2008年2月29日金曜日

「私も走ってみたい!」~東京マラソン効果

金曜日は毎週、浦和の産婦人科病院に非常勤医として働きに来ている。今もそこの医局のパソコンで書いている。
当初、僕がこの浦和の病院まで朝、東武線志木駅から9km走って行ったり、フルマラソンに出場していることを話したりすると、完全に「変人」扱いされたものだが、先日の東京マラソンで風向きが変わった。
看護婦さんのうち2人が「来年の東京マラソンを走りたい」と言い出し、どうやって申し込むのか、ウェアは何を買えばいいのか、シューズは、などと質問攻め。なんでも、にしおかすみこがけっこうな好タイムで完走したのをテレビで見て、私も20代のうちに、と思ったらしい。
これからランニングを始めようという人にアドバイスするのは、まず「いいシューズを買え」ということ。アシックスならGT-2130かゲルカヤノ、あるいはそれに相当する他メーカーのシューズ。決してレース用の軽いものを最初から買ってはいけない。
次には「大人のスポーツはカタチから」。まだ走りもしないうちから、気に入りのメーカーのウェアをそろえてしまおう。モノを揃えてからいよいよヤル気が出るのでもいいのだ。
そして最後に「レースにとりあえずエントリーしてしまう」。今から来年の東京マラソンを目標にするのでは遠すぎるので、その途中でさしあたって10月ぐらいにハーフマラソン出場を目標にしよう。
練習は別に毎日する必要はない。できれば週3回。理想的には「2日続けて休まない」。20分ゆっくり走りから徐々に時間を延ばして、50分走れるようになれば、今の僕の練習と大差ない。
決してゼイゼイする走りをしてはいけない。終盤徐々にペースがあがるくらいの速度でいい。

そんなことを今日、アドバイスした。
そしてたまたま院長が通りかかったので、病院の待合室用に「ランナーズ」を定期購読で買っていただけないか、と申し出たら、本当に続くのか?と半信半疑ながらも快諾していただいた。
これから「25ans」とか「Frau」に並んで、待合室に「ランナーズ」も並ぶことになる。愉快だ。看護婦さんたちも争って?読むことになるだろう。こうしてランナー仲間が増えていけばこれほど嬉しいことはない。

2008年2月28日木曜日

通勤ラン~埼玉と都心の比較


自宅のある坂戸から職場(埼玉医科大学病院)まで約10kmある。
車なら20分程度、電車なら東武越生線で東毛呂駅まで行って1km強、ということになる。
2年半前に埼玉医大への赴任が決まったときには、当然走って通勤することを前提に住居を探した。坂戸は距離がちょうどいいうえ、池袋までも電車1本なので迷わず決めた。
で、もちろん現在も走って通勤している。
週に大学当直がだいたい1~2回、外勤が1回あるから、大学へ自宅から出勤する日が週に約3回。レースの翌日やよほど疲れている日など以外はバックパックを背負って片道10kmを走っている。
さすがに帰りも走って往復20kmにすることはめったになく、帰りは越生線の武州長瀬駅までの2kmか、川角駅までの4kmを走ることが多い。
レースの翌日や休養日でも、武州長瀬駅か川角駅まで電車で行ってそこから走るから、走行距離0kmという日はめったにない。すなわちどの日もランニングウェアにバックパックで出勤していることになる。

