2010年3月31日水曜日

「地下水道」ここか!




ワルシャワの朝練は、やはりショパンを小さい音で鳴らしながらヴィスワ川を目指した。ちなみにlaだからヴィスラかと思ったらそうではなくてヴィスワ川と発音するらしい。前回のビドゴシチ遠征前に予習として見たアンジェイ・ワイダ「地下水道」の一シーン、旧市街から地下水道を通ってヴィスワ川に達した蜂起市民が、助けに来てくれないソ連軍のいる向こう岸を鉄柵越しに遠く見やる、というその同じ風景を見たかった。
ヴィスワ川沿いを南から北に走る途中で日の出。映画で見たのと同じ遠さで向こう岸が見える。満足。なんでも無事に逃れた市民は、40km北方まで地下水道で逃げて助かったらしい。もはやすっかり復興されて戦争の爪痕が全く残っていない旧市街に上がり、ホテルへ戻る。13.5K。
夕方にはアムステルダム経由でいよいよ帰国。

2010年3月30日火曜日

ワルシャワへ


レースの翌日。まず朝練はビドゴシチ南部を東西に走る運河沿いを走った。北岸を西進し適当なところで運河を渡って南岸を戻ってこようと思ったところが、なかなか運河を渡る橋がない。どんどん市内から遠ざかり5km以上も走ってものさびしい工事現場みたいなところに到達したところで、やっと人工堰があって南岸に渡ることができた。日本にもある不法投棄にでも手を染めていそうな工場があって、日本と同じく不審者対策で犬にけたたましく吠えられた。柵をとびこえてかみつかれるかと思った。こんなところで犬にやられてはかなワン、というわけでさっさと逃げた。
ちなみにポーランドでの朝練の際にNike+iPodを作動させながらiPhoneから聴いていた音楽は毎日ショパン。どうせならポーランドに浸らなきゃ。この日はマズルカ全集をBGMに走った。
9時出発でワルシャワまでバス移動。バスの中では持参したDVD「ふたりのベロニカ」を見た。これもポーランドもの予習の一環。ポーランドの鬼才キェシロフスキが監督したファンタジックな物語だが、ポーランドを舞台にしているのは半分だけだし(残りはフランス)、特にポーランド色ぷんぷんの映画ではなかった。映画の中で鳴り響く声楽とオーケストラのための宗教曲風の切なくも激しい透き通ったテーマ音楽が印象深かったが、これは実在した曲ではなく、Zbigniew Preisnerがつくりあげた「オランダの架空の作曲家ブッデンメイヤー」の曲とのことだ。現時点ではiTunes storeで見つけることはできなかった。


ワルシャワ到着は午後4時半。ただちにホテルを出て、高速徒歩で旧市街、新市街を歩き回った。衛兵の交代式にちょうど出くわした。旧市街は完全に戦災から元の街並みが再現され、むしろけばけばしささえ感じるカラフルな街並みになっている。
夕食後にもコニャックで真っ赤になった顔でチョコレートの老舗「Wedel」に両角先生と繰り出した。後ろは巨大建築・大文化宮殿。

2010年3月29日月曜日

アフリカ勢抜きの世界クロカンが見たい


昨日はまず朝練でブルダ川から市内へ引かれている運河沿いを走った。川の両側とも遊歩道として整備されていて、とても気持ちがよく走りやすい。地元のジョガーとも数人すれ違った。ただし行き過ぎてホテルへの帰り道が見当つかなくなってしまった。カシオ・プロトレックのコンパス機能を頼りに北方向を目指し高架の線路沿いに行くと、見覚えのある橋に突然たどりついた。冷や汗かいた。約12km、65分。


さて世界クロカンの方は、朝から雨も上がっていて、昼には時折日差しの見える天気となった。コースは泥濘状態のところもあるが、心配した「湿地帯」みたいな感じにはならなかった。
クロカンでのケニア勢の強さは圧倒的であった。特にジュニアはほぼ全メダルを制圧。
日本勢はジュニアでは欧米選手より分が良くアフリカ選手の次に来る。村澤君も伊沢さんも健闘した。
ところがシニアではアフリカ選手にはもちろん、欧米選手にも差をつけられてしまう。大学や実業団でのロード偏重の練習、競技のあり方を考えさせられる。
ホテルへ戻ると、フランス選手にエレベーター内で何か秘密をささやかれるような口調で"Kenyan junior is not junior."と教えられた。欧米勢の間ではこれが裏の標語となっているようだ。

