2018年6月24日日曜日

月経周期と熱中症リスク

そろそろ暑い時期になってきた。まだ暑さに慣れていない時期の急な高温下では、熱中症のリスクが高まる。特にランニングやサッカーなどが、リスクの高い競技である。
熱中症のリスクは通常、暑熱環境、強度の高い運動、ウェア、暑熱馴化の程度、などの要因によって決まってくる。また"overmotivation"「モチベーションの高すぎる状態」もハイリスク要因である。
女性アスリートの場合、月経周期に応じて基礎体温が変化するわけだから、基礎体温の上昇する黄体期(月経前の2週間)は、運動時の体温上昇も起こりやすく、熱中症リスクが高い可能性がある。また、黄体期には身体のむくみが出やすいことから、体内の水分分布(皮下組織か血管内か)も変化している、特に血管内脱水傾向が生じているかもしれない。

実際、循環血漿量を調べてみると、排卵直後に最低値を記録し黄体期には増加傾向となるようである。一方、ヘモグロビンやヘマトクリットは、黄体期の序盤で増加し終盤で減少するようであり、単純に黄体期は血管内脱水になりやすいとは言えないようである。
黄体期には、循環血漿量増加の影響で安静時の心拍数はわずかに増加するようだが、だからといって運動中の心拍数や換気量などは特に変化がないとされる。
身体的には劇的な変化はない、となると、どうしても注目されるのは心理的要因である。
黄体期には、基礎体温が上昇し安静時心拍数が増加するわけで、アスリート個人の感覚としては、特に持久的競技ほど不調感、不安感が出てくる。
実際には、黄体期の女性アスリートほど熱中症リスクが高いというはっきりした証拠はないにも関わらず、本稿で私が気にしているように、理屈の上では、黄体期の熱中症は気になるところであり、不安が払拭されるとはいいがたい。
その場合は、月経周期の調節も考慮してよいだろう。すなわち、重要な試合を黄体期ではなく、卵胞期(月経直後から排卵前の間)に当てるようなホルモン剤による月経時期調節のことである。このあたりはスポーツ婦人科医の得意分野なので、ぜひ相談を。


参考:The Menstrual Cycle and Sports Performance : Giuseppe Fischetto and Anik Sax, IAAF, 2013.

2018年6月9日土曜日

無月経アスリートにはピルかホルモン補充療法か

ここでは、低体重、低エストロゲン、低LHタイプの無月経アスリートを対象とした議論をしようと思う。
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)などの体質を有した、低エストロゲンでも低LHでもないタイプの無月経のアスリートも少なからず存在するが、ちょっと別。
いわゆる長距離ランナー型、「女性アスリートの三主徴」型の無月経に対するホルモン療法の話である。

私自身は、更年期女性に対するのと同じホルモン補充療法(HRT)を基本としながらも、疲労骨折を繰り返して骨密度上昇が急務であるアスリートに対しては、そのエストロゲン作用の強さから骨密度増加効果を期待して低用量ピル(経口避妊薬)を処方することもあった。
現在も多くのドクターが、無月経にアスリートにピルを処方しているようである。
ただし、最近は全くといっていいほど処方しなくなった。もっぱら経皮エストラジオール製剤(エストラーナテープ®やル・エストロジェル®)に1,2ヶ月に1回8日間連続のデュファストン®内服、のメニューである。

では、HRTがピルに対して優れている点はなんだろうか。
まず、特に低体重のアスリートにおいては副作用の少なさだ。
ピルを販売する製薬会社のMRさんたちは、「体重増加の副作用は証明されていない」と言うが、様々な年齢・体格のピルユーザーをひっくるめればそうなのかもしれないが、低体重かつ低エストロゲン状態のアスリートにとってはピルによる「エストロゲンショック」はたぶん相当のものなのだと思う。
現に、急激なむくみと食欲増加による体重増加のせいで、多くの長距離ランナーや指導者がホルモン療法嫌いになってしまっているのは悲しいことである。

もう一つは、骨への作用においてピルがIGF-1という成長因子を抑制して骨形成にむしろ不利になる可能性があるのに対して、HRTはそのようなことがない点だ。骨密度増加効果を期待してリスクを冒してピルを処方するメリットがなくなった。

最後に、エストラジオール製剤を使用しているアスリートに対しては、エストロゲン不足が解消されているか、過量になっていないかを採血で秤量することができる。結果により投与量の調整が可能なのだ。ピルではこれができない。

では、これまで別の病院で低用量ピルが継続的ないし一時的に投与されているアスリートで、本人が特に体重増加などの副作用に困っていない場合も、HRTに変更すべきか?
 私の場合、元々低エストロゲン、低LHタイプの無月経である場合には、なるべくピルからHRTに変更を勧めている。

2018年6月8日金曜日

エストラーナテープ®に返戻がつかなくなった

若年女子アスリートに対するエストロゲン補充療法に用いる製剤として、経皮吸収エストラジオール製剤であり、「性腺機能不全」という若年者への投与を前提とした適応病名を取得しているエストラーナテープ®を、自分自身ももっともよく処方してきたし、他の女性アスリート診療に携わる婦人科の先生方にもお勧めしている。

