2008年10月31日金曜日

iPod touch〜まだ大きさに慣れない

大人が日々スポーツをしようと思ったら、ときどき「物欲」でもってモチベーションを維持するのが手っ取り早い。新着ウェアやシューズを買ったり、ウォッチを新調したり、と、どんどんランニング関係グッズが増えていくわけである。
9月にバージョンアップとともにとびついたiPod touchも僕にとってはランニング用品の一つになっている。
最近はただ音楽を聴きながら走るのではなくて、走りながらなるべく多くの情報を耳から入れようと、Podcastを聞くことが多い。THE NORTH FACEのページから見つけたPlanet green Podcastとか、TBSラジオ「ストリーム」なんかがおすすめ。音楽を聴くのに比べて、つい耳に集中しちゃって交通事故に遭いやすいのでは?とか、自分の走り(フォームとかピッチとか)や路面の状況に注意がいかなくなるのでは?とか、心配な点もないではないが、ついPodcast(またはオーディオブック)を選択してしまう。
手持ちの音楽に飽きたらぜひどうぞ。
それから、例のNike+iPodだ。このシステム、1年以上前の発売以来「Nike」というだけで拒否反応を示してしまっていたのだが、touchにはもともと内蔵されているので、2000円ちょいでシューズに付けるセンサーだけ買えばよい、しかもNikeのシューズでなくても使えるらしい!、ということで試してみた。
これはシューズに付けた加速度センサーが足の動きを感知して走行距離や速度をiPodに転送するシステム。イヤフォンから今の走行スピードを音声で聞くこともできるところがGPSウオッチとは違うすぐれものである。
ちなみに対応Nikeシューズ以外にセンサーを取り付けるには、写真のような専用小袋が他メーカーから発売されている。専用シューズ以外を使うとセンサーの距離表示が多めに出るというウワサだったが、これはその通り。10kmを走るとだいたい10.6kmぐらいと出る。その分速度も速く出る。これが最大の欠点かな(あとはラップがとりにくいこととか、途中で音楽を切り替えにくいこととか、大きくてベストのポケットからはみ出しそうなこととか)。いちど400mトラックで補正をしてみたが、翌日には元に戻ってしまった。
ただ、日々の通勤ランの記録には十分で、数日ごとにまとめてGoogle Document上の練習日誌をつけるときには重宝する。
使っているイヤフォンはApple純正のものでもいいのだが、せっかく音質お気に入りのBOSEのインイヤーフォンにエクササイズ用のネックストラップ&ホルダーが無料で配布されていたので、これを手に入れて装着してみたら、引っ張られて耳から落ちることがなくなった。ので、これを愛用している。これで音質に不満がなくなった。カラーもtouchとブラック同士で相性がいいみたい。
こんなして小物に楽しみを見いだして、つい飽きそうになる通勤ランに少しでも彩りを添える工夫をしているのだ。



2008年10月30日木曜日

六甲トレイルラン






先週の生殖医学会(神戸)の「おたのしみ」の一つが、2日目早朝に計画した六甲のトレイルラン。
六甲山には有名な六甲全山縦走路というのがあって、西の須磨浦公園から東の宝塚までの53kmを一気に走る「全縦」は
店長ORAOのブログなどで紹介されて、遠く埼玉からあこがれているのである。
昨年の大阪世界陸上で大阪滞在中に、東の端の宝塚から大平山往復だけはすでに走行済みだったので、今回は新神戸に宿をとって、鵯越〜菊水山〜鍋蓋山〜再度山〜市ガ原〜新神戸、という約11kmのルートを選んだ。参考にしたのは山と渓谷社の「ヤマケイ関西BOOKS 六甲山」P.92と、この山行記録
5時過ぎの始発電車で新神戸から湊川公園乗り換えで鵯越駅に向かった。6時のスタート時点ではまだまだ暗い。ヘッドライトを点灯してスタートした。しばらくは大好きな「走れるトレイル」が続くが、菊水山への最後ののぼりは噂通り相当な急登。やっとのぼりきって振り返ると、神戸からポートアイランドまでの街並みが雲の向こうに見えた。ヘッドライトはここではずし、暑いためベストもアームウォーマーも脱ぐ。
学会の朝のセッションに間に合うためには先を急がねばならない。六甲全山縦走路の標示が常に明確なので、ほとんどルート選択に悩むことはなく、ひたすらすすむ。天王吊り橋を駆け抜け、再び鍋蓋山へののぼり。ここは軽く通過して、大竜寺方面の標示を探しながら東へ。アップダウンが適度に織り交ぜられる尾根道で多くの部分が走れ、快適だった。
大竜寺をすぎると舗装道路を市が原へ下りていく。沢を渡っていよいよ全山縦走路と分かれて新神戸へ下る途中で、木々の間からぽっと新神戸とホテルが見えた。新神戸駅というのは町中ではなくて本当に山際にあって、布引の滝方面へのハイキングコースの出発点になっている。8時に帰着したので、計2時間のトレイルだった。案外暑くて、汗だく。2本の計1000MLのミネラルウォーターを全部飲んでしまった。あとは朝食抜きで出発したので、キットカットを5つくらいを補給した。
大阪神戸方面出張の際には全山縦走の残りをつないで、いつかは一気に「全縦」を、というのが今の目標。ま、10年以内ぐらいにできればいいかな。