以前の職場(御茶ノ水)にも恵比寿の自宅から約10kmを走って通っていたし、その前の東大病院にも走っていたから、通勤ラン暦は7年以上になる。
都心を横断して通うのと比べれば、今の埼玉の田舎のほうがずっと走りやすい。
まず、信号がない。恵比寿から御茶ノ水までは六本木~溜池~皇居~二重橋前~大手町、と通っていったが、よほど偶然が重ならない限り最低3-4箇所は信号にひっかかる。
止まってまた走り出すことほどランニングのリズムを崩すことはない。
今はせいぜい大学直前の県道を横断するときに信号待ちがありうるだけで、止まることはほとんどない。
次には空気が違う。都心も早朝こそ澄み切った空気を味わえることもあるが、8時をすぎるともう排気ガスに満ちてくる。明らかに東京にいたときの方が鼻毛が長かった。
都心の通勤ランの方が有利な点もいくつかあって、まず夜の帰宅ランが街灯が明るくて安全。人もたくさんいる。それに引き換え埼玉は夜、走って帰るには真っ暗なところも通らねばならず、少々気が重い。
通勤ランの人に会うことがあるのも都会の方だ。皇居などには、日付が変わってもまだランナーがいたりする。埼玉に来てから通勤ランの人とすれ違ったことがない。会うのは城西大駅伝部の学生ばっかりだ。
また歩道が整備されているのも都会の方だ。申し訳程度についている細い田舎の歩道レーンを、車にかすめられながら走るのはこれまたストレスが高い。
埼玉医大に赴任した当初は、どうしても地図をたよりに主要道路に沿うコースを選択していたので、車が気になることもあったが、だんだんコース選択も上手になって、今は幹線道路はほとんど通らなくなっている。一部不整地だって通ることもある。

通勤ランについてはキャリアが長いだけにいろいろ語ることがある。道具やコツを含めて、この話題は今後続けていくことにしたい。

2008年2月24日日曜日

八王子駅伝


今日は八王子駅伝に埼玉医大チームで出場した。といっても4人のチームメンバーのうち、明海大、東大大学院から助っ人を仰ぐ構成ではあったが。
この駅伝はJR八王子駅前をスタートし、国道20号を西進するという市内の目抜き通り・幹線道路を大きく交通規制して行われる。距離が最長6km程度と短く、4区間しかないところが、若干本格感には欠けるが、今日の交通規制にあたる警官の数を見ると、そこらの田舎駅伝とは全然違うことがわかる。
僕は3区5.4kmを走ったが、3分30-40秒のペースが異様にきつく、終盤周囲のペースダウンのために相対的に順位を少々持ち直したものの、全体では8人抜かれ・2人抜き、20分09秒もかかる冴えない走りだった。
しかしまあ、1月も県南駅伝では今日と同じような大凡走だったけれども別大では快走できたので、あまりこの距離の調子とハーフやフルとは関係がないのだろう。

行きに鶴ヶ島の城西大の駅伝部寮の前を通ったら、ちょうど部員がこの駅伝のために寮を出発するところだった。城西大は去年の奥むさし駅伝で、替え玉出場により失格になったのだが、今日はちゃんと本物が走っただろうか?

