共催による黒山鎌北湖駅伝に埼玉医大チームで出場した。大学病院の真ん前の県道もコースになる、まさに地元の駅伝だ。最長区間が5kmだから、距離は比較的短い。
あえて前日に大学当直を入れて大学病院から走って6区最終区の中継所に向かおうという作戦だったが、幸い当直は特に何もなくてまあまあ休めた。
で、越生の梅林の先の中継点までは約10km。のんびりjogしてちょうどコールの時間に間に合った。6区の4.4kmはほとんどが下り。ブレーキをかけないように努めた結果、普段はとうてい出せないスピードを味わったが、後半はさすがに心拍が上がってしまい、平坦路に入ってからきつかった。7人を抜けたし、区間順位もまあまあだったし、スピード刺激も入ったので、まずまず満足。

埼玉医大の2チームは1-2区で1年生たちがデッドヒートを繰り広げて楽しんでくれたようで、よかった。皆、楽しかったと言ってくれているので、今後のモチベーションアップにつながることを期待したい。

2008年12月5日金曜日

母体搬送コーディネーター

NHK特報首都圏で周産期医療体制の話をやっていた。
日本医大多摩永山病院では近隣の開業医にローリスク妊婦の健診を任せることで妊婦健診の数が6割になったという。その分ハイリスク分娩が2.5倍引き受けられるようになった、とのことだが、永山病院での分娩希望妊婦はローリスクでも全員引き受けるように言っていたから、分娩数は増えるだけなのでは?
開業医とのカルテと診療方針の共通化など、見習う点も多いが、大学病院の「疲弊」を救うことになっているのか、もう少し詳細を知りたいところ。中井章人先生の顔を初めて映像で見た。なかなかスマート。
その後は、母体搬送コーディネーターの話。神奈川県の救急医療中央情報センターは、医師でも看護婦でもない救急隊員と思われる人が電話を受けて搬送先を探すのだが、依頼される医師も、どうしても頼んでくる側が医師でないとわかると「その辺の緊急性がわからないからどうもねえ」などと断りやすくなってしまう。オペレーターの専門性を高める努力をしている、というが、どうしても医師はそのあたりいくら専門性が高くなっても、見下してしまう悪弊があるから、さてどうか。
これに対して大阪は有力病院の部長クラスが電話番(搬送先振り分け役)をやっている。これだと切迫早産なのか、合併症妊娠なのか(心臓疾患合併妊婦など)、胎児奇形なのかによって適切に搬送先を依頼できるし、かつての部下や教え子、医局の後輩などのところに依頼すればなかなか断られにくい。関西弁の気安さか、「とってくれへんかなあ」と言われると、なかなかスムーズに搬送先が決まるのではないだろうか。なかなかいいシステムだ。
埼玉県だと、大学病院の準教授以上がおそらく20人くらい、市立病院の部長クラスが5人くらい。これで持ち回りにすれば1ヶ月1回くらいですむ。空床のある病院を専用端末で検索するとなると、病院などに「当直」しないといけないが、インターネットを利用すれば自宅でもできる仕事である。現実味があるのではないか?

2008年11月30日日曜日

宇都宮の朝jog〜trfとブルックナーリズム


宇都宮で土日に学会があった。今朝は朝日を浴びながら宇都宮の町をjog。まず県庁の壮大な建築の横を通り、宇都宮タワー、吊り橋、宇都宮競輪のある八幡山公園へ。少しアップダウンを上り下りした後は、東へ向かい、南北に走る田川に沿って走った。写真はその川沿いの道。
先日購入してiPod touchに入れたばかりの「Keep Runnning」(中級向け)を聞きながら初めて走った。かつて(大学生の頃)trfが案外好きだったので楽しみにしていたが、オリジナルの楽曲をそのまま使っているわけではなく、平板な同じトーンの演奏でメドレーのように曲が連なる構成にがっかりした。一応trfの「EZ DO DANCE」や「BOY MEETS GIRL」などは、オリジナルに近いアレンジでボーカルも入っているからまだましだったが・・・。外勤先の病院の外来で一日中流れているオルゴールによる流行歌有線チャンネルを思い出した。
普段、主にクラシックを聴きながら走っているから曲のテンポやリズムが走りのピッチに合わないことには慣れている。というか曲のリズムには関係なくピッチを刻んでいる(と言った方がいいかもしれない)。
ところがこのダンスミュージックは、わざわざピッチに近い拍数に合わせてあるのだが、それが必ずしも快適ピッチと一致しない。これはかえって走りにくい。無理にピッチを落として合わせることになる。
しかもtrfは2拍子と3拍子の連続「タン、タン、タタタ」というリズムが多いので、足が合わせにくいことこのうえない。意識しすぎるとたたらを踏みそうになる。ちなみにこのリズムはいわゆるブルックナーリズムと一緒で第4交響曲(ロマンティック)などで多用されている。ブルックナーを聴いて走るときは、ハナから走るリズムを合わせようなどとはしない(これはテンポが刻一刻と変わるから)ので、全く気になることはないのだが・・・。
というわけでこのせっかくの「Keep Running」、今後あまり聴くことはなさそうである。

2008年11月24日月曜日

GT-2130〜小指外側部に弱点あり

シューズマスターの役立ちブログに影響を受けて、1年半前からアシックスのGT-2100シリーズを基本トレーニングシューズとして愛用している、
このシリーズは毎年GT-2110→2120→2130と10刻みでバージョンアップされるが、基本的仕様やラストは変わらないので、安心して同サイズをネット注文できる。旧モデルはたいてい安くなっていて8,000円程度のお値頃価格で手に入る。
ちなみにこのシリーズにはNEWYORKと品名(愛称?副題?)が付いているように、アシックスが力を入れているニューヨークシティーマラソンの行われる11月にニューモデルが発売され、アメリカを中心としたワールドワイド展開のモデルである。
基本的にはワイドなラストで、サイズの割に大きめだから、たいていのアシックスのシューズでは25.0を選ぶ僕も24.5がちょうどいい。

さて、今日書こうと思ったのは、2008年モデルのGT-2130は小指の外側の張り出す部分に補強革がないので、穴が空いてしまいやすいぞ!という点だ。半年ちょっとで写真のような感じに大穴があいてしまい、ソールの摩耗よりこの穴がシューズの寿命を決めてしまっている。
ちなみにGT-2120ではこの部分にちょうど補強革が当てられており、決して穴が空くことなどなかった。毎日のように通勤ランに使用するのであるから、耐久性も求めたいのに、これでは・・・。
僕だけ小指が外即に突出しているわけではなく、ある後輩も同じシューズの同じところにでっかい穴が空いていたから、こうなるとシューズのせいだと言っていいだろう。
アシックスは「それならワイドモデルを買え」と言うかもしれないが、そうなると踵回りががばがばになってしまう。他の点が優秀なだけにもったいない。
先頃発売された2009年モデルのGT-2140は・・・・期待してカタログを見たが、この部分に関する限り、残念ながらGT-2130と同デザインであった。


***昨日のレースの疲労があったが、朝7時スタートで入間川サイクリングコースを上福岡へ。35kmを3時間弱で走った。最後は両膝がいたた、になった。写真はサイクリングコース上から見た川越の埼玉医大総合医療センター。研修医2年目に勤めた。

2008年11月23日日曜日

秩父宮記念ロードレース〜へばったがなんとか37分台

この由緒正しい名称のレースは今回がなんと第50回の記念大会。同じ埼玉県内とはいえ、車で1時間半近くかかる秩父の浦山ダム上をスタートゴールとし、秩父さくら湖畔をコースとして行われた。
まずは、駐車場から会場までのシャトルバス。少なすぎる。駐車場に着いてから長蛇の列に並んで、実際にバスに乗れたのが1時間後!
これは運営がまずいとしかいいようがない。出場料を500円あげてでももっとシャトルバスを用意してくれ。
実際、スタート時間を10分繰り下げて実施していたが、それでも最初の小学生の部に間に合わない家族が続出していた。
で、僕は10kmに出場。緩やかなアップダウンが連続する難しいコースで、ウォーミングアップも数百メートルjogする時間しかなく、若干序盤かんばりすぎて後半ピッチが落ちてしまい、2人に抜かれて39歳以下の部で13位だった。タイムは37分56秒。もちろん不満足だが、いい脚と心臓への刺激にはなった。

好天に恵まれて、陽光を反射する鏡のような湖面と、湖畔に屹立する秩父の山々をしっかり鑑賞できた。
次のレースは12月第一週の黒山鎌北駅伝。なんと学生チームのアンカーを走る(監督会議で認可された)。

金で釣られる産科医〜モラルハザードを引き起こさないか?

