2008年11月30日日曜日

宇都宮の朝jog〜trfとブルックナーリズム


宇都宮で土日に学会があった。今朝は朝日を浴びながら宇都宮の町をjog。まず県庁の壮大な建築の横を通り、宇都宮タワー、吊り橋、宇都宮競輪のある八幡山公園へ。少しアップダウンを上り下りした後は、東へ向かい、南北に走る田川に沿って走った。写真はその川沿いの道。
先日購入してiPod touchに入れたばかりの「Keep Runnning」(中級向け)を聞きながら初めて走った。かつて(大学生の頃)trfが案外好きだったので楽しみにしていたが、オリジナルの楽曲をそのまま使っているわけではなく、平板な同じトーンの演奏でメドレーのように曲が連なる構成にがっかりした。一応trfの「EZ DO DANCE」や「BOY MEETS GIRL」などは、オリジナルに近いアレンジでボーカルも入っているからまだましだったが・・・。外勤先の病院の外来で一日中流れているオルゴールによる流行歌有線チャンネルを思い出した。
普段、主にクラシックを聴きながら走っているから曲のテンポやリズムが走りのピッチに合わないことには慣れている。というか曲のリズムには関係なくピッチを刻んでいる(と言った方がいいかもしれない)。
ところがこのダンスミュージックは、わざわざピッチに近い拍数に合わせてあるのだが、それが必ずしも快適ピッチと一致しない。これはかえって走りにくい。無理にピッチを落として合わせることになる。
しかもtrfは2拍子と3拍子の連続「タン、タン、タタタ」というリズムが多いので、足が合わせにくいことこのうえない。意識しすぎるとたたらを踏みそうになる。ちなみにこのリズムはいわゆるブルックナーリズムと一緒で第4交響曲(ロマンティック)などで多用されている。ブルックナーを聴いて走るときは、ハナから走るリズムを合わせようなどとはしない(これはテンポが刻一刻と変わるから)ので、全く気になることはないのだが・・・。
というわけでこのせっかくの「Keep Running」、今後あまり聴くことはなさそうである。

2008年11月24日月曜日

GT-2130〜小指外側部に弱点あり

シューズマスターの役立ちブログに影響を受けて、1年半前からアシックスのGT-2100シリーズを基本トレーニングシューズとして愛用している、
このシリーズは毎年GT-2110→2120→2130と10刻みでバージョンアップされるが、基本的仕様やラストは変わらないので、安心して同サイズをネット注文できる。旧モデルはたいてい安くなっていて8,000円程度のお値頃価格で手に入る。
ちなみにこのシリーズにはNEWYORKと品名(愛称?副題?)が付いているように、アシックスが力を入れているニューヨークシティーマラソンの行われる11月にニューモデルが発売され、アメリカを中心としたワールドワイド展開のモデルである。
基本的にはワイドなラストで、サイズの割に大きめだから、たいていのアシックスのシューズでは25.0を選ぶ僕も24.5がちょうどいい。

さて、今日書こうと思ったのは、2008年モデルのGT-2130は小指の外側の張り出す部分に補強革がないので、穴が空いてしまいやすいぞ!という点だ。半年ちょっとで写真のような感じに大穴があいてしまい、ソールの摩耗よりこの穴がシューズの寿命を決めてしまっている。
ちなみにGT-2120ではこの部分にちょうど補強革が当てられており、決して穴が空くことなどなかった。毎日のように通勤ランに使用するのであるから、耐久性も求めたいのに、これでは・・・。
僕だけ小指が外即に突出しているわけではなく、ある後輩も同じシューズの同じところにでっかい穴が空いていたから、こうなるとシューズのせいだと言っていいだろう。
アシックスは「それならワイドモデルを買え」と言うかもしれないが、そうなると踵回りががばがばになってしまう。他の点が優秀なだけにもったいない。
先頃発売された2009年モデルのGT-2140は・・・・期待してカタログを見たが、この部分に関する限り、残念ながらGT-2130と同デザインであった。


***昨日のレースの疲労があったが、朝7時スタートで入間川サイクリングコースを上福岡へ。35kmを3時間弱で走った。最後は両膝がいたた、になった。写真はサイクリングコース上から見た川越の埼玉医大総合医療センター。研修医2年目に勤めた。

2008年11月23日日曜日

秩父宮記念ロードレース〜へばったがなんとか37分台

この由緒正しい名称のレースは今回がなんと第50回の記念大会。同じ埼玉県内とはいえ、車で1時間半近くかかる秩父の浦山ダム上をスタートゴールとし、秩父さくら湖畔をコースとして行われた。
まずは、駐車場から会場までのシャトルバス。少なすぎる。駐車場に着いてから長蛇の列に並んで、実際にバスに乗れたのが1時間後!
これは運営がまずいとしかいいようがない。出場料を500円あげてでももっとシャトルバスを用意してくれ。
実際、スタート時間を10分繰り下げて実施していたが、それでも最初の小学生の部に間に合わない家族が続出していた。
で、僕は10kmに出場。緩やかなアップダウンが連続する難しいコースで、ウォーミングアップも数百メートルjogする時間しかなく、若干序盤かんばりすぎて後半ピッチが落ちてしまい、2人に抜かれて39歳以下の部で13位だった。タイムは37分56秒。もちろん不満足だが、いい脚と心臓への刺激にはなった。

好天に恵まれて、陽光を反射する鏡のような湖面と、湖畔に屹立する秩父の山々をしっかり鑑賞できた。
次のレースは12月第一週の黒山鎌北駅伝。なんと学生チームのアンカーを走る(監督会議で認可された)。

金で釣られる産科医〜モラルハザードを引き起こさないか?

