2009年1月29日木曜日

助学の補講


助学というのは「助産婦学校」の略。正式には埼玉医科短期大学専攻科の助産コースになる。
国家試験を前にした学生の補講を頼まれて、行ってきた。
内容は過去の国試問題をアレンジした自作問題の解答と解説。
最後に、学生達に頼まれて(←ここが重要)集合写真におさまってきた。
少々にやけて見えますか。

2009年1月28日水曜日

カーボローディング中

別大4日前。いったん体内のグリコーゲンを枯渇させるという目的で、今日は20km走。といっても、何時に終わるかわからない仕事の後に20kmはしんどいので、朝出勤で10km。夜帰宅で10kmと分割する。その間は何も食べない(水分は補給したが)。
カーボローディング法は田中宏暁先生の「賢く走るフルマラソン」(ランナーズ)をもっとも参考にしている。この本は、フォアフット着地やウォーミングアップについてなども、新鮮な指摘に満ちていて、参考にするようになってからフルマラソンがだいぶわかるようになってきた気がする。
夕食前の体重が56.2kg。やや重だが、しょうがない。ここからは炭水化物中心の食事に入る。

2009年1月26日月曜日

大阪国際女子マラソン〜この展開なら渋井選手は強い

最初からまわりの選手を気にせず「最後までちょうどもつぎりぎりのペース」で押していって、結果的に、残り距離と自分の余裕度の比較を間違えて大失速していたのが最近の渋井さんの失敗パターンだった。しかし、このレースで失敗するともう今後フルマラソンでの再起はありえない、くらいの背水の陣で臨んだ今回、あえて勝利のためにこの戦法を封印した。
結果的には、30km手前まで10人近くの団子状態ですすんで、そこから12kmレースとなった今回。渋井さんは残り距離に自信を持ってペースアップできている。今日くらい前半が遅くて、しかも残り距離が短いと、余裕度の方が残り距離を大きく上回るわけで、駅伝と思って押していってもゴールまでもつ。となるとしっかり練習ができていて、駅伝でも主要区間で快走している渋井さんの走力とスピードが生きるわけである。今回は渋井さんがもっとも「勝ちやすい」レース展開だった。
それにしても、これまでの自分の余裕度計測を謝りがちな渋井さんとは異なり、40km以降もさらにペースアップできていたのが驚きである。もちろん優勝するにしても、ラスト3kmくらいはジリ貧にペースダウンしてきつそうにゴールインするのでは、という予想を覆してくれた。まずは久しぶりの優勝、そして結果的に今後マラソンで勝負することをあきらめなくてすんだことにおめでとう、である。
ただ、やっぱり渋井さんは本当は「最後までちょうどもつぎりぎりのペース」で押していくスピードレースが好みのようだ。これはあくまでも世界選手権の、そして今後マラソンを続けていく「資格」を得るための勝負だったということ。
だからそんなに満足はしていない。ほっとはしているだろうけれど。

さて2位になった赤羽さん。遅れはしたが、最後まで「死ん」だり「つぶれ」たり大崩れしなかったのが立派。トラックに入ってからの再ペースアップには驚いた。今後マラソンで勝負できると思う。実業団駅伝にある程度合わせていただろうから、マラソン練習といってもまださわりだけだったはず。
このタイムなら、世界選手権代表にも選ばれる可能性が高いのではないか。

2009年1月25日日曜日

別大1週間前


千葉マリンの後のこの1週間、右ふくらはぎ痛で休んでいたが、いよいよ別大の1週間前、ゆっくり走っても痛みがなくなってきたので、グリコーゲンローディングの最初のステップとしていつものフルマラソン前通り、朝6時スタートで約30km走った。
ウェイトも58kgとオーバー気味なのでバームだけ1本飲んで、朝食抜きである。
ペースはかなり自重して、キロ6分からゆっくり始めて最後はキロ5分まで自然に上がった程度。
昨日、練習再開として行ったゆ〜っくりjogで脚がほぐれてくれたのか、2XUのカーフガードが効力を発揮しているのか、右脚ふくらはぎの痛みは全く出ずにすんだ。
6時の坂戸の気温は-1℃で、指先から鼻から、露出しているところに限らず至るところ冷たかったが、太陽が出てからは風もなく、走りやすくなった。鶴ヶ島を経て川越市に入り、入間川のサイクリングロードを埼玉医大総合医療センターを横目にさらに荒川下流方面へ。途中右手に富士山がくっきり見えた。埼京線を渡って、大宮とふじみ野を結ぶ県道に入って上福岡駅まで。2時間40分程度かかった。
2XUのカーフガードはこれまでは練習後の疲労回復効果を期待して、仕事中や日常生活で着けていたが、特に上端の膝直下部分の締め付けが強いので、走るときには着けていなかった。しかし今回の負傷でなにかふくらはぎをサポートするものが欲しくなり着けて走ってみたが、全く違和感がなく快調。スピードを出したときがどうなるか不明なところはあるが、とりあえず別大では着けて走ろうと思う。
ウェアコーディネートとしてはカーフガードにランパンを合わせるのがなんとなくしっくり行かないので、せっかく持っている2XU黒ショートタイツを合わせようと思う。いつもフルの終盤で悩まされるハムストリングの痙攣対策に効果があるかもしれないので。
本気マラソンでランシャツ・ランパン以外を着用したことはないが、今回はエリートランナーらしい格好よりも機能をとることにする。
ついでに今日は初めてニューハレVテープを膝に貼って走ってみた。レース前なので用心したのだが、後半なんとなく軽い膝痛が出そうになってきたので意味はあったのかな。こちらは、レースでは剥がれたり、突っ張ってじゃまになったりと難しいと思うので、貼らない予
定。