ところがこのエストラーナテープ®、自分の大学病院で処方する限りではいっさい保険の返戻・査定の対象にはなっていなかったのだが、週1回外来を担当している個人病院で処方すると、なぜかレセプトが返戻されてくることがかれこれ3年以上続いていた。「若年者には不適当」という納得しがたいコメントとともに。
この病院ではアスリート外来も開設しているので、17〜30歳くらいの若年者へのエストロゲン補充を要する患者さんは、それなりに多い。全てのエストロゲン剤が査定されてしまっては病院に迷惑をかけることになるので、やむをえず患者さんに事情を話して、自費で処方させていただくことで対応していた。
他の都府県の先生方に事情を訊いてみても、アスリートへのエストラジオール製剤処方が返戻の対象になるなどという地域は他になかった。県内でも大学病院からの処方は認められていたわけで、一部地域に限られていたのだろう。そんなローカルなルールが、受診してきてくれるアスリートに負担を強いているというのは許せなかった。
そこで県の保険審査担当の医師に何度も直談判してみたが、埒があかない状態が続いていた。

ところがこの半年くらい、いつの間にかエストラーナテープ®が返戻されなくなっていることに先日気がついた。
保険審査の担当者が交替したか、あるいは、他の病院からも同様の処方かクレームが多く出るようになり再検討されたか。
無月経アスリートへの治療には経皮投与のエストロゲン剤が推奨されると明記された「女性アスリートのヘルスケアに関する管理指針」が2017年11月に日本産科婦人科学会より刊行されたことも何らかの後押しになったのかもしれない、と考えている。
いずれにせよ、喜ばしい変化である。

2018年6月7日木曜日

無月経アスリートに対するホルモン補充療法のやめどきは?

女性アスリート診療を行っているドクターからの質問にも答えたい。

ホルモン(エストロゲン)補充療法のスパンは、大学生であれば学生の間、例えば2~3年継続のつもりでいますが、自然に月経が再開するかどうか、試験的に休薬期間(無治療期間)を設けることは必要でしょうか?
また、体重増加や故障による長期離脱などで自然月経が回復しそうな場合にはどうすればよいでしょうか?

終了できるのは、P内服なしで出血がたびたびあるようになり、内因性のエストラジオールの上昇が確認できた場合、と説明しています。順調に競技に打ち込んでいる間は、実際なかなか中止できる選手は少ないです。
故障などで体重が増えている間、もし内因性エストラジオールが上昇していれば、中止してみます。また(学生ランナーではレース続きでなかなかオフ期間はありませんが)、実業団マラソンランナーなどで、2,3ヶ月オフ(休養期間)を設けるような場合は、自然月経回復を期待して中止してもよいと説明します。
ホルモン補充を続けている限り、ピル投与の場合と同じように下垂体ホルモン(LH、FSH)が抑制されて、容易には排卵に至らないと思われますので、ときどき中止して排卵・自然月経に「チャレンジ」してみるのはありだと思います。

2018年6月6日水曜日

性分化疾患のアスリートに対する国際陸連の新しい規定

国際陸連(IAAF)の理事会は、性分化の異常を有するアスリートの女性種目への参加資格について、この4月に新しい規定を承認した。なお、ここではとりあえず性分化「疾患」あるいは「異常」と訳したが、原文は"ATHLETES WITH DIFFERENCES OF SEX DEVELOPMENT"と「difference」の語が使われており、最近の社会・医学用語変更の流れに即して、こうしたアスリートへの最大限の配慮が感じられる。
なお、2015年のIOCの規定では、"HYPERANDROGEN"(アンドロゲン過剰)という語が使用されていた。高アンドロゲン選手の女子種目への参加を規制しようという内容自体に大きな変化はない。

今回の新規定での最大の変更点は、制限対象となる競技が400mから1マイルまでのトラック種目に限定されたことである(当該距離のリレー、障害、混成競技を含む)。これは、高アンドロゲンの優位性が科学的に証明できたのが、それらの種目のみであったからとうことになっている*。
また、新規定が適用されるのは「国際競技会」と「世界記録申請時」に限られ、以前のように国内競技会を含む全ての競技会において「基準を満たさない性分化異常アスリート」が閉め出されるわけではない。
「高アンドロゲン」の基準値としては、2015年には「10nmol/L」であったものが、新規定では「5nmol/L」に引き下げられている。より厳しくなったともいえるが、一方、該当するアスリートがこの基準値を継続して下回らなければならない期間は「12ヶ月」から「6ヶ月」に短縮されている。