朝日新聞によれば、「さいたま市は21日、ハイリスクな妊婦の分娩(ぶんべん)や妊婦の救急搬送の治療にあたる同市立病院(緑区)の産科の勤務医に、来年1月から1件10万円の手当を支給する方針を明らかにした。地域の基幹病院として産科の勤務医を確保したい狙いがある。」とのことである。
10万円か。いくら何でも高すぎやしないか。
先週の埼玉県の産婦人科学会のときの情報によれば、さいたま市立病院は今年度いっぱいで退職者が複数出て、ついに6人(と言っていたかな?)の少数常勤医体制になってしまうらしい。大学医局からの補充の見込みは、まだないとのこと。
それでこんな高額の「エサ」を用意したと思われるが・・・。
実際はどう運用されるのであろう。搬送を受けるたびに当直医の頭には否が応でも「10万円」がちらつくだろう。「ハイリスクな分娩」の定義がはっきりしていないと、たいていの分娩にこの10万円をつけてしまいたくなりそうだ。
しかもこの10万円は個人ごとに支給されるか、産婦人科全体に支給されるかによっても、「奪い合い」が起きないか心配になる。「おまえは全然手伝ってないだろう!」とか「帝切の準備は俺がしたのに、執刀医のあんただけが10万円かよ」とか・・・。

2008年11月22日土曜日

赤羽〜皇居〜白金と走って会議に参加

今日の日中は、北里大学白金キャンパスで行われた全国遺伝子医療部門連絡会議というのに埼玉医大の遺伝子診療部門(正式にはまだ発足していないが)を代表して参加。
開始時刻まで余裕があったので、浦和の外勤先から赤羽まで電車で出て、赤羽から走っていくことにした。
朝から気持ちよく晴れて、しかも北西からの追い風を受け、快調に王子、駒込、本郷、お茶の水と過ぎ、皇居に達した。

土曜の皇居のランナーの多いこと。僕が三楽病院に勤めていた4年前よりもさらに多くなっている。マラソンシーズンまっただ中だしね。女性ランナーも半分くらい。たまにいる浅黒く痩せてランニングシャツに短いランパン、一昔前のマラソンシューズ(ターサーなどのニューモデルでは決してない)を履いてぜいぜいいいながらけっこうなスピードでとばすおじさんランナーを見かけたときは、昔はこちらのほうが多数派だったと懐かしさをおぼえた。
SecondWindもいっぱい集まって栄えていたなあ。加納さんやマーラさんのような一線級から市民ランナーまで同じクラブに所属するというのは新しい形態でどうなるかと不安視していたが、軌道に乗っているようだ。
そんな竹橋の風景に刺激されて、つい皇居は反時計回りに遠回り。
そこからは虎ノ門〜高輪〜東京タワー〜麻布十番〜白金高輪のコースで約20km。
白金高輪駅のファイテンショップを冷やかしに立ち寄ったら、飛びかかる様に応対してくれたお姉さんが水(チタン水?)を飲ませてくれた。おいしかったので3杯もおかわりした。相変わらずサービス精神旺盛で、首にぺたぺたファイテンシールを貼ってくれ、膝周囲にはファイテンテープを貼ってファイテンジェルを塗ってくれた。汗だくなのにね。首を回したり足踏みしたりさせられ「軽くなりましたか」と訊かれるので、別に大差ないと思ったが、儀礼上「軽くなったような気がします」と優等生のお答えをしておいた。もっともネックを一つ購入することになったが。
ファイテンは経営が少々傾いてきてそれで高橋尚子選手のスポンサー契約を切ることにした、とのウワサを聞いていたから、もしや閉店してやしまいかと思っていたくらいだったので、まだまだお店レベルでは元気そうで、ちょっとホッとした。

そんなことをしていたら、会議場にはちょうど時間通りの到着。走行中とは別の「asics」と大書した長袖Tシャツに着替えただけだったが、僕以外全員スーツにネクタイで、格好としては相当浮いていた。しかも片隅でひっそりしているわけにもいかず、埼玉医大から監事就任とかで代理で満場を前に挨拶させられた。ま、一人で浮いているのには慣れているけどね。
明日は秩父宮ロードレース10km。ファイテンのお姉さんの努力のおかげで脚は軽い、ような気がする。

2008年11月21日金曜日

ハーフマラソンでの距離間違い〜対策は?

