2009年12月12日土曜日

ルディ・プロジェクトのスポーツグラス



池谷選手からのお薦めにより、今夏からルディ・プロジェクトのスポーツグラスを愛用している。
最初は2009年ニューモデル、ノイズNOYZのレーシングモデルをかけはじめた。はやりのホワイトフレームにRUDYのロゴというデザインにまずぐっときた。さらにインパクト調光レッドというレンズがウリで、外界の光量に応じてグラスが自然に濃さを変える。普段は薄ピンクだが、2番目の写真のように濃い褐色にまでなる。明るいところと薄暗い木立の中とを縫うように走るトレイルランの場面で威力を発揮するのでは?と期待した。
別府のトレイルで使用してみたところが、調光といってもそうパッパッとレンズ明度が切り替わるわけではなく、木立に曇天だとさすがに暗い。グラスを額に跳ね上げて進路を確認、という場面が何度も出てきた。
しかもこのノイズ、小顔向きとカタログに謳うだけあってフレーム幅がやや狭く、走っていると徐々に前方にずれてきて鼻から落ちそうになってしまう。自慢の調整式テンプルとノーズピースをあれこれ曲げてみてもこれは防げなかった。というわけで、ノイズはデザインは最高なのに僕には合っていないのか、と残念に思っていた。

でもやはりルディのグラスをかけてみたい。川越のカニヤさんで相談したところ、同じハーフリムタイプでライドンRYDONをすすめられた。ホワイトフレームにレッドのパーツ、レンズはレーシングレッドで組み上げてもらった。

このライドンは僕の顔にもぴったりはまった。もはや走行中にずれてくることはない。やっと調整式テンプルが威力を発揮した。しかもレーシングレッドレンズが優秀。ロード、トレイル、曇天、晴天問わずに視野良好。レンズ無しよりもコントラストがついてずっと見えやすい。時々ためしにグラスを跳ね上げると、薄暗い平板な風景であることにがっかりするくらい。
快晴のロード用にミラータイプの替えレンズが欲しかったので、マルチレーザーブルーレンズをゲットして、こまめに付け替えている。見た目はこんな感じ。このレンズも快晴から少々の曇天まで対応できるすぐれものである。レンズの付け替えも簡単。電車の中でも天候を見てぱっと替えることができる。

2009年11月30日月曜日

今冬のレース予定

当面のレース予定はこんな感じ。12月最初の2レースは陸上部の学生と一緒。1月は17日しか休日当直ができないぞ。ごめんなさい。
別大はなにしろ今回で最後になってしまうかもしれないので、並々ならぬ覚悟で臨む。
別大前の走り込み期間の最後にいぶすき菜の花マラソンをもってきた。アップダウンの激しいらしいコースでサブスリー行けるか?
東京マラソンの医務を司る東京陸協の医事委員長には「走りますのでごめんなさい」を本日メールした。

12/ 6 黒山鎌北駅伝 5区5km
12/13 クロスカントリー in SAYAMA 6km
12/20 宮沢湖クロスカントリー 12.5km
1/ 1  東松山元旦早朝マラソン 10km
1/10 いぶすき菜の花マラソン フル
1/24 サンスポ千葉マリンマラソン ハーフ
2/ 7 別府大分毎日マラソン フル
2/28 東京マラソン フル

2009年11月29日日曜日

名医?

11月30日発売の週刊朝日増刊号「新「名医」の最新治療2010」のマラソン障害の項に掲載された。写真入りである。
確かに婦人科スポーツ医学の分野では(他にとりくんだり発信したりしている医師が少ないもので)希少価値としてとりあげられることはあってもいいかもしれない。しかしなにしろこの週刊朝日では、僕に単にマラソン好きの医者として出ているだけで、別にスポーツ婦人科の診療内容を語っているわけでもなんでもない。こんなので名医とされては申し訳ない。埼玉医大の他の4人の先生方にも。
あ、今気がついたが名医に「」がついている。怪しいのも混じっているという意味か。

2009年11月27日金曜日

東京マラソン追加当選

つくばマラソンを終えて、「走らない1週間」をすごしている。明日まで。
特に痛めたところなどはないが、しいて言うと腰が重いのと、右足裏の中足部に(マメができたわけではないが)少々圧痛ありだ。
病院にもスーツに革靴で出勤するものだから、普段のランニングスタイルを見慣れたナースやドクターに「走らないの?今日は何かあるの?」と不審がられる。

今週の慶事は、東京マラソン追加当選のメールが来たこと。春の嵐となった3月の第3回から再び北西季節風に乗ってタイムを狙える2月に移った今回は3年振りに出場したかったからよかった、ほっとした。医務員の方は今年はお休みさせてもらおう。

2009年11月23日月曜日

国際千葉駅伝〜スターの顔見せ興行か

フルを走った翌日はもちろん当直。
昨日の当直は、緊急手術あり、母体搬送あり、早産分娩ありと忙しかったようだが、うってかわって今日は(今のところ)落ち着いている。
時間外外来の喧噪(ほとんど全ての人がマスクをつけている異様な光景)とは別世界である。小児科の先生方は3人がかりで時間外で働きまくっていた。

さて、空いた時間に国際千葉駅伝をテレビでところどころ見ることができた。僕の小・中学校時代を過ごした千葉市の見知った風景の中を走るレースなので、沿道を見るだけで懐かしくなる。
それに加えて今回は、日本代表も学生選抜もさらには千葉県選抜まで、ベストに近いメンバーを組んできたので見所が多かった。
といってもそれは日本人選手に限った話。海外一流選手で「本気」で来たのは1区区間賞のオーストラリアのモットラム選手くらい(彼は故障からの復活レースだったらしい)。
だいたい横浜国際から1週間、日本でぶらぶら遊んでいた(であろう)ヌデレバやディタがトラックランナーに混じってキレのある走りができるわけがない。イベントとして視聴率を稼ぎたいテレビ局の「ヌデレバさんを出してくれませんかあ?」という提案にケニアやルーマニアの陸連側も「遠征費用と余分な滞在費用をそっちで出してくれるんならね」というわけで成立した「顔見せ」に違いない。
さらにバルディーニ(イタリア)などが入っている理由もわからないが、大方アシックスあたりがスポンサーになっているのであろう。衰えかけたマラソンランナーに10Kで勝負させるのはかわいそうである。
テレビに映り目立つチャンス!とモチベーションの上がった「日本学生選抜」がヌデレバを抜いて2位に入った、というところで、いかに外国チームがいい加減に代表を編成しているか、さらにはこの大会の胡散臭さがわかる。
要するに「イベント」なのである。決して選手が年間の最大目標として臨むレースではない。それを感じ取った視聴者は、いかにアナウンサーが金切り声を張り上げようとも「箱根駅伝に比べるとつまらないや」ということになるわけである。これは視聴者の方が正しいであろう。
21回を数えるこの大会、第1回が瀬古さんの引退レースであった。思い返せばこのときから国際千葉駅伝の「スター顔見せ」的な性格は決定されていたといえる。よくまあ国際陸連の公認レースになったものだ。