2008年2月22日金曜日

東京マラソン医務員の感想〜制限時間・テレビ中継についても





東京マラソンの日は、まず桜田門で有楽町線を7時半に下りて、仕事場所であるフィニッシュ地点の東京ビッグサイトまでマラソンコース沿いに約10kmを走って行った。朝のまだ人気(ひとけ)のない銀座や豊洲の街並みは、道路がきれいに清められているようにきれいで広々としていた。銀座や日比谷の街角にはもう揃いのコートを着た補助員が集合し始めており、思わずごくろうさんとつぶやいてしまった。
正月にこのコースを試走したときにも思ったことだが、ゆっくりjogであるにもかかわらず、築地以降の橋のアップダウンは案外脚にこたえる。終盤でこの橋の連続はしんどいだろうと思う。風は北西なので、コースは概ね追い風になりそう。昨年の冷雨の悪コンディションとは比べものにならないぐらい。
さて、医務員(救護員)の仕事だが、私はフィニッシュ地点(ゴールの直後の場所)に待機して、非常事態に備えていた。
2位の藤原新選手がゴール直後に脚をつらせて倒れたシーンでは直接触れるか触れないかぐらいまで近づいて「つったんだね?!」と大声で本人に確認の声をかけたりしたので、当然テレビに映っているかと思ったが、後で確認したら、完全に死角に入っていて全く映っていなかった。
結果的には脚がつったり膝を痛めたりでゴール直後に歩けなくなった選手を数名、直接メディカルセンター(医務室)に車いすで搬送したのみで、昨年3人出たというAEDを必要とする選手などは一人もいなかった。
多くのランニング仲間、大学の先輩・後輩などが出場しているので、見知った顔を探そうとするのだが、2時間45分以降は間をおかずにどんどんゴールしてくるので、全員をキャッチするのはなかなか困難だった。
こうして最初からフィニッシュを見ていると、2時間46分台で喜んでいる自分がまだまだ平凡だということを思い知らされたような気もして、もっと頑張らなくちゃという気になってきた。
総じて2時間40分台後半から50分台でゴールした選手は、晴れやかな達成感のある表情をしていた方々が多かったように思う。
これが3時間~3時間30分ぐらいでは、苦渋に満ちた感じの人が多く、3時間台後半から4時間台がまた充実したいい表情の人が多い、というのが大まかな傾向だった。
さすがにフィニッシュ地点待機も、夕方に近づいて日が翳ってくると寒くなってくる。時々交代しながらの仕事となった。5時間半までにおよそ2万人がフィニッシュ。このあたりまでは案外元気そうに手をふったりガッツポーズをしながらゴールインしてくる人が多い。
ところが6時間を超えると、多くが歩きながらのゴールインになる。しかも脚をひきずったり、明らかにバランスを崩しながらやっとたどりついたという感じの人がまじり始める。
医務室に最後まで残って、全く歩けないのでタクシーを呼んでくれということになった3人のランナーも、この最後の6時間台のゴールである。この人たちは明日まともに出勤することは難しいだろう。それでも完走したということになるのかもしれないが、そこまでして「歩いて」ゴールすることにどれだけ意味があるのか。明らかに体を痛めている。
仮にキロ8分という亀さんのようなスローペースのジョギングで42.195kmを走ったって、6時間以内にはフィニッシュできる。だから6時間台の人の多くは相当部分を歩いてしまっていると推測される。
そこでいっそのことフィニッシュ制限時間を6時間にした方がいいと思う。これにより明らかに練習不足の選手は、体に申告のダメージが残る前の段階で収容できる。その方が本人のためにもいいのではないか。完走できなければ、なにくそというわけで翌年はもっと練習して臨んでくれるかもしれない。
若いのに情けないアナウンサーや、でぶちんタレントが6時間台でゴールしているのを日本テレビは芸能番組として延々と長時間放映していたが、マラソンをショー化して冒涜しているような不快感さえ感じた。やはり練習しないとだめでした、とあのアナウンサーたちには言わせたい。なのでやはり制限時間をせめて6時間にすべきではなかろうか。
ニューヨークシティーやロンドンなどの海外メジャーマラソンも制限は7時間以上だというが、6時間台の日本人はなにかメッセージを発信しながら、あるいは笑顔を振りまきながらあえて遅いことを楽しんでいるというよりは、悲壮な顔をして脚をひきずっているという傾向があるように思う。だから海外と同じにすべきだというのもあたらない。
これは、競技マラソンというものになおも思い入れのあるランナーの一人としての意見である。もっとも、今年抽選に漏れて走れなかった僻みも入っているかもしれないが。

ただ、外勤先のナース(普段は時間さえあれば走りに行こうとする私を変人扱いしてきた)が、にしおかすみこがすたすた走りきったのを見て、来年は私もエントリーしたいと言い出したに驚いて、また、新書「東京マラソン」にいかに警察と折衝して7時間制限を勝ち取ったかを読んで、これまでランニングと縁のなかった人にもとっつきやすくするには7時間制限もいいのかと少々ぐらついてきているところではある。

2008年2月17日日曜日

明日は東京マラソン医務員〜徳本選手欠場についても

明日のフィニッシュ地点救護班の現地集合時間は8時30分である。従来の東京国際マラソン(男子)や東京国際女子マラソンのときも集合時間はスタート時刻の1時間以上前だったけれど、これはスタートとフィニッシュが同じ国立競技場だったし、なにしろレースがせいぜい3時間半しか続かないわけだからかまわなかった。しかし、明日は制限時間7時間なのだから、9時スタートで最終走者のゴールは16時になるわけだ。これは救護班としても長丁場になりそうだ。
それにしても、途中の救護所スタッフの集合時間は9時15分とか9時半とか、通過時刻に合わせてスタート時刻よりも遅らせてあるのに、フィニッシュだけはスタート時刻の30分も前である。実際に選手が入ってくる2時間半以上前なのだ。なにを準備するんだろう。
今回、医務活動のプラン立案に関わっていないので、なにも知らない。
ちなみに、送られてきた医務活動マニュアルに「医師は聴診器を持参すること」と書いてあるが、そんなものは学生時代以来持っていない。内科や整形外科や麻酔科の医師は自分の聴診器を持っているんだろうか・・・。