今月9日に行われた「第3回世田谷246ハーフマラソン」で誘導ミスが起こり、選手が本来よりも約1km短い距離を走ってゴールしていたという。このマラソンは今回から陸連公認となり、箱根駅伝出場大学も選手選考を兼ねて多数参加していたというから、責任は大きい。
ミスはゴール近くで起こり、本来なら駒沢競技場の周囲を半周してゴールするところを、係員の誘導ミスで半周しないままゴール、となってしまったらしい。
思い出すのは、約2年前のサンスポ千葉マリンマラソンでの誘導ミスだ。これは僕自身が「被害」を受けて、静かな怒りの手紙を主催者に送ったのも記憶に新しい。
今回との共通点は、
(1)ハーフマラソンという距離であること
(2)「公園内を大きく迂回」とか「競技場周囲を半周」とか、距離あわせのために本来遠回りさせるべきところを近道させてしまったこと
(3)当該のコースが採用されてからまだ2-3回目であること
である。ここに誘導ミスがおきる原因が隠されている(ように思う)。
まず、(1)だが、まだハーフマラソンという距離が「実感を持って」競技役員や誘導役の高校生らに理解されていないのではないか。考えれば、21.0975kmだとは計算できるかもしれないが、例えば、じゃあ20km地点を通過したら、どれくらい走ってゴールに至るかという距離感覚が(よっぽどハーフのレースに何回も出たことのあるランナーを除いては)体感されていない。これが5kmとか10kmとかキリのいい距離だったら、あるいはフルマラソンだったら、案外こういうことは起きにくいんじゃないかと思う。
次に(2)。これが(医療安全的には)ミスの起こりやすい最大の原因だろう。ただ、コースを設定する側としては、周回コースだと距離あわせをする場所はスタート付近かゴール付近しかないし、折り返しなら問題なさそうだが実際は道路上どこでも折り返せるわけでもないし、というジレンマがあって、なかなかこの距離あわせのための迂回を根絶することはできない。
そこへもってきて(3)で、係員がそのコースで選手を走らせた経験が少ないと、咄嗟に、あるいは思いこみで、間違った方へ(コースとしては素直な近道の方へ)誘導してしまうことはありうるだろう。
またまた医療安全的に言えば、こうした事故の10倍以上の頻度で「ヒヤリハット」が起きている可能性があるわけで、レースの主催者はすべからくコース誘導ミスの起こりやすい個所に対する対策を講じておく必要があるだろう。
すなわち、
・距離あわせのための迂回の個所はなるべく少なくする
・その個所には、毎年同じ係員を配置する
・その個所では、実際に係員や学生を選手が通る前にリハーサルで走らせてみるなどして、正しいコースどりを係員が「イメージ」しておく
・係員が正しいコースを了解していても、先頭の白バイが間違えることもあるわけで、それを防止するために、早めから正しい方向へ大げさに旗を振るなどして白バイを誘導する
いかがだろうか。

***これを書きながら記憶の底の方から甦った風景がある。小学校5年のマラソン大会。大学構内を走ってきてゴールは小学校の校庭。僅差の3位で校門をくぐった僕は、1・2番の子が校庭内の間違った方向へ行きかけたのを尻目に、事前の「学習」通りにそれとは逆の正しい方向へ進み、瞬間入れ替わった順位のまま1位でゴールテープを切った。なんだか気まずい優勝だったけど、先生の誘導ミスが原因ではなかったからなあ・・・。今ならコース選択も実力のうち、と言えるけどね。翌年はちゃんとホントに1位になって、ホッとしたもんだ。

2008年11月20日木曜日

「使える」学生


今回僕の診療チームについたBSL5年生はなかなか「使える」。
もはや診療参加型実習をめざす埼玉医大の産婦人科BSLでは、学生実習は「教える」ものではなくて「一緒に診療する」ものに変貌している。僕自身が学生だった頃とは隔世の感がある。
ただ、たった2週間では学生の性格によってはなかなかうち解けなかったり、腰が引けたままだったり、そうなかなかうまくいくものではない。今回は「いそっち」はその点、適度にずうずうしくて厚かましく、でも飲食店バイトで鍛えた?言葉遣いはきっちり先輩後輩関係を意識したものでソツがなく(我々医師に対しても患者に対しても)、出来事が起きていると引っ込むことなく、どんどん顔を突っ込んでいく。なかなか得難いタイプの学生だ。
一昨日も夕方から、子宮外妊娠疑いの外来診察、腹痛急患入院、正常分娩、子宮筋腫による不正出血・重症貧血入院、手術前診察、双胎分娩方式相談、双角子宮の切迫流産妊娠予後説明、分娩誘発予定妊婦ミニメトロ挿入、と立て続けに夜10時まで頑張って見学、じゃなく手伝ってくれた。
昨日も午後5時間手術、入院患者回診、胎児発育遅延妊婦の超音波診察、とやはり夜11時まで研修医以上のスケジュールをこなし、そのまま当直実習に入っていた。さらに今朝には打ち合わせ通り、その妊婦についてのプレゼンテーションを(僕不在の)カンファレンスで行い、母体搬送先から外勤中の僕まで電話報告してきてくれた。
うむ、ここまでくれば「使える」学生だと言ってよかろう。
本人が面白がっているのがわかるから、こちらもどんどんかまいたくなる。好循環である。
ちなみに彼、帰宅部である。これまでどうも部活に入っていない学生たちは、言葉遣いや行動力、上下関係、積極性の面で劣っているという印象があったが、ちょいと先入観を改めた。飲食店バイトにも同様の「人間教育」効果があるということか?