2009年11月22日日曜日

つくばマラソン〜小物に凝ったが凡タイム

今回のつくばマラソンには用具(グッズ)の面でスタイルを大きく変えてみた。
定番のランシャツ・ランパンではなく、半袖のジップアップシャツに2XUのコンプレッションハーフタイツ+ウルトラ用ショーツ(インナー無し)、2XUのカーフガードの組み合わせ。コンプレッション効果で大腿〜下腿の疲労を抑えようという、大人らしく「モノ」に頼る、もっと言うなら「カネ」に頼る作戦だ。
低温や雨が予想されたので、さらにフラッドラッシュスキンメッシュをアンダーに、アームウォーマーも装着した。
そして仕上げに、終盤の安定走行を補助する効果を期待して、ソックスはザムストHA-1、両膝にニューハレVテープという、まるでトレイルランナーのようなスタイルができあがった。

で、結果は。
2時間51分55秒という凡タイムに終わった。何度目の51分台だろう。安定していると誉めてくれる人もいるが、全く「攻め」られずに小さくまとめた結果なのでちいっとも威張れない。ラップタイムを見ていただければわかる。
20:15-20:04-19:59-20:21-19:50-20:16-20:12-21:10-9:32
30-35Kの追い風区間で、50分切りの希望をつなぐために俄然ペースアップして抜きまくりモードに入った・・・はずが20分12秒ではやっぱりダメだ。
11月に入ってからの長引いた風邪やらなにやらで体調がベストでなかったことは確かで、「大人は道具で勝負」のグッズたちの健闘も力及ばずといったところ。最高9℃程度という気温なら2枚重ねの半袖にハーフタイツでも暑さは感じないこともわかった。が、ちゃんと右ハムストリングは36Kで痙攣を始めたし、頼みのザムストHA-1もシューズの中でどうも滑る感じがあり、効果を発揮するに至らず。

帰りのつくばエクスプレスでは、スポーツドクターで前日にセミナーを担当した岡野先生と一緒に。陸連普及委員会が解散になったことが話題に(競技場で会った前河先生もそう言っていた)。専務が「東京マラソンにこれだけ人が走るんだから「普及」はもういいだろう」と言ったのが理由とか・・・?
岡野先生も前河先生も残念そうだったが、確かに現状では陸連の小委員会が細々とセミナーをやるよりも、スポーツメーカー主導で原宿や皇居やお台場でどーんとイベントをやった方が人が集まる。現にそういうイベントが毎週のように行われている(今日も国立競技場でアシックス後援でマーラさんを呼んでやっていたようだ)。専務の言うことも一理あるかもしれない。
内科の先生はインフルエンザで忙しくて、練習時間がなかなかとれないようだ。

さあて、別大マラソンに「定員オーバー、申込お断り」と言われないよう(今日も大勢が50分切り達成していた)、さっさと申し込もう。

2009年11月21日土曜日

「セメンヤ問題」を講義〜ラグビー日本代表についても

日本体育協会のスポーツ栄養士講習会で「授業」をしてきた。
学生向けの講義とか医者相手の学会発表とか、いろいろ人前でしゃべる機会があるが、このようにスポーツに関心のあるパラメディカル(栄養士とかトレーナーとか)相手が一番話しやすい。
女性スポーツ医学の実践的なところによく食いついてきてくれるし、こちらも医学データのスライドだけでなくて、むしろQちゃんが両手を上げてゴールしている写真とか、ヤワラちゃんの写真とか、そんな画像で気をひくことができ、スライドの枚数も稼げてしまう。
細かい医学上のうるさい質問も来ないし・・・。

ただ、今日は2時間も持ち時間が与えられていて、いつもの「無月経」「月経調節」の話題だけでは持たないので、終盤はホットな「セメンヤ問題」について語ることにした。
というわけで昨日のテレビ出演後に作成したスライドは全て「セメンヤもの」。
ネットでニュース記事を検索して、そのままEVERNOTEに貼り付けて、適宜スクリーンキャプチャーをしてPowerPointに載せるだけ。便利な世の中になったものだ。
セメンヤ問題に関して、2ヶ月半にわたって登場した諸報道から読み取れる「裏のストーリー」を読み解いてみせる。どうして性別検査を受けていることを「ばらしてしまった」国際陸連側が咎を受けずに南アフリカ陸連の幹部が処分されたか、世界陸上開幕前にどこまでわかっていたか・・・。
ただ言えることは、セメンヤ選手本人は騒動に翻弄された犠牲者であろうこと(大いに傷ついたのは間違いない、金メダルと賞金は手にしたけれども)、今後セメンヤ選手が国際舞台で名を轟かすことはないであろうこと、の2つである。

渋谷での授業を終えて、そそくさと銀座線で秩父宮ラグビー場へ。久しぶりのラグビー観戦は日本対カナダのテストマッチ。日本の完勝だった。完勝すぎて、どきどきはらはらする場面はなし。
でもやっぱり外国人がこんなに入っている「日本代表」というのは違和感がある。いっそのこと「日本協会代表」としてはどうか。
「日本代表」は「日本(人の)代表」という国籍が連想される。日本ラグビー協会代表ならば、所属の選手にはもちろん日本でプレーする外国人選手がいてもいいわけで、受け入れられる。
それから代表のジャージについても注文。
陸上競技の日本代表ユニフォームがアシックス社の白地に赤タスキからミズノのネイビー主体のデザインにチェンジしたとき、「こんなの日本代表らしくない!」と違和感を覚えたものだ。
同じことをラグビー日本代表が白赤の縞模様の桜ジャージからカンタベリーの黒赤ジャージに変わったときにも思った。確かに強そうに見える。外国人選手には桜ジャージよりも似合うだろう。
でも「日本らしい!」という個性がない。白赤は貧弱に見える反面、穢れないひたむきな精神性を感じさせたものだ。今日もカナダのユニフォームと見分けがつきにくく、実際に五郎丸選手は背走するカナダ選手にパスを回していた(スタンドため息)。
陸上が再びアシックス社と契約して白赤の旧デザインに回帰する傾向を見せている現在、どうだろう、もういちどラグビー協会もカンタベリー社にデザイン注文を出してみては。