ところで明日救護活動をするだけではつまらないので、フィニッシュの東京ビックサイトに向かう途中、有楽町線桜田門駅で降りて、フィニッシュまでの約9kmをコースに沿って走っていくことにした。
正月に不忍池ACのコース試走会に参加したから道を間違ることはないだろうが、信号でさんざん停められてリズムが出なかった記憶があるから、50分以上見ておかねばならなそうである。

招待選手の中で、日清食品の徳本一善選手が欠場だそうである。10月、11月、1月と1000kmを超える走り込みをした結果、長拇指屈筋を痛めたということだ。気になるのは、徳本選手のシューズに対する考え方である。
アシックスの三村さんの考え方に従って、練習で徐々に薄いシューズを履けるようになることが進歩の証のように書いていて、昨年ターサージャパンを履いていたことが未熟だったかのように振り返っている。しかし昨年はちゃんと東京マラソンを完走できて、今年は出場すらできないのではどちらの年がうまくいったかは自明であろう。マラソンシューズのデザインにグラデーションだ何だと凝るのもいいが、薄くて横ぶれのしやすい不安定なマラソンシューズをjogや走り込み期に履くことは、このレベルの選手にとっても、足にいいことは何一つないのだと再認識した。なにしろアテネ金メダルのイタリアのバルディーニは本番でもターサーを履いて優勝したのだ。徳本選手のような比較的筋量の多い、筋力型の走りをする選手こそ、もっとごつくて堅いシューズで走り込むべきだ。

2008年2月15日金曜日

まだ休養期~明後日は東京マラソン

今週もまだ疲労が抜けていない感じがする。金、土、月、木、金とこの8日間で5回も当直があったせいもあるが、これは自分が医局長で組んだ当直だからしょうがない。というか、どうせこの時期は別大の疲労であまり走る元気がないだろうから、当直の回数を稼いでおくか、という下心があったわけなので、予定通りとも言える。
疲労といっても、脚はだいぶ元気になってきて、川角駅から病院までの4kmを走るときなどはだいぶバネが戻ってきた感じがする。それよりももっと体幹の疲れがあるようで、夜もすぐ眠くなってなかなか仕事が進まない。
今日も外勤先で外来の後、近くの別所沼公園に走りに行く元気がなかった。寒さがもう少しゆるんだら走りに行こうかなどと考えてしまう。

さて明後日は東京マラソン。昨年は冷雨の中、ろくにウォーミングアップもできず、びしょぬれでスタートを待ち、凍えながら2時間54分台で完走した。今年は抽選に漏れて医務員にまわるが、幸い別大が好結果だったので別に出場できなくて悔しいわけではない。しっかり仕事をして昨年の恩返しをしようと思う。
担当場所はフィニッシュ地点に決まった。
心臓が止まったり不整脈が出たりして救急蘇生やAEDが必要になる人は、1人いるかいないかだろうけれども、気候条件によっては低体温症や全身の筋肉痙攣の選手、逆に脱水の選手などが出ることもある。フィニッシュ地点での医療設備、医療活動場所がどの程度確保されているかがよくわからず心配なところだが、幸い、スタッフ、ドクター数は十分確保されているようなので、現場での工夫をしたいと思う。
むしろ救護の仕事があまりなくて我々が7時間以上もの間、寒さに震えることになるのではないかと、当日の防寒服を考え始めている。

2008年2月11日月曜日

まだ疲労回復の途中〜世界ジュニアの帯同決まる

別大の後、2日間(月曜火曜)は階段を下りるのも大儀で、蟹歩きになったり、ロボット歩きになったりしていた。
水曜の出勤から一応走れるようになり、といっても病院に近い武州長瀬の駅から2kmをゆっくり15分弱かけてとぼとぼ走るのだが、一応ランニング再開した。おおよそ1週間はこの程度だった。
明朝は大学病院での当直入り前に、埼玉医大の学生を誘って練習会の予定。昨日の積雪で山道は厳しそうだが、ゆっくりLSDなら大丈夫かな。南向きの斜面の方が雪解け状態が良さそうだから、日高方面、高麗神社から清流林道のほうへ行ってみようと思う。

