2011年12月31日土曜日

「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」〜クラシック三昧の年末にぴったり

平成20年に新潮選書から発刊されたこの本を、タイトルに惹かれて購入したのが2年前。以来ずっと「読むものがなくなったとき用に」毎週金曜日のみ勤務する病院のロッカーに入れていたが、なかなか食指が動かず、寝かせたままとなっていた。
それが、昨日の当直中に突然気になって手に取るや、今日にかけて一気に読んでしまった。これが実に面白かった。
著者の川口マーン恵美は大阪生まれだがドイツでピアノを学び現在もドイツ在住。ベルリン・フィルのかつての楽員たちが、フルトヴェングラーとその後継者となったカラヤンについて、きわめて率直に尊敬と愛憎を語っていく。
自分が音楽に没入し張りつめた緊張感をもって指揮台に上がったフルトヴェングラーは、やはりその精神性をもって楽団員の敬意を集めたようだ。一方、カラヤンに対する評価は様々である。過重な録音スケジュール、ビデオのアフレコ撮りの強要、本人の打ち解けにくさに辟易しつつも、音響美に対する飽くなき追求、完璧主義によりベルリン・フィルの全盛期を作り上げたことには楽団員も理解と誇りをもっているようだ。それだけに晩年のベルリン・フィルとカラヤンの不協和音は残念であった。
この著者は老年期にさしかかった楽団員達を気持ちよく語らせるのが実に上手である。女性ならではと思わざるをえない。また巧まざるユーモアを交えたり、他の楽団員のコメントを振り返りながら話をすすめたり、読者に対するサービス精神も旺盛だ。実に読みやすい。
フルトヴェングラーとカラヤン。対照的ではあるが、どちらの美点も臨場感たっぷりに語られるので、二人の演奏をいくらでも聴きたくなってしまう。というわけで、すでに2日で以下の6作品を聴いてしまった。
フルトヴェングラー:べートーヴェン第9交響曲、シューマン第4交響曲、ブルックナー第8交響曲、ワーグナー作品集
カラヤン:ベートーヴェン第9交響曲、マーラー第9交響曲
ちなみにフルトヴェングラーの演奏といえば思い出がある。大学生の頃、リクエスト番組で何とも重厚で悲劇的、心が揺さぶれられるような10分程度の管弦楽小品が流された。指揮がフルトヴェングラーで曲名は「タウリスのイフィゲニア序曲」と聞きとれた。この演奏が収録されているCDを探すこと15年、「フルトヴェングラー:ポピュラー管弦楽曲集1」にこの演奏を見つけ即購入。自らを奮い立たせたいときの愛聴曲となっている。
なぜ突然、積ん読状態だったこの本を読む気がおきたか不思議だが、第九などの重厚なドイツ音楽に聴き入りたくなる年末の雰囲気が、この書の題材にぴったりだったからなのだろう。

2011年12月30日金曜日

生島淳「箱根駅伝」~読むなら今!(あと2日)

幻冬舎新書にて11月末発売の「箱根駅伝」を、3日後に間に合わせるべく急遽読み切った。生島さんは以前より「駅伝がマラソンをダメにした」「監督と大学駅伝」の著書がある通り、とりわけ大学駅伝には造詣の深いスポーツジャーナリスト。内容は私のような年季の入ったコアな駅伝「オタク」(「関係者」というほどではないが、単なる「ファン」以上ではある)をも満足させるモノであった。
箱根駅伝の長い歴史を振り返るというよりは、5区重視の傾向変化、大学当局の駅伝支援体制、リクルーティングの様変わり、留学生問題など、ここ数年で浮かび上がってきた箱根駅伝をとりまく話題や問題点にかなり深く切り込んでいる。だから面白いのだが、3日後に迫ったレースの後では、たちまち色褪せてしまう部分もある。
僕が興味深く読んだのは、東洋大学・酒井俊幸監督のインタビュー部分。面識があってもそのプロフィールは知らなかったことだらけ。
あとは各大学を「校技系」「積極派」「留学生受入派」「期せずしてボーダーライン派」「大枠提示系伝統校」「踊り場系伝統校」「無関心/諦め系伝統校」に分類している項が面白い。例えば最もご近所の城西大は「ボーダーライン派」、次に近所で同期の奈良君が監督をしている大東大は「踊り場系」、かつての常連・慶応/筑波は「無関心/諦め系」というわけ。ユーモアを交えつつも的確。
読むならとにかくあと2日!

2011年12月29日木曜日

新田次郎「聖職の碑」〜33年後の邂逅

小学校の夏休みには、映画の割引券が配布されたものである。2年生のとき(昭和53年)に配られたのがこの「聖職の碑」であった。ずぶ濡れになりながら肩を寄せ合って暴風雨から身を守ろうとする少年達の姿が割引券にプリントされていたのを鮮明に記憶している。実は前年(昭和52年)には「八甲田山死の彷徨」の割引券をもらって父親と映画館に行き、冬山遭難のあまりのおそろしさにショックを受け、しばらく一人で夜トイレに行けなくなったものだ。そのトラウマもあって、またしても遭難モノである「聖職の碑」は見に行かなかったはずである。よくも当時、新田次郎原作の山岳遭難映画ばかり小学生へ推薦していたものだと思うが、深い意味はなく東宝がプロモーションのために配っていただけのかもしれない。
気になりつつも結局見ることのなかった「聖職の碑」だったが、自分が山を登ったり走ったりするようになって「剱岳・点の記」を初めとする新田次郎の著作に触れる機会が増えたことをきっかけに、このたび原作を手に取ることになった。
大正2年8月、中箕輪尋常高等小学校の生徒・教員ら37名が修学旅行として伊那駒ヶ岳に向かったが、山頂付近で大暴風雨に巻き込まれて11名の死者を出した事件が題材となっている。新田次郎らしく綿密な史実考証、聞き取り調査を行ったうえで、悲劇の全体像が克明に描かれる。些細な装備の違いであったり(冬ジャケツを持参していたか、袈裟を確保できたか)、下山路の選択の違いであったり、わずかな差異が生死を分かつところに運命の残酷さと山の厳しさを感じる。やはり3000m級の山岳は8月といえども低体温症→凍死のリスクを忘れてはいけないのだ。今年の夏に立山で3000mを経験したばかりなので、とりわけ実感が湧く。
また、自分を犠牲にしてでも一人でも多くの少年の命を守ろうとする教員達の姿も胸に迫るものがあり、「聖職」のタイトルを捧げた作者に共感できる。
さらに、こうした遭難事故においては、自然の驚異にさらされた極限状態におきるパニックを他者が後から想像・理解することの困難も浮かび上がる。
作者の創作によると思われる身分違いの恋の悲劇の描写も、小説の時代と地方性を実感させるのに大いに役立っており、心中の場面では不覚にも涙してしまった。
僕もゆくゆく必ずや駒ヶ岳に登って、遭難記念碑(慰霊碑でなくどうして記念碑かというのも第三章のテーマとなる)に手を合わせたいという気にさせられた一冊である。
講談社文庫はしばらく絶版になっていたようだが、本年(平成23年)6月に新装版として再発行されたから、現在は手に入りやすくなっている。

2011年12月28日水曜日

ノルエチステロン〜60年の歴史

ルナベル®やオーソM®に含まれるプロゲスチンであるノルエチステロンは、世界初のプロゲスチン(プロゲステロン合成製剤)である。最初に1951年に開発されてから60年が経過しているから、実に長い歴史をもつ薬剤だ。
開発された順に、第1世代(ノルエチステロン)、第2世代(レボノルゲストレル)、第3世代(デソゲストレル)のプロゲスチン、そのホルモン活性を比較してみる。
主作用であるプロゲスチン活性はノルエチステロンは、第2・3世代のものに比べて見劣りする。月経困難症や子宮内膜症に対する治療薬としてはプロゲスチン活性の高いものが有効であるとされているため、その点では不利である。
その反面、にきび・男性化症状などの副作用の要因となるアンドロゲン活性も低く、プロゲスチン活性とアンドロゲン活性の比率でいうと、第2世代と第3世代の中間に属する。
また、ノルエチステロンは代謝産物に一部がエストロゲンに転換されるという特徴があり、骨量低下が危惧される若年アスリートなどにとっては好ましい薬剤とも考えられる。骨密度が同年代女性比で70%程度にまで低下した長距離選手に対するホルモン療法としては、今後選択肢に入れていきたいと思う。
ノルエチステロンは半世紀以上の使用実績があるので、今後新たな副作用が出現する可能性は限りなく低いという利点もある。
以上まとめると、ノルエチステロン(またはこれを用いたOCであるルナベル®)は、きわだった特長も欠点もないが、長年用いられた安全性と(月経困難症に対する)有効性のデータが存在する点が強みといえるだろう。
(参考:「ノルエチステロン〜半世紀以上使われ続ける、その理由」NETシリーズvol.3 (株)メディカルレビュー社)

2011年12月27日火曜日

ルナベル®とヤーズ®の違い

以前の記事のコメント欄にルナベル®とヤーズ®の違いについて質問があった。
ルナベルもヤーズと同様に月経困難症に対して保険適応のあるOC(経口避妊薬)である。現時点では保険で処方できるOCはこの2種類しかない。ただしルナベルは使用されている黄体ホルモンがノルエチステロンといういわゆる第1世代プロゲスチンである点と、エチニルエストラジオール量が35μgとヤーズ(20μg)の1.75倍もある点が大きく異なる。
ルナベルは最初の保険適応OCとして2008年に発売された。ただし薬剤自体は従来から自費のOCとして処方されていたオーソMと変わらず、名称のみの変更がなされての発売だったわけだ。これは従来のOCと同様、「吐き気」「ムカムカする」「体重増加」「むくみ」などの副作用がどうしても一定頻度で起こる。印象としては3割程度の女性に起こるだろうか。もっとも、そうした副作用は際限なく続くわけではなく、飲み始めの1〜2周期に限られる場合が多いため、特段の問題なくこれまで処方されてきた。
一方のヤーズは昨年2010年の発売。含有するドロスピレノンという第4世代プロゲスチンのメリットとして「体重増加」「むくみ」の副作用頻度がほとんどなくなっている。さらにエチニルエストラジオールが少ない分、「気持ち悪さ」の頻度は圧倒的に少なくなっているようだ。僕自身が処方した中では、これまでに一人だけがムカムカ感の持続を訴えている。ただしヤーズには欠点もあって、内服中の少量不正出血の頻度はやや高いようであるし、血栓症リスクがやや高いのでは?という問題提起に対する決着もまだついていない。
肝心の排卵抑制作用、月経痛抑制作用については同等と考えられている。薬価も同一に設定された。
したがって、これまでルナベルを使用していて特段の問題がない女性にはそのまま継続していただいているし、上記の副作用軽減を希望する女性にはヤーズの内服をおすすめしている。
スポーツ選手、特に長距離ランナーは、軽量痩身のためか上記の副作用が出やすい傾向にあるようなので、ヤーズをお勧めすることにしている。国立スポーツ科学センターにも発売と同時にいち早く導入してもらっている。
ヤーズについては以前の記事(ヤーズの利点と注意点ヤーズの血栓症リスク)も参考にしていただきたい。