2009年11月20日金曜日

フジテレビ・スーパーニュースの取材

例の世界陸上・性別疑惑の件で、先ほどフジテレビのインタビュー取材を受けた。セメンヤ選手への国際陸連の裁定が発表されたことを受けてのものと思われる。
ただし用意されていた質問が若干ポイントをはずしていて、うまく言いたいことが伝わらなかったような気がする。
今日の18時すぎからの放映。見られる方はどうぞ。

19時半からは埼玉医大のインフルエンザ対策が「特報・首都圏」で取り上げられるらしいので、放送は一足先ということに。

2009年11月17日火曜日

連続当直〜さすがに就寝・起床リズムが乱れる

昨日Sクリニック、本日大学病院と連続当直中。
昨日は行き帰り40分ずつの苦手の車で、疲労感あり。でも分娩や救急受診がなく、休めてよかった。
今日はさっそく分娩1件。でもこれくらいの時間であれば当直医への負担は最小限。早産だったが赤ちゃんは大きくて元気。おめでとう。
シャワーを浴びてさっさと寝る。
今週は5時起きのリズムをつくるつもりでこの連続当直前まではうまくいっていたが、今朝は6時すぎまで起きられなかった。
明日は帰宅ランで20K走、グリコーゲンをいったん枯渇させる予定。
今週はあと1回金曜日にも当直がある。

2009年11月15日日曜日

坂戸市民マラソン

坂戸市民マラソン10kmに出場。風も強くない好天、ちょっと暑かったかな?ランシャツ・ランパンでも相当汗かいた。
結果は、37分56秒で39位。1160人中、といっても女性も込みの人数だろう。男子30歳代の中では、184人中13位だった。
5kmあたり19分をちょっと切るくらいのペースで、来週のつくばに備えたペース走のつもりだったけど、ちょうど序盤からいいペースで引っ張ってくれる人がいて、その人に終盤はついていけず、けっこう本気走りになってしまった・・・。このタイムでは来週は多くを望めなさそう。ぎりぎり2時間50分のペースで刻もうと思う。
気になっていた右ふくらはぎは大丈夫だったが、代わりに、かどうかわからないが、走行中に左足甲外側がまるで捻挫直後にみたいに鈍く痛んだ。

マラソン後はそそくさと熊谷スポーツ文化公園へ。天皇杯4回戦にジェフ千葉が登場。相手がJ2下位のFC岐阜だったので、当然勝ち試合を見せてもらえると思っていたのだが・・・・。先週のJ2降格決定でメンタル面を立て直すのが難しかったようだ。不甲斐ない戦い振りであっけなく0-1で敗戦。特に岐阜がいいプレーをしていたとも思えない。全く怖さのない攻撃に終始し、終盤はパワープレーをしようにも前線までボールを運べない始末。J2チーム相手に「違い」を見せていたのは浩平と深井くらいのもので、がっかり。現在のチーム力はJ1下位であることはわかっていたが、J2でも中位以下ということか。
来年、相当きびしいぞ。

最後に。Twitterを始めてみた。@aknambaをフォローしてみてください。

2009年11月14日土曜日

坂戸市民チャリティマラソンに出走予定

つくばマラソンの1週間前。明日は調整として、坂戸市民マラソンの10kmに出る。
毎年11月中旬の日曜日は、坂戸市民マラソンと上尾シティハーフマラソンと東京国際女子マラソンが重なる日で、いつも坂戸市民の1km親子の部を走り終えてそそくさと国立競技場に医務員をしに向かうのが常だった。
が、いよいよ昨年をもって東京国際女子が終了し、今年から横浜に舞台を移し、でも日にちは重なった。
とはいえ東京陸協から主管の手も離れ、医務員の義務もなくなり(実は直前に人手が足らず要請は受けたが)、今年は堂々と地元の坂戸市民10kmに出られることになった。
でも本当は横浜も気になる。新コースを救護車か収容車で走ってみたいのもやまやまだけど・・・。
今年2月の別大直前の千葉マリンで痛めたのと同じ、右ふくらはぎが張っているのが気になる。自重するつもり。

ちなみに午後はジェフが天皇杯4回戦で熊谷まで来る(つい4-5日前に気づいた!)ので、応援してくる。相手はFC岐阜。来年はJ2で相まみえることになりそうだから、格の違いを見せたいところ。でもこういう相手にすこーんと負けることがよくあるから油断はならない。
天皇杯をみやげにJ2へ。どれくらいスタンドは埋まるだろうか。

2009年10月22日木曜日

奥武蔵グリーンラインチャレンジの結果〜おお3位!

スポーツエイドジャパンのページに結果が掲載された。
3時間16分35秒で、男子の第3位である。トップ賞には10分ほども差を付けられて、全く惜しくなかった。しかも優勝者は奥武蔵ウルトラマラソンでも優勝争いの常連さんである。77Kでは2時間以上差を付けられても、42Kでは10分差なのだから、満足である。
ちなみに表彰は2位、3位にはない。そういうゆるい「イベント」ではあるが、山岳タイムトライアルとしては十分満足。
快走だったという自負があったおかげかさほとの疲労感はなかったが、レース翌日あたりから、イレウス症状で少々苦しんだ。おなかがパンパンに張っていて、なかなか解消しない。少々ものを食べると、ぎゅるぎゅる腸が動いてまた苦しむ。聴診器を自分のおなかに当ててみたら、耳をつんざくばかりの強烈な衝撃音が聞こえてきてびっくりした。
本日あたりようやく回復傾向。原因がよくわからない。
ところが今日あたりになって風邪気味になってきた。喉が痛い。例年この時期に風邪をひいているような気がする。

2009年10月19日月曜日

奥武蔵グリーンラインチャレンジ42.195km〜得意コースで快走

やはりランナーには相性のよいコース、距離というのがあるようだ。
この上り主体で最後に駆け下りるコース設定、42.195kmという距離が僕には適合しているらしい。
このイベント(自由な時差スタートだし、表彰も限られているのでレースと呼ぶのはややはばかられる)は2年前の参加したときも、思いもかけず確か3時間19分くらいで走破して「トップ賞」だった。
今回もさしたる気負いもなく淡々と山岳ロードコースを上っていったらどんどん抜ける抜ける、上り坂に苦しんでいるランナーたちを尻目にぐいぐい顔振峠、高山不動、飯盛峠、ブナ峠、刈場坂峠、大野峠と標高があがるほどに元気になっていった。
奥武蔵ウルトラマラソンの前半戦の再現のような好調さだ。15-20℃程度というちょうどよい気温で、給水もあまりとらずにいける。だいたい5Kごとを22分台から遅くとも24分台でカバーしてのぼりきった。
37Kを過ぎて県民の森近くからの横瀬までの強烈な下り坂も、心の準備と若干の脚の余裕があれば一気に駆け下りることができる。ここは19分台のラップに上げてゴールの横瀬小学校へ飛び込むと、今回は3時間16分台と、前回よりもさらに記録を伸ばすことができた。
快晴でコンディションがよかったこと、2回目でコース特性がわかっていたこと、給水が充実したことがわかっていたのでボトルもウエストポーチも持たずに走れたことがの3つがタイム向上の要因だと思う。
さて、すぐには自分が何位かわからないというのも、奥ゆかしくてよろしい。誰にも抜かれなかったから、トップ賞の可能性だってある。ゴールにたどりついたランナーたちも、コースのきつさを嘆きながら、会話をしやすい雰囲気だった。