朝日新聞によれば、「さいたま市は21日、ハイリスクな妊婦の分娩(ぶんべん)や妊婦の救急搬送の治療にあたる同市立病院(緑区)の産科の勤務医に、来年1月から1件10万円の手当を支給する方針を明らかにした。地域の基幹病院として産科の勤務医を確保したい狙いがある。」とのことである。
10万円か。いくら何でも高すぎやしないか。
先週の埼玉県の産婦人科学会のときの情報によれば、さいたま市立病院は今年度いっぱいで退職者が複数出て、ついに6人(と言っていたかな?)の少数常勤医体制になってしまうらしい。大学医局からの補充の見込みは、まだないとのこと。
それでこんな高額の「エサ」を用意したと思われるが・・・。
実際はどう運用されるのであろう。搬送を受けるたびに当直医の頭には否が応でも「10万円」がちらつくだろう。「ハイリスクな分娩」の定義がはっきりしていないと、たいていの分娩にこの10万円をつけてしまいたくなりそうだ。
しかもこの10万円は個人ごとに支給されるか、産婦人科全体に支給されるかによっても、「奪い合い」が起きないか心配になる。「おまえは全然手伝ってないだろう!」とか「帝切の準備は俺がしたのに、執刀医のあんただけが10万円かよ」とか・・・。

2008年11月22日土曜日

赤羽〜皇居〜白金と走って会議に参加

今日の日中は、北里大学白金キャンパスで行われた全国遺伝子医療部門連絡会議というのに埼玉医大の遺伝子診療部門(正式にはまだ発足していないが)を代表して参加。
開始時刻まで余裕があったので、浦和の外勤先から赤羽まで電車で出て、赤羽から走っていくことにした。
朝から気持ちよく晴れて、しかも北西からの追い風を受け、快調に王子、駒込、本郷、お茶の水と過ぎ、皇居に達した。

土曜の皇居のランナーの多いこと。僕が三楽病院に勤めていた4年前よりもさらに多くなっている。マラソンシーズンまっただ中だしね。女性ランナーも半分くらい。たまにいる浅黒く痩せてランニングシャツに短いランパン、一昔前のマラソンシューズ(ターサーなどのニューモデルでは決してない)を履いてぜいぜいいいながらけっこうなスピードでとばすおじさんランナーを見かけたときは、昔はこちらのほうが多数派だったと懐かしさをおぼえた。
SecondWindもいっぱい集まって栄えていたなあ。加納さんやマーラさんのような一線級から市民ランナーまで同じクラブに所属するというのは新しい形態でどうなるかと不安視していたが、軌道に乗っているようだ。
そんな竹橋の風景に刺激されて、つい皇居は反時計回りに遠回り。
そこからは虎ノ門〜高輪〜東京タワー〜麻布十番〜白金高輪のコースで約20km。
白金高輪駅のファイテンショップを冷やかしに立ち寄ったら、飛びかかる様に応対してくれたお姉さんが水(チタン水?)を飲ませてくれた。おいしかったので3杯もおかわりした。相変わらずサービス精神旺盛で、首にぺたぺたファイテンシールを貼ってくれ、膝周囲にはファイテンテープを貼ってファイテンジェルを塗ってくれた。汗だくなのにね。首を回したり足踏みしたりさせられ「軽くなりましたか」と訊かれるので、別に大差ないと思ったが、儀礼上「軽くなったような気がします」と優等生のお答えをしておいた。もっともネックを一つ購入することになったが。
ファイテンは経営が少々傾いてきてそれで高橋尚子選手のスポンサー契約を切ることにした、とのウワサを聞いていたから、もしや閉店してやしまいかと思っていたくらいだったので、まだまだお店レベルでは元気そうで、ちょっとホッとした。

そんなことをしていたら、会議場にはちょうど時間通りの到着。走行中とは別の「asics」と大書した長袖Tシャツに着替えただけだったが、僕以外全員スーツにネクタイで、格好としては相当浮いていた。しかも片隅でひっそりしているわけにもいかず、埼玉医大から監事就任とかで代理で満場を前に挨拶させられた。ま、一人で浮いているのには慣れているけどね。
明日は秩父宮ロードレース10km。ファイテンのお姉さんの努力のおかげで脚は軽い、ような気がする。

2008年11月21日金曜日

ハーフマラソンでの距離間違い〜対策は?

今月9日に行われた「第3回世田谷246ハーフマラソン」で誘導ミスが起こり、選手が本来よりも約1km短い距離を走ってゴールしていたという。このマラソンは今回から陸連公認となり、箱根駅伝出場大学も選手選考を兼ねて多数参加していたというから、責任は大きい。
ミスはゴール近くで起こり、本来なら駒沢競技場の周囲を半周してゴールするところを、係員の誘導ミスで半周しないままゴール、となってしまったらしい。
思い出すのは、約2年前のサンスポ千葉マリンマラソンでの誘導ミスだ。これは僕自身が「被害」を受けて、静かな怒りの手紙を主催者に送ったのも記憶に新しい。
今回との共通点は、
(1)ハーフマラソンという距離であること
(2)「公園内を大きく迂回」とか「競技場周囲を半周」とか、距離あわせのために本来遠回りさせるべきところを近道させてしまったこと
(3)当該のコースが採用されてからまだ2-3回目であること
である。ここに誘導ミスがおきる原因が隠されている(ように思う)。
まず、(1)だが、まだハーフマラソンという距離が「実感を持って」競技役員や誘導役の高校生らに理解されていないのではないか。考えれば、21.0975kmだとは計算できるかもしれないが、例えば、じゃあ20km地点を通過したら、どれくらい走ってゴールに至るかという距離感覚が(よっぽどハーフのレースに何回も出たことのあるランナーを除いては)体感されていない。これが5kmとか10kmとかキリのいい距離だったら、あるいはフルマラソンだったら、案外こういうことは起きにくいんじゃないかと思う。
次に(2)。これが(医療安全的には)ミスの起こりやすい最大の原因だろう。ただ、コースを設定する側としては、周回コースだと距離あわせをする場所はスタート付近かゴール付近しかないし、折り返しなら問題なさそうだが実際は道路上どこでも折り返せるわけでもないし、というジレンマがあって、なかなかこの距離あわせのための迂回を根絶することはできない。
そこへもってきて(3)で、係員がそのコースで選手を走らせた経験が少ないと、咄嗟に、あるいは思いこみで、間違った方へ(コースとしては素直な近道の方へ)誘導してしまうことはありうるだろう。
またまた医療安全的に言えば、こうした事故の10倍以上の頻度で「ヒヤリハット」が起きている可能性があるわけで、レースの主催者はすべからくコース誘導ミスの起こりやすい個所に対する対策を講じておく必要があるだろう。
すなわち、
・距離あわせのための迂回の個所はなるべく少なくする
・その個所には、毎年同じ係員を配置する
・その個所では、実際に係員や学生を選手が通る前にリハーサルで走らせてみるなどして、正しいコースどりを係員が「イメージ」しておく
・係員が正しいコースを了解していても、先頭の白バイが間違えることもあるわけで、それを防止するために、早めから正しい方向へ大げさに旗を振るなどして白バイを誘導する
いかがだろうか。

***これを書きながら記憶の底の方から甦った風景がある。小学校5年のマラソン大会。大学構内を走ってきてゴールは小学校の校庭。僅差の3位で校門をくぐった僕は、1・2番の子が校庭内の間違った方向へ行きかけたのを尻目に、事前の「学習」通りにそれとは逆の正しい方向へ進み、瞬間入れ替わった順位のまま1位でゴールテープを切った。なんだか気まずい優勝だったけど、先生の誘導ミスが原因ではなかったからなあ・・・。今ならコース選択も実力のうち、と言えるけどね。翌年はちゃんとホントに1位になって、ホッとしたもんだ。

2008年11月20日木曜日

「使える」学生


今回僕の診療チームについたBSL5年生はなかなか「使える」。
もはや診療参加型実習をめざす埼玉医大の産婦人科BSLでは、学生実習は「教える」ものではなくて「一緒に診療する」ものに変貌している。僕自身が学生だった頃とは隔世の感がある。
ただ、たった2週間では学生の性格によってはなかなかうち解けなかったり、腰が引けたままだったり、そうなかなかうまくいくものではない。今回は「いそっち」はその点、適度にずうずうしくて厚かましく、でも飲食店バイトで鍛えた?言葉遣いはきっちり先輩後輩関係を意識したものでソツがなく(我々医師に対しても患者に対しても)、出来事が起きていると引っ込むことなく、どんどん顔を突っ込んでいく。なかなか得難いタイプの学生だ。
一昨日も夕方から、子宮外妊娠疑いの外来診察、腹痛急患入院、正常分娩、子宮筋腫による不正出血・重症貧血入院、手術前診察、双胎分娩方式相談、双角子宮の切迫流産妊娠予後説明、分娩誘発予定妊婦ミニメトロ挿入、と立て続けに夜10時まで頑張って見学、じゃなく手伝ってくれた。
昨日も午後5時間手術、入院患者回診、胎児発育遅延妊婦の超音波診察、とやはり夜11時まで研修医以上のスケジュールをこなし、そのまま当直実習に入っていた。さらに今朝には打ち合わせ通り、その妊婦についてのプレゼンテーションを(僕不在の)カンファレンスで行い、母体搬送先から外勤中の僕まで電話報告してきてくれた。
うむ、ここまでくれば「使える」学生だと言ってよかろう。
本人が面白がっているのがわかるから、こちらもどんどんかまいたくなる。好循環である。
ちなみに彼、帰宅部である。これまでどうも部活に入っていない学生たちは、言葉遣いや行動力、上下関係、積極性の面で劣っているという印象があったが、ちょいと先入観を改めた。飲食店バイトにも同様の「人間教育」効果があるということか?