2011年12月20日火曜日

全日本実業団女子駅伝監督会議で月経状況のアンケート調査依頼

日本の実業団クラスの女子長距離ランナーの半数ないしはそれ以上が無月経ないしは稀発月経であると予想されている。これは正式な調査はないが、いくつかのチームの選手の話を聞いたり、日本代表チームの遠征に帯同してチェックをすると、だいたいそんなものである。
こうした選手の多くは現役引退後に、1年以内くらいにだいたい月経が再開しているようだし、その後に問題なく妊娠・出産に至っている選手も多い(と、数人の監督から話を聞いている)。
例えば、大学生の間はちゃんと月経があったが実業団入りして間もなく月経が止まった、という選手などは、10代後半のいわゆる思春期にしっかり卵巣機能を司る中枢の調節系が成熟して、それが20歳をすぎてから「冬眠」しているだけだから、引退後に運動量が減って体重が増加すれば、確かに卵巣機能は回復するだろう。
問題は、初経が中学であって、ほとんど規則的にならないうちにもう無月経となり、高校3年間もほとんど無月経ですごし、そのまま実業団入りしたような選手の場合である。こうなるとほとんど一度も月経が発来したことのない「原発性無月経」に近い。こうした選手は本来性機能が成熟すべき時期に全くそれがなされていないわけであるから、今さら20代後半になって現役引退したからといって簡単に排卵がおき、月経がくるようになるのか。ひょっとすると結婚後も無月経が続いて不妊治療を必要としたりしているのではないか。
こういう仮説から、引退後の元実業団女子長距離走選手を対象にアンケート調査をしようという発想が生まれた。
これを日本陸連医事委員会で承認してもらい、今回「引退後の女子長距離走選手の卵巣機能と妊孕性に関する調査」を計画したというわけだ。
日本陸連が「元選手」の名簿を持っているわけではないから、この調査には、現場の実業団チームの監督さんやマネージャーの方々の協力が欠かせない。各チームからそれぞれのOG向けにアンケートを発送してもらうわけだ。
というわけで、その調査をアピールする大チャンス、先日仙台で行われた全日本実業団女子駅伝前日の監督会議で10分程度の時間をいただいて、アンケート調査の主旨説明をしてきた。
なにしろその辺の体育学部の学生の修士論文研究ではなく、陸連お墨付きの調査研究だということを示さなければならない。緊張した。
幸い、第一生命・山下監督や大塚製薬・河野監督の強力な後押しも得られ、目的とするところは各チーム関係者に伝わったのではないだろうか。質問が出なかったのがむしろ心配だが。
調査期間は1月いっぱい。もし実業団OGでこの調査用紙が送られてきたらぜひ協力して欲しい。あるいは自分も調査対象のはずなのに調査用紙が来ないという場合には、ぜひ僕に問い合わせて欲しい。
世界各国には日本のような実業団長距離選手のような大きな選手プールはない。一部のエリートランナーだけが、スポーツメーカーなどをスポンサーに個人活動をしているだけであるから、その数も圧倒的に少ない。高校駅伝をめざす若年時期からからそのまま継続して長距離走を競技しつづけているというのも特異な環境である。
医学的にも「運動性無月経のその後」というのはわかっていないことが多い、興味あるテーマなのである。

2011年12月19日月曜日

医局忘年会〜アスコットタイで「おしゃれ」

医局忘年会。17時半に仕事を終え、実習中の5年生と毛呂から坂戸まで走り(久しぶりの「合同」練習でついとばして学生をノックアウト、45分)、自宅でさっと着替えて坂戸グランドホテルまで自転車にて参加。
さすがにスーツにネクタイでは堅苦しいかと思い、久しぶりのアスコットタイを着用。15年前なら「おじさんくさい」と言われたファッションだろうが、1周遅れで先頭に出たのか、見る人からはおしゃれ扱いしてもらえた。ただ、どうしてそんなにキメてるの?と訊かれても、走る格好以外は、これしか持ってないから、中間がないから、としか答えられず。
iPhone4Sに替えて、「自分撮り」が実にしやすくなった。というわけで、南7階の新人ナースと1枚。
今年は「忘れてはいけない」年だという教授の挨拶に共感した。

2011年12月16日金曜日

小川和紙マラソン〜またもや83分台の凡走

11月20日に坂戸市民チャリティマラソン5Kから始まった毎週のレースは、小江戸川越ハーフ、きやまロードレース10K、小川和紙ハーフまでの4連戦で終了。本当はその後、宮沢湖クロカン、サヨナラ年の瀬フル(航空公園)とエントリーだけなら6連戦だったのだが、さすがに大学病院の日曜当直をしないわけにはいかず、今週末の宮沢湖は欠場。
というわけで今回の小川和紙マラソン。前半アップダウンを繰り返しながらの登り、後半なだらかな下りというコースなので、前半我慢すれば後半自然にペースアップできるという案外走りやすい設定だ。実際2年前には冷雨の中、81分46秒で走れている。
今年は快晴に恵まれて暑いくらい。ランニングシャツに手袋は付けたがアームウォーマーは不要と判断。前半は登りを意識して我慢しながらじわじわと追い抜いていき、後半の下りは一転スピードアップでやはり追い抜きモード、とほぼイメージ通りにレースを進めることができた。ところがストップウォッチを見てびっくり。遅い!
ゴールが83分24秒で、ラップは19:30-20:45-19:32-19:32-4:07。10-15Kが失速といっていい落ち方だ。後半の下りも18分台の爆発的スピードアップできず。2年前より2分近く遅い不満な記録となってしまった。
これは加齢変化か?いや、ハセツネ以降の疲労蓄積かもしれない、あるいはスピード持続の練習をとりいれていないせいかもしれない、とまだまだ抵抗したいところ。

一方、埼玉医大陸上部1年の轟君はゲスト出場の大東文化大勢に伍して1時間10分で堂々の優勝。ハーフ用の練習をしていたわけではないのに才能の高さを見せてくれた。小川町の出身・在住だけに故郷に錦を飾った格好。お見事。

2011年12月3日土曜日

第65回福岡国際マラソン

日本陸連の医務監査にあたる仕事(NFRという)のため、夜になって福岡入りした。出場資格タイムが2時間50分にまで緩和され、大濠公園スタートのBグループが最初に設けられた2004年の第58回大会に出場して以来の福岡国際。あのときは終盤の強い風に悩まされ、多くのランナーが関門に阻まれる中、平和台競技場の入口を20秒差でかろうじて通過し、2時間52分台ながら完走を果たした。いい思い出になっている。また出場したいと思いながらも、この大会での完走率の低さが災いしたのか、出場資格タイムが手の届かないところまで上がってしまって未だに果たせないでいる。
プログラムを見たところ、知り合いのランナーがざっと15人ほど。4年に一度の五輪選考会を兼ねた大会だから、もしも優勝すればオリンピック出場だってありうるわけだ。市民競技者にもそういうチャンスがあるのは、マラソンくらいではなかろうか。頑張ってほしい。僕はおそらく競技場の医務室のテレビで観戦、となるだろう。

2011年11月28日月曜日

小江戸川越マラソン〜自重ペースだったのにいっぱい

昨年始まったこれも地元といっていい川越のレース。しかも蔵造りの街並みがコースの一部とあっては出ないわけにはいかない。昨年は同日開催のつくばマラソンの方をとったが、今年は満を持して川越のハーフへ。ところが1週間前から風邪気味。1日前にようやく喉の調子が最悪を脱し、出場可能な状態へ。前夜の大学当直、というスケジュールはまあお決まりのパターン。八高線〜高麗川乗換で西川越駅から会場に向かえば、30分程度で済み一番効率的なのだ。行きの電車では、手術室のI君と小児外科のO先生に出会い、マラソン談義。この病院でももっと走る人が増えると楽しいのだが。
 レースの方は、風邪明け、当直明けという事情もあって、自重したペースで。19:39-19:31と前半を刻んだが、中盤以降、細かな橋のアップダウンなどで徐々にきつくなり、10-15Kは19:47。これではフルのペース。これ以上は落とせない、と頑張って20Kまでは19:12。1時間18分の通過だったのでぎりぎり21分台が出るかと思いきや、ここからゴールまでが長い。競っていた選手を全部振り切ってしっかりスパートも決めてゴールしたのにラスト1.0975Kが4:37もかかっている。これは200mくらい距離設定が間違っているのでは?ちなみにガーミンでは総距離21.23kmとなっていた。
結果:1:22:47(1:22:42)(全体80位、40代男子21位)。入賞には遠く及ばず。近年のワーストに近いが、コンディション、距離の問題もあるのでうやむやにしておく。

2011年11月21日月曜日

坂戸市民チャリティマラソン〜後半失速

毎年出ている地元のレース。10Kの部が最長だが、あえて5Kに出場した。あわよくば年代別3位入賞も?という色気も。
結果は18分40秒の惨敗。40歳代男子の部で(54人中)7位。全体で(658人中)23位。余裕を持って入ったはずが、2K以降苦しくなるだけでずるずる失速。序盤に抜いた女子の1位にもあっさり終盤抜きかえされて抵抗できず。40歳代の3位は18分10秒程度で、昨年通りのタイムを出せれば入賞狙い目だったのに・・・。加齢退行とは思いたくないところ。うーむ。

2011年11月17日木曜日

高校駅伝応援サイトにワンポイントメディカルアドバイスが掲載される

いよいよ全国高校駅伝の時期が近づいてきた。今年は12月25日の開催。去年あたりから開催週が1〜2週間遅くなって年末に近づいているような気がするが、何か事情があったのだろうか?
以前小林高校から都大路を走った松本君が現役で東大入試を突破して陸上部に入部してきてくれたことがあったが、あまり全国大会の開催時期が遅いと、その後に受験する生徒にとってはきびしいのではないかと心配してしまう。
さて、高校駅伝応援サイトというのがあって(私も知らなかったが)、日本陸連の医事委員会のドクターたちがそれぞれのテーマに応じてメディカルワンポイントアドバイスを行っている。私も先日取材を受けて、今日掲載されたようだ。テーマは何と「イメージトレーニング」。全く専門でない領域なので、あわてて「ランナーのメンタルトレーニング」なる本を買い込んで読んでみたりしたが、結局は自分の経験と、陸連の遠征でご一緒した数名の高校の先生方からうかがった話を披露したにとどまった。学生時代の自分がビッグレースに弱かったことを思い出し、甘酸っぱい気持ちになる。
大したスペースでもなく、さほどの内容でもないから期待しないで見てほしい。

2011年11月5日土曜日

岩木山トレイルラン〜過密スケジュールの合間を縫って

 青森での臨床スポーツ医学会。土曜日に時間を捻出して、その美しい形状から「津軽富士」と呼ばれる岩木山でのトレランにチャレンジしてきた。
青森から弘前へは普通列車で約50分。そこから北東側の登山口にあたる大石神社までタクシーで約30分。登山ガイドには「岩木山の登山適期は10月まで」と書いてあり、11月には冬山装備がいるかと少々構えていたのだが、幸い全国的に暖かい週末で、青森の気温も最低6℃、最高16℃という感じ。動き出すとウインドブレーカー上下はすぐ暑くなるくらいだった。
写真の赤倉神社(標高380m)を経ていよいよトレイルに。行者小屋での左折れを標識を見落とし、30分ほど道迷い。作業用林道に出てしまった。早めに変だと気づいたおかげで、ロスは最小限で済んだ。


石仏が転々と並ぶ赤倉の参道を伯母石まで登るとそこがこのコース最大の難所だった。大きな石がゴツゴツと積み重なったような岩場を乗り越えていくと、ふと振り返ったときに絶景が広がった。十和田湖、八甲田から青森市方面から日本海まで。北海道までは惜しくも見えず。
さらに急登がいやというほど続いてやっと赤倉山。そこから再度岩場の急登でやっと岩木山頂上(1625m)へ。

もちろん眺めはすばらしいのだが、さすがに寒風が吹きすさび、あわててウインドブレーカーにネックウォーマー、ニット帽まで着用に及ぶ。


富士山に登ってもきれいな富士山は見えないのと同じで、岩木山に登ってしまうと、美しい津軽富士は見えない。ゴツゴツの岩だらけの頂上だった。
さて、そのまま頂上を通過して南西側の八合目駐車場を経て嶽温泉まで下る計画。写真ではリフト乗り場から八合目までが一望できる。ここもまずは岩場を慎重に下っていく必要がある。頂上のこちら側は、スカイライン経由で車で八合目まで来られるので、軽装のハイキング客もちらほら。
標高1250mの八合目レストハウスでトイレ休憩を挟み、嶽温泉まではほぼ走れるトレイルを一気に駆け下りていく。登ってきた赤倉コースとは対照的に、落ち葉が覆う樹林コース。紅葉も楽しめる。標高450mの嶽温泉まで約50分。いいリズムで走れた。
嶽温泉に着くと、1日数本の弘前駅行きバスがちょうど10分後に。
これに乗れなければ、夕方の座長のお役目までに学会に戻れないところだった。あぶない、あぶない。
温泉を楽しむ時間も、紅葉に包まれた弘前城を散策する時間もとれなかったのは残念だったが、何とか今回の学会遠征における目的を果たすことができた。よかった。
計5時間30分。14km。高度上昇値1400m。