2010年3月28日日曜日

世界クロカンの当日

今日がレースの日。昨日から冷たい雨が断続的に降っているのでコースも泥濘状態が予想される。選手もスタッフもたいへん。ただ、外国勢(特にアフリカ勢)がこの天候でヤル気をなくしてくれると面白くなるかもしれない。
現時点では路面は濡れていない。なんとか空が持ちこたえてくれるといいが。
なお、今日から夏時間になる。1時間時計を進めねばならない。日の出が朝5時過ぎだったのが、6時すぎになる。なにもレース当日にかわらなくてもいいと思うが。スタートを1時間間違えて遅れる選手が出ないか、心配。

2010年3月27日土曜日

ブルダ川を上流へトレイルラン



2日目の朝練は、ホテル近くのブルダ川北岸を上流へ遡っていくことにした。ちなみにこの川はビドゴシチ市内でポーランドを貫く大河ヴィスラ川に合流している。
間もなくシングルトラックになり、川岸ぎりぎりの一歩踏み外すと川へ落ちそうなところも多く通過する。いよいよ終点か、と何度も思うが、階段の向こうに続いていたり、崩れそうな橋で小川の向こうへ渡れたり、家の軒先をかすめたりしながらずっと続いている。決して舗装はされず、かといって道がなくなるわけでもない。川幅はどんどん狭くなる。ぬかるんでいるところでは足を数回とられそうになった。日本では経験したことのないトレイル。町の一角に平地でこれだけスリルのあるトレイルランができると、面白いなあ。30分、5kmちょっと走ったところで村に出たので、折り返して帰って来た。後半は冷雨が本格的に降り出した。

午後は会場の公園内にあるホテルでテクニカルミーティング。いよいよレースは明日。

2010年3月26日金曜日

ビドゴシチのクロカンコース

ビドゴシチに到着している。ワルシャワからのバス4時間はやはり長かった。ヴィスラ川沿いに点在する町を通過しながらのルート。
ところでここの地名、原語ではBydgoszczと後半は子音が連続していて読みにくいが、たぶん「ビドゥゴスチ」と表記するのがもっとも近いと思われる。
でも「ビドゴシチ」でGoogle検索すると5番目くらいにこのブログ(2年前世界ジュニア)がヒットすることを教えてもらったので、ありがたくそのままビドゴシチ、でいく。
さて、ホテルの部屋から無線LANに接続できるのだが、サーバのパワーがたいへんに弱く、昼間はYahoo!のトップページにさえなかなか繋がらない状態で苦労している。

朝練習ではブルダ川の河畔の道を走ってみた。2年前に地図を必死に見ながら形成した(そして二度と使わないと思っていた)「土地勘」があって、面白い。ここが一番ビドゴシチの有名な橋を遠くにおさめた風景。

午後は今回のクロカンコースに行ってみた。だだっぴろい公園の中の細長い一角に1周2kmのコースが設けられている。向こうに見える池と手前の丘に挟まれたごく狭い部分に、あえてS状カーブを連続させている。トレランに慣れた僕からすると、手前の標高100mほどの丘を登らせたり、池を含んで大きく公園を外周りさせた方が、広々と変化にとんで楽しいコースがつくれると思うのだが。

2010年3月24日水曜日

ロンドンへの機中で映画を見まくった

海外遠征の機内では、普段忙しくてなかなか見られない映画をまとめて見るのを楽しみにしている。今回のロンドン行きの機内で見たのは、順に「ゼロの焦点」「マイレージ、マイライフ」「風が強く吹いている」「ライフ・イズ・ビューティフル」の4つ。
「ゼロの焦点」はつい先月まで若葉でも上映しており、波しぶきの上がる北陸の断崖絶壁ロケの成果をぜひ見に行きたかったので、まず最初に。昭和20〜30年代の状況が「セット臭く」なく、つまり違和感なく描かれていて自然に入り込めた。やはりこの作品の舞台は北陸、金沢でないとね。
「マイレージ、マイライフ」は評判が高かったのは知っていたが、単にエキセントリックな中年サラリーマンの物語かと思っていたら、ちゃんと脇役の女性達が絡み出して展開がどんどんヒューマンなものになっていった。結婚式当日にして結婚をためらっている妹の婚約者に対して、主人公が自分は独身のくせに説得をしたシーンになぜか感動した。「副操縦士」というセリフ、空を飛んでばかりの男ならではだが、急に思いついたにしては見事。
「風が強く吹いている」はもちろん原作の出来がすばらしいので、映画は苦しいのではと思っていたし実際評判もかならずしもよくなかったが、やっぱりその通りだった。もともとが少々荒唐無稽なストーリーなので、やはり実写はきびしい。5000m記録会で、あんなに800か1500m走みたいに同じようなタイムで集団でゴールになだれこんでくるところとか、微妙に大学名を実在と替えてみているところとか(でも「城西大」は出てこなかったか?)、ユニフォームが実在大学とうり二つのところか、カケルの走りが到底20kmを越えるロードレースには見えない(ひいき目にみても5000mみたい)こととか、ハイジのラストがあんなに大ブレーキなのに10位を確保したところとか、やはり「玄人」が見てしまうとウソっぽいとこだらけ。がんがん早送りしながら見た。ただ、カケル役の俳優のランニングフォームとスピードが素晴らしいことと、マネージャー役のお嬢さんがかわいいいことにだけは感心。
最後の「ライフ・イズ・ビューティフル」が儲けものだった。1999年のイタリア映画だが、正直期待しないで見始めたし、シラノ・ド・ベルジュラックかドンキホーテかのパロディーかと思わせる前半のコメディー仕立てのところでは、もう見るのをやめようかとも思ったのだが・・・・後半、一気にシリアス度を増していく展開には完全に引き込まれてしまった。そうか、こんなストーリーだったんだ!ラスト近くの銃声にも、その後現れた戦車にも茫然。先日見た「カティンの森」に通じるテーマなのに、描き方は正反対。でも人の心を揺さぶる度合いはこちらの方が強いかも。そういえば日垣 隆さん推薦の「泣ける映画」のリストに入っていたことを見終わって思い出した。さすが。題名がいけないのかもしれない。
なお、前半後半をまたいで主要な役割を果たす劇中歌、オッフェンバック「ホフマン物語」から「舟歌」。さっそくiTunes storeで購入。頭の中で繰り返し鳴っている。