2008年10月29日水曜日

高橋尚子引退〜2003/11/16が暑くなかったら・・・

「尚子が引退表明」というスポーツ紙の大見出しにびっくりした。シドニー五輪の金メダルまではのぼりつづけ、その後は下がり続けた、という印象が拭えないので、なんとなくかわいそうな選手だったという気がしてしまうが、実際は何しろ金メダルをとって世界記録まで出したわけだから、功成り名遂げた大選手だ。
高橋選手の運命が明から暗に転じたのは、忘れもしない2003年11月16日の東京国際女子マラソンだと思う。
アテネで連覇を期待されていた高橋選手が満を持して臨んだ国内選考レース。前半を小気味よい高速ピッチで快調に2時間19分ペースでとばしたが、11月とは思えない陽気で25℃まで上昇した気温と強風にあおられて、30km前後から完全に失速。エチオピアのアレムに市ヶ谷の坂で抜き去られて2時間27分台でゴールしたレースだ。このとき優勝を逃したことと、タイムが平凡だったことがアテネ五輪の選考で大きくマイナスとなり、五輪代表を逃してしまう。
このときの東京国際女子マラソンは、実は、初の試みとして第25回を記念して男子も同時に走れる市民マラソンとして行われていて、僕も参加した。このときの暑さと風は実に走りにくく、ほとんどの選手が後半大きくペースダウン。疲労しきった後の後半の上り坂は実にきつく、僕もとにかく3時間20分をきって完走Tシャツをもらうことだけを目標に歩をすすめた記憶がある。給水不足などの運営面も問題視され、男子参加のの市民マラソンはこのとき1回の試みに終わってしまっている。
マラソンの大会ごとの条件の違いを補正してタイムを比較する試みをしている池上さんによれば、このときの高橋選手の補正タイムは、のちに条件の良い大阪で勝った坂本選手や名古屋の土佐選手を上回るともいえるものだったという。
このときは高橋が体をしぼりすぎてスタミナがなかった、という小出監督のコメントが大きく扱われ、高橋選手の調整ミスだったかのように言われたが、もしも、気温が20℃前後の例年通りの11月の気候であったら、あるいは快記録が出ていたのではないかと思う。少なくとも前半の快調な走りを見る限りでは。
そうすればアテネにも文句なく選ばれて、その後の人生も変わっていたのではないか・・・と残念に思う。