次のレースだが、3月の荒川市民マラソンに出るかどうかまだ決心がつかない。エントリーはとっくに済ませてある。せっかく
調子がいいのだから、あと5週間、疲労を抜きつつ、スピード刺激を上手に入れればもういちど記録を狙える体調に持って行ける可能性がある。じっさい荒川も風さえなければ記録が出やすいコースだし、2時間45分〜50分の人も多く出るので、終盤まで競り合う相手には事欠かない。
しかし、気持ちとしては別大でいったん燃え尽きたというのが正直なところ。再びモチベーションアップするのはきびしいかも。ま、あまり距離を追い込まずに、スピード練習とトレイルを気分転換にやりつつ意欲が出てくるのを待とうと思う。
ちなみに荒川の後には、4月6日の青梅高水山トレイルにエントリー済み。何の気なしに15Kでなくて35Kの部にエントリーしたけど、よく考えたらこれはフルマラソンよりも所要時間がかかるわけで、相当覚悟がいるレースだ。ちゃんとトレイル用の練習をしないで臨むと痛い目に遭いそう。

さて、日本陸連医事委員長(山澤先生)から連絡が入って、7月に世界ジュニア陸上の日本チームに帯同することになった。この大会は2年おきで前回の北京大会にも帯同した。このときには、渡辺先生(仙台育英)や長谷川先生(須磨学園)、越川先生や沢木先生(順天堂大)、原田監督といった著名な先生方と知り合えたし、小林祐梨子選手ほかゆくゆく日本を代表するランナーになるであろうジュニア選手たちを知ることができたし、(2週間北京に軟禁はつらかったけれども)有意義な遠征だった。
今度の開催地は、ポーランド。ビドゴシチっていう地名、僕は知らなかった。久しぶりのヨーロッパというのは大いに楽しみ。今度はどんな選手と一緒になるだろうか。
ただ埼玉医大の医学部講義日程をずらしたりしなければならず、こちらの調整がたいへんである。