2010年3月23日火曜日

世界クロカン〜成田へ集合

今日は激しく忙しかった。外勤病院での当直中、まず夜中の0時になるやいなやランネットに接続して富士登山競走申し込み。せっかくその名前を冠したGEL FUJI新品が2足もあるのに出ないわけにもいかないだろう。というより、山頂コースの出場規定が変わったので、3年に1回は出場しておかねば、次回山頂コースへのエントリーができなくなってしまう。毎年は出なくてもいいけど、3〜4年に1回くらいは出ておきたい大会だな。前回不本意な4時間28分のぎりぎり完走だったし。
で、夜中にお産はなかったけれど、寝入りばなを陣発入院で起こされた。今、開業の先生のところで陣発入院でいちいち起こされるところはどれくらいあるだろう。大学病院では当たり前だけど、分娩数が増えてくるとこれも少々しんどくなってきた。
朝は5時起き。6時には出発して大学へ。7時半からミーティング2つ。9時から手術。癒着が予想よりも強く、新導入のSILS(単孔式ラパロ)で苦労した。それから病棟に戻る間もなく外来から呼び出され5人ほど診察。
なにしろ今年度の大学での仕事は今日で終わりなので、3月分レセプトチェックを渡されたらやってしまわなければならない。その合間に退院診察、母体搬送依頼電話受けて手配。走りながら病院を出て、自宅に寄って着替えて遠征荷物を持って電車へ飛び乗り。JISSへは遅刻、ごめんなさい。2人診察後、体操の選手達に長期無月経が多いことを嘆きつつタクシーを呼んで赤羽へ、行こうと思うが、全然来ない。NTCの正面玄関に間違えて行っていたらしい。おかげで日暮里乗換がぎりぎり。3分でスカイライナーに滑り込みセーフ。空港第2ビルからまたタクシーでホテル日航成田へ。
スタッフミーティングには遅刻。両角先生には久しぶりの再会。他にも顔見知りのスタッフ、選手が多くほっとする。夕食が久し振りの食事で、あまりにスピードに給仕が付いてこられない。隣の分まで箸を伸ばしそうになり、ぐっとこらえる。
アシックスのスタッフに公式シューズにGEL FUJIを選んだ英断についてとうとうと語る。外国選手が欲しがるよ、ターサーみたいに、と予言する。一方ジュニアの提供はナイキだが、ジャージを前から見ると日の丸もなく赤に大きなナイキのマークだけで、黄色い星でもつければ支那みたいだ。どうして日の丸がないの、とナイキの担当者を詰問してみる。
トレーナーさんたちと打合せ後に部屋へ。日本でネットがつながっているうちにやらなければならないことが山積。論文も形式不備で返ってきている。えーい、どうせ明日はロンドンまでの飛行機で寝る時間はいっぱいあるから、徹夜でやってしまえ。