帰りはそれぞれ横瀬の駅から西武秩父線に乗る。高麗駅で降りたランナーもう一人と高麗神社の駐車場までの3K余りを一緒に走って行く。同じ坂戸在住のトライアスリートであることがわかった。この人もなかなかにタフ。

2009年10月17日土曜日

箱根駅伝予選会〜順大落選ショック

箱根駅伝人気はついに予選会を生中継(といっても地上波ではなくて日テレG+だが)で放映するに至っている。本日行われた予選会は、VTRで見た。
上武大や青山学院大の健闘には感心したが、一番びっくりしたのは、順大が(たいして惜しくもなく)落選したこと。エースがいないうえに粒が揃っているわけでもない。レース中継を見ていても全く上位にユニフォームが見えなかった。結果発表後に順大のミーティングで沢木部長が訓示しているシーンが映っていたが、頭から湯気を立てて怒っておられるかと思いきや、案外冷静に奮起を促していたのでほっとした。といっても時々言葉が詰まっていたので相当悔しかったには違いない。
毎年問題になる「インカレポイント」だが、今年は国士舘も順天堂も他所以上の3分以上のアドバンテージを持っていたのにもかかわらず届かなかったのだから、順位をひっくり返す要素とはならなかった。とはいえ、換算基準の根拠の不明確なこのようなシステムはなるべく早く廃止すべきだという意見に変わりはない。
私の後輩たちはよく頑張っていたが、学連選抜に引っかかるほどの快走はなかったように見えた。

明日は、奥武蔵グリーンライン・チャレンジ42.195kmに出走予定。2年前に3時間19分で走破してトップ賞とだったこともある相性のいい大会だ。余裕を持ってリズム良く山を登り切り、最後の横瀬までの急坂下りをブレーキをかけずに駆け下りるのが目標。

2009年10月15日木曜日

東京マラソンの出場枠の話の続き

クリールの樋口編集長も期せずして、男子3時間以内の人には出場権を与えては、という私と同じ提案をしていた。女子3時間15分、というのもこれまでの「国際レース」参加基準と同じなので、受け入れられやすい区切りだ。
確かに申込人数、倍率が増えれば増えるほど、増えた分はマラソン未経験者であることが多いので、3時間以内、3時間半以内がさびしくなってしまうだろう。ただ昨年のレースを医務員として38km地点で見た限りにおいては、2時間40分から3時間レベルの選手もそうポツッポツッというほど点在していたわけではなく、小人数集団形成できるくらいには人数がいた。
それよりも、ある程度本気で冬にフルマラソンのタイムを狙おうという市民ランナーが、東京マラソンへの出場はアテにできないため、年間計画に組み入れようがない点が問題だ。結果として、ベテラン市民ランナー(3時間半を切るレベル)層にとっては、東京マラソンは「当たればラッキー」のイベントになり、なかなか半年前から計画を立てて臨む「メインレース」からはずれていく傾向にある点が淋しい気がする。
今度の東京マラソンは再び2月開催に戻ったので、冬型の気圧配置で北西の季節風となれば一昨年の大会のように、全体として(特に終盤)追い風という好記録を生む気象条件になる。前回は3月下旬の春の嵐に選手達は悩まされただけに、気象条件も注目だ。

2009年10月14日水曜日

馬軍団ドーピング?

上野さんのブログで「馬軍団、ドーピングの事実認める」というニュースを知り、リンク先を見てみると、
・認めたのはシドニー五輪当時の「政府高官」
・ドーピング物質は「興奮剤」
ということだ。馬軍団の選手、コーチが認めたわけでないという点がまず弱く、しかも長距離走で「興奮剤」が本当に競技力を高めるか疑問な点から、あまり強い証拠にはならないだろう。
馬軍団は日常から「冬虫夏草」をよく摂取しているというのが喧伝されたが、例えば漢方薬でも葛根湯にはエフェドリンが含有されているように、その中から興奮物質が検出された可能性はありうる。決して単独成分の意図的な摂取ではないのではないか。
支那の国内スポーツ界でも、コーチ間、地域派閥間の脚の引っ張り合いは激しかったと言うから、当事者以外の「証言」というのもあてにならないところがある。五輪不出場は馬軍団が強すぎる、とやっかんだ他勢力との抗争の結果だったかもしれない。
馬軍団の選手たちの走りというのは確かに異次元だった。独特の腕をあまりふらない腰高で爪先着地のピッチ走法を顔色一つ変えずにどこまでも続けていく。ただ、ドーピングを利用していたかどうかはともかく、あの走りが猛烈な練習量から生まれていたことは、ドキュメンタリー映像からもうかがい知れた。その超人的な練習量を可能とするためにどのようなこと(秘密)が行われていたか。
これには今後まだ解明、証言が必要な気がする。もちろん当事者の。

2009年10月13日火曜日

東京マラソン抽選結果通知

落選通知が来た。
何となく当選するつもりだっただけに放心状態、というのはちょっと大げさだが、昨年と違って、ではすぐ荒川市民マラソンにエントリー、という気にもならない。
2月は別大に集中せよ、ということなのかもしれない。

そもそも大会主催者が多すぎる申込者から出場者を選ぶときにとる手段が抽選のみというのが適当なのかどうかわからない。
無条件に出場できるいわゆる「エリート枠」をもっと緩めてはどうか。例えば3時間までとか。励みにもなる。
あと、昨年心臓発作で倒れた肥満の某お笑いタレントのような「リスクの高い」選手をはじき出す。ただし体格による差別もしにくいから、これは案外難しい。
それから、毎年はずれている人を優先する。
これくらいは何とかできるだろう。