2008年11月19日水曜日

渋井選手の体内センサーについて

で、レース内容の方だが、30kmまでは渋井さんの独走となり、テレビ解説陣も「このまま優勝してほしい」「大会新記録が期待できるペース」と、むしろまったりとしたのんびりムードのコメントに終始していた。
薄曇、気温15℃、湿度90%という好条件にも恵まれたので、いつかの高橋尚子選手のように暑さと強風に遮られたような大失速は起こすまい、と誰もが予想していたと思う。それにもう渋井さんは終盤失速はなんども経験しているわけだからさすがに今回は賢くなっているだろう、と。
ところが渋井さんの1kmごとのラップタイムを聞いているとどうもおかしい。3分30秒以上かかり始める。これでは5kmが17分半以上かかってしまうのでは?案の定、50秒以上離れていた加納さんがじわじわと詰め始めた。まだ坂にかかる前なのにこんなにラップが落ち始めていたら、もう35km以降は18分かかるでしょ、これはまた大失速だ、とこの時点ですぐ読めた。
そこで来るのは加納さんかと思いきや、なんと上がってきたのはマーラさんに追いつかれて後は落ちる一方と残念に思っていた尾﨑さんだった。普通は10kmまでを16分半でとばしてどんどん抜かれたら復活は不可能なもの。マーラさんの背中を借りているうちに、持ち直したようだった。加納さんにぐいぐい迫っているという状況下では、いくら渋井さんまでまだ30秒以上あったとはいえ、勢いは前4人の中ではダントツ。あれよあれよという間に先頭にまで躍り出た。終盤のきついところでも腰高のスムーズな走法はむしろ加速した印象。大逆転でゴールテープをきった。渋井さんは残念ながら「勝手に」失速したので、ともかくとして、その場合は普通は2番につけていた加納さんが勝つ者なのだが、さらにその後ろから勝者が出るというのは珍しい展開だった。それもマーラさんが来るならわかるが、いちど加納さんに振り切られた選手が来るというのは・・・。
ただ尾﨑さんは中盤でマーラさんが追いついてきて引っ張ってくれなかったら、こんなに持ち直したかどうかあやしいと思う。マーラさんにお礼の品ぐらい贈らなければいけないのでは?お姉さん、SWAC経由でね。
尾﨑さんとは2度お話ししたことがあるが、とにかくひたむきな「いい子」。頭もいいし、ユーモアも解してくれる。雰囲気はまだ20代前半という感じだけど、もう27歳なんだね。ロンドン五輪を目指すと言っていたので、ちょっと誤解していました。でも着実にゆっくりとステップを登ってきているので、本当に長く競技生活を続けることが期待できると思う。山下監督もそういう長い目で育てようとしているのがよくわかった。直接知っている選手が優勝するというのは嬉しいものだ。
渋井さんについてはなにをかいわんやである。快調にとばしている25kmとか30kmぐらいで、これくらいの体の余力があれば、どのペースでいけばゴールまで持つか、というセンサーがちょっと甘めに設定されているのだろう。
だから本人は決してやけっぱちでとばしているわけではなく、ゴールまでもつと思っているのに、体の余力の方が実際はたりていない。kのセンサーはスピードランナーほど甘い傾向があって、高橋尚子さんもシドニーやベルリンで最後の2.195kmは相当きつくなっているし、野口さんもアテネでは終盤迫られて危なかった。でも、少々ペースダウンしようともゴールまではなんとか行けていたのだが、渋井さんの場合はセンサーの狂い方が激しすぎる。今後の練習は、走り込みよりもスピード練習よりも、このペース感覚というかセンサーというか、こちらの修正に力点を置いたらどうか。そう忠告したい。

2008年11月17日月曜日

東京国際女子マラソン〜救護車の窓から

今回最後となった東京国際女子マラソン。医師になった直後からもう10年以上毎年、医務員として手伝いに来ていた。
最初の数年は、レース中は救護所のテレビでレース展開を観戦して、ゴールになったら競技場に飛び出して声援を送り、続々とゴールしてくる選手の中に救護が必要な者がいれば手当をする役だった。浅利選手と市橋選手のゴール前デッドヒートは、目の前で固唾をのんで見守った記憶がある。
そのうち毎年収容車に乗るようになり、最後尾から選手を拾っていく仕事になった。関門を時間オーバーした選手を迅速に小型バスに回収せねばならず、ぐずぐずしていると交通規制解除車(パトカー)に追い抜かれてしまい、一般の車列に取り囲まれてしまう。だからとにかく明らかに関門通過困難な選手は、残り時間とペースを見ながら、バスに乗るよう強制せねばならない。
医師の仕事と言うより、陸連役員の仕事であった。市民ランナーの中には、なるべく30kmまでは行きたい、などの思いが強く、棄権勧告に耳を貸さず走り続けようとする選手が多くいたことを思い出す。これが東京国際マラソンの男子選手ならば比較的あっさり収容車に乗ってくれるのだが。いかに、交通規制解除車に追い抜かれず、スムーズに選手を回収するか、に関してはプロ並みのノウハウを蓄積したところで、最近は救護車に乗せてもらえるようになった。
救護車はレースの車列の間を自由に縫うように進み、コース上で医学的救護が必要な選手の手当をする。だから車はワゴン車程度と小さいし、大人数を収容することはできない。先頭集団にいた有名選手が突然ペースダウンして棄権したりするときに救護車から医師が駆け下りてきて車に収容するシーンはときどきテレビにもうつる。
どのあたりの位置で車を進めるかは私の意見を聞いてもらえるので、昨年などは(自分のマラソン目標ペースである)キロ4分の集団をずっと追いかけることにした。これがとても興味深く参考になる。このレベルになると半分くらいは顔を名前がもともと一致する選手たちばかりで、窓から顔を出して誰が調子がよさそうか、誰がきつそうか、展開を見守るのが面白い。去年は終盤は高橋尚子選手ががくっとペースダウンしたとテレビで知ると、棄権するサインがないかどうか車を速めて真後ろについた。ペースは落ちても足取りはしっかりして棄権する気配は全くなかったので、また車をゆっくりにして2時間50分をきりそうな集団、ついでサブスリーぎりぎりの選手たち、と抜かせながら様子を見たりする。

さて今年は、薄曇りまたは霧雨で風も弱く、コンディションとしては上々だったと思う。市民の部の後半が8分遅れでスタートするという初の試みだったが、その分前半でスタートできた選手にとっては制限時間の余裕ができて、少なくとも中盤までには極端な体調不良の選手はいなかった。3人を救護、回収したのみだったが、皆、さほどのダメージではなく自分の意志でレースを中断していた。
最後の大会ということで車の窓から全コースに渡って顔を出してレースを凝視していたが、毎年の様に何人かのランニング仲間が、応援のために沿道に出ていて私にも気づいて手を振ってくれた。
1年に1回、このレースで車の中からしか挨拶しない仲間もいるので、これで終了というのも寂しい限りである。

2008年11月15日土曜日

レースの前日にコンパ?

陸上部の学生が12月の土曜日に卒業生の追い出しコンパを兼ねた忘年会をやるとのことで僕の都合を問い合わせてきた。空いている、と一応返事はしたが、釈然としない。
翌日は部員の多くが出場するクロスカントリーレースがある。ちなみに僕自身も別のハーフマラソンにエントリーしている。
普通なら、そんな試合の前日にコンパをわざわざ組むか?
優先順位を誤っているとしかいいようがない。


とキャンプテンに書き送ったら、さすがに対応が早く、日程変更するらしい。
たかが飲み会の日程に対してちょっと強権発動に過ぎたかとも思うが、「陸上部の試合なんてその程度のもの」とあやまったメッセージを部員に伝えることにならず、よかったと思う。
悪しき伝統となるところだった。

明日は最後となる東京国際女子マラソンの医務員をしに国立競技場に行く。今年も救護車に乗ってコース上に出させてもらえるかな?

2008年11月14日金曜日

マナー違反自転車にご注意を申し上げる

外来が終わって、夕方暗くなってから病院近くの公園を走る。1周1km弱の「トリムコース」があって、街灯もあり、まあまあ走りやすい。このトリムコースには「自転車の乗り入れは禁止」と立て札が何箇所も立っているにもかかわらず、平気な顔をして乗り入れている輩がたくさんいる。しかも多くが無灯火である。こういう自転車には「ここは乗り入れ禁止ですよ」と走りながら言うことにしている。
残念ながら、すれ違いながら叫んでもあっという間に遠ざかってしまうので無駄だから、追い抜きながら振り返って、はっきり聞こえるように教えてやる。
今日も高校生風1人と30歳前後の女性1人に、教えてあげた。
夜の無灯火自転車と、狭い歩道走行自転車と、逆走(右側)自転車と、ランナーの敵となる違反自転車は数多い。いちいち注意するのも、もう疲れてきた。

2008年11月13日木曜日

「医者のモラルの問題」二階大臣の問題発言

二階俊博経済産業大臣の発言を映像でも見られるようになったので紹介しよう。
文字にするとこんな感じ。
<病院同士の主張が食い違う今回の問題。舛添大臣はコミュニケーションがうまくいかない現状を、IT技術を駆使して解決できないかと、二階経済産業大臣と急遽、会談しました>。
緊急搬送システムの構築など、別にIT技術など新開発しなくても既存の技術でどうにでもなると思うのだが。経済産業省に協力を求めるというのも大げさで、厚労省だけで頑張れば十分な話である。
どこのNICUが空いていて、どこの産科病棟が満床であるかをリアルタイムで標示するだけならば、その作業に関わる人的要員を確保するだけで可能である。東京都の問題は、このシステムがインターネットシステムとは別のシステムになっているところであって、この目的にしか使えない専用のコンピュータなど、ついいじらなくなるし日陰者の場所に追いやられる。
それよりも「現在当直医は手術中で手が離せない」とか「明朝品胎(三つ子)の分娩を控え、NICUは空床を確保しておかなければいけない」などの各病院の事情まではシステムではわからないわけであり、結局は電話のやりとりが必要になってしまう。
さて問題なのは終盤の二階俊博経産相談のこのセリフだ。
<「政治の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」>
「たらいまわし」だの「8病院が拒否」などというマスコミの言葉遣いからして、このような搬送先確保困難問題を「医者のモラルの問題」と思わされている一般の人が多いのではないかと危惧していたが、国務大臣までがこんなことを言うとは。
実際に発言している映像を見ると、傲慢な態度に強く嫌悪感を感じる。
「忙しく、人が足りない」現状をカバーしようと限界ぎりぎりまで現場で奮闘する医師の努力を無視する発言であるのは間違いないが、「医師を愚弄している」というよりもこの人は単に実情を知らないだけではないかと思う。要するに新聞と週刊誌程度しか見ていない、勉強不足。それはそれで国務大臣としての資格を疑う。
もっといただけないのはこの発言をなにも問題視していないマスコミと野党。産科医の団体は二階大臣に抗議文を出すなどの動きを見せているが、今のところそれだけ。

