2008年11月17日月曜日

東京国際女子マラソン〜救護車の窓から

今回最後となった東京国際女子マラソン。医師になった直後からもう10年以上毎年、医務員として手伝いに来ていた。
最初の数年は、レース中は救護所のテレビでレース展開を観戦して、ゴールになったら競技場に飛び出して声援を送り、続々とゴールしてくる選手の中に救護が必要な者がいれば手当をする役だった。浅利選手と市橋選手のゴール前デッドヒートは、目の前で固唾をのんで見守った記憶がある。
そのうち毎年収容車に乗るようになり、最後尾から選手を拾っていく仕事になった。関門を時間オーバーした選手を迅速に小型バスに回収せねばならず、ぐずぐずしていると交通規制解除車(パトカー)に追い抜かれてしまい、一般の車列に取り囲まれてしまう。だからとにかく明らかに関門通過困難な選手は、残り時間とペースを見ながら、バスに乗るよう強制せねばならない。
医師の仕事と言うより、陸連役員の仕事であった。市民ランナーの中には、なるべく30kmまでは行きたい、などの思いが強く、棄権勧告に耳を貸さず走り続けようとする選手が多くいたことを思い出す。これが東京国際マラソンの男子選手ならば比較的あっさり収容車に乗ってくれるのだが。いかに、交通規制解除車に追い抜かれず、スムーズに選手を回収するか、に関してはプロ並みのノウハウを蓄積したところで、最近は救護車に乗せてもらえるようになった。
救護車はレースの車列の間を自由に縫うように進み、コース上で医学的救護が必要な選手の手当をする。だから車はワゴン車程度と小さいし、大人数を収容することはできない。先頭集団にいた有名選手が突然ペースダウンして棄権したりするときに救護車から医師が駆け下りてきて車に収容するシーンはときどきテレビにもうつる。
どのあたりの位置で車を進めるかは私の意見を聞いてもらえるので、昨年などは(自分のマラソン目標ペースである)キロ4分の集団をずっと追いかけることにした。これがとても興味深く参考になる。このレベルになると半分くらいは顔を名前がもともと一致する選手たちばかりで、窓から顔を出して誰が調子がよさそうか、誰がきつそうか、展開を見守るのが面白い。去年は終盤は高橋尚子選手ががくっとペースダウンしたとテレビで知ると、棄権するサインがないかどうか車を速めて真後ろについた。ペースは落ちても足取りはしっかりして棄権する気配は全くなかったので、また車をゆっくりにして2時間50分をきりそうな集団、ついでサブスリーぎりぎりの選手たち、と抜かせながら様子を見たりする。

さて今年は、薄曇りまたは霧雨で風も弱く、コンディションとしては上々だったと思う。市民の部の後半が8分遅れでスタートするという初の試みだったが、その分前半でスタートできた選手にとっては制限時間の余裕ができて、少なくとも中盤までには極端な体調不良の選手はいなかった。3人を救護、回収したのみだったが、皆、さほどのダメージではなく自分の意志でレースを中断していた。
最後の大会ということで車の窓から全コースに渡って顔を出してレースを凝視していたが、毎年の様に何人かのランニング仲間が、応援のために沿道に出ていて私にも気づいて手を振ってくれた。
1年に1回、このレースで車の中からしか挨拶しない仲間もいるので、これで終了というのも寂しい限りである。

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