2010年3月12日金曜日

Twitter批判

一昨日の産経新聞に曽野綾子さんが「透明な歳月の光」というオピニオンコーナーで痛烈なツイッター(英語の意味はピーチク・パーチク、だそうだ)批判をしている。
「ブログにもひどいものがあるらしいが、それを書くだけの時間も作文能力もない人がツイッターを始める。心理的垂れ流しである。」
というのは、ついブログにエントリーを書くエネルギーがないときに思いつきをツイッターに打ち込んでしまう自分にとっては図星である。
「時間は無限にツイッターに費やされる。一日に1時間ツイッターを眺めるとその分だけ他のことをしないのである。」
確かに、フローを眺めていると、こんなに頻繁にツイッターに書き込んで、仕事をしているヒマはあるのかな?という人がいっぱいいる。その多くは「どうでもいい」投稿なのだが、どうでもいいものの中に、ごくたまにハタと膝を打つような内容や、新しい情報が入っているから、読む方は全部を切り捨てることもなかなかできずにいて、やっかいである。
「ツイッターは無害で、今日的だと思っているところが恐ろしい。」というのもまさに痛い。僕の場合は、ジャーナリストの日垣 隆さんが「とりあえず始めて見るべき」と勧めていたので「とりあえず」始めてみたのだが、日垣さんのように喧嘩も辞さない痛烈なコメント(実際はらはらするような大喧嘩になっている)を瞬時にバシバシ返していく才覚もなく、ほんわりとした少数のフォロワーに囲まれて自己満足に終わっているようなツイッター初心者にとどまっている。
曽野さんに「新しい麻薬時代の幕開け」と警告されれば、中毒患者になる前に抜けねばならない、と考えてしまうではないか・・・。
幸い仕事が忙しすぎて中毒になっているヒマもないので、当面は大丈夫と思うが・・・。ここのところNike+から自動投稿される日々のランニングの記録だけが僕からのピーチク・パーチクだ。

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