2008年10月28日火曜日

ついに現る、マラソンに熱中する産婦人科教授

先週の生殖医学会のランチョンセミナーでお聴きした柴原浩章先生(自治医大)のマラソン話には、「自分以外にもマラソンに熱を上げるまた産婦人科医が現れたか!」と感銘を受けた(このリンク先は恩師・堤 治先生のブログ)。ちなみに東大のM枝先生も「熱」度はかなり高いが、こっちは自転車との二刀流なので、ランニングへの思い入れは半分かな。
で、柴原先生とは埼玉と栃木ということで比較的近い本拠地で、しかも生殖内分泌という専門も近いので、研究会や学会のおりにもともとお顔は存じ上げていたから、久しぶりに拝見した姿の急激な痩せっぷりが衝撃的だった。何よりも最近は月間300km以上走っているということで、これはもう「ちょっと健康のためにジョギングを始めました」というレベルではないことがすぐわかる。「おっすげえ」と弁当をいただきながら会場でつぶやいた。もう走行距離は抜かれそうである。
で、先週末に初マラソンを走るんだ、と言うことだったので、さっそくいただいた名刺の通りにメールで結果をお問い合わせしたところ、昨日の午前中に熱い結果報告をいただいた。しばらく学会で病院をお休みしていて久しぶりに出勤した月曜午前のはずだからきっと大学での雑事山積みでお忙しいはずのところ、こんな長々とマラソン報告を書いていて大丈夫?と思ったが、これも熱心さの反映だと微笑ましく(生意気でしたね、「嬉しく」)思った。
果たして、今年の3月から一念発起してマラソンに熱中し始めた48歳の大学教授が月間300km走って臨んだ初マラソンはどうだったかというと(予想した「久米島」ではなくて「ユリカモメマラソンin武庫川」だったらしい)、後半大バテで3時間41分30秒だったとのこと。終盤の大バテは初マラソンのお約束みたいなものですからご心配なく、というところだが、それにしても前半を45分/10Kペースで入っていったのはなかなか。スピードランナーの片鱗を感じさせる。すでに10Kすぎからペースが落ち始めているのは、終盤の「歩き」を予感させるペース配分だが・・・。
次はさっそく11月の大田原マラソンとのこと。初マラソン前にすでに制限4時間のエリートレースにエントリーしているところなど志が高い。しかも初マラソンからわずか1ヶ月で・・・。この1ヶ月はあんまり無理しないで、疲労回復に努めた方がいいですよ、柴原先生。

2008年10月26日日曜日

毛呂山鎌北湖マラソン〜体調不良で自重

昨日の未明3時に、当直先で妊娠27週、切迫早産の緊急入院があった。これは母体搬送をした方がよさそうだぞ、と浦和近隣の2ヶ所の市立病院をあたったけれども、ダメだった。A病院の方は、「ぜひとりたいんですけれども、NICUがいっぱいで・・・」と申し訳なさそうな、その分誠意の伝わる断り方。一方、B病院の方は、こちらが「27週の妊婦で・・・」と言いかけただけで、「母体搬送ですか?Triplet(三つ子)がもうすぐ出そうなので無理ですね」と遮るように突き放された。「母体搬送のお願いです」と交換の人には言ったはずなのに、用件を言わずに電話を回したか?なにか後味の悪い断られ方。夜中のお願いなので偉そうなことは言えないが、断る電話の口調でこっちもホッとしたりへこんだりする。病院の品格にまで想像が及んでしまうものだから、注意、注意。
ところで、今回の東京の脳出血妊婦死亡事件で、盛んに搬送を「拒否」と新聞に書いてあるが、イヤな響きがする言葉。拒否、というのは、「北朝鮮が核の査察を拒否」とか「大学が警察官の立ち入りを拒否」とか(古い例えだなあ)とか「被害者側が調停を拒否」とか「民主党が国会の審議を拒否」とか、対立している二者の間で、決して「申し訳ない」という気持ちの介在無しに、おことわり申し上げるときに使う言葉でしょう。あれは、搬送受け入れを断念、もしくは搬送受け入れ困難、と書くのが正しいのであって、「拒否」ではまるで断られた病院が気の毒で、断った方が悪者みたいだ。
ちなみにあの事件は東京ならではの地域性があって、地方都市であれば、中核の周産期センターで救急のある病院が否応なしに受けざるをえない。これが東京だと、余所に「産科も、NICUも、救急も全部空いているところがあるんじゃないか?」となまじっか期待があるから、断る側も比較的抵抗無く断れてしまう。見合った末のポテンヒットというべきか。ウチしか引き受けてはないんだ、と猛烈にスライディングでとりに言った方が可能性はあったというわけだ。それでも脳出血だから、球をとれなかった可能性は高いと言わざるを得ないが・・・。