2010年3月21日日曜日

長瀞アルプストレイルレース〜快調な今季初戦

明け方の雨も坂戸を出発する頃には止み、東上線〜寄居線〜秩父鉄道を乗り継いで長瀞まで行ってきた。もう行きの電車の中から完全な晴天。さほど強い風も吹いておらず、暑くも寒くもなく、絶好のトレイル初戦となった。
アルプストレイル14kmの部は100人のエントリーのうち出走は約70名のみ。強風の影響、電車運休の影響か。
結果は、1時間17分05秒で7位。総合でこんないい順位は初めてかな。部門別では3位と6位があるけど。タイムも予想よりずっと早かった。だいたいこれまでのトレイルレースではキロ8分くらいかかることが多かったけど、今回は6分台。これくらいのショートな距離が自分には向いているのかな。30kmを越えるような耐久戦はどうも・・・。
新品GELFUJIの調子はすこぶるよし。軽快に弾むように走れた。下りの衝撃も問題なし。これまで使用していたトレイルシューズ(ゲルトラブーコやトレイルセンサー)とは全然重さが違う。レースではこれからもGELFUJIだ。すっかりトレイルへの関心が復活したぞ。タカタッタNo.5も発売されたらしいからすぐ買わなきゃね。

帰りにどうしても病院に寄りたかったので、乗り継ぎの時間を考えると閉会式の始まった直後に長瀞駅を出なければならなかった。7位は表彰があったのか? で、寄居から八高線で毛呂へ向かおうと思ったのだが、なんと寄居で逆方向の電車に乗ってしまった。だって反対ホームの電車は秩父方面へ戻っちゃうような気がしたんだもん・・・。途中、なんだか聞き慣れない駅名だなあと思っていたが、児玉を過ぎて、次の駅表示が「群馬藤岡」になっているのを見て、ついに誤りに気づいた。丹荘というなんにもない駅の待合室で上り列車が来るまでの1時間!を過ごした。あーもったいない。こんなことなら閉会式に出ればよかった・・・。
おかげで件の褥婦さんの退院に間に合わなかったし、お話ししておきたかった妊婦のご家族も帰ってしまった後だったし、散々。それにしても八高線、あんなに混んで居るんだから、もう少し電車の頻度を増やしてよ。今の時勢で1時間待ちはきつかった。

さて、荒川市民マラソンが強風で埼京線が止まって、レース自体が中止になったらしい・・・。集まった人だけでもやればよかったのに、とも思うが、そもそも競技役員も会場にたどり着かなくて無理だったか。自転車でも地下鉄南北線でもときわ台からバスでも他に手段がないわけではなかろうが。せめてスタートを1時間遅らせるとか。どうせ交通規制は関係ないんだから。
数年前、青梅マラソンが雪で中止になったことがあったが、あのときのどうしようもない大雪という状況に比べれば、スタート時刻の天候は一応「走れた」らしいだけに、あきらめきれない人が多いだろう。
この荒川市民マラソン、最初の5回くらいはあまり厳しい気候コンディションになることはなく記録も出やすかったのに、最近、風に恵まれず、むしろ記録を狙いにくいレースになってしまっている。

最後に、例のグラファイトバンド。飯塚さんの奨めにしたがって朝の自宅出発時から装着していった。ほとんどウォーミングアップの時間がなかったわりには、確かに最初から快調に脚が動き、途中も快調。最後の宝登山からの一気300m下りで多少ふくらはぎのハリを感じたが、痙攣には全く至らずに無事走り終えた。少なくともこのレースに関する限り、効果があった可能性がある。
なお、このレースで始めて試した小物として、2XUのこっちのタイプのカーフスリーブがある。これもかなりいいかもしれない。ふくらはぎの疲労と痙攣を抑える効果はあったように感じる。装着感は、従来からあるカーフガードよりもいい。

2010年3月20日土曜日

明日は長瀞アルプストレイルレース〜NEWゲルフジデビュー


雨模様が予想されていたのでなんだか気の進まなかった明日のトレイルレースだが、なんとかレース中の大雨は避けられそうな予報なので、急にやる気になってきた。今季のフルマラソンを走り終えると、気温の上昇とともにやはりトレイルを走りたくなる。
明日の長瀞のコースは、こんなレースが予定されているとは知らずに一昨年の夏にハイキングとして歩いたコースそのもの。「必ず試走をすること」と無理な注文が大会要項に記してあるが、一応、済ませたもんね、と言える。
やる気がでてきた原因がもう一つ。世界クロカンのスタッフに支給されるウェアやバッグ類が巨大段ボール2個分、アシックスから自宅に届いた。なんと今回の公式シューズがゲルフジなのだ。黒と黄色の2010年モデル。昨年のヨルダンでの世界クロカン帯同時のブログで「こういうコースにはアシックスのゲルフジが案外いいのでは」と書いたのを担当者が見てくれたか?