2011年11月4日金曜日

スポーツ栄養士認定講習会

陸連トレーナー講習会、スポーツ栄養士講習会・・・。こうしたパラメディカルの講習会に「女性医学」の話をしに呼ばれることがときどきある。
今回は何と2時間。スポーツ婦人科に関わるほとんど話題を紹介することができる。といっても実際に焦点を置いたのは3項目。「無月経」「月経関連症状への対策」そして「性別検査」だ。
アスリートの無月経は、エネルギー摂取の余裕度が少ないことが原因だという考え方(low energy availability仮説)を紹介し、いよいよスポーツ栄養士の出番だ、とハッパをかけてみる。受講生は発奮してくれたであろうか。
月経関連症状のところでは、結果的にピル(OC)の使い方を紹介することになる。ヤーズ®が発売されて以降、長距離走選手などの痩せ型・小型のアスリートにも積極的にOCを出せるようになった、というような話をする。
性別検査の項では、そろそろ古くなってきた話題だが、セメンヤ選手の話をする。まだ受講生は興味深そうに聴いてくれる。この話題、あと何年もつか。
休憩時間に質問してくる受講生は、年配の方も多い。すでに高校やアマチュアのチームの面倒を見ている方も含まれるようだ。
スポーツ栄養士というとやはり女性が多いわけで、実業団駅伝チームなどでは唯一の女性スタッフとなることもある。単に栄養管理にとどまらず、女性アスリートの健康管理を幅広く支える人材となっていってほしいと思う。

2011年10月23日日曜日

なるほどこれがハセツネか

 「ハセツネには出ないんですか?」と訊かれても「夜走るのがイヤだ」とか「脚にダメージを負ったらマラソンシーズンに響く」などと理由をつけて、いちどもエントリーしていなかった日本山岳耐久レース。実は興味がないふりして、本当は一番気になる存在だった。これまでの雑誌のハセツネ特集は全部熟読したし、昨年まではレース当日の関門・ゴール速報を何度もクリックして、ひとり夜の奥多摩に思いを馳せていた。
さて今年、ハリ天さんからの誘いで5月に出場を決意。急遽、距離への不安解消と夜間走行の体験を目的に7月のおんたけウルトラトレイル100Kにもチャレンジして(まあなかなかたいへんだったが)完走。三度のコース試走を経て、まあハセツネ初挑戦なりに準備は整えた。

で、まず結果から。
11時間54分53秒の199位。大目標の11時間には遠く及ばず。
でももう一つの目標であった「上位10%以内」すなわち200位切りは達成。ギリギリなのがたまらない。途中の関門は250〜60位台だったはずだから、終盤頑張れた。
細かいレポートは後ほど(来年以降に役立つ記録になるからね)。


2011年10月11日火曜日

ハセツネ試走第3弾〜鞘口峠からゴールまで

 今週は夏休み。その1日目はハリ天狗さんにご指導をお願いしてのハセツネ後半の試走。37.5K地点の鞘口峠から71.5Kの五日市会館ゴールまでだから、34kmの長丁場だ。
五日市から都民の森までのバスの中から、豊富なハセツネ経験を有するハリ天さんからいろいろノウハウを聞く。贅沢な個人指導。
さて、鞘口峠から月夜見第2駐車場までの第2区間の残りは大したことがないかと思ったら、けっこうな細かいアップダウン。道も細く入り組んでいて走りにくい。月夜見から御前山までも、下りは滑りそうだし、登りはひたすら長く、かなりきつい。5月のOTK64Kで通った長沢背陵を思わせる「荒廃感」だ。「偽ピーク」と言われる惣岳山を過ぎ、御前山を越えるとほっとする。
大ダワの先からは一昨日一人で試走したコースに合流。大岳山の上り下り以外は走れる区間が続く。
大岳山の岩場もきついと思っていたが、むしろ急すぎるために走りあるいは早歩きで登ることができない。だから御前山よりはむしろ楽。下りも「攻める」のは危険なため、そのため心拍数は120台まで低下するから、休息になる。
大岳山を越えてからむしろ元気になってきた。
一昨日迷ったロックガーデンへの降り口や、御岳の旅館街を抜ける道も、一度わかってしまえば難なく通過。
 金比羅尾根はついハリ天さんの存在を意識してしまって自然とビルドアップとなった。最後の方はキロ5分前半の感じ。レース当日も、60km以上苦しんだ後で、これだけリズム良く走れれば言うことないのだが。

装備や携行食の点では、
・ヘッドライトをおなかにベルトで装着したら「首」が振れてしまってダメだった。ザックに直接取り付けるなり工夫が必要
・マヨネーズ入りのパンは元気が出る
・最初の試走のときのミルクティーもよかったが、今日のカルピスウォーターも乳製品系でとてもよい
・御岳の湧水給水も確認できた
・シューズは多少重くとも厚手で反発感もあるゲルトラブーコの新品でいくのがよさそう
など、だいぶ臨戦態勢が整いつつある感じ。

2011年10月9日日曜日

ハセツネ試走第2弾〜奥多摩駅から五日市まで

 今日は奥多摩駅から南下。鋸尾根から鋸山を越えて大ダワの先からハセツネコースに入り、ゴールまでの区間を試走。ハセツネコースで言うと、50km地点から71.5kmまでということになる。
まず、青梅線の電車が満員すし詰めであることに驚く。ほとんどが山へ出かける人。女性も多い。快晴の秋の3連休だからだが、こんなに多いとは。しかもその過半数が奥多摩駅から鴨沢方面のバス乗り場へ向かっていた。
 さて、試走は比較的快調にすすみ、大岳山までの区間、大岳山の急斜面を降りてから御岳山までの区間とほぼ走れる。後半に余力を残しているのといないのでは大きな差がつきそうだ。
公認マップを片手に進んだが、それでも迷ったのがこの4ヶ所。
①芥場峠から左に逸れてロックガーデンへ降りていくところ
②ロックガーデンの水場手前
③御岳の旅館街を抜けるところ
④日の出山を下りてから金比羅尾根へ入るまで
長い金比羅尾根を抜けて五日市の街並みが眼下に見えたときには、ほっとした。
町中に入ると、突然映像で見覚えのある五日市会館が現れびっくり。ここがゴールか。
明後日が最終試走の予定。

2011年10月7日金曜日

臨床スポーツ医学会は出番3つも〜青森で遊んでいられない

11月5日(土)〜11月7日(月)に青森市で行われる臨床スポーツ医学会。ここ2年ほど演題を出すのをさぼっていたので、反省して今回は女子長距離ランナーの骨粗鬆症に対するホルモン補充療法の意義」として一般演題を提出した。そしたら、急に「女性アスリートに対するメディカルサポート」というシンポジウムの発表者に指名していただき、最後にはポスター発表の女性アスリートのセッションの座長をせよと電話をいただいた。
この学会、当然ながら産婦人科の関与する部分はごく僅か(5%以下)なので、「半月板損傷」だとか「成長期スポーツ障害」などの大半の演題には(申し訳ないことながら)興味がなく、学会場から失礼させていただくわけである。せいぜい、日本体育協会のスポーツ認定医の更新に必要な講習を受けるくらいが(自分の演題以外の)dutyかと考えていたところ、3つも出番を与えられてしまった。
でも土曜日に時間があったら岩木山を走りたいなあ。「山と高原地図 八甲田・岩木山」はもう入手してしまったぞ。

2011年10月3日月曜日

新「名医」の最新治療

「新「名医」の最新治療」2009・2010・2011を3冊集めて、週刊朝日MOOKというやたらと重く大きい辞書みたいな本に合わせただけである。
必然的に2010に掲載された私の部分もそのまま載っている。「スポーツ障害」の項に「ランナー医師」としてペース配分のことや練習のメリハリについて語っただけ。番外編みたいな扱いだ。でも後ろの索引にもちゃんと載せてくれている。
埼玉医大から掲載されているのは6人の著名な教授達だけなのに。申し訳ないことである。

2011年10月2日日曜日

ハセツネ試走第1弾〜浅間峠から鞘口峠まで

 初めてのハセツネ。もちろん試走するのも初めて。むさしのさんから「第1チェックポイント〜第3チェックポイントの試走が特に重要」と教えてもらい、昨日はまず第1チェックポイントの浅間峠から第2手前の鞘口峠までを試走した。
上川乗のバス停を9時02分に出発。16.2K 3時間33分で、都民の森バス停着が12時50分発にちょうど間に合う時間。ロスなく抜群のタイミングだった。なお、高度上昇が1496m。平均心拍数が136、というのがお供したGarmin君の示すデータである。
 で、率直な感想は、思っていたよりも走りやすい。三頭山への登りも、恐れていたほどきつくはない。これなら5月のOTK 64Kの方がアップダウンはきついのでは?まあ、全コースを試走したわけではないので早合点は禁物。
来週には、都民の森以降の試走も計画中。
ちなみに今日のスタイルは、ノースリーブシャツ(asics)にアームガード(2XU)、ショート丈パンツ(asics)、カーフガード(CEP)、スマートウールのトレランソックスにゲルトレイルアタック6。当直明けでそのまま全荷物をmacpacのアンプレース25に詰め込んで走ったので、本番ではもう少し背中が軽くなる予定。ドリンクは1.4㍑のレモンウォーターは半分しか消費せず、500mlミルクティーは案外おいしくて全部飲み干した。このあたりも本番装備の参考になりそう。
バックのチェストベルトに公式コースマップを挟み込んで走るのが、僕のオリジナルスタイル(写真参照)。

2011年10月1日土曜日

高校生女子長距離ランナーの親の悩み

先日、高校生ランナーを娘に持つ父親から相談のメールがあった。

高校生の娘のことでご相談があります。娘は小学校から陸上長距離をやっております。現在は強豪高校で毎日練習に励んでおります。
高校入学してまもなく間違った知識から食事を制限してしまい体重が45㎏から37㎏へ減少してしまいました。生理も止まってしまいました。競技能力も落ちました。
それから1年、食生活に注意し練習や競技を続けてきました。現在では体重も戻り44kgです。ただ、いまだに生理が来ていません。
娘はこれからも競技を続けていきたいのです。生理のことや骨密度のことなど心配になっています。このまま競技を続けて問題ないでしょうか?



(以下、私の返答)
女子駅伝強豪高校でよくみられる問題点ですね。息長く競技生活を続けていくためには、お気づきの通り、無月経・骨密度低下状態ではなかなか難しいです。
特に高校から無月経となるような過剰な練習、体重制限などをしてしまうと、卒業後になかなか伸びないというのが実情のようです。
幸いお嬢さんの場合には、体重が回復したとのことですから、あとは適切なホルモン療法を行いつつ練習量・食事を管理していけば、最悪の状態からは脱することができるのではないかと予想いたします。
体重回復とともにタイムが低下してしまってはいないでしょうか?かえってご本人がストレスを感じていないかというのがもっとも気になります。指導の先生からの「体重を増やしたこと」に対する評価はどうでしょうか。

ご指導いただいている先生から、食事の大切さや体重を増加させるようにご指導いただき、本人の認識がかわり体重が戻りました。
体重が増え始めると同時にタイムのほうもだんだん速くなっていき、今では自己ベストを出すまでになっています。
今までは辛そうでしたが、今ではストレスもないように思います。



体重が増えるとの共に自己ベスト更新とは非常にいい流れですね。
理解のある指導者でよかったと思います。


本人の身長や骨密度、ホルモン検査値などがわからないので、具体的な治療に踏み込んだアドバイスはできていないが、体重や栄養摂取の重要性を理解して、その結果競技成績も上がっているとのことで、無月経が続いているにしてもさほど「重症」ではないなという印象である。月経が来ているかどうかはもちろんわかりやすい指標ではあるが、この状態ならば排卵の回復まではあと一歩である。この選手ならばきっと大学や実業団にすすんでも伸び続けていける。応援したいと思う。

2011年9月30日金曜日

ポーランド・ファン

昨日の産科外来においでになった妊婦さんに付いてきた夫がポーランド人で、ポーランド・ファンを自認する私としては、妊婦さんそっちのけでその夫とポーランドの話題でお話ばっかりしていた。
というのも、2008年の世界ジュニア陸上日本チーム帯同と2010年の世界クロスカントリー日本チーム帯同で、2回もポーランド・ビドゴシチに滞在したから。乗換でワルシャワ1泊中には新旧市街を走り回って観光したし、「予習」とばかりにワイダ映画も「地下水道」「カティンの森」「大理石の男」「鉄の男」と見まくった。キシェロフスキ「ふたりのベロニカ」も見てついでにプライスナーの音楽にもはまり、「灰とダイアモンド」「パン・タデウシュ」も読み、ポーランド語の教本とCDまで買ってしまった。これだけやれば「ファン」と言ってもいいでしょう?
飛行機事故で亡くなったカチンスキ大統領の葬儀の様子をポーランド国営放送のインターネットラジオ実況で聴いていたくらいですから。
次の機会にはクラクフ、オシフェンチム(アウシュビッツ)に行きたいなあ。