ただし、産科医に「モラルの問題」と突きつけられると、考えるところは多少ある。すなわち我々産科医自身も現在の母体搬送システムが「使えない」、「救急事態には役に立たない」とわかっていたにも関わらず、手を拱いてシステム構築をすすめていこうとする努力を怠っていたことだ。私のいる埼玉県ではこのシステムの必要性は叫ばれていながら、全く存在していない。東京よりもっとひどいわけである。そのための予算もついていながら、システム構築に向けて動き出したという話はついぞ聞かない。これを不作為のモラルの問題と言われればそうかもしれない。
もう一つ。「産科満床」「当直医分娩介助中」などであっても、本当の母子の生命に関わる緊急事態であれば、院内の他科のベッドを一時的に借りるとか、自宅オンコール(待機中)の医師を呼び出すなどの「無理をすれば」なんとか当該の重大救急患者だけは受け入れて対応できないことはない、というのが事実であることだ。
だからこそ「脳出血と言った」「言わない」とか「切迫した事態と伝えた」「伝わらなかった」というのが問題となるわけで、あれは切迫度が伝わっていれば、人員的な無理をしてでも受け入れ可能だったということなのである。
だから医師同士の情報伝達が的確であって、受け入れ側が、一時的にはキツイがウチがなんとかしなければ死んでしまうかも、という危機感を共有できれば、結果は違ったのかもしれない。
これを「切迫早産の母体搬送」とか「子宮内胎児発育遅延の母体搬送」などの切迫度のやや落ちる事態と一緒に論じてしまってはややこしくなる。
ただし、「一時的な無理」は時々だから可能なわけであって、慢性的に「無理」をしているところにさらにゴムを引き伸ばせば、ゴムは切れてしまう。そうしないために現在、産科医側も厚生労働省も一緒になって議論をしているところであるのだから、その実情を全く無視した今回の二階発言を擁護することは全くできないのである。

2008年11月9日日曜日

猛犬の飼い主にカーチェイスされた


夕方、河川敷の未舗装路を快調に走っていたら、橋の下をくぐったところで突然大型犬がいた。なんと飼い主は引き綱から手を離している。あっと思う間もなくこの黒い大型犬がまっすぐ僕を目掛けて突進してきた。
暴走車が突然現れてこっちへ向かってきてどうやっても避けられない!と判断したときの恐怖、とでも言えばいいだろうか。向きを変えて逃げるわけにもいかず、咄嗟に猛犬に対して背を向けるのが精一杯だった。
猛犬は僕の両脚に体当たり。ラグビーで小柄なバックスが見事にタックルされたときのように、完全に僕の体は宙を舞った。で、腰から着地。右の手のひらと肘でも着地したらしく、ずきずきと痛む。引き綱を離していた中高年の女性はしきりに謝ったが、こちらは噛まれなかったことにはホッとしたものの、強烈な恐怖体験と痛みで、許したり笑顔を見せたりするところではない。なるべく上品に「憤慨している」旨を伝えて、走り去ろうとした。
が、ふと「このまま済ませるわけにはいかない」という静かな怒りがふつふつと沸き起こり、現場に戻って「犯犬」と女性、および連れの男性ともう1匹の犬が乗ってきたと思われる車のナンバープレートを携帯カメラで撮影し、ついでに「犯犬」と飼い主たち、というタイトルの写真も撮影しておいた。それが掲載の写真である(黒いのが犯犬)。腕がじんじん痺れるので、あとあと骨ヒビでも見つかったら連絡をとらせていただくのに使える。
この、写真モデルに選出されたのが、連れの初老男性の気に障ったらしい。
なんだか後方で怒鳴っている気配はあったが、イヤホンとドリカムで耳が塞がっていることにして、ただちに踵を返してそのまま元のペース(キロ4分30秒くらいだったかな)で走り続けた。
と、予想通りこの男性、くたびれたワゴン車で堤防上未舗装路を追っかけてきた。
ちょうど一般路への分かれ道で追いついてきたので、僕はいったんそのまま堤防道路方向へ向かい、ワゴンが分岐をこちら側に来たのを確認してすぐ道をはずれて堤防から下りて工事中の一般路方向へ逃げてみた。
ワゴンはいったんまかれてくれたが、その先を右折してまたもや僕の方へ向かってくる。工事中を示すための鎖が道にかかっていたからそこで止まるかと思いきや、鎖が緩くて地面に垂れていたせいか、がちゃがちゃ結構な音をさせながら車で強引に突破してきた。
あーあ、猛犬が正面から襲ってくる恐怖を味わわされたあとは、今度は後方からワゴン車が迫ってくるスリルまで体験する羽目になるとは。そもそも疚しいことがなければ、しゃかりきになって青筋たてて追ってくる必要もなかろう。あー、なるほど、やっぱり自分の猛犬が人を襲ったことをまずいと思ってるんだ、とこっちは多少の余裕がある。
浄水場の横手の人気の少ない道で追いつかれたので、車から降りてきた男性をよく見るとやっぱりかんかんに怒っている。「勝手に写真をとるのは、なんとか違反だ」とか叫んでいるが、怒りすぎて呂律が回っていない。でも車から降りてくれたらこっちのもので、また走り出せば、相手は走れないからまた車で追ってくる。
ワゴンが通れるかどうかの細い農道に導いて、どうかなと思っていたら、もう見境なくなっているらしく、突っ込んできたので、ラッキーとばかりに車の到着を待ってUターンしてサヨナラした。バックするにも入り込みすぎているし、先まで行ったら見失ってくれるだろう。
敵もさすがにそのあたりであきらめたらしく、一応警戒しながら残りの距離を走ったが、再発見されることはなかった。
藤原智美著「暴走老人」という本を思い出したが、この男性もかなり血圧が上がって体に悪かったろう。事故なく帰ってくれたことを祈る。
ただ、今回はこれで済んだからよかったが、もちろん犬に噛まれて重傷を負った可能性もあれば、暴走老人に轢き殺されたかもしれないし、アメリカなら撃たれたかもしれない。
ま、せめてしばらくは事件個所を練習で通るのはやめておこう。今度は犬に人を噛むように仕込んでいるかもしれないからね。

2008年11月8日土曜日

またも未受診妊婦

どこにも受診したことのない妊婦が仕事場で分娩をしたというので救急隊が臍の緒でつながった赤ちゃんごと搬送してきた。今度は幸い早産ではなかったようで、赤ちゃんは3000g前後あり、元気だ。
こういう妊婦の共通点は、こちらが手を尽くして搬送しても、分娩の面倒を見ても、決して「ごめんなさい」とか「すみみませんでした」とか「ありがとうございました」と言わないこと。まるで自分が被害者であるかのように泣きじゃくったり、痛い痛いとだだをこねている。
実はこの人たちは自分が社会的に指弾されるべきことをしたと十分わかっているに違いない。医療者とコミュニケーションを始めてしまえば、当然「どうして病院行かなかったの」と叱られることを知っている。だから自分が子供になったかのように泣き叫ぶことで対話を拒否していると推測する。
当然ながら医療者側もこうした妊婦に対して温かい気持ちが持てるはずもない。こういうお産に喜びを感じられるN大くんは特別に人間の器が大きいのだろう。せめて分娩費用をきちんと払っていってくれることを願うのみであるが、費用徴収に我々が直接関与することはなく、あとは医務課とソーシャルワーカーさんのお仕事である。
せめて夜中でなくて日中でよかった。
ちなみに赤ちゃんは仕事場で生まれたが、胎盤は搬送されてきた後分娩室で娩出されたので、分娩費用は請求できるのだ。これも「でかした」ことの一つである。

2008年11月7日金曜日

東京マラソン抽選結果は・・・

2年連続「落選」でした。
さすがに7倍以上の倍率を突破することはできませんでした。
陸連登録者でかつ2時間台の記録を持っていたら多少は倍率が甘くなるか、と期待しましたが、ダメだったようです。
当日は、おとなしく医務員をします。
これで今シーズンの本気マラソンは2月1日の別大だけになります。

2008年11月6日木曜日

喉が痛くて不調

毎週金曜日に外勤に行くたびに喉を痛める。暖房のせいで空気が乾燥しているうえに、一日中外来でしゃべりっぱなしであるからに相違ない。
喉は僕のウィークポイントで、当直室や外来に加湿器を入れてくれるよう毎冬頼むのだが、今年はついこの間まで暖かかったので油断していた。
さっそくのど飴を2種類買ってきて(はちみつきんかんとVC3000レモン味)、とっかえひっかえ舐めている。
以前、奥武蔵ウルトラマラソン会場で販売していた小野木淳先生の「あぶないランナー」という小冊子の中に、喉の違和感に対して「ニンニクハチミツ」を強烈推薦してあって、自作してみたことがあった。ハチミツ500Cccにニンニク一株の半分くらいをスライスして入れる。2週間もすればハチミツは粘度が低下してサラサラとなり、ニンニクを取り出して出来上がる。
さほどのニンニク臭はなく、毎日でも問題なく使えるが、なにしろ喉のコンディション維持以外に用途がないので大量に余ってしまう。
一冬の間、確かに喉からくる風邪の防止に役立ったが、翌年からはつくるのが面倒なので続けていなかった。
今年はいきなり先制パンチをくらってしまったので、このニンニクハチミツを久しぶりにつくってみるか・・・。