2008年11月19日水曜日

渋井選手の体内センサーについて

で、レース内容の方だが、30kmまでは渋井さんの独走となり、テレビ解説陣も「このまま優勝してほしい」「大会新記録が期待できるペース」と、むしろまったりとしたのんびりムードのコメントに終始していた。
薄曇、気温15℃、湿度90%という好条件にも恵まれたので、いつかの高橋尚子選手のように暑さと強風に遮られたような大失速は起こすまい、と誰もが予想していたと思う。それにもう渋井さんは終盤失速はなんども経験しているわけだからさすがに今回は賢くなっているだろう、と。
ところが渋井さんの1kmごとのラップタイムを聞いているとどうもおかしい。3分30秒以上かかり始める。これでは5kmが17分半以上かかってしまうのでは?案の定、50秒以上離れていた加納さんがじわじわと詰め始めた。まだ坂にかかる前なのにこんなにラップが落ち始めていたら、もう35km以降は18分かかるでしょ、これはまた大失速だ、とこの時点ですぐ読めた。
そこで来るのは加納さんかと思いきや、なんと上がってきたのはマーラさんに追いつかれて後は落ちる一方と残念に思っていた尾﨑さんだった。普通は10kmまでを16分半でとばしてどんどん抜かれたら復活は不可能なもの。マーラさんの背中を借りているうちに、持ち直したようだった。加納さんにぐいぐい迫っているという状況下では、いくら渋井さんまでまだ30秒以上あったとはいえ、勢いは前4人の中ではダントツ。あれよあれよという間に先頭にまで躍り出た。終盤のきついところでも腰高のスムーズな走法はむしろ加速した印象。大逆転でゴールテープをきった。渋井さんは残念ながら「勝手に」失速したので、ともかくとして、その場合は普通は2番につけていた加納さんが勝つ者なのだが、さらにその後ろから勝者が出るというのは珍しい展開だった。それもマーラさんが来るならわかるが、いちど加納さんに振り切られた選手が来るというのは・・・。
ただ尾﨑さんは中盤でマーラさんが追いついてきて引っ張ってくれなかったら、こんなに持ち直したかどうかあやしいと思う。マーラさんにお礼の品ぐらい贈らなければいけないのでは?お姉さん、SWAC経由でね。
尾﨑さんとは2度お話ししたことがあるが、とにかくひたむきな「いい子」。頭もいいし、ユーモアも解してくれる。雰囲気はまだ20代前半という感じだけど、もう27歳なんだね。ロンドン五輪を目指すと言っていたので、ちょっと誤解していました。でも着実にゆっくりとステップを登ってきているので、本当に長く競技生活を続けることが期待できると思う。山下監督もそういう長い目で育てようとしているのがよくわかった。直接知っている選手が優勝するというのは嬉しいものだ。
渋井さんについてはなにをかいわんやである。快調にとばしている25kmとか30kmぐらいで、これくらいの体の余力があれば、どのペースでいけばゴールまで持つか、というセンサーがちょっと甘めに設定されているのだろう。
だから本人は決してやけっぱちでとばしているわけではなく、ゴールまでもつと思っているのに、体の余力の方が実際はたりていない。kのセンサーはスピードランナーほど甘い傾向があって、高橋尚子さんもシドニーやベルリンで最後の2.195kmは相当きつくなっているし、野口さんもアテネでは終盤迫られて危なかった。でも、少々ペースダウンしようともゴールまではなんとか行けていたのだが、渋井さんの場合はセンサーの狂い方が激しすぎる。今後の練習は、走り込みよりもスピード練習よりも、このペース感覚というかセンサーというか、こちらの修正に力点を置いたらどうか。そう忠告したい。

2008年11月17日月曜日

東京国際女子マラソン〜救護車の窓から

今回最後となった東京国際女子マラソン。医師になった直後からもう10年以上毎年、医務員として手伝いに来ていた。
最初の数年は、レース中は救護所のテレビでレース展開を観戦して、ゴールになったら競技場に飛び出して声援を送り、続々とゴールしてくる選手の中に救護が必要な者がいれば手当をする役だった。浅利選手と市橋選手のゴール前デッドヒートは、目の前で固唾をのんで見守った記憶がある。
そのうち毎年収容車に乗るようになり、最後尾から選手を拾っていく仕事になった。関門を時間オーバーした選手を迅速に小型バスに回収せねばならず、ぐずぐずしていると交通規制解除車(パトカー)に追い抜かれてしまい、一般の車列に取り囲まれてしまう。だからとにかく明らかに関門通過困難な選手は、残り時間とペースを見ながら、バスに乗るよう強制せねばならない。
医師の仕事と言うより、陸連役員の仕事であった。市民ランナーの中には、なるべく30kmまでは行きたい、などの思いが強く、棄権勧告に耳を貸さず走り続けようとする選手が多くいたことを思い出す。これが東京国際マラソンの男子選手ならば比較的あっさり収容車に乗ってくれるのだが。いかに、交通規制解除車に追い抜かれず、スムーズに選手を回収するか、に関してはプロ並みのノウハウを蓄積したところで、最近は救護車に乗せてもらえるようになった。
救護車はレースの車列の間を自由に縫うように進み、コース上で医学的救護が必要な選手の手当をする。だから車はワゴン車程度と小さいし、大人数を収容することはできない。先頭集団にいた有名選手が突然ペースダウンして棄権したりするときに救護車から医師が駆け下りてきて車に収容するシーンはときどきテレビにもうつる。
どのあたりの位置で車を進めるかは私の意見を聞いてもらえるので、昨年などは(自分のマラソン目標ペースである)キロ4分の集団をずっと追いかけることにした。これがとても興味深く参考になる。このレベルになると半分くらいは顔を名前がもともと一致する選手たちばかりで、窓から顔を出して誰が調子がよさそうか、誰がきつそうか、展開を見守るのが面白い。去年は終盤は高橋尚子選手ががくっとペースダウンしたとテレビで知ると、棄権するサインがないかどうか車を速めて真後ろについた。ペースは落ちても足取りはしっかりして棄権する気配は全くなかったので、また車をゆっくりにして2時間50分をきりそうな集団、ついでサブスリーぎりぎりの選手たち、と抜かせながら様子を見たりする。

さて今年は、薄曇りまたは霧雨で風も弱く、コンディションとしては上々だったと思う。市民の部の後半が8分遅れでスタートするという初の試みだったが、その分前半でスタートできた選手にとっては制限時間の余裕ができて、少なくとも中盤までには極端な体調不良の選手はいなかった。3人を救護、回収したのみだったが、皆、さほどのダメージではなく自分の意志でレースを中断していた。
最後の大会ということで車の窓から全コースに渡って顔を出してレースを凝視していたが、毎年の様に何人かのランニング仲間が、応援のために沿道に出ていて私にも気づいて手を振ってくれた。
1年に1回、このレースで車の中からしか挨拶しない仲間もいるので、これで終了というのも寂しい限りである。

2008年11月15日土曜日

レースの前日にコンパ?