400mから1マイルが対象となったことから、ちょうどこれらの距離を専門種目とするキャスター・セメンヤ選手(南アフリカ)を狙い撃ちにした規定、との批判が出ている。セメンヤ選手が2009年のベルリン世界陸上後に約1年間を経て2010年に競技会復帰がIAAFによって認められた際に、一定の血中アンドロゲン(テストステロン)レベルを下回ったと推測されるが、基準値が引き下げられた新規定においてセメンヤ選手が「排除される」ことになるかどうかは、まだわからない。
もっともピルなどのホルモン療法によって今後、テストステロンレベルを下げることは可能である。
一方、旧規定に抵触したとして2014年英連邦大会への出場が差し止められたものの、その後のスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えてリオ五輪とロンドン世界陸上への出場を勝ち取ったチャンド選手(インド)の専門種目は100m、200mである。IAAF側は上手に再係争を避けたとの見方もできる。

新規定は、2018年11月1日に発効するとされているが、すでに南アフリカの与党アフリカ民族会議(ANC)が、新規定は不公平で人種差別的であると批判し、CASに提訴するよう政府に要求しているという。ただし新規定とその根拠を読む限り、特定の選手や人種を対象とはしているわけではなく、その批判は当たらないであろう。南アフリカ陸連はこの動きに乗らないのではないか。
発効まで、今後の動向を注視したい。

*ただし規定に添付された論文を眺める限りでは、過去の世界選手権結果と血液サンプルの分析により、400m, 400mH, 800m, ハンマー投, 棒高跳で、高アンドロゲンの優位性が有意差をもって示されたことになっており、新規定での種目と相違がある。

2018年6月5日火曜日

「10年間生理が来ていません」

以前大学時代にお世話になっていた陸上・長距離の○○です。今は実業団として競技を続けています。
最近まで生理が来てないことや女性ホルモンが少ないことから目を背けてしまっていましたが、歳もかさねて、改めて今自分の置かれている状況が凄く危ないのではないかと考え病院に行き、治療を始めようとしたところです。
実際、こういう生理を10年近く来させていない状況ではもう将来、妊娠する事は難しいのでしょうか。まだ競技はもう少し続けていきたいと思っているのですが、考えれば考えるほど将来がとても不安になり、メールさせていただきました。お時間ある時にもしよろしければお返事いただけたらとおもいます。


お久しぶりです。活躍ぶりは拝見しています。
まず、無月経が長期になってしまっているとのこと、憂慮しています。
ただし、将来の妊娠が難しいということは全くありません。
一線から退いて、体重が6kgほど増えればほとんどの選手で月経が半年以内に再開しています。
現役のときに無月経だった選手と、月経がきていた選手と、不妊治療が将来必要になった割合に差はありません。
まずはご心配なく。

問題は、骨密度が維持できているか、年々(特にレース距離、練習走行距離が延びるにつれて)故障しやすくなっていないか、という点です。
疲労骨折や骨盤まわりの故障はおきていませんか?
毎年骨密度は測っていますか?
現役選手を続けているうえで、ひょっとしたら自然の月経発来は無理かもしれませんが、せめてエストロゲン欠乏状態から脱するためにホルモン補充療法を再開してみませんか。
骨密度が十分でない場合には、ビタミンD3製剤やその他の骨粗鬆症治療薬など、おすすめできるものがあるかもしれません。
ぜひ○○さんには、息の長い、できれば子どもを産んでからも競技を続けるられるような選手になってほしいと願っています。


2018年2月11日日曜日

GID学会(3/25)でアスリートの性別について特別講演します

3年ほど前に埼玉医大産婦人科で主管を担当して以来、疎遠になっていたGID(性同一性障害)学会研究大会に呼んでいただいた。タイトルの「2020年東京五輪の選手の性別はいかに決定されるか」というのは事務局のほうが提案してきたそのまま。ちょっと「キャッチー」過ぎるかなとは思ったが、これが私に求められている内容そのものなのだと受け止め、採用することに。
スポーツと性別問題というのは、性分化異常症の「女子選手」の問題としては昔からある。これに最近はトランスジェンダー選手の権利をどう確保するかという新しい問題が付け加わってきている。
特に陸上競技のようなパワーがそのまま成績や記録に反映される競技において、どう扱うか。世界陸連やIOCの現在の考え方と、これから生じるであろう問題点について紹介する予定。

2018年2月10日土曜日

「女性アスリートのヘルスケアに関する管理指針」

日本産科婦人科学会から上記タイトルの書籍が昨年11月に発刊された。
内容は、女性アスリート診療の専門家ではないが日頃婦人科外来を担当する婦人科医向けに、「無月経」「摂食障害」「OC・LEP(ピル)」「ドーピング」などの項を設けて解説したもの。
これまでにも日本臨床スポーツ医学会の産婦人科部会で、同様の内容を指針として刊行してきたが、今回はスポーツドクター対象でなく一般の産婦人科医向けの書物が出たと言う点に、意味がある。
ただ、私も委員として作成に関与したが、学会の策定する指針という性質上、どうしても当たり障りのない、最大公約数的な、無難な内容にとどめざるをえない点が歯がゆかった。
骨密度がじわじわ低下している実業団ランナーにどんな薬を出し、どこまで練習や食事に関与するか、と言った実際の診療場面で問題となるノウハウはなかなか盛り込めない。これは自分で一冊書くしかないな、と・・・。