2008年2月10日日曜日

別大マラソン〜レース中盤以降



15km以降は別大国道を別府方面に向かうわけだが、ここの道路は左側に大きく傾いていて走りにくい。接地脚がアンバランスになってしまう。しかも徐々に向かい風が気になってくるし、集団は少しずつ離合集散を繰り返して、風を受けなければいけない場面も出てくる。15kmまでが19分42秒、20kmまでは19分56秒、別府市内に入って25kmまでは20分02秒と徐々にラップが悪くなるのは主に向かい風の強まりのせいだと思う。
22km付近で不忍池AC所属で僕より実力は上のS長さんを追い抜く。急に追いついてしまったところを見るとS長さんは相当にペースダウンをしていたようだ。中間点は1時間23分08秒。関門締め切りまで「あと1分!」と係員が叫んでおり、油断をしてはいけないと気をひきしめる。
25kmすぎに折り返すと追い風になり、待ちかねたように周囲のランナーもペースアップした。折り返してあっという間に最後尾車が折り返し一般車が続く。あらためて関門通過ぎりぎりペースでくぐり抜けていることを自覚した。
そこで、無理してはいけないと思いつつ、このペースアップに遅れてはならないと少々脚を使ってついていく。27kmの別府タワーの近くで、事前予告通り、11月の別府での臨床スポーツ医学会でお世話になったM先生を沿道に見つけ、振り向きざまに声をかける。どうも向こうからは僕に気づいていなかったらしく、驚いたような顔が印象的だった。M先生に挨拶できたことで、なんだか急に晴れやかな気持ちになり、ふと気づくと先ほどまで必死について行っていた集団を自分がリードしている。しかも相当に余裕がある。
30km手前では、大学時代によく知っている一橋大出身の確か1年後輩にあたるW君を抜き去った。彼にもひところ全く歯が立たなかったから、ますます自分の好調を自覚する。30kmまでの5kmが19分32秒とペースアップ。このあたりでいちど右大腿裏にピクッと軽い痙攣が走り、あえてペースを落として集団が追いついてくるのを待っていったん脚を休ませた。
再び海沿いの別大国道に入ったが、追い風に押されて、速度を上げすぎないように注意しつつ、幸い痙攣の再発もないので、いよいよ思い切って単独走に切り替えて、次から次へと追い抜き始めた。このあたりの10kmは本当に楽だったしスピード感もあったし、記録に対する期待も出てきたし、でとにかく楽しかった。だんだんと追い抜くランナーのナンバーカードが400番から300番台へとランクアップし、時には100番台の選手も混じるようになってきた。35kmまでが19分44秒で、まだまだ20分を切るペースを維持できている。ここでほぼ完走を確信できた。
しかし残りあと5kmぐらいになってから、徐々に追い風が横風にかわったのか、苦しくなってきた。「4歩で1呼吸」から「3歩で1呼吸」に切り替えてなんとかリズムを維持、少々ペースは鈍ったものの追い抜き続けることができた。さすがに好調にとばした影響か脚にきている。中春日の交差点を斜め左に入ったあたりはもう限界近かったのに、40kmまでも19分54秒とまだ20分を切るペース。ただし時計を確かめる余裕はもうなかった。舞鶴橋の上りは止まりそうになるかというぐらいスピードダウンしたが、回りのランナーはもっとばてている。競技場も見え元気が出る。ところが舞鶴橋を渡り終えて左折すると、意地悪なほどの向かい風が襲ってきた。動かない脚に鞭打って進む。やっとの思いで競技場に着き、入り口のタイマーを見ると、まだ2時間45分を回ったばかり。これは46分台が出る!きつかったがラスト200mからラストスパートをかけ(もがいているようにしか見えなかったと思うが)力を全て絞り出してゴールインした。46分30秒台の時計を確かめて、思わずガッツポーズ。座り込んだり膝に手を当てたりする他のランナーをかき分けるように歩き回りながら、興奮を隠しきれなかった。2時間50分すぎの関門ぎりぎりで、大学陸上部の先輩が疲労困憊で競技場内に戻ってくるのに応援のハッパをかけた。帰り際には陸連医事委員長の山澤先生にもお見事と声をかけてもらった。まだまだ現役ランナーで頑張っているところを見せられてよかった。
ラスト2.195kmは8分54秒。ラスト1kmからの強烈な向かい風を考えればまあまあかもしれない。後で途中計時記録を見ると、僕の前後にゴールしたランナーで8分台はいないことからも、自分で思ったほどはラスト落ち込まなかったと言えると思う。
今回もカーボローディングがうまくいったのだろうし、もちろん脚作り自体がうまくいっていたのだろう。その結果、30km以降いちども脚の痙攣がなくペースダウンせずにすんだことにつながった。
もっとも前半が少々の向かい風、徐々に風速が増して後半が強烈な追い風という「神風」に恵まれた面もあるので、浮かれすぎないようにしなくては。ただ今回のレースで、19分台でずっと楽に押すという、新たなスピード次元に入れた気がする。
37歳。もうあと5年ぐらいは自己記録更新をめざしてあがいてみようと決めた。