2008年11月4日火曜日

全日本大学駅伝〜駒澤の安定と早稲田1年生の健闘

この駅伝の区間距離は1区から7区が9.5kmから14kmの間、最終区のみ19.7kmである。これくらいの区間距離と区間数が大学生長距離ランナーにはちょうどいいのではないか。こうなると大ブレーキのようなドラマはあまりない反面、各校が比較的安定した力を発揮できる。
つまりほとんどの区間が20kmを越えている箱根駅伝は距離が長すぎるのではないかと思う。距離を意識するから練習量が過大になるし、体調不良の影響がダイレクトに出て大ブレーキがおこるし、10区間ともなると体調不良のエースも出さざるをえないし・・・というわけだ。もちろん箱根駅伝は、正月に、しかも都心から箱根山に行って帰ってくるという、神事に近い行事であるので、大会としては価値あるモノだが、現在と同様、あくまでも関東大会にとどめ、もっと全日本に価値を見いだすべきではないか。これはマスコミの報道姿勢にも大きく左右されることなので、ぜひ一考を求めたい。
で、今回の全日本だが、1年生に有力選手が4人も加入した早稲田に注目していたが、そのうち3人が出場し、皆それなりの走りで10km以上の距離にも対応してきている様子がうかがえた。世界ジュニアに一緒に行った三田君もラストで先頭に立つ「おいしいところ」を持っていって、おめでとう、である。終盤2区間で知名度で劣る駒澤にどれくらい離されるかと心配したが、たった40秒そこそこで粘ったのも立派。箱根駅伝ではもっとこの差を詰めてくるではないだろうか(と、こういう風に本番は箱根だよ、みたいな意識が我々見る側にもあるのが問題かも。そもそも全国大会の後に、関東大会が来るという順番も不自然だなあ)。
世界ジュニアに一緒に行った東洋大学の1年、柏原君もいつもながらの積極的な好走だった。先頭を譲らず、竹澤君にもほとんど詰められず、見事なものだった。東洋大学は坂戸から5km程度のところにグラウンドと合宿所があり、ときどき休日jogなどをしている選手をこの付近でも見かけるから、城西大学の次に「地元」として応援したくなる大学だ。監督の川嶋さんも毛呂山町出身だし市民ランナーのイベントに出てきてくれるし、この前の毛呂山鎌北湖マラソンでもお会いしたばかりだし、親近感がある。
早稲田、東洋とも頑張ったが、最後はやっぱり安定感と地力の差で駒澤が優勝をさらった。出身高校などを見ても比較的地味なのに、つまり区間新を出すような大エースがいないのに、立派なものだと思う。
ところで、この駅伝は外国人留学生は2区間(2人)OKなんだね。高校駅伝は7人中1人で最長区間ダメ、実業団駅伝が8人中1人で指定区間のみ、となっているのに対して、一番寛容なルールではないか?それでも3位以内に留学生採用大学が入ってこなかったのだから、これでいいのかもしれない。あまり留学生を閉め出す方向に行くのも、ワンジルのような人材が日本にいにくくなってしまうので日本人ランナーにとっても損失のような気がする。
箱根駅伝はどうだっけ。10区間あるのだから2人認めてもいいかなと思うが、なにしろ「神事」だからもっと厳しくせねばならないのかもしれない。

2008年11月2日日曜日

関八州見晴台トレイルラン




今朝は5時に起きて、始発の越生線で越生まで行ってトレイル。先週行われていた「武蔵越生ハイキング」のコースを前半(戸神まで)はなぞるように、越生駅(6:15)〜大高取山(6:50)〜麦原入口バス停〜戸神集落〜羽賀山〜野末張展望台(8:00)「写真1」〜飯盛峠〜関八州見晴台(8:35)「写真2」〜花立松ノ峠〜傘杉峠〜顔振峠(9:10)〜諏訪神社〜「写真3」〜一本杉分岐〜獅子ヶ滝〜阿諏訪〜東毛呂駅(10:05)、というコース。
棒ノ嶺ピークハントマラソン、毛呂山鎌北湖マラソン、と登りの強烈な2レースで体が慣れたのか、今日のコース上の登りはほとんど歩かず、走って登れた。我ながらいい調子。本当は富士登山競走の前などはこういうトレーニングをしておかなきゃならないんだね。
戸神から羽賀山への登山口がわからず、だいぶ右往左往してロスタイム。「大人の遠足BOOK」の地図は間違っていたぞ。野性の勘で登山口を探り当てた。このあたりだいぶトレイルに慣れてきた。
今日のハイライトはやはり関八州見晴台。天気もよく、朝の澄み切った空気の向こうに、ホントに東西南北、関東平野を囲む山々が見渡せた。グリーンラインのロードの練習ばかりで一度もここまで上がってこなかったことを後悔した。車で高山不動のところまで来れば、15分程度の徒歩で来られるから、登山はちょっと、という人にもおすすめ。
顔振峠から一本杉までの諏訪神社参道を含む行程が、いちばん「走れるトレイル」。写真で雰囲気がわかるだろうか。快調になだらかな下りを駆け抜けることができた。朝早いので、ほとんどハイカーにも会わずじまい。
4時間近く奥武蔵の山を堪能して、10時半には自宅に帰り着けるのだから、トレイルランに関しては実に恵まれている。

2008年11月1日土曜日

未受診妊婦の飛び込み分娩

大学病院ではもう慣れたが(1〜2ヶ月に1人はいる)、昨日は外勤先の個人病院に約8kmを走って着くや否や、未受診妊婦がおいでになったから驚いた。しかも26週、子宮口は全開大、2経産婦。ただちに市立病院に連絡をして了解を得て、救急車を呼んで、ちょうど金曜日なので居合わせた小児科の先生も(車中分娩に備えて)一緒に、救急車に飛び乗った。
本人は急な事態に動転したかびーびー泣いているし、手ぬぐいタオルを頭に巻いた系の夫もろくに説明もされずに不満そうな顔をしているが、かまっていられない。
本気で車中分娩も覚悟したが、案外「まだ産んではいけない」とわかれば人間は分娩も我慢できるのか、15分の救急車道中は陣痛のたびに顔をしかめてはいたが、なんとか市立病院の分娩室に運び込めた。
たいてい母体搬送を送っていく場合は、「当方の力が不十分で管理しきれずこんな夜中にすみません」とか「もうちょっと早い週数でご相談すればこんな緊急事態にならなかったかもしれずすみません」とか、なにがしかの負い目を感じて目を伏せながら送っていくものだ。家族にも気をつかってぺこぺこしたりすることもある。
が、今回はまさに降って湧いた事態で、こっちの管理の不手際もなにもない。堂々と「いやー間に合ってよかったです」とすっかりリラックスして、引継に出てきた女医さんに引き渡した。もちろん手ぬぐい旦那を待つこともしない。さっさと救急車に引き返して、病院に帰ってきた。
よかったとはいっても、病院に戻ったら外来の待ち人数が30人近くにもなり、大混雑状態。これだけの患者さんに迷惑をかけたのだから、飛び込み妊婦の罪は大きい。結局午前の部は午後2時までかかり、おなかのすいた僕ももちろん不機嫌である。

で、たまたま当直室で夜見ていたNHKでもN大病院の産婦人科医の当直一晩ルポの中にも、おー出てきました、飛び込み分娩。18歳の妊婦が陣痛が来て救急車要請。主人公の産婦人科医が、小児科、麻酔科に了解を得て(だいたい週数も胎児の生死も手術の必要性もわからないのに本当に了解を得る必要があるか?受けるしかないだろ)、このあたり墨東の事故を意識した演出くさかったが、結局運び込まれてきて、翌朝無事に分娩。なんとこの飛び込み18歳は顔出し映像。人権感覚に敏感なNHKがこれには驚いた。非難殺到しちゃうよ。
主人公のN大くんも「赤ちゃんが無事に生まれて一緒に喜び合えるのが産科医の一番の幸せ」みたいなこと言っちゃって、非常識飛び込み分娩が一番困るんです、となぜ言わない。「僕はいつでも搬送を受けたいんですけど、他科の都合でダメなときは悔しい気持ちでいっぱいです」みたいなセリフも、自分だけいい格好かよ、と目をむいてしまった。
でも、テレビというのは都合のいいところだけ編集して放映するから、このN大くんもホントはズバズバいいこと直言していたのかもしれないけどね。
ついでに、連続34時間勤務の後もN大くんは外勤当直ににこにこと出かけていったが、ああいうのをあたかも全員の産婦人科医の日常のようにうつすから、誤解を生んで、ますます若手が産婦人科に来なくなるんじゃないのかな。マスコミに「産婦人科医の過酷な勤務実態」がとりあげられるのも善し悪しだな。
ちなみの僕の勤務は、午後の外来も8時までかかって、それから1〜2時間おきに分娩が3件?4件?(わからなくなった)。さらに破水入院、陣発入院と、起こされまくった。インターバルトレーニングのような睡眠で、十分鍛えられました。でも昨日はあくまで特別ですよ。

2008年10月31日金曜日

iPod touch〜まだ大きさに慣れない

大人が日々スポーツをしようと思ったら、ときどき「物欲」でもってモチベーションを維持するのが手っ取り早い。新着ウェアやシューズを買ったり、ウォッチを新調したり、と、どんどんランニング関係グッズが増えていくわけである。
9月にバージョンアップとともにとびついたiPod touchも僕にとってはランニング用品の一つになっている。
最近はただ音楽を聴きながら走るのではなくて、走りながらなるべく多くの情報を耳から入れようと、Podcastを聞くことが多い。THE NORTH FACEのページから見つけたPlanet green Podcastとか、TBSラジオ「ストリーム」なんかがおすすめ。音楽を聴くのに比べて、つい耳に集中しちゃって交通事故に遭いやすいのでは?とか、自分の走り(フォームとかピッチとか)や路面の状況に注意がいかなくなるのでは?とか、心配な点もないではないが、ついPodcast(またはオーディオブック)を選択してしまう。
手持ちの音楽に飽きたらぜひどうぞ。
それから、例のNike+iPodだ。このシステム、1年以上前の発売以来「Nike」というだけで拒否反応を示してしまっていたのだが、touchにはもともと内蔵されているので、2000円ちょいでシューズに付けるセンサーだけ買えばよい、しかもNikeのシューズでなくても使えるらしい!、ということで試してみた。
これはシューズに付けた加速度センサーが足の動きを感知して走行距離や速度をiPodに転送するシステム。イヤフォンから今の走行スピードを音声で聞くこともできるところがGPSウオッチとは違うすぐれものである。
ちなみに対応Nikeシューズ以外にセンサーを取り付けるには、写真のような専用小袋が他メーカーから発売されている。専用シューズ以外を使うとセンサーの距離表示が多めに出るというウワサだったが、これはその通り。10kmを走るとだいたい10.6kmぐらいと出る。その分速度も速く出る。これが最大の欠点かな(あとはラップがとりにくいこととか、途中で音楽を切り替えにくいこととか、大きくてベストのポケットからはみ出しそうなこととか)。いちど400mトラックで補正をしてみたが、翌日には元に戻ってしまった。
ただ、日々の通勤ランの記録には十分で、数日ごとにまとめてGoogle Document上の練習日誌をつけるときには重宝する。
使っているイヤフォンはApple純正のものでもいいのだが、せっかく音質お気に入りのBOSEのインイヤーフォンにエクササイズ用のネックストラップ&ホルダーが無料で配布されていたので、これを手に入れて装着してみたら、引っ張られて耳から落ちることがなくなった。ので、これを愛用している。これで音質に不満がなくなった。カラーもtouchとブラック同士で相性がいいみたい。
こんなして小物に楽しみを見いだして、つい飽きそうになる通勤ランに少しでも彩りを添える工夫をしているのだ。