これで先日購入したばかりの2009年モデルと合わせて2足の新品ゲルフジが手元に揃ってしまった。明日は2009年モデルの方をいきなりレースデビューさせようと思っている。これまではゲルトラブーコやゲルトレイルセンサーといった厚めのトレイルシューズしかレースでも使っていなかったのだが、明日は14kmとショートコースだからまあ大丈夫でしょう。

2010年3月19日金曜日

2005年ナビスコ杯決勝~Jリーグのひとつの到達点

外勤先の病院では、外来待合室や分娩室前で待つ男性客(患者の家族)のためにNumberをとっていて、ちょうど発売日に僕が勤務に行くと、キープしておいてくれて最初に読ませてくれる(なぜかいつも持ってくるのが薬剤師のおばさまの役目)。今回の750号は創刊30周年特別編集ということで、「日本サッカー マイ・ベストゲーム」という特集が組まれている。

日本代表が熱かった(やはり過去形になってしまうよね)頃の試合が過半数を占めているが、やはりジェフファンとして嬉しかったのは、イビチャ・オシムさんが2005年ナビスコ決勝ガンバ戦を振り返るページ。「コレクティブ」というオシムさんのよく使っていた言葉が懐かしい。インタビューした田村修一さんもあの試合を「93年に開幕したJリーグが到達した、ひとつの頂点のような」試合と高い評価が与えている。確かに弛緩した時間帯がなく、両チームが高い緊張感をもって攻防が連続した。息つくヒマもビールを飲むヒマもなし。延長前後半に加えてPK戦まで長かった、でもあっという間。見る方もぐったり疲れて廃人のようになったなあ。
オシムは最後の勝因を「フィジカル」にあげている。延長に入るとガンバの足が止まって完全にジェフが押していた。後半ロスタイムに巻の幻のゴールもあったし(いまだに納得がいかないが)、PK戦がなくてもジェフの判定勝ちにしていいんじゃないかという内容だった。
なお、青島達也さんやジェフ広報の利渉さんもこの試合を「マイ・ベストゲーム」にあげている。観客動員が伸びずずっとJリーグの日陰者だったジェフの最高到達点があの試合だったんだなあと感慨深い。スタンドの半分が黄色に染まったのも感動だった。
現在J2に降格してしまったジェフには、それでも巻、勇人、浩平、林、坂本とこの試合の出場メンバーが5人もいる。スタッフの立石、斉藤を加えれば7人。この「最高到達点」を肌で知る者がいるうちに往時の勢いを取り戻してほしいと切に願う。ジェフの現状を気にかけてくれているオシムさんが元気なうちに。
まずは1年でJ1に復帰して、水野君の復帰先をつくってあげなくては。そうすれば阿部ちゃんも帰ってきてくれるかも・・・。

2010年3月15日月曜日

e-Taxなんて大嫌い〜ぎりぎり確定申告

今日は確定申告の締め切り日だった。昨年e-Taxなる電子納税システムを利用するためにカードリーダーを購入し、市役所で住基カードをつくってもらった結果、混雑する税務署に行かずに済んだうえ、5000円補助が出る、というおいしい目をみたので、当然今年もぎりぎりに半日仕事でやるつもりで、昨日の日高かわせみマラソンからの帰宅後に取りかかった。
ところが、書類を全部作成して、いざ送信、というところで何回やってもエラーコード「AF0020-698」というのが出てくる。このエラーコードが何を指すのか、国税庁のページには全く説明がない。Google検索をかけると、同様のエラーコードでいらいらした先達は他にもいるようで、ほとんどはMacのOS10.6で作成した場合に生じているようだった。「OS10.5環境下で送信し直すとうまくいった」などと書いてあるが、そもそも僕のPowerBook G4は最初からOS10.5。なんでうまくいかないのかわからない。カードリーダーのドライバをインストールし直したり、別のパソコンにデータを持って行ったりしてやってみたが、全てダメ。そのたびごとににっくき「AF0020-698」が現れる。夜中まで悪戦苦闘して、断念して、電気をつけたまま布団に倒れた。去年はうまくいったのに・・・。

で、今日の午前中の手術終了後に作業再開。まずは医局に置いてある自分のiMacでやってみたが、また「AF0020-698」。
最後の手として医局の共用Windowsマシンに入力データを移して、ドライバをインストールして、それだけではダメで、他の「21年度申告用一式」をインストール追加したところ、最後の最後に、ようやく住基カードが認証された。で、送信完了。締めきり当日。ほっとした。
しかし、何時間この作業に費やしたか。なんでOS10.5環境下でできなかったのかいまだに腑に落ちない。国税局ホームページの説明もダメダメすぎる。直感的に一つの流れで作業できない。トラブルがあるとあちこちに戻って確認しなければならない事項が多い。民間の、例えばアマゾンやランナーズのページやなにかに比べても、作業完了までの道筋が複雑すぎるのだ。そもそも最新OSの10.6がダメ、などとはMacユーザを軽んじているにもほどがある。怒りはエスカレート。
ただし、今回の苦労の記録を残しておかないと、来年また同じいらいらを味わうことになるから、こうしてブログに書いておいた。