2009年8月22日土曜日

性別疑惑 その3

元800mランナーとしてのコメントもしておく。
この選手は昨年までのベスト記録が2分03秒台で、今回の優勝記録が1分55秒台ということであるから、ちょっと考えられない伸び方だといわれている。
ちなみに僕の競技歴では中3から高1の1年間に2分05秒から2分0に、大学の最初の1年で1分59秒から1分56秒まで伸びたのが年間最大の伸び幅だ。この程度が普通だと思う。だから一気に8秒の伸びというのは、よほど体が発達したか、トレーニング環境が変わったか、ないしはその両方がないと考えられない。
この「記録の伸び」の話は、よく考えれば男性であるか女性であるかに関わらない話であるので、むしろ急激な伸びで疑うべきは「性別」ではなく「ドーピング」ということになる。
この選手の体型は確かに従来の800m女子アスリートの常識とは異なる体型であると思う。ラスト200mで全く崩れない力強いフォームからは、並外れた筋力と筋持久力を持っているようにも推察する。決して従来タイプの800ランナー(決勝の後ろ7人は全員そのような体型だったが)の延長線上にはない異次元のものだ。ウェイトトレーニングで鍛えこんだと仮定しても女性ランナーがあそこまで到達できるか・・・・確かに性別に疑問がもたれたこと自体には僕も納得する。

2009年8月21日金曜日

性別疑惑 その2

では実際にどんな検査が行われているだろうか。こうした検査に「ルール」は制定されていないが、前回の大阪大会でこのような場合に備えて僕たちが準備していたのは以下のような検査だ。
(1)外性器視診  内診台でのいわゆる婦人科診察
(2)内性器の画像診断  超音波やMRIを使って、子宮や卵巣の有無を確認する
(3)ホルモン採血  テストステロンやエストラジオールなどのホルモン値をみる
(4)染色体検査  通常の染色体検査に加えて、SRY遺伝子の有無を検査したりもする
この中で実は一番重要なのは意外にも(1)であって、これで「男性ホルモンがどのくらい体を形成する上で効いているか」がわかってしまう。もちろん髭とか喉仏とか体毛とか他にも男性ホルモン作用を判定できる箇所はあるが、これらは男女の差が外性器ほど明確でなく、後天的に操作されることもある。テストステロン(男性ホルモン)が出ているからといって男性とは決められないし(受容体の働きが欠損していることもあるから)、ましてY染色体があるから男性と単純にはいかない。
そうした「性分化異常」の方はもちろん世の中にごくまれにしか存在しないのだが、スポーツの世界大会のように特殊能力の世界上位だけが抽出されて争うような場面では、その頻度が濃縮された結果、案外多く見つかってくるということは容易に想像されるところである。
さて今回の南アフリカの選手については私は全く医学的情報を持っていないのでなんともいえないのであるが、家族の反応や出生証明書などを見る限り、少なくとも医学的に完全な男性が「偽って」出場していたのではないように思う。もしも性分化異常症である場合、世界選手権で金メダルを取る前の段階で「ひっそりと」指摘してもらう機会があって、例えばアンドロゲン不応症ならば精巣除去手術を受けるなどの方策がなされれば、競技力は凡人化してしまうだろうが、本人が精神的に深いダメージを負うようなことは避けられる。(本人でなく)南アフリカ陸連がこれまで性別検査を拒否してきたと報道されているが、もしもそうならば罪なことである。

2009年8月20日木曜日

性別疑惑 その1

ベルリン世界選手権女子800mの優勝者に「性別疑惑」が持ち上がっているという件に関して、昨日来テレビ局からコメントを求められている。
「今行われているという性別検査はどういうものなのか」というのが質問の主旨である。質問してくる側が誤解している点、間違いやすい点(これはすなわち一般視聴者の誤解と共通すると思うが)をまとめておく。
まず、「性別検査」とはもはや大会に参加する全女性競技者を対象とした「一律の」「スクリーニング的な」性別検査ではないということだ。そういう一律性別検査は1996年のアトランタ五輪を最後にオリンピックでも行われていない。なぜ中止になったのか。アトランタでは3387人の女性競技者に対して行われたDNA検査で、Y染色体(の一部)を有すると判定されたのが8名、そのうち7名がアンドロゲン不応症、1名が5α脱水素酵素欠乏症という先天的な性分化異常症であって、結局は全員が女性競技への参加を許されたという経緯がある。
ただし「個別の」性別検査では現在でも行われることがあって、「疑問を持たれた選手」に対して個別に世界陸連または大会組織委員会の指示でなされる。「疑問」とは単に「強すぎる」とか「急にタイムを伸ばした」ということではなく、例えばドーピング検査のときに女性係官が排尿を見守った際の所見だとか、更衣室で他の選手が確認した肉体的特徴などである。
次に、性別検査でクロと判定されるのは2つの場合があること。医学的に純粋な男性が、偽って、または何かの事情で女性として社会的に育てられて、女性競技にまぎれこんでいる場合と、医学的にも男女の判定に注意を要する性分化異常症の場合だ。メダルを剥奪されたりするのは基本的には前者の「偽っていた」場合がほとんど。アトランタ五輪の例のように、性分化異常症の場合は(男性ホルモンがどの程度作用しているかにもよるが)出場が認められることが多い。ただしアンドロゲン不応症の「不全型」(精巣を有し、一部男性ホルモン作用が現れている場合)では、次の国際競技会までに精巣除去手術を受けることを義務付けることになるだろう。
最後に、そうした「個別の」性別検査の主目的は、決してその選手の「性別」を決定することではないということ。主目的は「男性ホルモンの利点を享受しつつ女性競技に出場することはフェアではないので、女性競技への参加資格があるかどうかのみを決定する」ことにある。したがってある選手が仮に女性競技から排除されたとしても、その選手が社会的ないしは心理的に女性として生きてきて、今後もそれを望むのならばそれを必ずしも否定するわけではないということになる。
けっこう難しい話だ。単に「性染色体を調べてXYだったら男でアウト、XXなら女だからセーフ」というものではないのである。

2009年8月15日土曜日

東洋大学関連の2冊

書店でこの2冊が並んで置かれていたので、つい両方とも購入。
「監督 挫折と栄光の箱根駅伝」 川嶋 伸次 basilico
「魂の走り 鉄紺の誇りを胸に」 石井 安里 埼玉新聞社
読むのはこの順序が正解。
川嶋さんについてはいくつか謎があった。
昨年12月の部員の痴漢逮捕事件の後、潔くきっぱり辞任してしまったわけだが、その後箱根駅伝関連の報道、テレビ番組にも一切登場しなかった。その「雲隠れぶり」も潔かったが、果たしてどの程度「こっそり」東洋大チームの最終調整や区間配置、当日の指示に関与できたのだろうかということ。川嶋さんが作り上げたチーム、川嶋さんの采配なくして優勝はできなかったろうと思う。
これについては、記者に見つからないよう木陰からグラウンドを見守った、駅伝当日も帽子にマスクで変装して沿道に立ったが声はかけられなかった、などと明かされている。最終調整練習のメニュー変更やオーダー作成にも関わったこともわかり、何かほっとした気分である。自分の育てたチームの晴れ舞台を他人に委ねて歯噛みして見守っただけだとすると、残酷だと思っていたから。
なおこの「謹慎期間」は毛呂山町の実家に戻っていた、というけど、埼玉医大も毛呂山町。近くにおられたんだなあという感慨もあり。
もう一つの謎は、川嶋さんといえば市民ランナーとの関わりが積極的だったことで、少なくとも地元では有名だったが、東洋大の監督という立場との両立は難しくなかったのかということ。これは心配することはなかったようだ。市民ランナーの純粋な走りたい気持ちを見せることで選手も刺激されたり自分の恵まれた立場を認識したりとメリットが大きいようだ。この考えは私も大賛成なのだが、なかなか「雑音」や「目の毒」を排除したがる指導者も多いもので。
今後も必ずや陸上指導の表舞台に返り咲く人だから、その日を楽しみに待とう。
さて川嶋さんの本を読んでから埼玉新聞の方を眺めると、選手の個性が写真と一致して面白い。
おすすめである。