陸上部の学生が12月の土曜日に卒業生の追い出しコンパを兼ねた忘年会をやるとのことで僕の都合を問い合わせてきた。空いている、と一応返事はしたが、釈然としない。
翌日は部員の多くが出場するクロスカントリーレースがある。ちなみに僕自身も別のハーフマラソンにエントリーしている。
普通なら、そんな試合の前日にコンパをわざわざ組むか?
優先順位を誤っているとしかいいようがない。


とキャンプテンに書き送ったら、さすがに対応が早く、日程変更するらしい。
たかが飲み会の日程に対してちょっと強権発動に過ぎたかとも思うが、「陸上部の試合なんてその程度のもの」とあやまったメッセージを部員に伝えることにならず、よかったと思う。
悪しき伝統となるところだった。

明日は最後となる東京国際女子マラソンの医務員をしに国立競技場に行く。今年も救護車に乗ってコース上に出させてもらえるかな?

2008年11月14日金曜日

マナー違反自転車にご注意を申し上げる

外来が終わって、夕方暗くなってから病院近くの公園を走る。1周1km弱の「トリムコース」があって、街灯もあり、まあまあ走りやすい。このトリムコースには「自転車の乗り入れは禁止」と立て札が何箇所も立っているにもかかわらず、平気な顔をして乗り入れている輩がたくさんいる。しかも多くが無灯火である。こういう自転車には「ここは乗り入れ禁止ですよ」と走りながら言うことにしている。
残念ながら、すれ違いながら叫んでもあっという間に遠ざかってしまうので無駄だから、追い抜きながら振り返って、はっきり聞こえるように教えてやる。
今日も高校生風1人と30歳前後の女性1人に、教えてあげた。
夜の無灯火自転車と、狭い歩道走行自転車と、逆走(右側)自転車と、ランナーの敵となる違反自転車は数多い。いちいち注意するのも、もう疲れてきた。

2008年11月13日木曜日

「医者のモラルの問題」二階大臣の問題発言

二階俊博経済産業大臣の発言を映像でも見られるようになったので紹介しよう。
文字にするとこんな感じ。
<病院同士の主張が食い違う今回の問題。舛添大臣はコミュニケーションがうまくいかない現状を、IT技術を駆使して解決できないかと、二階経済産業大臣と急遽、会談しました>。
緊急搬送システムの構築など、別にIT技術など新開発しなくても既存の技術でどうにでもなると思うのだが。経済産業省に協力を求めるというのも大げさで、厚労省だけで頑張れば十分な話である。
どこのNICUが空いていて、どこの産科病棟が満床であるかをリアルタイムで標示するだけならば、その作業に関わる人的要員を確保するだけで可能である。東京都の問題は、このシステムがインターネットシステムとは別のシステムになっているところであって、この目的にしか使えない専用のコンピュータなど、ついいじらなくなるし日陰者の場所に追いやられる。
それよりも「現在当直医は手術中で手が離せない」とか「明朝品胎(三つ子)の分娩を控え、NICUは空床を確保しておかなければいけない」などの各病院の事情まではシステムではわからないわけであり、結局は電話のやりとりが必要になってしまう。
さて問題なのは終盤の二階俊博経産相談のこのセリフだ。
<「政治の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」>
「たらいまわし」だの「8病院が拒否」などというマスコミの言葉遣いからして、このような搬送先確保困難問題を「医者のモラルの問題」と思わされている一般の人が多いのではないかと危惧していたが、国務大臣までがこんなことを言うとは。
実際に発言している映像を見ると、傲慢な態度に強く嫌悪感を感じる。
「忙しく、人が足りない」現状をカバーしようと限界ぎりぎりまで現場で奮闘する医師の努力を無視する発言であるのは間違いないが、「医師を愚弄している」というよりもこの人は単に実情を知らないだけではないかと思う。要するに新聞と週刊誌程度しか見ていない、勉強不足。それはそれで国務大臣としての資格を疑う。
もっといただけないのはこの発言をなにも問題視していないマスコミと野党。産科医の団体は二階大臣に抗議文を出すなどの動きを見せているが、今のところそれだけ。

ただし、産科医に「モラルの問題」と突きつけられると、考えるところは多少ある。すなわち我々産科医自身も現在の母体搬送システムが「使えない」、「救急事態には役に立たない」とわかっていたにも関わらず、手を拱いてシステム構築をすすめていこうとする努力を怠っていたことだ。私のいる埼玉県ではこのシステムの必要性は叫ばれていながら、全く存在していない。東京よりもっとひどいわけである。そのための予算もついていながら、システム構築に向けて動き出したという話はついぞ聞かない。これを不作為のモラルの問題と言われればそうかもしれない。
もう一つ。「産科満床」「当直医分娩介助中」などであっても、本当の母子の生命に関わる緊急事態であれば、院内の他科のベッドを一時的に借りるとか、自宅オンコール(待機中)の医師を呼び出すなどの「無理をすれば」なんとか当該の重大救急患者だけは受け入れて対応できないことはない、というのが事実であることだ。
だからこそ「脳出血と言った」「言わない」とか「切迫した事態と伝えた」「伝わらなかった」というのが問題となるわけで、あれは切迫度が伝わっていれば、人員的な無理をしてでも受け入れ可能だったということなのである。
だから医師同士の情報伝達が的確であって、受け入れ側が、一時的にはキツイがウチがなんとかしなければ死んでしまうかも、という危機感を共有できれば、結果は違ったのかもしれない。
これを「切迫早産の母体搬送」とか「子宮内胎児発育遅延の母体搬送」などの切迫度のやや落ちる事態と一緒に論じてしまってはややこしくなる。
ただし、「一時的な無理」は時々だから可能なわけであって、慢性的に「無理」をしているところにさらにゴムを引き伸ばせば、ゴムは切れてしまう。そうしないために現在、産科医側も厚生労働省も一緒になって議論をしているところであるのだから、その実情を全く無視した今回の二階発言を擁護することは全くできないのである。