2010年3月14日日曜日

日高かわせみマラソン〜体ガチガチの理由は・・・

「前日の当直は幸い特に忙しくなく・・・」という願望を込めた予定原稿(エントリ)を前もって作っていたのに、残念ながらそうはならなかった。急患対応に追われ、緊急入院が一人、内科依頼も一人、入院するのしないの押し問答が一人、これで大幅に22時の(勝手に目標としていた)就寝予定時刻を過ぎた。
さらには真夜中に病棟の(ブログを見てくれていると目される、当の)妊婦さんに異変あり、手術の準備を開始。うーん、覚悟はしていたけど予定外。結局朝6時から緊急帝王切開。出血少なくてほっと一息。NICUへ行った赤ちゃんを見に行く。
そうこうしているうちにあっという間に9時の当直引継。それから日高かわせみマラソンの主会場である北平沢運動場まで走っていくが、陽光は眩しく、体は固い。がちがち。ナンバーカード引き替えタイムに遅れそうなので(実際、遅れた)、ペースを上げようとするが、困難。体がいつもの半分くらいしか動かない。というわけで4kmを20分以上かけて、やっと到着。ナンバーカードとチップ装着、レースウェア着替えだけで、ストレッチングもできずに直ちにスタート・・・。これではやはり快走は望めない。スピード感なかったなあ。無理無理に体を動かして進んでいった感じ。


といっても結果的には、案外頑張れて、37分53秒くらいでゴール。このアップダウンコースで37分台なら、まあまあ。
15分ハンディという条件で勝負した産婦人科実習中のラグビー部「のぶ」選手は健闘したものの、僕に16分の差をつけられ敗北。ふっふっふ。タフ?なところを見せられたか。

モニター使用中のグラファイトバンドの方は、このガチガチ状態の割には痙攣も特別の筋肉疲労もなく済んだところを見ると、案外よかったのかもしれない。評価はもう少しレースをこなしてから。

2010年3月13日土曜日

グラファイトバンド途中経過~明日は「日高かわせみ」

提供されたグラファイトバンドの付録として付けてくれた、「血流促進、むくみ防止」をうたった足首バンド(女性用)。外勤先のナースたちに「あげる」と渡して1週間たったが「足首に食い込んでかえって血流が妨げられてむくむ」という意見が専ら。こちらは不評のよう。
目玉のグラファイトバンドの方は、今日で走行3回目くらいだが、まだ特に良くも悪くもない。
明日の日曜日、当直明けで病院からわずか3kmの会場で行われる日高かわせみマラソン10kmに参加する予定なので、このバンドの真価を問うにはもってこい。
現在CCでまわってきている男子学生の一人が出場する。決して「実習点で合格したければマラソンに出なさい」と強制したわけではないので、念のため。

追加。入院中の受け持ち妊婦さんの中にもブログを読んで下さっている方がいるようで、「走ってばっかりで私の主治医は大丈夫か?」と不安に思っていないことを祈る。長い入院生活の退屈しのぎにはなっているなら結構。

2010年3月12日金曜日

Twitter批判

一昨日の産経新聞に曽野綾子さんが「透明な歳月の光」というオピニオンコーナーで痛烈なツイッター(英語の意味はピーチク・パーチク、だそうだ)批判をしている。
「ブログにもひどいものがあるらしいが、それを書くだけの時間も作文能力もない人がツイッターを始める。心理的垂れ流しである。」
というのは、ついブログにエントリーを書くエネルギーがないときに思いつきをツイッターに打ち込んでしまう自分にとっては図星である。
「時間は無限にツイッターに費やされる。一日に1時間ツイッターを眺めるとその分だけ他のことをしないのである。」
確かに、フローを眺めていると、こんなに頻繁にツイッターに書き込んで、仕事をしているヒマはあるのかな?という人がいっぱいいる。その多くは「どうでもいい」投稿なのだが、どうでもいいものの中に、ごくたまにハタと膝を打つような内容や、新しい情報が入っているから、読む方は全部を切り捨てることもなかなかできずにいて、やっかいである。
「ツイッターは無害で、今日的だと思っているところが恐ろしい。」というのもまさに痛い。僕の場合は、ジャーナリストの日垣 隆さんが「とりあえず始めて見るべき」と勧めていたので「とりあえず」始めてみたのだが、日垣さんのように喧嘩も辞さない痛烈なコメント(実際はらはらするような大喧嘩になっている)を瞬時にバシバシ返していく才覚もなく、ほんわりとした少数のフォロワーに囲まれて自己満足に終わっているようなツイッター初心者にとどまっている。
曽野さんに「新しい麻薬時代の幕開け」と警告されれば、中毒患者になる前に抜けねばならない、と考えてしまうではないか・・・。
幸い仕事が忙しすぎて中毒になっているヒマもないので、当面は大丈夫と思うが・・・。ここのところNike+から自動投稿される日々のランニングの記録だけが僕からのピーチク・パーチクだ。