2008年10月30日木曜日

六甲トレイルラン






先週の生殖医学会(神戸)の「おたのしみ」の一つが、2日目早朝に計画した六甲のトレイルラン。
六甲山には有名な六甲全山縦走路というのがあって、西の須磨浦公園から東の宝塚までの53kmを一気に走る「全縦」は
店長ORAOのブログなどで紹介されて、遠く埼玉からあこがれているのである。
昨年の大阪世界陸上で大阪滞在中に、東の端の宝塚から大平山往復だけはすでに走行済みだったので、今回は新神戸に宿をとって、鵯越〜菊水山〜鍋蓋山〜再度山〜市ガ原〜新神戸、という約11kmのルートを選んだ。参考にしたのは山と渓谷社の「ヤマケイ関西BOOKS 六甲山」P.92と、この山行記録
5時過ぎの始発電車で新神戸から湊川公園乗り換えで鵯越駅に向かった。6時のスタート時点ではまだまだ暗い。ヘッドライトを点灯してスタートした。しばらくは大好きな「走れるトレイル」が続くが、菊水山への最後ののぼりは噂通り相当な急登。やっとのぼりきって振り返ると、神戸からポートアイランドまでの街並みが雲の向こうに見えた。ヘッドライトはここではずし、暑いためベストもアームウォーマーも脱ぐ。
学会の朝のセッションに間に合うためには先を急がねばならない。六甲全山縦走路の標示が常に明確なので、ほとんどルート選択に悩むことはなく、ひたすらすすむ。天王吊り橋を駆け抜け、再び鍋蓋山へののぼり。ここは軽く通過して、大竜寺方面の標示を探しながら東へ。アップダウンが適度に織り交ぜられる尾根道で多くの部分が走れ、快適だった。
大竜寺をすぎると舗装道路を市が原へ下りていく。沢を渡っていよいよ全山縦走路と分かれて新神戸へ下る途中で、木々の間からぽっと新神戸とホテルが見えた。新神戸駅というのは町中ではなくて本当に山際にあって、布引の滝方面へのハイキングコースの出発点になっている。8時に帰着したので、計2時間のトレイルだった。案外暑くて、汗だく。2本の計1000MLのミネラルウォーターを全部飲んでしまった。あとは朝食抜きで出発したので、キットカットを5つくらいを補給した。
大阪神戸方面出張の際には全山縦走の残りをつないで、いつかは一気に「全縦」を、というのが今の目標。ま、10年以内ぐらいにできればいいかな。

2008年10月29日水曜日

高橋尚子引退〜2003/11/16が暑くなかったら・・・

「尚子が引退表明」というスポーツ紙の大見出しにびっくりした。シドニー五輪の金メダルまではのぼりつづけ、その後は下がり続けた、という印象が拭えないので、なんとなくかわいそうな選手だったという気がしてしまうが、実際は何しろ金メダルをとって世界記録まで出したわけだから、功成り名遂げた大選手だ。
高橋選手の運命が明から暗に転じたのは、忘れもしない2003年11月16日の東京国際女子マラソンだと思う。
アテネで連覇を期待されていた高橋選手が満を持して臨んだ国内選考レース。前半を小気味よい高速ピッチで快調に2時間19分ペースでとばしたが、11月とは思えない陽気で25℃まで上昇した気温と強風にあおられて、30km前後から完全に失速。エチオピアのアレムに市ヶ谷の坂で抜き去られて2時間27分台でゴールしたレースだ。このとき優勝を逃したことと、タイムが平凡だったことがアテネ五輪の選考で大きくマイナスとなり、五輪代表を逃してしまう。
このときの東京国際女子マラソンは、実は、初の試みとして第25回を記念して男子も同時に走れる市民マラソンとして行われていて、僕も参加した。このときの暑さと風は実に走りにくく、ほとんどの選手が後半大きくペースダウン。疲労しきった後の後半の上り坂は実にきつく、僕もとにかく3時間20分をきって完走Tシャツをもらうことだけを目標に歩をすすめた記憶がある。給水不足などの運営面も問題視され、男子参加のの市民マラソンはこのとき1回の試みに終わってしまっている。
マラソンの大会ごとの条件の違いを補正してタイムを比較する試みをしている池上さんによれば、このときの高橋選手の補正タイムは、のちに条件の良い大阪で勝った坂本選手や名古屋の土佐選手を上回るともいえるものだったという。
このときは高橋が体をしぼりすぎてスタミナがなかった、という小出監督のコメントが大きく扱われ、高橋選手の調整ミスだったかのように言われたが、もしも、気温が20℃前後の例年通りの11月の気候であったら、あるいは快記録が出ていたのではないかと思う。少なくとも前半の快調な走りを見る限りでは。
そうすればアテネにも文句なく選ばれて、その後の人生も変わっていたのではないか・・・と残念に思う。

2008年10月28日火曜日

ついに現る、マラソンに熱中する産婦人科教授

先週の生殖医学会のランチョンセミナーでお聴きした柴原浩章先生(自治医大)のマラソン話には、「自分以外にもマラソンに熱を上げるまた産婦人科医が現れたか!」と感銘を受けた(このリンク先は恩師・堤 治先生のブログ)。ちなみに東大のM枝先生も「熱」度はかなり高いが、こっちは自転車との二刀流なので、ランニングへの思い入れは半分かな。
で、柴原先生とは埼玉と栃木ということで比較的近い本拠地で、しかも生殖内分泌という専門も近いので、研究会や学会のおりにもともとお顔は存じ上げていたから、久しぶりに拝見した姿の急激な痩せっぷりが衝撃的だった。何よりも最近は月間300km以上走っているということで、これはもう「ちょっと健康のためにジョギングを始めました」というレベルではないことがすぐわかる。「おっすげえ」と弁当をいただきながら会場でつぶやいた。もう走行距離は抜かれそうである。
で、先週末に初マラソンを走るんだ、と言うことだったので、さっそくいただいた名刺の通りにメールで結果をお問い合わせしたところ、昨日の午前中に熱い結果報告をいただいた。しばらく学会で病院をお休みしていて久しぶりに出勤した月曜午前のはずだからきっと大学での雑事山積みでお忙しいはずのところ、こんな長々とマラソン報告を書いていて大丈夫?と思ったが、これも熱心さの反映だと微笑ましく(生意気でしたね、「嬉しく」)思った。
果たして、今年の3月から一念発起してマラソンに熱中し始めた48歳の大学教授が月間300km走って臨んだ初マラソンはどうだったかというと(予想した「久米島」ではなくて「ユリカモメマラソンin武庫川」だったらしい)、後半大バテで3時間41分30秒だったとのこと。終盤の大バテは初マラソンのお約束みたいなものですからご心配なく、というところだが、それにしても前半を45分/10Kペースで入っていったのはなかなか。スピードランナーの片鱗を感じさせる。すでに10Kすぎからペースが落ち始めているのは、終盤の「歩き」を予感させるペース配分だが・・・。
次はさっそく11月の大田原マラソンとのこと。初マラソン前にすでに制限4時間のエリートレースにエントリーしているところなど志が高い。しかも初マラソンからわずか1ヶ月で・・・。この1ヶ月はあんまり無理しないで、疲労回復に努めた方がいいですよ、柴原先生。

2008年10月26日日曜日

毛呂山鎌北湖マラソン〜体調不良で自重

昨日の未明3時に、当直先で妊娠27週、切迫早産の緊急入院があった。これは母体搬送をした方がよさそうだぞ、と浦和近隣の2ヶ所の市立病院をあたったけれども、ダメだった。A病院の方は、「ぜひとりたいんですけれども、NICUがいっぱいで・・・」と申し訳なさそうな、その分誠意の伝わる断り方。一方、B病院の方は、こちらが「27週の妊婦で・・・」と言いかけただけで、「母体搬送ですか?Triplet(三つ子)がもうすぐ出そうなので無理ですね」と遮るように突き放された。「母体搬送のお願いです」と交換の人には言ったはずなのに、用件を言わずに電話を回したか?なにか後味の悪い断られ方。夜中のお願いなので偉そうなことは言えないが、断る電話の口調でこっちもホッとしたりへこんだりする。病院の品格にまで想像が及んでしまうものだから、注意、注意。
ところで、今回の東京の脳出血妊婦死亡事件で、盛んに搬送を「拒否」と新聞に書いてあるが、イヤな響きがする言葉。拒否、というのは、「北朝鮮が核の査察を拒否」とか「大学が警察官の立ち入りを拒否」とか(古い例えだなあ)とか「被害者側が調停を拒否」とか「民主党が国会の審議を拒否」とか、対立している二者の間で、決して「申し訳ない」という気持ちの介在無しに、おことわり申し上げるときに使う言葉でしょう。あれは、搬送受け入れを断念、もしくは搬送受け入れ困難、と書くのが正しいのであって、「拒否」ではまるで断られた病院が気の毒で、断った方が悪者みたいだ。
ちなみにあの事件は東京ならではの地域性があって、地方都市であれば、中核の周産期センターで救急のある病院が否応なしに受けざるをえない。これが東京だと、余所に「産科も、NICUも、救急も全部空いているところがあるんじゃないか?」となまじっか期待があるから、断る側も比較的抵抗無く断れてしまう。見合った末のポテンヒットというべきか。ウチしか引き受けてはないんだ、と猛烈にスライディングでとりに言った方が可能性はあったというわけだ。それでも脳出血だから、球をとれなかった可能性は高いと言わざるを得ないが・・・。