2009年1月24日土曜日

東洋大の勝因〜新説

箱根駅伝での東洋大の(皆を驚かせた)優勝の要因についてはいろいろ言われている。不祥事があって出場辞退が危ぶまれたことで、チームに一体感が生まれたとか、走れる喜びを感じられるようになった、とかコメントされているが、違うのではないか。そんなメンタルなことだけであるまい。
12月初旬に活動自粛期間があったことで予定していた最終段階の追い込み練習がこなせず、調整が不十分である、とレース前に監督代行がコメントしていたが、この自粛期間のおかげで疲労が抜けたのがよかったのではないだろうか。
完璧に「こうあるべき」練習がばっちりこなせればそれにこしたことはなさそうが、それはたいていレースまでに疲労が抜けるか抜けないかぎりぎりの線を目指したメニューであって、多くの選手にとっては計画通りの練習は「少しオーバーワーク気味」の設定のことが多いのではないかと思う。
練習メニューは、理想と成功体験からつくられていくものであるから、どうしても「調子がいい選手がレースでも結果を残した」事例をもとに組み立てられ、補強されていく。「調子が普通の選手が、十分な練習がこなせなかったがレースでは案外いい結果だった」事例というのがあったとしても、それは「予定通り練習できれば、もっとよかったかもしれない」という根拠のない向上心により、成功体験としてなかなか蓄積されないのである。
今回の東洋大学も、自粛期間がなくてフルに計画通りのメニューをこなして調整に入っていたら、このような好結果にはならなかったのではなかろうか。
ついフルマラソン直前期に、もう一回40km走を、もう一回アップダウンのロング走を、もう一本ハーフのレースを、とやりすぎてしまう私の自省をこめた意見である。

2009年1月18日日曜日

千葉マリンマラソン〜疲労蓄積のツケが・・・


昨年と同様に別大の2週間前はハーフで最終刺激。年末年始に十分走り込めたという自負があり、体調も良好。自信を持って臨んだ千葉マリンだったが・・・。
前半は好調で、5kmごとのラップが18:58-18:47と目標ペースどおりに進む。しかし自分でもどことなく「無理して競っている感じ」があり、「最後までもたないかも」という予感がちらちらしていた。10kmで「東松山元旦マラソンで一緒でしたね。最後負けました」と挨拶してくれた「関根さん」にも「2週間前には勝ったんだからついていかなくちゃ」と思うも、かなりきつい。
案の定2回目の折り返し後に風が向かい気味になるとついていけなくなり、ペースはジリ貧。15kmまでは18:56とさほど落ちていなかったが、鬼門の海浜公園内周回の最後でプツンと切れ、後は落ち込みを最小限にする努力のみ。
ラスト2kmの橋のアップダウンでは、右大腿裏がピクンと痙攣。腰を下げて摺り足にしてしのぐも、ゴール300m前では右ふくらはぎにピリッと痛みが走り、そこからは右脚を引きずりながらゴールにたどりつくだけ。15-20kmが19:35、ラスト1.0975kmが4:13と、情けない終盤になってしまった。タイムは昨年より1分遅い1時間20分28分(手元)。
それよりもこの右ふくらはぎの負傷が重傷かもしれない。帰りの海浜幕張駅まではまともに歩けず、ひきずったまま。そういえば2〜3日前から固く凝っていたのが期になっていた箇所だ。練習ができたできたと喜んでいたのが、年始の仕事の忙しさに全く疲労への配慮、手当をしていなかったのが悔やまれる。
当面1週間は完全休養で、脚の回復(だけでなく全身のリカバリー)にあてるつもり。
右脚には、こういうときの頼みの綱、ピップエレキバンXを8つ貼ってある。