2008年11月9日日曜日

猛犬の飼い主にカーチェイスされた


夕方、河川敷の未舗装路を快調に走っていたら、橋の下をくぐったところで突然大型犬がいた。なんと飼い主は引き綱から手を離している。あっと思う間もなくこの黒い大型犬がまっすぐ僕を目掛けて突進してきた。
暴走車が突然現れてこっちへ向かってきてどうやっても避けられない!と判断したときの恐怖、とでも言えばいいだろうか。向きを変えて逃げるわけにもいかず、咄嗟に猛犬に対して背を向けるのが精一杯だった。
猛犬は僕の両脚に体当たり。ラグビーで小柄なバックスが見事にタックルされたときのように、完全に僕の体は宙を舞った。で、腰から着地。右の手のひらと肘でも着地したらしく、ずきずきと痛む。引き綱を離していた中高年の女性はしきりに謝ったが、こちらは噛まれなかったことにはホッとしたものの、強烈な恐怖体験と痛みで、許したり笑顔を見せたりするところではない。なるべく上品に「憤慨している」旨を伝えて、走り去ろうとした。
が、ふと「このまま済ませるわけにはいかない」という静かな怒りがふつふつと沸き起こり、現場に戻って「犯犬」と女性、および連れの男性ともう1匹の犬が乗ってきたと思われる車のナンバープレートを携帯カメラで撮影し、ついでに「犯犬」と飼い主たち、というタイトルの写真も撮影しておいた。それが掲載の写真である(黒いのが犯犬)。腕がじんじん痺れるので、あとあと骨ヒビでも見つかったら連絡をとらせていただくのに使える。
この、写真モデルに選出されたのが、連れの初老男性の気に障ったらしい。
なんだか後方で怒鳴っている気配はあったが、イヤホンとドリカムで耳が塞がっていることにして、ただちに踵を返してそのまま元のペース(キロ4分30秒くらいだったかな)で走り続けた。
と、予想通りこの男性、くたびれたワゴン車で堤防上未舗装路を追っかけてきた。
ちょうど一般路への分かれ道で追いついてきたので、僕はいったんそのまま堤防道路方向へ向かい、ワゴンが分岐をこちら側に来たのを確認してすぐ道をはずれて堤防から下りて工事中の一般路方向へ逃げてみた。
ワゴンはいったんまかれてくれたが、その先を右折してまたもや僕の方へ向かってくる。工事中を示すための鎖が道にかかっていたからそこで止まるかと思いきや、鎖が緩くて地面に垂れていたせいか、がちゃがちゃ結構な音をさせながら車で強引に突破してきた。
あーあ、猛犬が正面から襲ってくる恐怖を味わわされたあとは、今度は後方からワゴン車が迫ってくるスリルまで体験する羽目になるとは。そもそも疚しいことがなければ、しゃかりきになって青筋たてて追ってくる必要もなかろう。あー、なるほど、やっぱり自分の猛犬が人を襲ったことをまずいと思ってるんだ、とこっちは多少の余裕がある。
浄水場の横手の人気の少ない道で追いつかれたので、車から降りてきた男性をよく見るとやっぱりかんかんに怒っている。「勝手に写真をとるのは、なんとか違反だ」とか叫んでいるが、怒りすぎて呂律が回っていない。でも車から降りてくれたらこっちのもので、また走り出せば、相手は走れないからまた車で追ってくる。
ワゴンが通れるかどうかの細い農道に導いて、どうかなと思っていたら、もう見境なくなっているらしく、突っ込んできたので、ラッキーとばかりに車の到着を待ってUターンしてサヨナラした。バックするにも入り込みすぎているし、先まで行ったら見失ってくれるだろう。
敵もさすがにそのあたりであきらめたらしく、一応警戒しながら残りの距離を走ったが、再発見されることはなかった。
藤原智美著「暴走老人」という本を思い出したが、この男性もかなり血圧が上がって体に悪かったろう。事故なく帰ってくれたことを祈る。
ただ、今回はこれで済んだからよかったが、もちろん犬に噛まれて重傷を負った可能性もあれば、暴走老人に轢き殺されたかもしれないし、アメリカなら撃たれたかもしれない。
ま、せめてしばらくは事件個所を練習で通るのはやめておこう。今度は犬に人を噛むように仕込んでいるかもしれないからね。

2008年11月8日土曜日

またも未受診妊婦

どこにも受診したことのない妊婦が仕事場で分娩をしたというので救急隊が臍の緒でつながった赤ちゃんごと搬送してきた。今度は幸い早産ではなかったようで、赤ちゃんは3000g前後あり、元気だ。
こういう妊婦の共通点は、こちらが手を尽くして搬送しても、分娩の面倒を見ても、決して「ごめんなさい」とか「すみみませんでした」とか「ありがとうございました」と言わないこと。まるで自分が被害者であるかのように泣きじゃくったり、痛い痛いとだだをこねている。
実はこの人たちは自分が社会的に指弾されるべきことをしたと十分わかっているに違いない。医療者とコミュニケーションを始めてしまえば、当然「どうして病院行かなかったの」と叱られることを知っている。だから自分が子供になったかのように泣き叫ぶことで対話を拒否していると推測する。
当然ながら医療者側もこうした妊婦に対して温かい気持ちが持てるはずもない。こういうお産に喜びを感じられるN大くんは特別に人間の器が大きいのだろう。せめて分娩費用をきちんと払っていってくれることを願うのみであるが、費用徴収に我々が直接関与することはなく、あとは医務課とソーシャルワーカーさんのお仕事である。
せめて夜中でなくて日中でよかった。
ちなみに赤ちゃんは仕事場で生まれたが、胎盤は搬送されてきた後分娩室で娩出されたので、分娩費用は請求できるのだ。これも「でかした」ことの一つである。