2010年3月11日木曜日

ポータブルヘッドフォンアンプに感心

iPhoneやiPod touchの音楽をもっといい音で聴きたい!という願望を満たすべく、iPodとイヤフォンの間に接続してポータブルヘッドフォンアンプ、audio-technica AT-PHA30iを手に入れた。iPhone3GSを接続したらいきなり「このアクセサリはiPhoneでは動作しません」という警告が出てきてがっくり。iPod touchに接続していろいろテストを試みる(ただし実際は警告を無視してそのままiPhone3GSに接続し続けてもちゃんと使えることが後から判明)。
まずアップルの純正イヤフォンを接続してみると、確かに低音域を中心に音圧が上がったことはわかったが、さほどの音質向上とは思われず、これならコードが余分に長くなる分、走るときなどに不便だからつけない方がいいやという感想。
次にBoseのインイヤーフォンを接続してブルックナーのシンフォニーを鳴らしたところ、ただでさえ強調される中低音域がさらに過剰に強調され、むしろ全体にベールがかかったように不鮮明となり、これまたむしろつけない方が聞き慣れた快適なBoseサウンドになる。このイヤフォンがもともとiPodに直接挿して聴くときにもっとも心地よい音を出すように相当音を「加工」しているからだろう、と推定する。

さらに自宅のデスクトップにあるBoseのPCスピーカーであるMusic Monitorに接続したところ、今度は驚いた。くもりが晴れたようにストリングスの解像度と音の輝きが増し、確実な音質向上が得られる。PCスピーカーにつなげるのだから「ポータブル」の必要が全くないわけだが、皮肉なことにその場合にこのポータブルアンプの威力を初めて理解できた。Boseとは全て相性が悪いというわけでもなかったらしい。
その後、SHUREのE4cでも音質向上を感じとることができ、イヤフォンとの相性の問題はあるものの、1万円弱という値段にしては(高級イヤフォンを新規購入するよりは)確実に効果を上げることができる良い製品だという結論に達した。
でもやっぱりNike+iPodを作動させながら走るときには、コードの取り回しがやっかいになる分、また最近は音楽ではなくてニュース系のpodcastを聴きながら走っていることが多いので、このポータブルヘッドフォンアンプは使わないと思う。当直の夜のおともに持って行くことになるかなあ。

2010年3月10日水曜日

びわ湖毎日マラソン〜優秀なペースメーカーに拍手

佐藤秀和選手(トヨタ紡織)ともう一人の日本人選手、さらに5人ほどの外国人選手が務めたペースメーカー陣がこの日の見物だった。
まず「いい加減な」外人ペースメーカーが競技場を出るところで周回を間違ったのに、日本人ペースメーカー二人は正しくコースをたどったところが象徴的だった。
おかげで佐藤秀和選手を中心に序盤から安定したペースがつくられ、トラック内でいい気分で引っ張りかけていた外人ペースメーカーは、さすがにコース間違いを反省して萎縮したのか、佐藤選手たちを追い越して前に出ることはせず、おとなしく集団の中段に控える。
日本人ペースメーカーはきっちり時計のように5km15分15秒ペースを守り、しかも外人が引っ張るときのように細かいスピードの上げ下げも全くなく、きわめて安定した前半戦をかたちづくっていた。
相棒日本人が15kmで早々にいなくなったのには少々驚いたが、普通なら「もういなくなるの?早すぎるよ」と思うところが、「おっいい仕事したな」とねぎらいたくなった。佐藤選手も20kmで退いたが、本当にgood job。
ここまで安定すると代わって先頭に立つ外国人ペースメーカーも無茶な上げ下げはできない。と思う間もなく、優勝候補のナンバーカード1のエチオピア選手がスローペースにしびれをきらしてペースメーカーたちにスピードアップを要求(言葉はもちろん聞き取れないが、仕草から明らかにそう判断)。
これに応えて、契約ペースを無視してガンガン「1」の選手を引っ張り始めてなんと30kmまで1時間30分台で連れて行ったのが、日本企業に所属する1人の外人選手。義に篤いというか、意気に感じたのか、「1」の選手に脅迫されたのかわからないが。本当は主催者側の用意したペースメーカーはあんな個人の要望に応える必要はないはずなんだけどな。あまりに軽々と引っ張っていたので、そのまま30km以降も「1」と勝負してほしかったくらい。
この日のペースメーカー陣の優秀だったのは、この「1」番の要求に乗らず、きちんと日本人選手たちの第2集団を引っ張ってくれたことだ。しかも疲労度にあわせて適当にペースダウンさせるという優しさを発揮して。おかげで、旭化成の佐藤君もNTNの北岡君もみんな35Kまで切れずに頑張れた。
ペースメーカーにはもちろん綿密な事前のペース設定の通達と、契約と、レース後の評価がある。最後まで走っていい賞金を獲得してもいい契約のこともあれば、ダメな契約もある。15Kでリタイアするか30Kまで行くかも事前に決まっている。その中で、いかに所定のペースを維持し、ただし気候条件や風や付いてくる選手の有無によって臨機応変に対処するか、ちゃあんと主催者が(テレビ局の担当者だったりもするが)査定をしてボーナス額がかわるわけだ。
この日のペースメーカーは、まず日本人選手たちには満額ボーナス、ただし30KMまで優勝候補と日本人集団療法の面倒を見た外人部隊にも相応のボーナスを支払ってよさそうだ。
そんなひねた見方をしてみた。