話がそれたが、その母体搬送騒ぎのせいで(実はおなかのはりがすぐ落ち着いちゃったので、搬送しないで朝まで様子を見ることにしたんだが)、すっかりおなかがすいて(夜中に働くとはらへるよね)、残っていた夕食を朝4時にかきこんですぐ寝たのがいけなかったみたい。
どうも胃がもたれるなあと思っていて、大学に戻って午前の外来後にもやしラーメンを食してからも、どうも消化が悪い感じが続く。
帰宅のランニングも胃の中が揺れる感じがして調子が悪く、結局、帰ってからぜ〜んぶ吐いて病の床に伏せってしまった。どうも僕は胃が弱点で、年に1〜2回こういうことがある。急性胃炎。今回もひたすらソロン(僕の大好きな胃薬)を2時間おきぐらいに飲んで、ほとぼりがさめるのを待った。
というわけで、(前置きが長すぎたが)今日の毛呂山鎌北湖マラソン10kmはハナからモチベーションが低く、朝ぎりぎりの8時まで寝ている始末。自分が誘ってエントリーさせた陸上部の学生が出るから、しょうがなく会場に行ったという感じ。ウォーミングアップ時もまだ微熱がある感じでとぼとぼと10分ぐらいJOGしただけ。これで無理矢理いつものペースで入ったら、箱根で倒れた順大の小野選手みたいになるかなあ、と想像し、スタートは隊列の後方からゆっくりスタート。
走り出すとまあまあ熱っぽい感じもなく(直前にソロンと一緒に飲んだロキソニンが効いたか?)、急な2kmから5kmののぼり(200m以上のぼる)でまわりの選手がぜいぜいはあはあ言っているのに自分が楽なのがなんだか愉快で、少しずつ追い抜いていき、折り返してからの猛烈な下りも、じわじわ先行のランナーをとらえて、順位を上げることができた。まあ、序盤楽ちんに入ったから、あたりまえか。
でもおかげですっかり気分はよくなった。下りの胃への衝撃が胃炎を治してくれたか?
42分30秒で112人中21位。2年前よりは3分悪いが、しょうがないでしょう。研修医1年目のM枝君や陸上部の学生たちには負けなかった。女子の1位にも負けなかったのはちょっとほっとした。ちなみにM枝君の彼女が1年前と替わっていてびっくりした。
食欲はまだない・・・。ビールも飲みたくない。

2008年10月20日月曜日

名栗湖棒ノ嶺ピークハントマラソン〜林道区間「のみ」快走



トレイルのレースは下りが苦手だからいけないんだと思っていたが、のぼりも得意でなかった。まあ、そんなことは富士登山競走ですでに証明されていたことではあったが。
では、去年の奥武蔵グリーンラインラン&ウォーク(フル)で3時間20分の(我ながら)好記録で優勝!できたのはなぜか?アップダウンの連続なのに。それが今回わかった。あれは舗装道路だったからなのだ。
いくら登りがきついといっても舗装道路なら一定のリズムで登っていける。ところがトレイルののぼりはそうはいかない。足場を求めて一歩一歩が異なった出し方をしなければならないし、傾斜もきついから走ろうとすれば心拍数も上がる。歩くとスピードが出ない。
今回のレースでも後半に林道区間があった。車の轍のある未舗装路(砂利部分が多かった)だったが、この区間に入るやいなや急に元気が出て、遠くに見えていた選手も含めて5人を抜く復調ぶりだった。
ところが再び最後のトレイル登り区間に入ると、いちど林道で軽く抜いた選手に抜き返される始末。
最後は心臓が口から飛び出しそうになるのを必死で飲み下してゴールした。
主催者のT山さんからは「登りばっかりなので難波さん向きですよ」と言われていたのだが、あっさり期待を裏切ってしまった。
しかも来年からはピークハント型ではなく、ぐるっと棒ノ嶺を含む山々を巡ってスタート地点に戻る周回型のコースになるとのこと。
ますます順位が悪くなりそうだ・・・。
(***林道がそんなに得意なら、OSJおんたけウルトラトレイルなら案外いけるかも・・・)

2008年9月1日月曜日

雁坂峠〜なんとか天気はぎりぎりもった


更新が遅れてしまったけど、雁坂峠の報告を。天気が心配だったけど、山梨県側は晴れていて、雁坂峠までは薄曇り。なかなかハードなのぼりだったけど、先頭を歩かせていただき、自分のペースだったので楽だった。
峠を越えると一転、雨が降り出したので雨具をつけての下りだったが、存外快適に走れた。

最後は舗装道路に出てからさらに秩父湖までの5kmロード。雨も強くなり、脚にも相当来ていたけど、昨年の雁坂峠越え優勝者(おさるさん)に引っ張っていただき、いいペースで走り切れた。こういうのが練習会の醍醐味。自分一人じゃなかなかここまで走れない。
今回、行き帰りとも乗せていってくれた舘山さんに感謝。ワンウェイコースだから、複数で車を上手に手配しないとなかなかこういう企画は立てにくい。ありがたかった。


今回はじめて「ひざかんたん」を使ってみたが、とりあえずはよかったみたい。少なくとも下りで膝周囲を痛めることはなかった。「ひざかんたん」と「ニューハレ」がトレラン簡易テーピング市場を争っているが、今度は「ニューハレ」の方も試してみたい。

2008年8月30日土曜日

明日は雁坂峠

雁坂峠トレイルランの練習会の予定だが、この雨の降り方を見ていると心配になってくる。ただ天気予報では曇。沢渡りの個所があるようなのでそこや登山道の崩落がなければ、大丈夫ということか。
明日は7時前に毛呂山のスポーツエイドジャパンの事務所に集合してから行く予定。

2008年8月26日火曜日

桧原湖一周〜慣れないサドルでおしりが痛い




夏休みで裏磐梯に来ている。まずは朝練として、5時半から桧原湖を一周サイクリングしてみた。30km強、との話だったから1時間半もあれば回れるだろうとの読み。折りたたみ自転車を持ち込んだのだが、最初は快適、ところが普段「シティサイクル」にしか乗っていないものだから、堅くて細い本物風のサドルがだんだん痛くなってきてしまった。
しかも一周が思ったよりも長かった・・・。景色もロードもすてきなのだが、後半はすっかりサドルとの戦いになってしまった。
ところでこの裏磐梯も夏の合宿所として有名になってきて、五輪前には赤羽有紀子選手や佐藤敦之選手も来ていたようだが、いくつかのチームが朝のjogをしていた。写真がとれたのはこのピンクパンツの高校のみ。どこの学校でしょう?

2008年8月20日水曜日

新しいゲル・トラブーコ


7月末に発売されたゲル・トラブーコ11を池袋アートスポーツで購入した。
昨年のゲル・トラブーコ10はあえてアメリカからカラーも素材も日本版と違うモデルを輸入してみたのだが、1年間のトレイルランニング、レース、山歩き全てに大活躍してくれた。さすがに6月の志賀野反トレイルレースでだいぶガタが来て、小指の外側に両方穴が空いてしまった。25.0サイズでわずかに小さい感じがしたので、今年はメンズの最小サイズである25.5にした。
足甲〜踵はまあまあフィット。足先が余る感じがするが、下りではきついと爪がやられやすいのでこれでもよさそうである。
カラーはグレー基調でウェアに合わせやすく、赤のラインが精悍な感じ。練習もレースも当分これでいく。

2008年8月17日日曜日

秋〜冬のレース予定

奥武蔵ウルトラが終わって、しばらくレースの予定がない。
9月は珍しくレースには出ず、10月から地元のトレイルや山岳コースのレースに出て脚づくりをしていき、2月の別大でまたタイムを狙う予定。その前に一度フルに出るとするなら、近いところで11月23日の大田原だろうか。昨年自己ベストを出したつくばは今年は学会が重なり出られない。
毎年出ていた手賀沼ハーフは今年は遠慮させていただいて毛呂山鎌北湖マラソンにした。

<出場レース予定>
10/19 名栗湖〜棒ノ嶺ピークハントマラソン 11km
10/26 毛呂山鎌北湖マラソン 10km
11/ 9 奥武蔵高原スーパークロスカントリー 17km
11/23 大田原マラソン(出場考慮中)
12/12 チャレンジド・クロスカントリーin彩の国宮沢湖 10km

2008年8月16日土曜日

レース公式結果

6月29日のOSJ志賀野反トレイルレースの記録証が送られてきていた。奥武蔵ウルトラマラソンの完走証と合わせて紹介。

OSJ志賀野反トレイルレース 15km部門 2:42:07 男子58位 総合58位 年代別23位
奥武蔵ウルトラマラソン    77km   8:37:02 20-44歳男子の部89位 総合246位

志賀野反の方は、優勝の松本大選手に63分も差をつけられている。ロードレースでは優勝者とこんなに差がつくことはありえない。やはり特殊な競技だ。レースに出るからには、もう少しトレイル対策をしないといけない。