2008年11月7日金曜日

東京マラソン抽選結果は・・・

2年連続「落選」でした。
さすがに7倍以上の倍率を突破することはできませんでした。
陸連登録者でかつ2時間台の記録を持っていたら多少は倍率が甘くなるか、と期待しましたが、ダメだったようです。
当日は、おとなしく医務員をします。
これで今シーズンの本気マラソンは2月1日の別大だけになります。

2008年11月6日木曜日

喉が痛くて不調

毎週金曜日に外勤に行くたびに喉を痛める。暖房のせいで空気が乾燥しているうえに、一日中外来でしゃべりっぱなしであるからに相違ない。
喉は僕のウィークポイントで、当直室や外来に加湿器を入れてくれるよう毎冬頼むのだが、今年はついこの間まで暖かかったので油断していた。
さっそくのど飴を2種類買ってきて(はちみつきんかんとVC3000レモン味)、とっかえひっかえ舐めている。
以前、奥武蔵ウルトラマラソン会場で販売していた小野木淳先生の「あぶないランナー」という小冊子の中に、喉の違和感に対して「ニンニクハチミツ」を強烈推薦してあって、自作してみたことがあった。ハチミツ500Cccにニンニク一株の半分くらいをスライスして入れる。2週間もすればハチミツは粘度が低下してサラサラとなり、ニンニクを取り出して出来上がる。
さほどのニンニク臭はなく、毎日でも問題なく使えるが、なにしろ喉のコンディション維持以外に用途がないので大量に余ってしまう。
一冬の間、確かに喉からくる風邪の防止に役立ったが、翌年からはつくるのが面倒なので続けていなかった。
今年はいきなり先制パンチをくらってしまったので、このニンニクハチミツを久しぶりにつくってみるか・・・。

2008年11月4日火曜日

全日本大学駅伝〜駒澤の安定と早稲田1年生の健闘

この駅伝の区間距離は1区から7区が9.5kmから14kmの間、最終区のみ19.7kmである。これくらいの区間距離と区間数が大学生長距離ランナーにはちょうどいいのではないか。こうなると大ブレーキのようなドラマはあまりない反面、各校が比較的安定した力を発揮できる。
つまりほとんどの区間が20kmを越えている箱根駅伝は距離が長すぎるのではないかと思う。距離を意識するから練習量が過大になるし、体調不良の影響がダイレクトに出て大ブレーキがおこるし、10区間ともなると体調不良のエースも出さざるをえないし・・・というわけだ。もちろん箱根駅伝は、正月に、しかも都心から箱根山に行って帰ってくるという、神事に近い行事であるので、大会としては価値あるモノだが、現在と同様、あくまでも関東大会にとどめ、もっと全日本に価値を見いだすべきではないか。これはマスコミの報道姿勢にも大きく左右されることなので、ぜひ一考を求めたい。
で、今回の全日本だが、1年生に有力選手が4人も加入した早稲田に注目していたが、そのうち3人が出場し、皆それなりの走りで10km以上の距離にも対応してきている様子がうかがえた。世界ジュニアに一緒に行った三田君もラストで先頭に立つ「おいしいところ」を持っていって、おめでとう、である。終盤2区間で知名度で劣る駒澤にどれくらい離されるかと心配したが、たった40秒そこそこで粘ったのも立派。箱根駅伝ではもっとこの差を詰めてくるではないだろうか(と、こういう風に本番は箱根だよ、みたいな意識が我々見る側にもあるのが問題かも。そもそも全国大会の後に、関東大会が来るという順番も不自然だなあ)。
世界ジュニアに一緒に行った東洋大学の1年、柏原君もいつもながらの積極的な好走だった。先頭を譲らず、竹澤君にもほとんど詰められず、見事なものだった。東洋大学は坂戸から5km程度のところにグラウンドと合宿所があり、ときどき休日jogなどをしている選手をこの付近でも見かけるから、城西大学の次に「地元」として応援したくなる大学だ。監督の川嶋さんも毛呂山町出身だし市民ランナーのイベントに出てきてくれるし、この前の毛呂山鎌北湖マラソンでもお会いしたばかりだし、親近感がある。
早稲田、東洋とも頑張ったが、最後はやっぱり安定感と地力の差で駒澤が優勝をさらった。出身高校などを見ても比較的地味なのに、つまり区間新を出すような大エースがいないのに、立派なものだと思う。
ところで、この駅伝は外国人留学生は2区間(2人)OKなんだね。高校駅伝は7人中1人で最長区間ダメ、実業団駅伝が8人中1人で指定区間のみ、となっているのに対して、一番寛容なルールではないか?それでも3位以内に留学生採用大学が入ってこなかったのだから、これでいいのかもしれない。あまり留学生を閉め出す方向に行くのも、ワンジルのような人材が日本にいにくくなってしまうので日本人ランナーにとっても損失のような気がする。
箱根駅伝はどうだっけ。10区間あるのだから2人認めてもいいかなと思うが、なにしろ「神事」だからもっと厳しくせねばならないのかもしれない。