ポーランド人の夫とは、「地下水道」でヴィスワ川の向こうにソ連軍が終結しているのをレジスタンスが格子越しに絶望的な面持ちで眺めるシーンの話で盛り上がりましたぞ。

2011年9月29日木曜日

月経痛のアスリートに対する処方

20歳の月経困難症の(いわゆる「生理痛がひどい」)水泳選手。月経2日前から腹痛が始まり、月経2日目までは調子ががくんと落ちるという。月経にあたったレース直後には痛みがひどくてしばらく倒れていたという。これでは予選・決勝、あるいはリレーと1日にレースを何本もこなすことはとうてい難しいだろう。
以前は月経痛の患者に対する最初の治療はまず「鎮痛薬をどんどん、もしくは適切に使うこと」であった。ロキソニン、ボルタレン(経口)、ボルタレン(座薬)などを症状のひどい数日間に集中投下するわけである。
ただ、最近の婦人科外来における月経困難症治療の第一選択肢はOC(低用量ピル)にとって替わったと言っていいだろう。もはやOCの処方目的の頻度トップは避妊ではなく、月経随伴症状(月経痛、過多月経、月経前症候群など)のコントロールになってきている。海外では(もともとOCの普及率が生殖年齢女性の30%とか50%とかいう国もあるわけで)OCを用いている選手も多いようだ(外国チームに在籍する選手からの情報)。単に周期的に内服するだけでなく、月経(OC内服中は正確には消退出血)時期をコントロールすることも可能であるため、コンディショニングの一環としてOCを常用することも可能なわけである。
さて、件の水泳選手にはヤーズ®を勧めた。月経痛の程度はよくて半分以下、悪くても2、3割はよくなるよ、と説明することにしている。
20歳そこそこでOCを服用することに抵抗を感じる向きもあろうが、特に心配はない。よく訊かれる質問だが、将来の妊孕性に影響するとは考えられない。中止すればただちに排卵は再開する。
幸い、水泳はこの時期、OFFから徐々に基礎鍛錬期に移行する時期。差し迫った重要レースがあるわけではないので、五輪イヤーを控えて新しい薬を試してみるにはうってつけの時期である。

2011年9月28日水曜日

ヤーズ®の利点と注意点

昨年11月に発売された低用量ピル(OC)「ヤーズ®」は、①(多くの副作用の原因となる)エチニルエストラジオールの含有量が20マイクログラムと従来のOCに比べて2/3程度になっている、②ドロスピレノンというプロゲスチンが軽度の利尿作用を有する、という2つの特長がある。それにより、気持ち悪さ、体の重い感じ、むくみ、体重増加、といった副作用が軽減され、特に
女性アスリートには適しているのではないかと考え、この1年間、国立スポーツ科学センター(JISS)クリニックや大学病院などで、アスリートを含む10人以上の患者に処方してきた。
確かにそういう副作用が少ないという利点は明らかである。これまでアスリートに採用してきたマーベロン®と比較しても明らかに「服用しやすい」OCであるという印象。マーベロン®も優れたOCだったが、それでも気持ち悪さを訴える患者はあった。それがヤーズ®に切り替えるとそのような症状から解放されたという。
また特に長距離ランナーは(体重が軽いせいか)そのような副作用を強く訴える傾向にあるため、よほどのことがない限り、(ホルモン補充療法は行っても)OCの処方は行わないという方針でいた。しかしヤーズ®を月経前症候群の実業団選手、重度の骨粗鬆症を有する実業団選手に内服してもらったが、ほとんど副作用を訴えることがなかった。これは「使える!」という印象である。今後は長距離ランナーの月経時期調節にも応用していけそうである。
ただしヤーズ®にも欠点がある。それは不正出血の頻度がやや高いことである。特に飲み始めの数周期、なるべく決まった時間に定期的に内服しないと、少量ではあるが出血が起こりやすいようだ。ただアスリートにとって練習、試合でのパフォーマンスに影響が出るほどの出血量ではないので、そのまま服用を続けてもらううちに徐々に出血は少なくなることがほとんどである。

2011年9月24日土曜日

AERAにちょこっとだけ登場〜あまりにも普通なコメント


少し前のAERAだが、特集「ランニングで変わる人生」の中に以前の取材が使われている。書き写すと、

エストロゲンの減少により骨量は減少するが、honeの健康にもランニングは有効だ。埼玉医科大学産科婦人科学講師の難波聡さんが話す。「運動で適度な負荷を与えることは、骨の健康にいい。さらに日の光を浴びると体内でビタミンDが合成され、カルシウムの吸収がよくなる。日焼けしない程度に、屋外で定期的に運動するといいでしょう」

これだけである。どこの保健師でも言っていそうなことなのに、何でわざわざこの程度のコメントを「埼玉医科大学産科婦人科学講師」に求めたんだろう。

2011年9月12日月曜日

熊本空港の待ち時間に俵山トレイルラン

 競歩が終わって午前の競技を観戦したら、もうそわそわ。
18時の飛行機の前に何とか阿蘇の山を走りたかったのだ。
山と高原地図を穴のあくほど見て、空港に着いてからの5時間ほどで行けるのは、空港の北東8kmほどのところにある俵山だけだと判断。
空港で着替えてタクシーで俵山峠展望所(標高700m)へ。ここから俵山頂上(標高1095m)へ一気に30分ちょっとで駆け上がる。
眺めは雄大そのもの。阿蘇内輪の方角も、有明海の方角も広く見渡せる。阿蘇は標高のわりに立木が少なく、ススキの野原が広がる平原や牧場が多いから見通しはとてもよい。
ここから林道と牧場内の道路を駆け下りて俵山交流館(標高280m)まで。
計11km、82分のトレイルだった。ちょうど空港行きのバス(1日4便)にも間に合い(間に合っていなかったらどうなっていたんだろうか、あと7km車道を走らなければならなかった?)、ちょうど飛行機にはセーフ。

2011年9月11日日曜日

日本インカレ女子10000m競歩結果


埼玉医大初の日本インカレ選手、岡部文子が3日目の最初の競技、女子10000m競歩に臨んだ。
この日の熊本は朝から強い日差し。トラック上ではあっという間に30℃を越えた。我々(岡部の指導を再開してくれている熊谷女子高の日下部先生と私)も日差しを避けて最上段で9時の競技開始を待った。

岡部は序盤から積極的な歩きで5位集団をリード。中盤は8位集団から一人抜け出して、7000mまでに9位の国士舘の選手を引き離して8位を固めたかと思いきや・・・。
ここで靴紐がほどけて結ぶために立ち止まったのが痛かった。国士舘の選手が息を吹き返し、一か八かのスパートで追ってくる状況。
それでもラスト1周の鐘が鳴ったときには、20m近くの差があったのだが・・・。
岡部もいっぱいいっぱいだった。私も国士舘が迫ってきていることを大声で伝えたつもりだったが、本人が「気づかなかった」と言っているので、責任を感じざるをえない。
結局最後の直線で逆転され、わずか5m差で9位。目標としていた入賞を目の前で逃してしまった。
ただ、2年の浪人のブランクの後、わずか半年で全国大会の入賞を争うレベルまで復活してくれたことは、よく考えたら驚異的。出来すぎとも言える。冬から鍛えてきた他の大学の選手だって負けていられないだろう。最後に急造のスタミナが切れた。
今回の悔しい思いを次の全国大会、関東インカレにぶつけてほしい。

というわけで初出場、初入賞はかなわなかったが、大健闘であった。




2011年9月9日金曜日

明日から日本インカレ(熊本)へ

埼玉医大から初のインカレ選手として岡部文子が11日(日曜日)9時の女子10000m競歩に出場する。
何しろ埼玉医大に学連登録を行う選手が出てきたのも今年が初めて。関東インカレをすっとばしてまず日本インカレが学連試合のデビュー戦というのも普通でないが、元々の能力が高いのでそれもありだろう。指導を続けてくださっている熊谷女子高の日下部先生には感謝。10000mは事実上初レースだが、8位入賞めざして頑張ってほしい。
それで陸上部の「監督」である私も、明日から熊本へ。監督として学連初試合。筑波の向井先生は新幹線で熊本入りしたようだが、私は普通に飛行機で行く予定。旧知の監督さんたちと会うのも楽しみ。
昨日の1日目の結果を見ると、男子400mの廣瀬選手(慶大)や女子10000mの吉本選手(仏教大)など、8月のユニバや世界選手権代表だった選手が、実力通り走れば軽く優勝と思われるのに力を出せていないのが目につく。疲労か、燃え尽きか。
また例年国立競技場で行われていたインカレが熊本開催となった影響か、関東の大学よりも関西以西の大学が元気なようだ。 暑いのか、長距離種目のタイムが伸びていない。

空いた時間を見つけて何とか阿蘇の山へも走りに行きたいところ。

2011年8月20日土曜日

大高取山〜鼻曲山〜一本杉トレイル

いよいよ2ヶ月後のハセツネへ向けて、週末はなるべくトレイルを走ることにしようと思う。幸い今日からは涼しくなったので、里山でも暑すぎないだろうというわけで、一番手近な越生へやってきた。
 イエローに一目惚れして購入した新しいゲルトラブーコも試したい(ハセツネ本番はこれのつもり)。
 越生駅からは寺の左奥から直接、虚空蔵尊の方へ行きたかったのだが、何度チャレンジしても道がわからない(これで3度目の断念)。やむをえずいつも通り越生神社の先を左に入って大高取山経由で桂木観音へ向かった。これが一番のホームコースかな。
暑くないのはよかったが、やたらと蜘蛛の巣にひっかかる。べたべた。

 桂木峠から一本杉の間はめったに人に会うことのないトレイル。途中、崩落箇所なのか「工事現場」のようにハイキングコースが中断されているところがあり、異様。
雨上がりで何度も滑ったが、なんとか尻餅をつくことはなく無事帰還。まだペースも距離も不十分だが、これから2ヶ月かけて徐々に。



9:01越生駅 9:41幕岩 9:47大高取山 9:55桂木観音 10:04 桂木峠 10:18「工事現場」 10:27鼻曲山 10:43一本杉 10:58獅子ヶ滝 11:25東毛呂駅 

2011年7月7日木曜日

アジア選手権医務員

朝、当直明けで神戸に到着。1日目の仕事は選手村のホテルでの医務員だった。幸い大きなトラブルも重症患者もなく終了。
せっかくアジア選手権に来ているのに、ホテルではBS-TBSがうつらず、競技の模様は見ることができない。残念である。外国のチームからも要請・苦情が来ているのではないか?
ホテルのテレビはケーブルTVで配信しているのだろうから期間限定でも視聴可能にすることは技術的には可能だったのでは?。そもそもBSでしか配信できないところが、陸上競技の注目度の限界を示している。世界陸上を大々的に放映してくれるTBSとしても、アジア陸上は陸連に依頼されてしょうがなくBS枠を空けた、というところかと邪推してしまう。
明日はサブトラックで医務員。

2011年6月8日水曜日

国際陸連、「女子」選手の資格基準導入

昨日も少し触れたが、この4月に国際陸上競技連盟(International Association of Athletics Federations、IAAF)は、女子中距離のキャスター・セメンヤ(Caster Semenya、南アフリカ)選手の性別疑惑を発端とする騒動を受け、女子選手の新しい資格規定を5月1日から導入すると発表した。Hyperandrogenism(高アンドロゲン状態)の女子選手に対する規定を採用するのはまだ他競技には例がなく、IAAFが初めてらしい。

セメンヤ選手は、第12回世界陸上ベルリン大会の女子800メートルで優勝した後に実施された性別検査の結果が漏れ、「両性具有」であったと報道されている。約1年後の2010年7月、セメンヤは女子選手として競技することが認められ、復帰した。
IAAFの作業部会と国際オリンピック委員会(International Olympic Committee、IOC)の医療委員会によって18ヶ月間に渡って精査された新規定は、5月1日から導入された。

この新規定は以下のように要約される。

①男女の競技能力の差は主にアンドロゲン値の差に由来するので、陸上競技は今後とも男子競技と女子競技に分けて行われる。

②法的に女性と認められている高アンドロゲン女性は、血清アンドロゲン濃度が男性レベルよりも低いか、あるいは血清アンドロゲン濃度が男性レベルと同等であってもアンドロゲン抵抗性で高アンドロゲンによる競技力優位性がなければ、女性競技に参加できる。