2009年1月15日木曜日

年末年始のマラソン練習

2月上旬に行われる別大マラソンに向けてのトレーニングは、年末年始が重要になる。逆に言うと、忙しい社会人や学生にとっては、年末年始にある程度走り込みができるので、ちょうど2月のフルマラソンがベストを出すのに向いている、と言えるかもしれない。気候的にも(雪でも降らない限り)2月はフルマラソン向きだ。以前は2月中旬に「彩の国さいたまマラソン」というのが上尾陸上競技場発着で開催されていて、はずしたことがなかった。つまり凡走したことがなかった。この大会、交通事情だかスポンサーの撤退だかで休止となってしまい、非常に残念である。走りやすいコースだったのに。
さて今回の年末年始は、幸いにも当直が12月30日と1月4日だけだったので(医局長特権?)特に正月三が日はがっちり走ることができた。
まず元旦は、このところ恒例となっている東松山元旦早朝マラソンで10kmレースに出場。後半、上手に競り合う相手を見つけてしっかり追い込めた。
2日は、奥武蔵道場の走り初めで、朝5時鎌北湖出発で刈場坂峠往復で44km。奥武蔵グリーンラインのアップダウンの激しいコースで、これまた後半は上りで置いていかれそうになり、下りで何とか追いつく、という全力に近い練習。
3日は、これまた恒例の皇居練習会40km。大学の陸上部後輩や、埼玉医大を含む他大の現役・OBを誘って、皇居を8周する。今年も天気に恵まれて、新春の陽光の中を走れた。もちろん脚は疲労蓄積で思うようにペースは上げられないが、それでも3時間弱できっちりビルドアップできた。で、その後は箱根駅伝の復路を日比谷公園で観戦して新年会。
あとは上手に疲労を抜いて、適切に(これが難しいのだが)スピードの刺激も入れていくことになる。
で、「刺激」の目玉として18日の千葉マリンマラソン(ハーフ)に出場予定。まだ疲労が抜け切れていない気がする。自宅から病院までの10kmもこのところ50分以上かかっているし・・・。

2009年1月14日水曜日

週刊朝日に登場


年末から年始にかけて、いろんな締め切り、雑用、宿題に追われる毎日でなかなか更新できず。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、年末に取材を受けた週刊朝日に写真入りで記事が出た。マラソン、ランニング障害の記事で、さして人目を引くタイトルではない。記事の最後に枠囲みで「名医のセカンドオピニオン」などという名前で登場している。週刊誌でこんなタイトルをつけられると、まるで癌治療か脳外科治療の名医、みたいで、内容はただランニングに関する好き勝手なコメントだけなのに、マッタクもって気恥ずかしい。記事を見せた研修医にも「医者じゃなくても書けることですね」とまっとうな指摘を受けてしまった。
内容は、主に初心者のレースでのペース配分について。本人はオーバーペースのつもりでなくても「結果的オーバーペース」となってしまっている人の多いこと。イーブンペースで走ればたいていのレースで後半「抜きまくり」になることからもわかる。いちかばちかの五輪選考を狙う実業団選手じゃないんだから、爽快に力を出し切って終われるペースを考えましょうよ、という主旨である。
確かに名医とは関係なさそうだ。

2009年1月1日木曜日

東松山元旦早朝マラソン


北坂戸と高坂の間で東武線の中から越辺川の向こうの東方に初日の出を見るのも3回目。今年も大晦日と元旦の当直を免れて、このレースに出場することができた。10Kは前半が概ね登り、折り返した後半が概ね下りというシンプルなコースである。だいたい前半5kmと後半5kmで1分は後半が速い。通常のレースよりも朝が早いので、とりわけ寒い。この日も気温は1℃程度だったか。
レースの方は、3kmすぎに3人ほどで形成されたグループでずっとゴール手前まで競り合い(といってもほとんど必死でついていくだけだったが)、さすがにラスト100mのスパートは得意なのでその中では先着した。競り合ったおかげで後半を17分58秒でカバーし、計37分10秒(手元)だった。惜しくもコースベストはならず。
スタート前に、他大学ではあるが同じ中長距離仲間であったF江選手(整形外科医)に偶然会ったのも収穫。ただしあちらは5000m15分台の実力者。2分近く離された。
新年の出足としてはまずまずだった。今年もフルマラソンのベストが更新できますように。