2010年3月6日土曜日

痙攣予防バンド

ライフサポートギブの飯塚さんという方から連絡をいただき、血流を促して足の痙攣を予防するという「グラファイトバンド」を教えてもらいモニター利用することにした。なんでも去年の夏から半年間、スバルや関東学園大学の駅伝チームにモニターをしてもらって痙攣予防の効果を実証、2010二ューイヤー駅伝で、スバルチーム7人中4名が使用、選手にも大好評だったとのこと。痙攣解消率は95%というから、フル以上のレースで必発といっていいほど痙攣に悩まされる僕としては試してみるしかない。
http://www.lifesupportgive.jp/graphite/index.html
痙攣解消率が95%と書いてあったり99%と書いてあったりばらばらなのが気になるといえば気になるし、グラファイト、トルマリン、という物質にもなじみはないが、とりあえず昨日から足首バンドとネックレスを利用開始。昨日はむしろフクラハギに走行終盤に痛みを感じたし、外来も終盤で頸のコリと頭痛をテキメン感じたが、東京マラソンの疲れかもしれず、即断は避ける。日本陸連の医事委員という立場上、あんまり気軽に「効く!」とも「無効!」とも言いにくい。結論はもう少し待っていただく。

2010年3月1日月曜日

東京マラソン2010〜現時点でのベストの走りができた!

第1回に続いての2回目の東京マラソン出走。どうやら僕は雨男?3年前を彷彿とさせるあいにくの冷雨の中のレースとなってしまった。ただ、そこはベテランランナーのワザの見せ所、スタート前の並ばされている30分は使い捨ての雨合羽を羽織り、中にはビニールポンチョを着て、使い捨てカイロを両手に持ち、シューズにはレジ袋をかぶせて濡れないようにして、完璧装備で臨んだ。
天候を考慮して目標ペースを下方修正して(このあたりもベテランらしいところ)、5K20分20秒の一定ペースで刻んでいった。
猫ひろし選手を20km手前で追い抜いたが、目立つほど小さな体格なのに、ガッツのあるたくましい走りをしていた。ゴールは2時間55分だったらしく、立派なものである。
浅草から銀座までの追い風区間からいよいよ満を持して「抜きまくり」モードに入り、まわりの選手が止まって見えるほど抜きまくった。この区間を先導してくれたEAの700番台の方、ありがとう。後半の方がわずかに早いペース配分で、最後までばてることなく、2時間52分11秒でフィニッシュ。今の実力は全て出し切れた満足感がある。
ちなみに40Kで医学ランニング業界の有名人、筑波大の水谷理紗さんを抜いた。初勝利。国試の勉強で練習は十分でなかったかな?
長野の地元に戻って研修医生活を開始するとの噂だけど、今後も走り続けてくれることを期待する。
これで私にとっては冬のロードレースシーズンが一区切り、本業に専念させていただきます、と一応教授向けには宣言した。

それにしても東京マラソンは大勢の沿道の声援、ボランティアの皆さんの暖かい励ましに感動するレース。やはりいちど出場されることをおすすめする。人生がかわるかもしれませんよ。
医務的には、脱水等ではなく、低体温症の救護が多かったらしい。実際、ゴール後は歯の根があわないほど寒かった。
なお、J医大のS原先生は、3時間05分40秒だったとのこ。サブスリー手前で足踏みのよう。
ちなみにお台場のゴール付近では全く津波警報云々の雰囲気は感じなかった。警報が出ていたことも知らず、りんかい線もゆりかもめも普通に動いていた。レースが中止にならなくて本当によかった。東京都の英断?