③IAAFはすでにExpert Medical Panelを設置しており、疑義のあった競技者について検討し参加資格についての意見をもらうこととしている。

④3段階の検査プロセスが設定され、すべてのデータがExpert Medical Panelに届けられる。

⑤すべての検査プロセスは秘密裏に行われ、Expert Medical Panelに対しても競技者は匿名とする。

⑥規則に適合しない、もしくは資格認定プロセスを拒否する女性競技者は女性競技に参加できない。

①はまあ誰も異存がないであろう。
②は従来の考え方を追認しているとしてよい。すなわちアンドロゲン不応症の完全型であれば、何の問題もなく女性競技に参加可能。不全型であれば(セメンヤ選手もこれであった可能性が高い)、高アンドロゲンによるメリットをどれくらい享受しているかによって判定されるということである。少なくとも性腺除去手術が条件として課されるのではないだろうか。
④この検査プロセスというのが今回の発表の目玉であろう。詳細は省くが、その3段階目として世界6箇所にIAAFが認定した専門機関において遺伝学的検査を含む詳細な検査が施行され、最終診断と治療法の提案までがなされることになる。
⑤はセメンヤ騒動の反省から、匿名性を強く宣言したものと思われる。
⑥により、これらの規定がドーピング規定と同様に出場停止を含んだ罰則付きの規定となったことがわかる。従来は判定結果はIAAFの医事委員会から本人への勧告あるいは医学的アドバイスのレベルにとどまっていたが、これで強制力をもったものとなったわけだ。

IAAFは同時に、男性から女性への性別適合手術を受けた選手の資格についても検討を重ねていたことを発表しているが、その内容は昨日書いたとおり。

2011年6月7日火曜日

GID学会に参加しての所感~スポーツとジェンダーの話まで

GIDというのは「性同一性障害」のこと。埼玉医大は日本で最初に性別適合手術を手がけたことで有名だが、主導した形成外科の教授の退任に伴ってすっかりGID診療は下火になってしまっている。もっとも埼玉医大かわごえクリニックでGIDの専門外来は現在も続いているから完全に手をひいたわけではない。当初からうちの産婦人科の主任教授が関与している縁で、今回、年に一度の研究会に参加してきた。
場所は大崎ゲートシティという大崎駅からつながった新しいビルで交通至便。患者(この学会特有の言い方で「当事者」という)がこれだけたくさん(参加者の半分近く)参加する学会というのも珍しいだろう。

そもそもGIDは病気なのか、病気だとすれば精神疾患なのか身体疾患なのかというテーマが議論の端々に登場する。
たとえば「ダウン症は病気ではない。個性の一部だ」とおっしゃる小児科医もいて、言いたいことはもちろんわかるが、やはり無理がある。ダウン症は染色体異常である、という理解をしたうえで、その患者への対応を議論すればいいのである。
GIDという「病態」が脳の特性に由来することは自明だから、あえて分類するなら身体疾患ではなく精神疾患の方だろう。当事者の中には「私は頭がおかしいわけではない。私からすれば身体の方が間違っているのだから、これは身体疾患だ」とおっしゃる方もいるようだが、「精神疾患」と対して偏見を持っているといわざるを得ない。被差別者が異なる差別・偏見を有していると批判されてしまう。そもそも精神疾患か身体疾患かの分類にさほどの意味があるとは思われない。精神医学的アプローチが問題解決により有効であるものを精神疾患としておけばいいのであり、その境界はときにファジーである。GIDについては、DSD(性分化異常症)の一形態とするのが妥当か。
ただ、GIDをとりあげたドラマなどの影響もあってか、一般の人の間にも「GIDは病気ではない。個性の一部だ」という「脱病理化言説」が広まっているという。この学会でも一方では性別適合手術やホルモン療法に対する保険適応の導入が真剣に議論されているのだが、病気でないのなら健康保険の適応など不要だと片づけられてしまう恐れがあるわけだ。もちろん極端に偏ることなく、GIDの当事者が適切な医療サポートを受けられるのが一番いいわけだが、健康保険の適応かとなると、医療費総体とのバランスも考慮せねばならず、難しい面も多い。

私がもっとも関心があるのは、スポーツにおけるジェンダーとGIDの問題である。たとえばIAAF(世界陸連)やIOC(国際オリンピック委員会)の考え方では、MTF(もともと身体的男性)は、性別適合手術が済んで所定の年月(2年が一般的か)が経過して当該国の法律でも性別変更が認められていれば、女性として競技参加可能となる。一方、FTM(もともと身体的女性)の場合は話が難しい。同様の条件を課しても、「男性性」を維持するために男性ホルモンの注射投与を連日のように行っている場合が多いので、ドーピング違反に問われてしまい、男性として(もちろん女子としても)競技参加することはできなくなってしまう。
今年4月にIAAFの医事委員会で討議された内容を見ると、GIDの競技参加について新たに詳細な規定は定められていない。 当事者の年齢、性別適合手術後か、性腺が摘除されているか、思春期発来後か、手術から何年経過したか、現在の男性ホルモンレベル、などによって「専門家委員会」に諮問する、となっていて、要するにアスリートの状況に応じた個別審査となるようである。したがってFTMであっても場合によると(男性ホルモンレベルを低く抑えてあれば)競技参加が可能となる可能性はある。
こういう話はもちろんオリンピックなどのレベルのアスリートの話である、実際に例えば日本の学校教育の中ではGID当事者のスポーツはどう扱われているか。教育現場では徐々に「希望する性」での受け入れが進んでいるとはいっても、まだまだごく一部。特に体育の領域は保守的であって、なかなか「希望する性」での競技が受け入れられているとは言い難い。MTFが中学校で柔道でなくダンスを選択する、というのはなかなか難しいようだ。
MTFの中にはもちろん競技スポーツで頑張りたい人もいるわけで、そうした人たちが思春期に簡単に女子競技で活躍してしまうことにはもちろん問題がある。国体には出ていいのか、日本選手権には出ていいのか、と問題は発展する可能性がある。
一部の先進的な欧州諸国では、性別適合手術の有無にかかわりなく、希望する性別での社会的生活を認めているようだが、そうなるとフェアな女子競技が維持できるか難しいだろう。学校スポーツがそのまま競技スポーツに継続していくことが多い日本では、そのあたり保守的なことがかえってスポーツにおけるジェンダー問題が複雑化する「歯止め」になっているのが現実のようだ。

2011年6月4日土曜日

久しぶりのトラック練習で失神寸前

埼玉医大陸上部の毎週土曜日の練習は、東洋大学や川越まで出かけていってのトラック練習。今日は久しぶりに外勤明けで東洋大学練に参加。
1年生が1km3分30秒のペースで10000mペース走を行うというので、4年生と交替で1000mずつ引っ張ることにした。すなわち1000m×5(3'30"休)のインターバル。これが案外きつくて、徐々に腹筋に力が入らなくなる。肝心の5本目はずるずると脱落。情けない。1年生は余裕で10000mをこなしていた。強い。
その後、300mを48秒で2本。これで脚はピクピク、頭ガンガン、座り込んで起き上がれない状態に。サングラスで頭を締め付けられるのが痛いと感じるくらい。さらに吐き気まで襲ってきた。
昔はよくもこんな練習をやっていたな、と自分に感心。やはり中距離練習は体に悪い。急にやるのが悪いのだな。

2011年6月3日金曜日

ヤーズの血栓症リスクに注意〜アスリートへの処方をどうするか

昨年11月に発売されたヤーズ®の利点に着目して、特に女性アスリートへの処方を推進しようとしていた自分にとっては、その副作用について衝撃的なニュースが入った。
ヤーズはドロスピレノンという黄体ホルモンを含有している。このドロスピレノンはむくみにくい、体重増加がおこりにくい、というメリットがあるとされている。
しかし、今回BMJという英国の医学雑誌に発表された2つの論文によると、ドロスピレノン含有経口避妊薬(OC)の血栓症リスクが従来型のOCの2〜3倍高いというのだ。

1つめの研究は、英国の一般開業医の診療データベースから、VTEの危険因子を持たない15~44歳の女性で、エストロゲン30μg+ドロスピレノンまたはエストロゲン30μg+レボノルゲストレルを含む経口避妊薬を使用した人々を選出して行われた。
特発性VTEと診断された17人(28%)とコントロールの26人(12%)がドロスピレノンを含む経口避妊薬の現在の使用者で、特発性VTEと診断された44人(72%)とコントロール(88%)の189人がレボノルゲストレルの使用者だった。ケースコントロール分析では、ドロスピレノンの現在の使用はレボノルゲストレル使用に比べ特発性VTEのリスクを3.3倍にしていた。BMI、静脈瘤の既往や喫煙歴、抗うつ薬使用歴などを調整に加えてもオッズ比は3.1(1.3-7.5)とほぼ変化しなかった。リスクは年齢が低い方が大きく、35歳未満の女性のオッズ比は3.7(1.3-10.7)であった。10万人・年当たりの罹患率は、ドロスピレノン使用者が23.0(13.4-36.9)、レボノルゲストレル使用者が9.1(6.6-12.2)となった。

2つめの研究は、米国PharMetrics社のデータベースから得た情報を利用して、ほぼ同様の研デザインで行われた。
特発性VTEと診断された121人(65%)とコントロールの313人(46%)がドロスピレノンを含む避妊薬を、特発性VTEと診断された65人(35%)とコントロールの368人(54%)がレボノルゲストレルを含む製品を使用していた。ドロスピレノン使用群のVTE罹患のオッズ比は2.8(2.1-3.8)になった。やはりリスクは年齢が低い方が大きく、30歳未満では3.7(2.0-6.9)、30~39歳では1.9(1.1-3.3)、40~44歳は1.4(0.65-3.0)となった。10万人・年当たりの罹患率はドロスピレノン使用者が30.8(25.6-36.8)、レボノルゲストレル使用者は12.5(9.61-15.9)であった。

以上、日経メディカルオンライン・海外論文ピックアップ「ドロスピレノン含有経口避妊薬の静脈血栓塞栓症リスクは高い レボノルゲストレルを含む製品の2~3倍」(大西 淳子)から抜粋して紹介した。

全く別の集団を対象とする、ほぼ同じデザインの2つの研究で、同じレベルのリスク上昇が見られたことから、ドロスピレノンを含む経口避妊薬のVTEリスクはレボノルゲストレルを含む製品よりも高いことが明らかになったといえよう。
これを受けてFDA(アメリカ食品医薬品局 Food and Drug Administration)も5月31日に安全性に関する情報を出して、警告を発するに至っている。

研究に用いられたOCに含まれるエチニルエストラジオールは 30μgよりも少量の20μgである点や、若年・非肥満・非喫煙の女性アスリートはもともと血栓症リスクが低い点などから、女性アスリートに対するヤーズの処方をただちに中止する必要はないと思われる。ただし若年者ほどオッズ比が高いという理由が不明であるが、気になるところ。今後の処方をより慎重にしていく必要はあるだろう。


2011年4月28日木曜日

今年の埼玉医大陸上部の新人は期待大

毎年、楽しみな埼玉医大陸上部の新歓コンパ。今年の新人に会ってみたら凄かった。

まずは岡部文子さん。知っている人はもちろん知っている。熊谷女子高時代、競歩でジュニア日本代表経験あり。都大路で5区もつとめた。2浪して埼玉医大に入ってきてくれた。競技への意欲は衰えていない。これからは長い距離も、と言ってくれている。一緒に練習するのも楽しみだし、再び名を轟かすようになるのも楽しみ。


次に轟 和典君。陸上の名門 農大三高からやってきた。全国中学出場経験あり、5000mも15分そこそこの記録を持つ。まずは体重を落とすところからかな。減量できて故障しなければ、あっという間に15分半までは戻るだろう。

短距離も充実。中山 雄太君、川越高校出身。短距離。200mで22秒10、400mで50秒13で走っていたとのことだから、もちろん即戦力。写真はとりそこなったがもう一人入部した200m22秒そこそこの○○君(ごめん、名前失念)とダブルエースで、リレーは完璧。
「オレはもうお呼びじゃないかも」とやや鬱気味になっていた上級生にも奮起を促した。強い下級生が入ってラッキーと思おう。リレーの強さは走力4番目の選手で決まる。君が伸びればリレーでメダルをとって卒業できるぞ、と。


今年は埼玉医大の陸上部に期待していただきたい。新人は6人。上級生も刺激を受けて頑張っている。まずは夏の東医体を席巻する予定。

2011年4月14日木曜日

腰椎骨密度66%(若年成人比)のショック〜どうサポートする?