2008年8月10日日曜日

奥武蔵ウルトラマラソン〜昨年に続き、大バテ



本日奥武蔵ウルトラマラソンに出場した。埼玉医大にとっては地元と言っていいレースで、毛呂山総合公園発着で奥武蔵グリーンラインを走る77kmの真夏のウルトラマラソンだ。
残念ながら研修1年目のM枝選手が練習不足を理由に棄権したので、U田君と2人の出場。
私は鎌北湖から顔振峠に至る途中の20kmすぎに早くも坂を快調に登れなくなり、おかしいなと思ううちにみるみる失速。フルの通過も例年より10分以上遅い4時間24分。46kmの折り返しの後は一時的に持ち直して5km30分ペースで粘ったが、ラスト10kmで完全に脚に来て、下り坂でも両大腿四頭筋、両ふくらはぎ、両大腿裏がぴくぴくと痙攣する始末で、完全な大失速。何十人と抜かれて情けない思いをした。初めてU田選手にもかわされてゴールは8時間37分でした。
涼しかっただけにこの成績では全く不甲斐ない。肝心の6-7月に奥武蔵練習が足りなかったこと、3時間以上のランニングを全くやれなかったこと、富士登山競走の疲れが抜けないうちにつじつま合わせの練習を直前にやりすぎたこと、が主な原因だろう。
U田君の方は、昨年より距離が2km伸びたのにもかかわらず、45分もタイムを縮める快走だった。コンスタントにグリーンラインを3〜4時間走をやっていた成果だろう。おめでとう。

筋肉痛がひどく、まともに歩けないし、立ち上がるのにも一苦労。胃もやられていて夕食にビールが飲めなかった。情けなし・・・。
サブスリーランナーでこんなにタイムが悪い選手も珍しいかも。

2008年8月4日月曜日

ランナーズ9月号


現在発売中のランナーズ9月号に出ている。「ナイトラン」の特集で、6月に取材に来てくれたもの。
病院の出入り口の写真や、勤務中の写真も出ている。立ち読みでいいので(ランナーズに怒られるか)見てみて。

2008年8月3日日曜日

奥武蔵ウルトラマラソン1週間前




今朝は奥武蔵ウルトラマラソン1週間前の刺激およびコースチェックとして、朝6時から鎌北湖から一本杉峠、顔振峠、傘杉峠を経て高山不動までを往復した。距離は片道16km、標高は200mから700mまでを登って下る。
レース1週間前だからなるべく疲労を体に残さず、でも上り下りの刺激は脚に与えておきたいし、一本杉から高山までのコースももういちど確認しておきたい、という欲張りな企画だったが、なかなかそう都合良くはいかなかった。暑さとアップダウンのせいで後半は相当に脚にきて、とぼとぼjogにならないようにするのが精一杯。片道90分、往復ちょうど3時間であった。
すでにコースには今年から新しい距離表示と「奥武蔵ウルトラマラソン」の幟がところどころに飾られている。序盤のコース変更のために、総距離が75kmから77kmに伸び、5kmごとのポイント表示も2kmずれることになる。これまでのポイントが染みついていると、時々混乱してしまう。
今日も7-8人のランナーとコース上ですれ違った。皆、来週のコース下見だろうか。またここは自転車ロード競技の練習場所としてもメッカのようで、集団走行しているチームもあった。そんな中に時々バイク(オートバイ)の轟音が迫ってくることがあり、非常に怖い思いをする。彼らは時としてカーブで最短距離をとろうと中央をはみ出してくることもある。静かな山岳の森林コースに響く騒音も相当なものであり、ランナーの立場からするとできれば勘弁してもらいたい。せめてスピードとアクセルを遠慮してほしいものである。
今日は約1.5リットルの飲料(ハイドラパックとボトル合計)をほぼ飲み干した。来週の本番レースも暑さとの戦いになりそう。

2008年8月2日土曜日

埼玉インターハイ最終日


今日は午前の外来を終わらせてから、熊谷へインターハイを見に行ってきた。実はインターハイを観戦するのは初めて。自分が高校生のときは、たしか関東圏で開催されなかったし、卒業してからはわざわざ見に行こうなどとは考えもしなかった。
今回はもちろん世界ジュニアで知り合った監督さんたちに挨拶して、代表選手達の競技ぶりを見ておきたいと思ったわけで、47年に一度の地元開催なのに全く知らんぷりももったいない。
で、正直な感想は、「え、インターハイってこの程度の盛り上がりなの」というもの。都大会とか支部大会とかと特に雰囲気はかわらない。もう5日目で残り種目も少なくて、みんな疲れちゃっているのだろうか。
僕自身は南関東大会もインターハイも行ったことがないので、あこがればかりが強かったのかもしれない。関東インカレの方が統一のとれた応援と観客数の点で、盛り上がっているのでは。
これでは高校野球や高校サッカーなどと比べると、あまりにも「地味」。これは選手も、他競技に逃げてしまうぞ、と思った。
で、今日お目当てだった種目は3000障害。両角監督に注目するようにと言われていた佐久長聖の選手がちゃんと2位に入った。優勝が仙台育英の留学生だったわけだが、これが長距離種目がいまいち盛り上がっていない一因と感じた。なにしろ前半はおとなしくしているのだが、後半にあっという間に出て行ってしまい「全然実力が違うな」という無力感を日本人選手にいだかしめる走りなのだ。
女子3000も留学生について言えば全く同じ展開だった。これでは日本人はいくら頑張っても2位がいいところなわけで、いまいち走る方も応援する方もやる気が出ないのも当然だろう。
世界ジュニアでご一緒した先生方と出会って話したところの結論は、やはり世界ジュニアに出た選手達はインターハイでふるわないということ。110Hも200も400も5000も、世界ジュニアで高校生離れした走りを見せた選手達が、インターハイで勝てない。やはりコンディショニングが難しいのだろう。
ちなみに佐久長聖の村澤君は、留学生についていく果敢なレース運びだったものの、早々に離れてしまって日本人集団に追いつかれて6位だったとのこと。日本人4位という結果だけ見て心配したが、積極的に挑んだ結果だということで、ほっとした。でも本調子なら終盤までついていったか、一泡吹かせたかできたはずだからやはりこれも世界ジュニアの後のコンディショニングか。
なにしろ僕自信ががまだ時差ぼけの影響なのか、昼間11時くらいに極度に眠くなり、夜なかなか眠くならないというリズムに苦しんでいるぐらいだから、選手本人は大丈夫、と思っても案外影響は残るのかもしれない。
こうして世界ジュニア帰りの選手達のコンディションがいまいちなことが多くの監督の意識に植え付けられてしまうと、来年以降もますます有力選手の世界ジュニア、世界ユース出場辞退が増えてしまいそうで、心配である。8月後半か9月の世界大会開催なら問題ないのだが・・・。

2008年7月17日木曜日

リューデスハイム



最終日はフランクフルトからリューデスハイムへ。ライン川沿いのきれいな観光都市だ。川の両側には平野が連なるのではなくて、すぐに小高い山となる。展望がきいてなかなかの光景。ハイキングコースもあって、一部歩いてみた。
有名なローレライの岩までもバスで遠征。

フランクフルト



ビドゴシチからバスの長旅でベルリン。そこからすぐフランクフルトまで飛んで一泊というスケジュール。
夜はゲーテ広場のカフェに繰り出して地ビールをいただいた。
朝練のライン川沿いは両岸に散歩道が整備されていて、陽光の下に楽しく走れた。大聖堂はなかなかのもの。

2008年7月16日水曜日

世界ジュニア最終日

昨日で世界ジュニアが閉幕した。最終日は男子110mHで中村選手が大接戦のメダル争い。3位とわずか0.02秒の6位となったものの大いに盛り上がった。
また男子5000mで村澤選手(佐久長聖高)がケニア2人、エチオピア2人、ウガンダ1人からなるハイペースの先頭集団に果敢にもつき、後半はさすがにペースダウンしたものの粘って13分58秒で12位に入ったレースもすがすがしかった。村澤君とは前日の朝練でたまたま追いつかれたので一緒に2kmぐらい走っていたので、特に共感をもって応援できた。
最終のマイルまで見て、選手、役員で写真をとりまくり、ファイナルバンケット(共通の懇親会)に出席し、帰寮。21時でもまだ明るい。
最後は長距離コーチ部屋に出かけていって打ち上げ。
体調不良の選手が出てきている。無事に日本に帰るまで気を抜けない。

2008年7月15日火曜日

Bydgoszcz最終練習は3時間LSD


最終日は競技が午後からなので、午前中に宿舎から走りに出かけた。これまでの朝練で、だいたい付近の地理は理解した。地図上では南北に走る主要道路と見えながら、実際は未舗装の道がある。これを北へと進むと台地状の別の森に入ることができそうだった。
バックパックに地図と水500mlと携帯、カメラ、お金などを入れ10時に出発。
実際走ってみるとこれが素敵な森林散策路(写真)。前から3人連れのノルディックポールを手にした中高年ご婦人が歩いてきただけで、誰にもすれ違わない。日曜なので多くの人が教会に行っている時間だったのかもしれない。道はぎりぎり車が通れる幅で轍の跡がある。アップダウンはわずかにあるがほとんど平坦。

驚いたことにずっとサイクリングの表示があり(写真)、こちらではサイクリングロードといっても平気で不整地を指定している。
日差しがきついが森の中は遮られて涼しい。1時間北上したところで左に大きく曲がるトレイルの交差点があり(写真)、今度は西方向へ。最終的には大きく四角形を描くように森の中、町中、部落の中などを抜けて約3時間、30kmのLSDであった。さすがに疲れた。涼しいとはいっても汗は相当かいて、水も飲みきってしまった。

練習後は宿舎の食堂で、オレンジジュース3杯、ポーランド風スープ3杯をがぶ飲み。固形物は受け付けない気分。