2009年8月14日金曜日

「なるほど、この意気である」

東医体(トーイタイ、正式には東日本医科学生体育大会)の監督に行ってきた。というと偉そうだが、競技も終わりが近づいた2日目の後半に顔を出しただけである。埼玉医大陸上部の監督としては、怠慢の誹りを免れ得まい。5000mに出場した部員を1名応援できたのみである。21分かかったが、ビリではなかったしタイムオーバー打ち切りのルールもなかったようでよかった。
800m決勝では1分51秒台というたいへんにハイレベルな大会記録が生まれたそうで、見逃したのが残念である。僕が15年前に出した大会記録の、次の次の次の大会記録だと思う。これはちょっと自慢が入ってしまった。
ただし鉄門陸上部のOBとしては、5000m、4x400mRといった見所に間に合い、たいへん面白かった。
5000では後輩3選手が8位入賞を目指して果敢な走りを見せてくれたうえに、それ以外にも2人ほどかつての走り仲間が走っていたし、優勝争いもハイレベルですっかり檄の声が裏返ってしまった。
最後のマイルリレーは16年前に優勝を勝ち取った種目。東大がマイルに勝つなんてと驚きを持って迎えられたことを思い出す。ただ、その翌年はエースが直前肉離れで走れず4位。6年のときはバトンを落として決勝最下位、と悔しさも味わっている。学生がそんな歴史を知っているのかどうかわからないが、今回14年振りの決勝進出ですよ、などと話しかけてきたところを見ると、伝説にはなっているのかもしれない。おっとまたまた自慢が入ってしまった。
1走最下位からスタートする苦しいレースだったが、3走の中距離選手(2年)の驚きのラスト伸びで順位を上げ、下位争いとはいえ盛り上がった。今は個人のスーパーエースはいないようだから、マイルリレーを重点強化種目に指定して、目標来年3位、再来年優勝と計画的に取り組むべきだ。と、主務相手に力説してきた。
今年の部便り(年報みたいなもの)を見ると、キャプテンが過去の部便りの「名言集」を編んでいる。僕の学生時代の「青い」名言が2つも載っていた。
「いくら臨床実習だ国試だといっても、スポーツの一つもこなしながらクリアしていくぐらいでないと、実際医師や研究者になってからもたいした仕事はできない、と言った先輩がいた。なるほど、この意気である。」
ごめんなさい。
「全学陸上部と兼ねない人がどれだけ練習熱心かで部の強さは決まる。」
これはその通り。15年経っても真理は変わらないから、キャプテンが目にとめてくれたのだろう。

2009年8月6日木曜日

「エリート選手の健康診断の有用性」

陸連の医事委員長からよくIAFFの会議録だとかWADAの新規決定事項だとか理事会への提案書だとか役立ちそうな論文だとかがメール添付で送られてくる。ほとんどは「今は読んでる時間がないよ」と口の中でもごもご言いながらスルーしてしまうかまたは(後で勇気が出たときにスルーするために)Gmailの受信トレイに残しておく。
が、今朝は「片付けモード」の気分で、推薦論文を斜め読みしてみた。
IOCが「エリート選手の定期的な健康診断の有用性」について出したstatement、という特に面白味のないテーマ。そりゃあ、健康診断はいっぱいした方がいいに決まってるでしょ。特に副作用があるわけでもないし。
先日も中村俊輔選手の所属するエスパニョールのキャプテンが心臓発作で突然死した、と報道があったが、ひょっとしたらこういうリスクのある選手を事前に察知できるかもしれない。
でも、スペインのプロチームともあろうものがシーズン始めにメディカルチェックで心電図をとらない、なんてことはないだろうなあ。となると心臓突然死を防ぐと言っても限界がありそうだ。
そもそも「エリート選手」って誰のこと?JISSのメディカルチェックは、JOCの強化指定選手とか各競技団体の強化指定選手とか各国際競技会の日本代表選手とかを対象にやっているけど、ま、予算やキャパシティを考慮すると現実にはそういうことになるのかな。特にIOCが言っているのだからね。
でも本当は「インターハイや高校駅伝に燃えている高校生」とか「チームでも中位・下位の実業団駅伝選手」とかにメディカルプロブレムはかえって多いような気がする。本当は僕もJISSでエリート選手の相手だけしていないで、そういう選手の面倒も見たいんだけど。
さらにこういうメディカルチェックが選手に定着するためには、選手に「面倒くせえなあ」と思わせる義務ではなくて、メリットを感じさせなくてはいけない。
そういう意味でこのstatementの中でただ1箇所だけ目にとまったのが、
「定期的健康診断のもう一つの大事な役割は、今後継続してお世話になるかもしれないメディカルスタッフと知り合いになる機会をアスリートに提供すること」
というくだり。なるほどね。これは内科や整形外科のドクターや、ナースについて言うと確かにそう。
婦人科についても、仮に月経不順とか月経痛などの症状があっても、婦人科なんてところをわざわざ受診しようとと思い立つ選手はごく一部。メディカルチェックの一部門として気軽に面談ができて、「婦人科はそんなに恐ろしいところじゃないよ〜、話のわかるドクターもいるよ〜、気軽に相談してよ〜」とアスリートが感じれば、それは確かに意味がありそうだ。
けど、JISSでは(増えたとは言っても)婦人科の診察日は月6回だけだから毎回面談することは不可能だなあ。結局、そこのところの役割は常勤の内科の先生方に担って貰わないといけないみたい。