66%!
最近も再び疲労骨折を起こしてしまった女子長距離走選手の相談を受けた。腰椎骨密度はなんと平均値の66%にまで低下していた。これまで40人以上の女子長距離選手の骨密度を測ってきていて、70%台にはもうびっくりしなくなっているのだが、さすがにこれは史上最低の値である。
実はこの選手は以前にも68%という数値が出ていて、無月経に対するホルモン補充療法を行っていた。しかし、この半年は行ったり行わなかったりで十分な治療ができていない。
さてこれから婦人科医としてはどのようにサポートしていけばいいだろうか。これまでの経過から、ディビゲル®と用いたホルモン補充療法を行っても骨密度維持は図れても増加は難しいかもしれない。しかしこの骨密度で競技を続けさせるのもリスキーすぎる。
私がおすすめしたのは経口避妊薬(低用量ピル、OC)である。
海外の文献には、「若年アスリートの無月経に伴う骨粗鬆症は、骨吸収の増加がないという点で閉経後の骨粗鬆症とは機序が異なる。ホルモン補充療法では十分でないが、(ホルモン作用のより強い)ピルならば骨量増加を期待しうる」という意見があることは以前より承知していた。ただしアスリートの出すうえで、吐き気、食欲増加、浮腫、体重増加などの副作用が少ないOCがなかなかなく、躊躇していた。
幸い昨年11月に登場したヤーズ®はこのような副作用が軽減されている。そこで今回、このOCを開始することにした。コーチはホルモン療法にあまり賛成でないらしいが、この骨密度でSかも実際に疲労骨折を起こしているわけだから「理想」を言ってはいられない。現実的に婦人科医ができる最善と思われるサポートをしていく必要がある。
なお整形外科主治医からは活性型ビタミンD誘導体であるエディロール®が処方が開始された。ここでビスホスホネート製剤を処方しないのは、やはり骨吸収の増加が原因ではないと見抜いているからであろう。賛成である。

2011年4月13日水曜日

「三陸海岸大津波」(吉村 昭)

Amazonでしばらく品切れしていた吉村 昭「三陸海岸大津波」(文春文庫)がやっと届いたので、一気に読了した。
今回「千年に一度の未曾有の大震災」だと思っていたけど、津波に限って言えば昭和8年にもほとんど同じことが起きていたことにまず驚き。しかも同じ3月。
明治29年のその前の大津波から30年以上経過し、津波の恐怖感もだいぶ薄れてきた頃。「晴天のときには津波はないものだ」「水平動の後には津波はない」などと「自信ありげに」動かなかった人が随所にいたようだ。最悪の事態を想定して避難しようとする人を見下すかのように、皆を安心させるのが自分の役目とばかりに自信ありげに抑えにかかる人・・・安心していい根拠はないのに・・・今回の震災でも原発事故でも、いたような気がする。人はつい「安心な」提言に従いたくなるものだ。医療、特に手術の場面においても同様のことがある。自戒したい。
さて昭和8年の場合は、いったん津波を警戒した人々の多くも15分後には、大丈夫と再び寝についている。地震から30分も経過しての、しかも深夜の津波来襲だったため、不意を襲ったかたちになったのだ。
津波から町が復興し、記憶が薄れてくると、高台に集中していた家が再び海沿いに進出してくる現象が見られたと記載されている。数十年に一回起きるかどうかわからない津波に備えるよりも、漁業活動に便利な海沿いへ住む方がラクだから。痛みが過ぎるとすぐ忘れてしまい目先の利益を追求してしまいがちな人間の悲しい本性なのだと思う。
今回医療支援で訪れた大船渡でも、津波で壊滅した地区は「津波警戒地域」と(おそらくこの昭和津波の経験から)道路上に標識で明示されていたエリアにほぼ一致していた。
これからの被災地の町づくりに必ずや過去の経験から得られた叡智を生かしていかねばならない。

2011年4月12日火曜日

JOC医学サポート部会・被災地支援報告(後)

大船渡レポートの後半を。


県立大船渡病院は大船渡市だけでなく、北の釜石市や南の陸前髙田市の「面倒」も見る役割を担っています。
院内は救急救命センター内でのみまだ自治医大などの応援部隊が活動していましたが、徐々に縮小中とのこと。先週までは各科の外来は一応急患や妊婦健診のみの対応でしたが、来週からは内科の内視鏡や超音波などの検査外来も始まり、通常通りの外来が復活するようです。
医局内も特に騒然とした雰囲気もなく、避難所や壊滅した港湾部の様子が嘘のように落ち着いています。
むしろ県立病院のドクターは自分の病院の仕事のみで、案外避難所の状況は直接ご覧になっていないように見えました。医師宿舎も高台の病院のすぐ横ですし。

結局2泊の県立大船渡病院産婦人科当直中は、救急センター当番医から婦人科手術後のイレウス患者を入院させておくとの報告を受けたのと、分娩1件だけと少々「拍子抜け」でした。あまりお役に立てなかった感が強いです。今後産婦人科医として応援に入るなら、岩手医大や東北大などを通して、「超急性に生じた分娩施設の集約化」が起きてしまっている病院へ適切に配分してもらった方がよさそうです。地域中核病院に常勤医を送っているのは結局大学ですから、旧来からの大学の機能が生きるように思います。

一方、3日目・4日目もJOCチームとして避難所の診療を続けました。血圧測定、降圧薬内服相談、インフルエンザ検査、イナビルの処方など、にわか内科医となりました。
現地の支援医療チームの「配置」は主に、大船渡市保健福祉課の保健師達が行っていますが、これがなかなか現場の実態に即した適切な対応とならない。どうしても医者が余ってヒマにしている避難所や、数日間医療チームが訪れない避難所などができてしまいます。このあたりが今後の課題かもしれません。
さらに市が違えば、陸前髙田からわざわざ治療を受けに来た女性によれば、医療チームの姿を避難所ではいちども見たことがないと言っていました。全体を見渡して、医療支援を必要とするところに、割り振っていくというのは難しいです。
3月30日をもって、大人数を誇る徳州会チームが大船渡から引き揚げていきました。TMATと名乗るこのチームは徳州会病院の勤務者のみで構成されているわけではなく、徳州会の呼びかけに応じて集まった一般の医師などが過半数を占める、ということを初めて知りました。市民文化会館を拠点に、徳州会大船渡分院とも呼べるほどの充実した医療体制をつくりあげており、専用診察室を完備し、医師・ナースが24時間常駐で、1日1回の回診までついていました。5人のドクター、10人近くのナースに、運転手、広報、看護学生まで揃いのユニフォームで送り出す、しかもそれを大船渡だけでなく数都市で展開するのですから、見事な組織力です。
3月31日からは市民文化会館をJOCチームで引き継ぎましたが、同レベルの診療体制維持は困難でしたので、治療が必要な「患者」はどんどん地元医に行ってもらう方針で臨みました。
開業の先生のところには通常ルートで薬剤も納入されるようになっていますし、我々のタダ診療で開業医の収入源を奪うようなことはいけません。
私が大船渡へ行ったのは、被災者の直接支援から、現地の医療体制復興の支援へと徐々に転換すべき時期だったと言えます。

この医療体制復興支援は今後長い年月が必要です。多くの方が支援活動への熱意を失うことなく、継続的に支援を行っていくことを祈念します。

2011年4月11日月曜日

JOC医学サポート部会・被災地支援報告(前)


3月28日から31日まで、JOC医学サポート部会による被災地医療支援チームの第1陣として岩手県大船渡市で医療活動をしてきた。そのレポートを転載する。まずは前半。


大船渡の町の様子はテレビなどで見ていた通りのすさまじい破壊されようです。
小舟や車が民家の瓦礫の上に乗りあがっている様子には目をみはりました。
川を逆流して津波が上がってきたようで、川の沿岸一帯は広範囲に瓦礫の山です。
ただし、ある程度以上の標高以上の建物は全く被害を受けていないため、その境目の上か下かで天地の違いがあります。
大船渡の場合は町の片側は急峻な坂で高台に移行するので、県立病院や市役所を含む高台の方は生き残っています。
それに対してもともと「津波危険エリア」と表示されていた港湾部エリアがそのまま全部水に浸かったようです。
これが陸前高田などでは高台がないので、町全体がやられたようですね。大船渡までの道中に通過しましたが、見渡す限りの壊滅状態でした。
JOCチームが本拠地にしている本増寺はやはり高台にあって、現在は水も電気も復旧しており、多くの避難所からすれば申し訳ないくらいの環境です。
2日目の午前中は大船渡中学校を中心に2ヶ所の避難所まわりを(岡山県から派遣の保健師と一緒に)行いました。
大船渡中学校の体育館には、簡易テントが立ち並んでいてそれぞれの家族分のスペースは確保できているようでした。
公民館や神社の避難所は大きな畳の部屋一室に、70代以上の方々ばかりおられました。それ以外の方々は撤去作業その他に外出中です。
血圧不安定、風邪気味などの訴えはありましたが、おおむね健康状態はさほど悪くなく、常備薬も一応足りているようでした。
明日から市の斡旋による県内陸部への「移動」が始まるようで、これでまた各避難所から少しずつ人が減っていくものと思います。
午後に、県立大船渡病院の小笠原敏浩部長(副院長)にお目にかかり、2晩、大船渡病院産婦人科の当直をすることになりました。
大船渡は開業の分娩施設がもともとなかったので、日本産科婦人科学会から派遣している石巻などのように、開業医での分娩予定者が基幹病院に突然一極集中するという現象は起きていません。すなわち開業の先生で見ていた妊婦が「飛び込み分娩」にやってくるということはないようです。
もともと年間分娩数700程度だそうですが、むしろ震災を機に内陸や他地域に転出する妊婦が増えているようで、震災後の2週間ちょっとで分娩は14、とのことでした。
病院自体も救急患者のみの対応を行っていたのが、今週からは一般外来も再開しています。ただし定時の手術はすべてキャンセルで、緊急も搬送。帝王切開と外傷のみ行っています。
したがって産婦人科病棟は時々の分娩こそあるものの、入院患者も最小限(癌の末期数名と羊水過少の妊婦一名)にしぼられており、定時婦人科手術もなく、分娩待機さえなければ昼間の業務はむしろ「ヒマ」だそうです。
合計5人の産婦人科医のうち、1名は釜石に1人医長として出張中、部長、医長、7年目女医、6年目女医の4名が残っています。
震災直後のいわゆる全科当直で若手2名の先生が相当疲労が蓄積しているとのことで、私の当直応援申し出はありがたがっていただきました。

2011年4月10日日曜日

「カティンの森事件」を碑文からいつの間にか抹消

ちょうど1年前の4月10日、このブログにもとりあげたショッキングな事件があった。「カティンの森事件」70年の追悼式典に出席するためロシアのスモレンスクに向かっていたポーランド・カチンスキ大統領搭乗機の墜落事故である。
なぜ僕がこんなにポーランドやカティンの森にこだわるかと言うと、日本陸連のチームドクターとして2回もビドゴシチへ遠征したことがあるうえ、その「予習」としてワイダ監督の「カティンの森」も岩波ホールで見たからだ。 西からはドイツ、東からはロシアに圧迫され虐げられてきたポーランドの悲劇の歴史に関心を持たずにはいられない。

その1周年に当たる今日、ロシアの前時代性を示すニュースが飛び込んできた。。

いつの間にか交換…=ポーランド大統領墜落死の碑文―ロシア
時事通信 4月10日(日)10時15分配信
【スモレンスク(ロシア)AFP=時事】2010年4月10日、ポーランドのカチンスキ大統領(当時)らが乗った旅客機がロシア西部スモレンスク郊外で墜落してから1年、コモロフスキ現大統領のアンナ夫人が9日、遺族一行を連れ事故現場を訪れた。しかし、激しい雪の中で一行が目にしたのは、いつの間にかロシア側によって交換された碑文だった。
旧碑文には、スモレンスク郊外で第2次大戦中、ポーランド将校が旧ソ連秘密警察に大量虐殺された「カチンの森事件」について明記されていた。しかし、交換後の碑文からは抹消されている。 

写真のキャプションには、「ロシア西部のポーランド大統領機事故現場にあった旧ソ連秘密警察による大量虐殺事件、「カチンの森事件」について明記された旧碑文(上、8日)と、抹消されている現碑文(下、9日)。ロシア側によって交換された」と書かれている。

1年前の事故後はさすがにロシアも気が引けたと見えて、やや大袈裟に哀悼の意を表して追悼式典を主催したり、宥和ムードを演出したりしていたが、陰ではやはりこういうことをしている。ソ連、KGBの尻尾が残っているということか。背景にはポーランドに対する蔑視も潜んでいると思われる。
日本に対しても、今回の震災直後には北方領土やガス田開発、電力供給に関して驚くほどの甘い発言がロシアから聞かれていたが、こんなのはジェスチャーにすぎないと思ったほうがよさそうだ。油断してはならない。