話がそれたが、その母体搬送騒ぎのせいで(実はおなかのはりがすぐ落ち着いちゃったので、搬送しないで朝まで様子を見ることにしたんだが)、すっかりおなかがすいて(夜中に働くとはらへるよね)、残っていた夕食を朝4時にかきこんですぐ寝たのがいけなかったみたい。
どうも胃がもたれるなあと思っていて、大学に戻って午前の外来後にもやしラーメンを食してからも、どうも消化が悪い感じが続く。
帰宅のランニングも胃の中が揺れる感じがして調子が悪く、結局、帰ってからぜ〜んぶ吐いて病の床に伏せってしまった。どうも僕は胃が弱点で、年に1〜2回こういうことがある。急性胃炎。今回もひたすらソロン(僕の大好きな胃薬)を2時間おきぐらいに飲んで、ほとぼりがさめるのを待った。
というわけで、(前置きが長すぎたが)今日の毛呂山鎌北湖マラソン10kmはハナからモチベーションが低く、朝ぎりぎりの8時まで寝ている始末。自分が誘ってエントリーさせた陸上部の学生が出るから、しょうがなく会場に行ったという感じ。ウォーミングアップ時もまだ微熱がある感じでとぼとぼと10分ぐらいJOGしただけ。これで無理矢理いつものペースで入ったら、箱根で倒れた順大の小野選手みたいになるかなあ、と想像し、スタートは隊列の後方からゆっくりスタート。
走り出すとまあまあ熱っぽい感じもなく(直前にソロンと一緒に飲んだロキソニンが効いたか?)、急な2kmから5kmののぼり(200m以上のぼる)でまわりの選手がぜいぜいはあはあ言っているのに自分が楽なのがなんだか愉快で、少しずつ追い抜いていき、折り返してからの猛烈な下りも、じわじわ先行のランナーをとらえて、順位を上げることができた。まあ、序盤楽ちんに入ったから、あたりまえか。
でもおかげですっかり気分はよくなった。下りの胃への衝撃が胃炎を治してくれたか?
42分30秒で112人中21位。2年前よりは3分悪いが、しょうがないでしょう。研修医1年目のM枝君や陸上部の学生たちには負けなかった。女子の1位にも負けなかったのはちょっとほっとした。ちなみにM枝君の彼女が1年前と替わっていてびっくりした。
食欲はまだない・・・。ビールも飲みたくない。

2008年10月20日月曜日

名栗湖棒ノ嶺ピークハントマラソン〜林道区間「のみ」快走



トレイルのレースは下りが苦手だからいけないんだと思っていたが、のぼりも得意でなかった。まあ、そんなことは富士登山競走ですでに証明されていたことではあったが。
では、去年の奥武蔵グリーンラインラン&ウォーク(フル)で3時間20分の(我ながら)好記録で優勝!できたのはなぜか?アップダウンの連続なのに。それが今回わかった。あれは舗装道路だったからなのだ。
いくら登りがきついといっても舗装道路なら一定のリズムで登っていける。ところがトレイルののぼりはそうはいかない。足場を求めて一歩一歩が異なった出し方をしなければならないし、傾斜もきついから走ろうとすれば心拍数も上がる。歩くとスピードが出ない。
今回のレースでも後半に林道区間があった。車の轍のある未舗装路(砂利部分が多かった)だったが、この区間に入るやいなや急に元気が出て、遠くに見えていた選手も含めて5人を抜く復調ぶりだった。
ところが再び最後のトレイル登り区間に入ると、いちど林道で軽く抜いた選手に抜き返される始末。
最後は心臓が口から飛び出しそうになるのを必死で飲み下してゴールした。
主催者のT山さんからは「登りばっかりなので難波さん向きですよ」と言われていたのだが、あっさり期待を裏切ってしまった。
しかも来年からはピークハント型ではなく、ぐるっと棒ノ嶺を含む山々を巡ってスタート地点に戻る周回型のコースになるとのこと。
ますます順位が悪くなりそうだ・・・。
(***林道がそんなに得意なら、OSJおんたけウルトラトレイルなら案外いけるかも・・・)