2008年11月2日日曜日

関八州見晴台トレイルラン




今朝は5時に起きて、始発の越生線で越生まで行ってトレイル。先週行われていた「武蔵越生ハイキング」のコースを前半(戸神まで)はなぞるように、越生駅(6:15)〜大高取山(6:50)〜麦原入口バス停〜戸神集落〜羽賀山〜野末張展望台(8:00)「写真1」〜飯盛峠〜関八州見晴台(8:35)「写真2」〜花立松ノ峠〜傘杉峠〜顔振峠(9:10)〜諏訪神社〜「写真3」〜一本杉分岐〜獅子ヶ滝〜阿諏訪〜東毛呂駅(10:05)、というコース。
棒ノ嶺ピークハントマラソン、毛呂山鎌北湖マラソン、と登りの強烈な2レースで体が慣れたのか、今日のコース上の登りはほとんど歩かず、走って登れた。我ながらいい調子。本当は富士登山競走の前などはこういうトレーニングをしておかなきゃならないんだね。
戸神から羽賀山への登山口がわからず、だいぶ右往左往してロスタイム。「大人の遠足BOOK」の地図は間違っていたぞ。野性の勘で登山口を探り当てた。このあたりだいぶトレイルに慣れてきた。
今日のハイライトはやはり関八州見晴台。天気もよく、朝の澄み切った空気の向こうに、ホントに東西南北、関東平野を囲む山々が見渡せた。グリーンラインのロードの練習ばかりで一度もここまで上がってこなかったことを後悔した。車で高山不動のところまで来れば、15分程度の徒歩で来られるから、登山はちょっと、という人にもおすすめ。
顔振峠から一本杉までの諏訪神社参道を含む行程が、いちばん「走れるトレイル」。写真で雰囲気がわかるだろうか。快調になだらかな下りを駆け抜けることができた。朝早いので、ほとんどハイカーにも会わずじまい。
4時間近く奥武蔵の山を堪能して、10時半には自宅に帰り着けるのだから、トレイルランに関しては実に恵まれている。

2008年11月1日土曜日

未受診妊婦の飛び込み分娩

大学病院ではもう慣れたが(1〜2ヶ月に1人はいる)、昨日は外勤先の個人病院に約8kmを走って着くや否や、未受診妊婦がおいでになったから驚いた。しかも26週、子宮口は全開大、2経産婦。ただちに市立病院に連絡をして了解を得て、救急車を呼んで、ちょうど金曜日なので居合わせた小児科の先生も(車中分娩に備えて)一緒に、救急車に飛び乗った。
本人は急な事態に動転したかびーびー泣いているし、手ぬぐいタオルを頭に巻いた系の夫もろくに説明もされずに不満そうな顔をしているが、かまっていられない。
本気で車中分娩も覚悟したが、案外「まだ産んではいけない」とわかれば人間は分娩も我慢できるのか、15分の救急車道中は陣痛のたびに顔をしかめてはいたが、なんとか市立病院の分娩室に運び込めた。
たいてい母体搬送を送っていく場合は、「当方の力が不十分で管理しきれずこんな夜中にすみません」とか「もうちょっと早い週数でご相談すればこんな緊急事態にならなかったかもしれずすみません」とか、なにがしかの負い目を感じて目を伏せながら送っていくものだ。家族にも気をつかってぺこぺこしたりすることもある。
が、今回はまさに降って湧いた事態で、こっちの管理の不手際もなにもない。堂々と「いやー間に合ってよかったです」とすっかりリラックスして、引継に出てきた女医さんに引き渡した。もちろん手ぬぐい旦那を待つこともしない。さっさと救急車に引き返して、病院に帰ってきた。
よかったとはいっても、病院に戻ったら外来の待ち人数が30人近くにもなり、大混雑状態。これだけの患者さんに迷惑をかけたのだから、飛び込み妊婦の罪は大きい。結局午前の部は午後2時までかかり、おなかのすいた僕ももちろん不機嫌である。

で、たまたま当直室で夜見ていたNHKでもN大病院の産婦人科医の当直一晩ルポの中にも、おー出てきました、飛び込み分娩。18歳の妊婦が陣痛が来て救急車要請。主人公の産婦人科医が、小児科、麻酔科に了解を得て(だいたい週数も胎児の生死も手術の必要性もわからないのに本当に了解を得る必要があるか?受けるしかないだろ)、このあたり墨東の事故を意識した演出くさかったが、結局運び込まれてきて、翌朝無事に分娩。なんとこの飛び込み18歳は顔出し映像。人権感覚に敏感なNHKがこれには驚いた。非難殺到しちゃうよ。
主人公のN大くんも「赤ちゃんが無事に生まれて一緒に喜び合えるのが産科医の一番の幸せ」みたいなこと言っちゃって、非常識飛び込み分娩が一番困るんです、となぜ言わない。「僕はいつでも搬送を受けたいんですけど、他科の都合でダメなときは悔しい気持ちでいっぱいです」みたいなセリフも、自分だけいい格好かよ、と目をむいてしまった。
でも、テレビというのは都合のいいところだけ編集して放映するから、このN大くんもホントはズバズバいいこと直言していたのかもしれないけどね。
ついでに、連続34時間勤務の後もN大くんは外勤当直ににこにこと出かけていったが、ああいうのをあたかも全員の産婦人科医の日常のようにうつすから、誤解を生んで、ますます若手が産婦人科に来なくなるんじゃないのかな。マスコミに「産婦人科医の過酷な勤務実態」がとりあげられるのも善し悪しだな。
ちなみの僕の勤務は、午後の外来も8時までかかって、それから1〜2時間おきに分娩が3件?4件?(わからなくなった)。さらに破水入院、陣発入院と、起こされまくった。インターバルトレーニングのような睡眠で、十分鍛えられました。でも昨日はあくまで特別ですよ。