2011年3月29日火曜日

美しくたくましい女性ランナーを育てるために指導者に留意してほしいこと

婦人科医として「世界に羽ばたく」「美しくたくましい女性ランナーを育てるために」特に指導者に留意してほしいことは以下の2点である。
1.10代からの強度の高すぎるトレーニングを避ける 
まず初潮を迎える時期のトレーニング強度の目安の一つとして、「15歳までに月経リズムを確立させる」ことを考慮してほしい。いちど「視床下部ー下垂体」の性中枢が成熟すれば、仮にその後に自然排卵がなかったとしても、おそらく将来の妊孕性に関する問題は少ないと思われる。続いて思春期のトレーニングの強度の目安としては、「高校の間(16-18歳)は月経があるように」してほしい。ただし限界のトレーニング強度は選手個人によって当然異なるわけで、例えば部員9人の月経が止まっても残り1人が止まらなければ、その1人こそがチームのエースたりえる。20歳まで月経があればいったん人並みのpeak bone massが形成されれば、仮にその後無月経になったとしても骨粗鬆症の問題は起こりにくい。
2.20代後半~30代で競技生活のピークを迎えるような長期的視野をもつ
女性機能も peak bone massも完成した成熟した女性アスリートを目指してほしい。そしてできれば出産後の競技継続も奨励したい。これは競技生活の長さの証明でもあるし、「正常な女性機能」を保持している証でもあるから。

2011年3月28日月曜日

全国高校女子駅伝の功罪〜若手女子ランナーとその指導者へ

全国高校女子駅伝という大会がある。私はこの駅伝には功罪両面があると思っている。平成22年で第23回を数えるこの大会は5区間、21.0975kmの距離で行われ、NHKで全国放映される。才能ある若いスピードランナーの発掘の場であり、実際に中高校生ランナーのモチベーションを高めるのに役立っていることは確かだろう。しかし、どうしても指導者や学校は成績を追求してしまう。選手を5人揃えなければならないため、チーム内で走力に差がある場合に中堅以下の選手に無理が来るし、選手の月経状況に注意を払える指導者はまだまだ少数派。選手本人も(親も)選手に選ばれたいがため、故障しても月経が止まっても走ろうとする。結果的に将来大成するような選手を生み出していない、ないしは将来の芽を摘み取っていやしないかという問題が存在するのだ。月経が止まる、というのは「無理が来ているよ」というサインなのだから。
では女性ランナーを見守る我々になにができるだろうか。
まずは月経異常の「早期発見」。これは選手本人の自覚もさることながら、トレーナー、チーム栄養士、コーチ、親の役割ともいえる。
次に「数値化」。ホルモン値、骨密度に加え、体重・摂取カロリー・消費カロリーを把握することにより適切な対策を立てねばなりません。栄養士の協力も必要となる。
そして「早期介入」。トレーニング強度、摂取カロリーの見直し、(低エストロゲン状態の場合は)ホルモン補充療法の開始を早急に検討せねばならない。

2011年3月27日日曜日

運動性無月経の成因についての最近の考え方〜“Low energy availability”仮説

運動性無月経の成因についての最近の考え方を紹介する。これは食事の重要性に重きを置いた考え方で、“Low energy availability”仮説という。すなわち、「食事によるエネルギー摂取」から「運動によるエネルギー消費」を差し引いた「エネルギーの余裕度(=energy availability)」が少ないことが、運動のストレスよりも直接的に月経異常の原因になるというもの。正常な代謝を維持するためには体重50kgの選手で1日1250~1500kcalが必要とされるので、エネルギー摂取量は、運動による消費+1500kcal(+α)が必要ということになる。
したがって運動強度を上げていく場合、エネルギー摂取量をそれに伴って上げていかなければ月経異常を引き起こすことになるし、逆に言えば適切な摂取エネルギー増量を行えば月経異常は予防可能だということになる。

そもそも月経とは排卵という「妊娠をするための機能」に伴うものである。個体の存続さえ危ういような「飢餓」状態では、さらに余分なエネルギーを要する妊娠などという状況に陥ることは避けるべし、と脳が判断し排卵を差し止める、というのは太古より動物に備わった防衛本能といえるかもしれない。そうした脳からの「警告」を無視して、強度の高いトレーニングを行い続けた場合どうなるか・・・。何らかのしっぺがえしが体を襲う可能性が予見できるだろう。

無月経と骨量低下(骨粗鬆症)に摂食障害を加えた3つの徴候を「女性アスリートの3徴」と呼び、国際陸連もそのウェブサイトで警告を発している。トップランナーほど必要以上の「やせ」を追求してしまいがちであり、そのような精神的重圧が拒食、その反動としての過食といった食行動の異常を生みやすいことも知られている。「思い通りに減量できたけれども、無月経となり、長期化して骨粗鬆症となり、疲労骨折で走れなくなる。練習量が減るため、太ってはいけないから、食べては吐きの食行動異常が加速し、ますます無月経が長引き・・・」といった悲惨な悪循環を断たねばならない。

2011年3月26日土曜日

無月経女子選手の将来の妊孕性は?

さて、無月経が長期化した場合、将来妊娠できるかどうか(「妊孕性」という)は大丈夫?と誰もが心配する。実はこれについての解答は「まだわかりません」である。
昭和39年の東京五輪に出場した女子選手を後年調査したところでは、妊娠回数や分娩数に一般女性との差は特にない、という報告が出ているが、なにしろ当時は女子長距離走種目や新体操などは存在しない時代である。無月経だった選手の割合も不明。だから、現在無月経に陥っている女子ランナーの将来の妊孕性を保証するものでは全くない。
幸いにして、実際には現役を引退した女子選手の多くが、妊娠・出産に至っている。土佐礼子選手や弘山晴美選手が競技の一線から退いて間もなく妊娠のニュースが入ってきたことも「安心材料」と言えるだろう。ある実業団の監督も「やめて1年くらいすればみんな生理は戻ってきてるよ」と言っていた。
多くの「軽症例」(例えば25歳頃までは月経があり、マラソン練習に移行して初めて月経が止まった場合など)では、激しい練習からの離脱、体重の増加、摂食量の増加により容易に排卵が回復してくるものと推測される。
ただし例えば、中学時代にほんの数回しか月経がなくそのまま高校以降20歳をすぎても無月経、という(ほとんど原発性無月経に近い)ランナーの排卵を調節する視床下部・下垂体の性中枢は本来成熟すべき思春期の時期を「逃して」しまったわけで、今後競技をやめたり体重が増えたりしたからと言って、そう簡単に成熟を遂げるとは考えられない。
適切な比較かどうかはわからないが、食行動の異常と極端な体重減少を特徴とする神経性食思不振症という無月経患者の場合には、体重がある程度増加してきてもなかなか性中枢機能が回復せず、排卵が再開するまでには数年単位のホルモン療法が必要となってくる。
こうした長期無月経の女性の子宮を超音波で見ると、極端に萎縮していることがわかる。通常6-7cmある子宮長が3-4cm程度しかないのが普通だ。
したがって、無月経のランナーがどれくらいいるのか、また長期間無月経であった女子ランナーがいつ頃排卵を回復しているのか、不妊治療(排卵誘発治療)を必要としなかったのか、妊娠・出産に至っているのか、などについて実業団チームの協力を得て、日本陸連としても調査を開始しようとしているところだ。

2011年3月25日金曜日

ホルモン療法に対する女性アスリートの誤解

昨日の続きである。
女子長距離選手にホルモン療法をお勧めすると、だいたいこんな反応が返ってくる。

薬の副作用として、体が浮腫んだり体重が増えたりして、選手によっては体質が変わってしまうという話も聞いたのですが?
また長期間無月経の後、自然に月経がきたらどんどん太って走れなくなり、結局辞めてしまったという選手もいるようですが?
競技をするうえでマイナスに働くなら、無月経のままでもいいのでは・・・とコーチに言われたのですが?

この誤解がスポーツ婦人科医が闘わなければならない大きな壁である。
ホルモン剤はすべて同一ではない。
確かに、不用意にピル(特にドオルトンなどの中用量ピル)を内服すると、懸念されているような副作用(浮腫み、体重増加など)がありうる。特に体重の少ない長距離選手にはこうした副作用が強く出るような印象がある。だから私は絶対にいきなり無月経の選手にピルを処方したりはしないようにしている。
実際、無月経に対するピル内服をきっかけに体重増加が進行し競技生活断念に至った選手の話を私も聞いている。


また、自然に月経が再開したということは、練習量が減ったか、摂食量が増えたか、体脂肪量が増えたか、いずれかの場合が多いので、やはりそれをきっかけに(一時的には)走れなくなったのであろう。
決して月経が再開したから走れなくなったわけではなく、原因と結果を取り違えないようにしなければならない。

さて、無月経となってしまった女性ランナーの場合、低エストロゲン状態に対する治療薬は決してピルではない。(更年期のおばちゃまがたに処方されるのと同じ)ホルモン補充療法用のエストラジオール製剤である。製品名でいうとディビゲルとかジュリナ。これは体重増加、むくみ、競技力低下などの副作用の心配はまずない。少なくともオフシーズンから鍛錬期にかけては問題なく使える。
もしホルモン補充療法を継続したままだと体重を減らしにくい、絞りにくい、と感じるならば、レースシーズン中(あるいはマラソンランナーならばレース前1ヶ月)のみは中断してもいいかもしれない。実際そのような治療のサイクルを自分で編み出している一流選手もいる。
ぜひぜひ、ホルモン療法を行うと走れなくなるなどと誤解のないようにしていただきたい。それと同時に、世の産婦人科医が、意を決して訪れた女性ランナーに対して(他の様々な続発性無月経患者に対するのと同様に)ぽーんと考えなしにピルを処方して消退出血をとりあえず起こしておけばいいや、という治療を行わないことを望む。こうした治療が誤解を解くどころかさらに陸上界にはびこる「伝説」の強化につながってしまうのだ。

2011年3月24日木曜日

女性ランナーの疲労骨折と無月経~もちろん関係ある

先日も3年近く無月経となっている実業団所属の女子長距離ランナーから相談があった。彼女は日本代表経験もあるトップランナーだが、恥骨の疲労骨折が判明してしまったとのこと。自分でも無月経との関連が気になったと見えて、「やっぱり放っておくのはよくないですか?」と質問してきた。

こういう質問には以下のように返答する。
やはり疲労骨折という「結果」を示された以上は、無月経に対する精査・治療を開始した方がいい。少なくとも今回の恥骨の故障・リハビリ期間中は。
最初に血中LH、FSH、エストラジオール値を採血により測定し、できれば骨塩量(骨密度)も測定し、そのうえで治療方針を立てることになる。
実業団入社後約3年の無月経だから、おそらくはエストラジオール値10未満の低エストロゲン状態と予想される。さらに、重症の場合にはLH・FSHも1未満に低下していて、そう簡単には「排卵-月経のリズム」は回復しないことがわかる。
こういう場合にはホルモン補充療法を開始したほうがいい。

本人にはこんな風に、信頼できる婦人科受診をすすめるのだが、さらに補足しておきたい。
特に脛骨や中足骨などよりも、「恥骨」の疲労骨折というところが、無月経との関連をうかがわせる。脚部、足部の疲労骨折は、練習量や路面、シューズなども大きく影響するだろうが、恥骨・骨盤の骨密度、疲労骨折のおきやすさはダイレクトに月経状況に関連するようだ。
それから補足の2番目。低エストロゲン状態であっても必ずしも骨密度低下を認めない選手もいる。特に大学4年間は比較的のんびりとした競技生活を送って、それから実業団入りして無月経となったような場合。22歳までに十分な"peak bone mass"が形成されているから、数年の無月経ではそう簡単には骨粗鬆症にはならない。高橋尚子選手も土佐礼子選手も大学時代から日本トップクラスのマラソン練習をしてきたわけではない。だから実業団に入って(当分は)「骨の蓄積」があるので頑張れるのではないか。