2008年2月9日土曜日

別大マラソン〜レース当日・10kmまで



レース当日の起床は7時。関東とは日の出の時刻が全然違う。やっと7時ぐらいから明るくなり始める。スタートが12時というのがエリートマラソンのいいところだ。ゆっくり準備ができるし、朝食もゆっくりでいいし、体も無理に起こす必要がない。
天気予報は曇時々雨とのことだから、念のためにターサージャパンに防水スプレーを念入りに施した。風は徐々に北西の風が強くなるとの予報だから、後半が追い風になる。逆よりははるかによい。向かい風の前半は集団に潜んでいればいいのだから。
朝食は9時からホテルのバイキング式。高炭水化物にこだわらず、少々緊張し始めていたので、消化のよいと思われるものを普段通りの量だけ食べた。
競技場には10時半すぎに到着。一次コールが始まっていたのですぐ2階の選手控え室(室内練習場)からトラックに下りたが、全選手がナンバーカードのついたランシャツを持って長い列をつくって並ぶ、という他のマラソンでは見られない光景だった。
奥武蔵道場のお仲間や、うしろぐちRCの知人と挨拶をかわした。
11時前から体操、ストレッチング。トラックの一番外(8コース)を1周歩いて1周ゆっくりjog。最近のフルマラソン前はウォーミングアップはこれだけにしている。最初の頃はこれだけでは足りないのではないかと心配だったものだが、今ではこのやり方に自信を持っている。せっかく貯めたグリコーゲンや体内水分を出してしまっては意味がない。数日前からのウォーターローディングも効いていて、ちょっと水分を摂るごとに30分おきにでもトイレに行きたくなる。トイレに長蛇の列ができないのもエリートマラソンのいいところだ。
30分前にはランシャツに着替え、アームウォーマーを装着し、乳首に絆創膏を貼り、肩や大腿の露出部にワセリンを塗り、バームウォーターとソロン(胃薬)と芍薬甘草湯とアミノバリューを飲み、ターサージャパンを履き、ほぼ準備完了。最後にもういちどトイレに行って、コートを控え室に脱ぎ捨ててトラックに出たのがスタート10分前。
日差しもさして、思ったよりも暖かく、風もない。東京では大雪で青梅マラソンが中止になっているとのニュースが入っていたから、好コンディションで走れること自体を幸せに思いつつ、目標はあくまでも関門を通過しての完走、と自分に言い聞かせた。スタート場所は、大雑把なナンバーカードの区切りではなく、きっちりナンバーカード順に横並び順も決められる。これは初めての経験だった。
スタート直前にこれまたいつも通りにスニッカーズ1本を口に放り込む。
12時きっかりにスタート。競技場から外へ出ると追い風である。自分と同じくらいのナンバーカードの選手をさがしてペースをつかもうとするが、どうしても早くなってしまうのを抑える。5kmが19分32秒と少々早すぎる。抑えようと思うが、あまり抜かれっぱなしになるのもいけない。結局同じような位置関係のまま走っていくと10kmまでは19分22秒とさらに早くなってしまった。オーバーペース気味ではあるが、楽にこのペースについていけているのでひょっとすると調子がいいのかもしれないので、無理に急激に落とすことはやめて流れに任せることにした。ちなみに序盤の給水ポイントでは既に先行ランナーが取ってしまっていてドリンクがなく、路上に投げ捨てられているペットボトルを拾う選手がいたり、それを他の選手にも手渡しで回していく美しい光景が見られた。このあたりは大会主催者にも工夫して欲しいところだ。

2008年2月8日金曜日

別大マラソン〜レース前日まで

別大から帰ってきた先週は病院の方が急に忙しくなり、なかなか更新できなかった。せっかく快記録を出した別大完走記だから、いい加減に書きたくなかったというのもあるけれども。
ちなみに忙しくなったというのは、急患が多かったというのはもちろん、2月は僕たちの診療チーム(普段は僕を含めて3人の医師からなる)に研修医がつかないことになりその分仕事が増えたせいもあるし、なにより4月からの新年度の人事や外勤の配置換えの相談・交渉が急に始まったせいだ。
ともかく、記憶が古くならないうちに別大のことを。