2009年8月4日火曜日

ダメージ大

今回のウルトラは多大なダメージを脚に残している。
両ふくらはぎはつったときの痛みがそのまま固着したように堅く張っていて全く弾性がなく、歩くのに一苦労。軽くなでさすっただけでも激痛。両大腿裏もパンパン。
両大腿四頭筋もすばらしく筋肉痛なので、階段を下りるのが困難。手すりにつかまってロボットのように下りている。同僚に見られたくないので、みんなをやり過ごしてからロボットになる。さらにはエレベーター多用中。
さらに左のシューレースを締めすぎていたのか、足甲の一点が痛む。左足は変にひねるように着地しないと痛い。
大学から東毛呂駅まで歩く気が起きず、なんと雨でもないのに帰りはタクシー。
明日はせめて自転車通勤まで持って行ければ・・・。
2日間2XUのロングタイツをはいて過ごしたが、焼け石に水。
昨日の当直、夜間はなにもなくてよかった。
ただしランニング意欲だけは亢進していて、よさの大江山登山マラソンにもエントリーしてしまった。
9月の休日当直をするところがなくなってきたぞ。

2009年8月3日月曜日

奥武蔵ウルトラマラソン〜路面に座り込むの巻


小雨で涼しい奥武蔵ウルトラマラソンはこんなにも楽なのか、と感心しながら前半から絶好調。新品のゲルフェザーも快調。序盤の誤算は「ひざかんたん」が20kmでもうはがれてしまったことぐらい。
上りも快調にぐいぐい上がれ、フルの通過は例年より30分も早い3時間39分14秒。目を疑ったくらいである。
ところが大野峠を過ぎて県民の森折り返しに近づくあたりからなんとなく大腿前面(四頭筋)のいや〜な疲れを自覚し始め、それでも目標ペースである5km27-8分は維持できていたのだが、、60kmすぎに完全に「破綻」した。とにかく下りがまともに下れない。大腿四頭筋の張りと着地時の痛みに耐えブレーキをかけながらおそるおそる脚をすすめるものだから、ふくらはぎもどんどん張り始め、急な下り坂の途中で左腓腹筋がぴきーっとつった。必死に膝下で腓腹筋を押さえつけながら苦しんでいたら、踏ん張っていた右腓腹筋もぴきーっとつる始末。路面に座り込むことに相成った。1分ほどで立ち上がれたのだが、その後の下りは悲惨な有様となった。まだ上りの方がまし。でも後半は下りばっかりなんだよねえ。変な衝撃吸収をするせいか、一時は右の頸部(クビ)の付け根にも激痛が走る有様。
普段の練習ではがつがつ足音を立てて駆け下りている場所を、「あー、もうやだ」状態で痛みに耐えつつへっぴり腰で下ることになった。60km以降だけで30人以上は抜かれたかな。
結果は7時間18分17秒で総合111位。3年前のベスト記録にわずか26秒及ばず。当時から距離が2km弱伸びているから実質ベストと言ってもいいんだけど、この絶好の気温でこれではねえ・・・。
最後にクリールの樋口編集長と立ち話。先月号のママさんランナーの記事に登場していたおかげか、名を名乗っただけでわかってくれた。
樋口さん、今度は真夏の汗だらだらの奥武蔵ウルトラを見に来てほしい。今回はエイドの有難味が例年に比べて薄れていたし、見晴らしも全くといっていいほどなかったし。記録は出しやすかったけどね。

2009年8月2日日曜日

「スポーツ産婦人科医」デビュー

これまで、スポーツ医学関係の学会や研究会、あるいは陸上競技関係のシンポジウムや講習会で「婦人科」の話をしたことはあったが、昨日は初めて「産婦人科の」研究会で「スポーツの」話をした。
その名も埼玉県産婦人科医会「ホルモンと生殖医学研究会」。主幹事の石原先生からの要請(命令?)でスポーツ医学のことを演題に出したわけだが、他には、「不育症」や「凍結胚盤胞移植」などのアカデミックなタイトルが並ぶ中、「女子スポーツ選手・・・」はちょっと場違いだったろうか?主催側も多少そう思ったらしく(いえいえ否定しなくてもいいです、わかっています)、客の入りがもっとも少ないであろうトップバッターに割り当てられた。
「無月経の女子選手に一生懸命ホルモン補充療法をしても、必ずしも骨密度は上昇しないみたい」という少々悲観的なお話をしたのだが、一般の産婦人科の先生方にとっては、無月経の選手の比率が高いことも、骨粗鬆症の選手が多いことも、驚きだったようである。一番嬉しかった感想は「スポーツ婦人科っていう分野があるんだねえ」というものである。
なかなか科学的、統計的に意義のある話をするのが難しい領域ではあるが、みんなの興味をひくことだけは間違いなさそうである。

2009年8月1日土曜日

明日は奥武蔵ウルトラマラソン

明日は5回目となる奥武蔵ウルトラマラソン。
初回は埼玉医大への転勤後すぐのレースで、転勤が決まるやいなや、すでに定員一杯のところを無理に「医務員をやりますから」と主催者のT山さんに直談判して走らせてもらった。だからこの大学にもこれで丸4年いたことになる。
奥武蔵グリーンラインのコースは時々練習でも走るので年々慣れていっているはずだが、ここ2年は後半に「もー、やーなの」とつぶやきながらとぼとぼと歩を進める大失速を味わっているから、今年こそは「上手に」走りたい。
走行距離は十分ではないが、例年に増して4月以降、休日にはたびたびトレイルやロードで3時間以上のロングランをこなしているから、その貯金が利くことを期待しよう。

鮮やかレッドの勝負ランシャツをアートスポーツ通販で手に入れ、気分もちょっと盛り上がってきた。
シューズも3年前の成功レースのときに倣って、新品のゲルフェザー(旧モデル)を安売りで購入。一昨年はGT-2110、昨年はゲルDSトレーナーで失敗しているから。今回もダメなら、今度はニューモデルのゲルフェザーを正価で購入するしか道は残っていない。
幸い明日は曇の天気。下界は30℃近くなるようだが、きっとグリーンライン上は日陰なら25℃くらいかな。
スタート前とゴール後は救護所にいて、救護活動にも当たるのがT山さんとの約束だ。

2009年6月7日日曜日

安達太良山トレイルラン

医局旅行で福島・岳温泉へ行ってきた。
医局旅行は新入医局員の歓迎会を兼ねて毎年6月頃に行っているのだが、一昨年だけは行っていない。その年の唯一の入局者がすねるといけないので、急遽「累積入局者が2人を越えたら医局旅行を挙行する」旨、医局長の僕が勝手に新ルールをこじつけた。
今年はめでたく昨年秋に中途入局が1人、今年秋に新入局が1人で、挙行にこぎ着けた。

で、僕が燃えたのは、昨年の草津白根山同様、2日目(日曜)朝のトレイルラン(ここは自分だけ早起きする)&ハイキング(みんなを連れ回す)。
今回は、当然安達太良山に登りたかったが、みんなのハイキングは時間的に無理、というわけで、4時半起床で僕だけ登ってきた。