2011年3月23日水曜日

「抗エストロゲン剤」がドーピング禁止物質である理由

2011年のWADA禁止物質リストでは、抗エストロゲン剤関係では以下の3種が指定されている。すなわち
・アロマターゼ阻害薬
・タモキシフェン、ラロキシフェンなどのSERM
・クロミフェンなど
である。
アロマターゼはアンドロゲンからエストロゲンへの転換酵素なので、その阻害薬(閉経後乳癌などで用いられる)は体内アンドロゲン量が増やす方向に働くと考えられる。だから禁止。これはわかる。
クロミフェンやセキソビットなどの排卵誘発剤は、エストロゲンに拮抗することでネガティブ・フィードバックを利用して卵胞刺激ホルモン(FSH)などの下垂体ホルモン分泌を高める働きがある。男性では下垂体ホルモン増加により蛋白同化作用が亢進し、実際セキソビットはボディビルダーに用いられていたという経緯がある。しかし「女性でも」この蛋白同化作用が亢進するのかどうかはよくわからない。
かつてはHCGやLHなどの排卵障害の患者に対して排卵をさせるために用いられるペプチドホルモン剤も「男女両方で」禁止されていたのが、現在は「男性のみ」禁止と変更されている。クロミッドやセキソビットなどの抗エストロゲン排卵誘発薬も将来「女性でなら」OKとなる可能性はあるかもしれない。
さらに、SERMが禁止薬物である理由は私にもわからない。SERMという薬は、通常のエストロゲンが体全体に働くのに対し、ある臓器にだけに選択的に働くのが特長だ。すなわち子宮や乳腺などのエストロゲンが働くことで癌ができやすい臓器には抗エストロゲン作用を示し、骨や血管などには有用なエストロゲン作用を発揮する。すなわち乳癌などを抑制しつつ骨粗鬆症や動脈硬化などの予防に繋がる物質というわけだ。少なくともこれらの物質は男性化作用はない(ことになっている)。あるいは蛋白同化作用の報告があるのか?
多くの閉経前乳癌患者の術後療法にとりいれられている重要な薬物なだけに、乳癌患者がアスリートであるためには、この薬が使えないことになり大問題である。今後の動向が注目される。

2011年3月22日火曜日

ピルとドーピングコントロール

ピル(最近は婦人科医の間ではOCということが多い)は経口避妊薬という扱いから、徐々に月経困難症や子宮内膜症の治療薬としての処方が増えてきている。現に、ルナベル、ヤーズという2種のOCが月経困難症の保険病名のもと、保険収載されている。

以前、私は臨床スポーツ医学という雑誌の「アンチドーピングのための頻用薬の知識」という特集に以下のように書いた。



1998年の競泳米国五輪選考会において、ある女子選手が蛋白同化剤であるナンドロロンの使用によりソウル五輪チームから除名され2年間の資格停止処分を受けたことがあった。選手側は避妊のために使用していたピル(OC)が検出されたと反論し、米国五輪委員会に対して訴訟を起こしたが、結局処分はそのままなされた。
OCはエチニルエストラジオールとプロゲスチンの2成分から成る合剤である。このうちプロゲスチンは副作用であるアンドロゲン作用を減弱させることを焦点に第1世代から第4世代まで開発がすすんできている。このうちアンドロゲン作用は第1世代プロゲスチンがもっとも強く、じっさい第1世代プロゲスチンであるノルエチステロンは体内でナンドロロンの代謝物の19-ノルアンドロステロンに代謝されることがあり、分析機関から違反結果と報告された場合、陽性と見なされる。
前述の米国競泳選手はこうした理由により、違反結果となった可能性がある。実際にかつてはノルエチステロンが禁止物質リストに掲載されていたこともあるが、現在はリストからははずれている。ただしノルエチステロンを含むOCを内服している場合には、ドーピング検査の際に念のため申告することがすすめられている。
ノルエチステロンが含まれるピルは、ソフィアA®(これのみが中用量)、オーソM-21錠®、オーソM777-21錠®、シンフェーズT28®、ノリニールT28®などであり、子宮内膜症治療薬として保険収載される予定のルナベル®も同様である。


これは決してルナベルはドーピング禁止物質であるということを述べたつもりはないのだが、そのように誤解した選手、医師もいたようだ。もちろんTUE申請も不要である。
ドーピング検査のときの「現在摂取している薬物」のところに記載した方がいいというだけである。
ただ、アスリートに対して月経困難症目的に処方するなら、今後はヤーズの方が圧倒的に優れていると思われる。エチニルエストラジオール量が6割近くに減り、むくみ、体重増加、吐き気などの副作用が激減している。
現に実業団長距離選手が「月経前症候群も月経痛もなくなり非常によい」と高評価を与えているし、その他の(アスリートでない)一般患者からも好評を博している。参考にしてほしい。

2011年3月21日月曜日

アスリートが手術をうける場合のドーピングは?

ロンドン五輪の前年となり、例えば卵巣嚢腫や子宮筋腫の手術を(五輪の年を憂いなく迎えるために)今年受けておこうと考えるアスリートがいるであろう。
子宮内膜症による月経困難症や子宮筋腫による過多月経など、現に日常生活の質を落とすような症状がある場合に、その判断はかまわないと思う。
さて手術を受ける場合、手術で使用する薬剤で何かドーピングコントロール上の問題になる事項はあるだろうか。
通常の婦人科手術を考えると、術後の特別な場合(乏尿となったときやショックとなったとき)に利尿剤やステロイドの静脈注射が用いられるくらいが、常時禁止薬物が使用される事態だろう。もちろん"IN COMPETITION"の禁止薬物であるモルヒネ、ペンタゾシンなどの鎮痛剤
が麻酔時や術後鎮痛に用いられることは頻繁にあるわけだが、これらはあくまでも「競技会における」ドーピングコントロールにおいてのみ対象となるので、気にしなくてよいだろう。
これまで私自身はアスリートを紹介した手術先の病院にあえてドーピングコントロールへの配慮を求めたことはない。それでいいと思っている。
手術というのは「人体に損傷を与えて、患部を除去あるいは修復することにより、より大きな利益を得る」という、人体にとっては特別な事態である。時にリスクを承知で手術に踏み切らざるをえないときもある。アスリートもドーピングコントロールを気にしすぎて医師に制約を科すような訴えをする結果、むしろ医師が必要な薬物を思い切って投与できない雰囲気をつくることがないようにしたいものである。

2011年3月11日金曜日

東北・太平洋沿岸地震~未曾有の国難

広範囲、大規模。未曾有の大災害となっている。職場から帰宅困難な方を含めて影響を受けた人は数知れない。肉親の安否が不明な方も多いだろう。
こういうときに何ができるか。まずは自分の足元の役割を確実に果たすこと。今日は病院の当直、明日は大学病院の勤務~当直。
そのうえで、東北地方の産婦人科医療に対してできることを考えたい。患者の移送?医師の派遣?
交通ラインが遮断されている現段階では現実味がないが。
今は日本中が大注目している被害状況だが、今度日数が経過するにつれ、深刻な影響を実感し続ける地域と(直接の被害がないために)「醒めて」きてしまう地域との温度差が心配だ。
国家の一大事と受けとめて決して「醒める」ことがないよう、一人埼玉県で浮いていても、警告を発し続けていきたい。
またこのような国難のときこそ、北朝鮮などの対外情勢への警戒を怠ってはならないと思う。

さて、地震直後の数時間、現時点に至るまで、携帯電話の脆弱性は明らかとなった。病院の固定電話もつながらなくなっている。携帯メールも同様だ。
一方でもっとも情報アクセスにストレスを感じなかったのがtwitter。 玉石混交の情報がとびかうという欠点はあるが、それでも「通じない」ことがなかった。
次にG-mailとチャット機能も迅速に使えたことも付記しておく。

2011年2月28日月曜日

東京マラソン2011〜2時間47分台の快走(自己セカンド記録)

天気予報がどんどんいい方向へはずれていって、最初「曇後雨、強い南風」だったはずが「快晴、北西の弱い風」ということになり、最高のコンディションで走れた。東京マラソンのコースはスタートからゴールを結ぶベクトルが都庁→お台場で、標高も下がっているわけだから、北西の風が吹けば、元々反則気味の高速コースになるわけだ。
さらに今回は晴れて、気温も5℃から12℃くらい、湿度も多少あるという絶好の条件。自然とペースが上がった。
ずっと19分台ラップを続けることができ(35-40kmこそ20分をわずかに4秒ほど越えたが)大崩れすることなく、脚もつることなく、粘り切れた。
別大から3週間。昨年と違って疲労感も特になく走れたつもりだが、やはり見えない疲労はあったろう。35K以降の失速に現れてしまったかもしれない。別大からわずか3週間で、そのタイムを上回れたというのはもちろん嬉しいが、もし別大に出ていなければもっと早く走れたかも・・・?とも考えてしまう。
他選手の快走を見てもそういう気がする。例えば、昨年勝った「ねこひろし」氏の急成長により、10分差をつけられてしまったこと、実力互角でライバルと意識していた女性ランナーK選手に2分の大差で敗れたことが、手放しで喜びきれないところ。

なお、日本人最高の3位で2時間08分台で世界選手権代表を勝ち取った川内選手には本当に驚いた。同じ埼玉陸協所属の市民ランナーということで、親近感抜群。録画でその頑張りをみて、涙が出そうになった。今後も絶対、応援する。

テレビ録画を見ていたら、女子の上位ゴール後の豊洲からの中継で、アナウンサーの背後、およびコースを俯瞰する映像で10秒近くうつっていたぞ。一人中央線寄りを独走しているのでわかりやすい。写真はそのちょうどテレビ中継されているところ。

2011年2月7日月曜日

大分から帰京

せっかく温泉地・別府にわざわざ行くのだから、レース当日に帰るのはもったいない。貴重な「冬休みの権利」を今日のために使った。
昨晩はゆっくり北浜のホテルの温泉につかり、頑張ってくれた脚をなでさすり、痛みを感じていた左アキレス腱上端付着部位あたりにピップエレキバンを貼り、今朝ももう一度温泉。湯につかりながらこれが別大の醍醐味だなあとしみじみ。一夜明けて幸い特別に痛いところもないし(明日出てくるのか?)、階段を降りるときにカニ歩きを要することもない。胃がやや疲れているが、食べ始めてみると実際にはモリモリ食べられる。レース前夜の食事や当日の「詰め込み」に少々反省点があって胃腸に負担をかけてしまったので、反省材料としなくては。
今日の午前中はマラソン応援のために福岡から出かけてくれた親戚のおばさんたちと食事。40km地点でちゃんと僕を見つけてくれて大声で応援してくれた。ちゃんと写真もとってくれている。ありがたい。

さて今回の別大は60回記念大会ということで出場資格が3時間半まで緩和された。来年以降の出場資格はどうなるだろうか?
過去、私が走った「記念大会」モノは、東京国際女子マラソンが男子にも門戸を開いたときと福岡国際マラソンが2時間50分で出られたときの2回ある。いずれも厳しい気象条件となり、女子マラソンの場合は、給水が足りないなどの問題もあってほとんどのランナーが散々な出来だった。途中収容者も多かった。福岡国際のときも厳しい関門制限も相まってやはり収容車が不足するほどの事態となり、ギリギリのタイムで出場した選手の多くが完走できなかった。
いずれの場合も(たまたま主催は朝日新聞だが)、この出場枠拡大を失敗と見たか、一回きりの企画に終わり、翌年以降はほぼ元の形態に戻っている。特に福岡については、その後私にチャンスは訪れていないわけで、残念に思う。
で、今回の別大だが、出場枠拡大のおかげで別府の旅館は大賑わいだったし、夜の北浜の町を歩いている「打ち上げ」中のランナーも例年の比ではなかった。家族連れや応援者も目立った。例年出場が600人程度だったのがいきなり3倍になったのだから、当然だろう。ただし宿泊者を収容しきれなかった話も聞こえてこないし、飛行機がとれなかったという話もない。これくらいの来訪者の収容能力は別府と大分にはあるということだろう。それならば地元は相当潤ってよかったのではないか。
関門を緩くしたせいで当然交通規制時間も伸びるわけだが、東京や福岡のど真ん中ならいざ知らず、大分の警察もタクシーの運転手もカリカリしている様子はないように見えた。そのあたりおおらかな土地柄なのではないか。
またコンディションがさほどきつくなかったおかげで完走率も高い。
というわけで来年も3時間半とはいわないが、従来の2時間50分から今回のカテゴリー2に相当する3時間までは出場資格を繰り下げてもらいたい。今後地元の旅館業界などから声が上がってくるだろうが、地域振興の意味でプラスが多かったと判断されれば今回の出場資格が当分続くことだってありうる。
毎日新聞の英断を期待したいところ。まあ自分が2時間50分をきって余裕がでたからこその発言ではあるが・・・。