正直言って、11月のつくばマラソン前と比べて、調整は完璧ではなかった。まず冬場と言うこともあって体重がなかなか絞りきれない。57kg以下に落ちることなく、グリコーゲンを貯めまくる最後の3日間に入ってしまったから、直前はこわくて体重計を見ていない。つくば前より1kgは重かったはず。それにレース1週間前に行うグリコーゲン枯渇目的のロング走を、浦和の学会出席を兼ねて東上線霞ヶ関駅から浦和まで走ったのだが、予想より距離が5kg近く長く、大腿四頭筋を中心にかなり翌日には疲労が残ってしまった。疲労が抜けきれなくてマラソンが走れるわけがない。一時は、完全に調整失敗したかと暗澹たる気分になっていた。
4日前の水曜日に朝10km、夕10kmの通勤・帰宅ランを行ったときも、どうにも疲労感があり、全くペースが上がらなかった。グリコーゲンをいったん使い切るのが目的だから当然だと自分に言い聞かせてはいたが、不安は募る一方。
幸いこの冬はいちども風邪もひかず、喉や鼻の不調もなく、体調自体はずっとすこぶる良好。そこに望みを託すしかなかった。
レース前日は9時半頃の羽田発の飛行機で大分へ。どう見ても別大マラソン出場者と思われる、ウインドブレーカー姿やベンチコート姿でランニングシューズにスポーツバッグのランナーらしき搭乗者が何人もいて、少しずつ緊張感が高まる。
前日受付は別府のビーコンプラザで行われた。かなり雨が強く、翌日の天候が心配になる。その雨の中、jogをしている出場者もいて驚く。ちなみに僕は最後の3日間は一歩も走らない完全休養だ。ナンバーカードは491番で、560番ぐらいまでしかないからほとんどケツの方。2時間50分が出場資格で、48分半なのだから当然だが。しかもあの好条件のつくばで直前に切ったばかりなのだから、実力的には最低のあたりと思わなければならない。
前日宿泊は大分市内。ゴールの大分市営陸上競技場まであと2kmほどのコース沿いにあるホテルを選んだ。選択のポイントは大浴場があること。いい具合にあたたまることができた。ネット環境も良かったし、来年の前日宿泊もここにしようと思った。入浴の前には急遽ネット検索して徒歩2分のところにある床屋へ。短くランナーらしく刈り上げ、久しぶりに顔剃りまでしてもらい、さっぱりした。地元の人に応援の言葉をいただくと嬉しいものだ。

2008年2月4日月曜日

別大マラソン〜自己記録を2分更新!

先ほど別府から帰ってきました(今日は冬休みの1日目を使いました)。
マラソンの結果は、2時間46分37秒(手元計時)で、約2分の自己新で完走しました!
結果がよかったので、とりあえず遠征全てが楽しかったです。
久しぶりのエリートマラソンの雰囲気は、やはりよかったなあ・・・。

詳しくはまた明日。

2008年2月2日土曜日

大分入り〜別大マラソン前日


大分市内のホテルにいる。こちらは日中かなり強い雨が降っていて、明日の天気が心配なところだが、予報を見ると「曇時々雨、12時から15時は降水確率40%、最高気温9℃、風は1〜2mで北西の風(ということは帰りの別大国道が追い風)」とまずまずのコンディションになりそう。
昨日、今日と、一切走らず。ひたすら炭水化物中心に食べて筋グリコーゲンをためるのみ。
別府の受付会場(ビーコンプラザ)では、フルマラソンの補正タイム算出に精力を注ぐ池上さん(不忍池ACのお仲間)に会った。池上さんは出場するわけではないのだが、国内の主要なフルマラソンは男女を問わず必ず現地に足を運んでいる。すごい。主催者に全出場者のエントリータイムのデータ提供を申し入れたところだという。
池上さんのサイトはハートフルランナーズ。いちどご覧あれ。
大分のホテルに着いてから散髪した。2年越しの念願の晴れ舞台なのに少々伸びてきていたから。来年度の医局員がもし誰も入らなければ医局長として責任をとって坊主になると宣言していたのだが、なんとか2人入ってくれそうな見込みなので、今日はもちろん坊主にはしなかった。よく考えたら高校生の頃から髪型はかわらない。最近のばし始めているあごひげは迷った末、残した。
夕食を終えて、ナンバーカード491をシャツにとりつけ、プログラムを確認。スタートは最後列から5列目ぐらい。
防水スプレーを持ってきてよかった。もっとも羽田空港では本人機内持ち込み禁止の危険物として預かられたが。
とにかく、明日の目標は、関門をくぐりぬけての「完走」である。

ところで、関東地方の天気予報を見ると、明日は雪。別大の出場資格が得られなければ出るはずだった青梅マラソンはたいへんなことになりそう。
東京マラソン人気の余波なのか、せっかく過去最高の参加人数となるとのことなのに・・・。
一度みぞれまじりの雨がふる青梅のレース後は、体が冷え切って手もぶるぶる震え、荷物の置いてある市立病院までが遠かったなあ。しばらく震えが止まらなかったのをよく覚えている。
青梅に出場の皆さんは、オーバーペースを避け、防雪・防寒対策を十分施してレースに臨んでいただきたい。雪または冷雨が降っているときのおすすめは、ひさし付きの帽子は当然として、露出部ワセリン塗りまくりと使い捨てキッチン用手袋をランニンググローブの上から着けることだ。