岳温泉4:33〜奥岳登山口(960m)5:18〜あだたら自然歩道〜勢至平5:54〜峰の辻6:20〜牛の背6:38〜安達太良山頂(1700m)6:45〜薬師岳みはらし台(1340m)7:11〜五葉松平7:17〜あだたら自然歩道終点7:38
(合計約18K 3時間05分)

雨と厚い雲のため特に山頂付近では見晴らしはほとんどなし。足場も悪かったが、なんとか完走。雪渓も残っていた。下山路ではレインウェアに身を包んだ登山者と5-6人すれ違った。おそらくこの日の安達太良登山一番乗り。
みんなと合流後はあだたら自然歩道を散策してホテルへ帰還。

2009年6月5日金曜日

7月に大分で講演予定

7月に国立病院機構西別府病院で女性スポーツ外来を担当しておられる松田貴雄先生に別府までお招きいただいた。3日(または4日かも、詳細未定)に市民公開講座として「女子長距離走選手の婦人科的サポート」をテーマに講演させていただけることになっている。新設の大分キャノンをはじめ、九州近県の女子長距離関係者の方々が聴きに来てくださるといいのだが。
松田先生は婦人科医としてなでしこジャパンに帯同するなど、主に女子サッカーの分野の医学サポートに活躍されている。なお、松田先生には去年も今年も別大マラソン出走の際に沿道で応援していただき、たいへん感謝しております・・・。

講演会についての問い合わせ先は、
国立病院機構西別府病院 松田貴雄先生 病院代表電話 0977-24-1221

2009年6月4日木曜日

月刊陸上競技に寄稿


「アスリートのためのコンディショニング」という連載で「婦人科的諸問題」として書いたのが載っている。少しでも多くの中学や高校の女子選手を始動するコーチ・監督が見てくれるといいが。
なお前のページには、すぐ近くの坂戸中学校の先生が技術指導を担当していてびっくりした。面識はないけど。

2009年6月3日水曜日

STCIシンポジウム

だいぶ時間がたってしまったが、シンポジウム出演の報告を。シンポジウムという名称にふさわしい(?)少々固い雰囲気だったので、なんとか場の雰囲気をほぐそうとして盛り上げたつもり。
まず最初に10分時間をいただいて、主に「女子長距離選手を無月経にしておいてはいけないよ」というイントロダクションをお話しした。箇条書きにするとこんな内容。
● ジュニア日本代表女子中長距離選手の多くが無月経。しかしシニア日本代表になると月経のある選手の方が多数派。
● 体脂肪が15%だと半分、10%切るとほとんどの選手が無月経となってしまう。
● 月経がない、すなわち排卵がないと、徐々に低エストロゲン状態となってしまう。
● 骨塩量は30才前後がピーク。血中エストラジオール値が低いほど骨塩量が低い。
● 月経停止期間が長い人ほど、また月経停止年齢が低いほど骨塩量が低い傾向にある。
● 摂食障害、無月経、骨粗鬆症のトライアングル(悪循環)に陥ってしまうと相当深刻。
● 10代からの強度の高すぎるトレーニングを避けるべし。15才までに初経を迎えること、高校生の間には月経が止まらないようにさせることが必要。
● 20代後半から30代で競技活動のピークを迎えるような長期的視点をもつことが必要。
● 出産後の競技継続を奨励したい。

これについて、後で高校の指導者に対してどのように啓蒙活動をすればいいか、という質問が出たので「啓蒙するだけでは限界がある」という前提で、こんな提言をしてみた。
● 全国高校女子駅伝がテレビで放映されるようになり、どうしても高校時代の結果を求める指導者が多くなる。高校では一流でなくても後に大きく成長した赤羽選手の高校の先生(コーチ)などがもっと評価されなくてはならない。

出産を終えた赤羽選手、妊娠中の大島選手が壇上にいるだけに、妊娠中のトレーニングあるいは出産後の回復期のトレーニングの話が主体になった。産婦人科医としてのコメントは、
● 妊娠中のスポーツに対しては、どうしても産婦人科医は制限をかける立場にある。「これだけトレーニングをしても問題なかったよ」という実例が示されてはじめて我々の頭の中が変わるのであって、現時点ではなかなか「好きなようにどうぞ」とは言いにくい。
● 産後のトレーニング復帰のガイドラインによれば、持久力トレーニング、筋力トレーニングなどは産後すぐから開始できるが、片足立ちでバランスをとったり対人動作を行ったりするのは、骨盤が安定する数ヶ月後からが望ましい、となっている。

女性アスリートの活躍する環境整備というのがシンポジウムの題目だったわけだが、ゆくゆくは多くの強い選手が自立して30代でも活躍するようになればいいし、たとえばJOC強化指定女子選手の半数以上がママになればJISS(国立スポーツ科学センター)に保育施設ができたりするのでは?とコメントさせていただいた。

世界選手権マラソン代表に決定したばかりの赤羽選手の出演がこのシンポジウムの目玉。赤羽選手本人の努力もさることながら、献身的に(といっていいでしょう?)食事、子守り、練習環境整備に専念する周平さんには敬服した。この方、根っからのマネージャー向きでどの仕事も手抜きなし。真剣に、しかもオリジナルで、楽しそうにこなしている。なお、城西出身の赤羽夫妻、坂戸〜毛呂山近辺で青春をすごしたわけで親近感抜群である。

2009年6月2日火曜日

臨床推論


4年生が6人ずつ火曜の午後に2時間各診療科に回ってくる。「臨床推論」という科目だ。5年で行う病棟実習ではまだないから、実際の患者さんに対する医療を見学させるのとは違う。診療場面を想定したシナリオをつくっておき、「次は何の検査をする?」「何の疾患を考える?」などと問いかけながら、自ら診断をすすめる能力を養うという趣旨である。
こんな手の込んだ教育は自分が学生のときは全く受けなかったなあ・・・。
学生たちを最後に新生児室の赤ちゃんに触れさせると、一様に笑顔がこぼれる。これで来年の産婦人科実習への期待と勉強のモチベーションが高まるのならいいのかな。

2009年5月18日月曜日

越生〜高麗神社トレイルラン

赤城トレイルレースを1週間後に控えて、それなりのロング・トレイルを1回脚に覚えさせておきたくて選んだのがこのコース。越生駅から虚空蔵尊へ最短コースを行くつもりが道がわからず。結局大高取山南側の細いトレイルを行きつ戻りつして、最後にやっと虚空蔵尊にたどりつき、ここから桂木観音へ。すでに1時間を超えてしまった。ゆうパークおごせからは桂木観音へは何度も行ったことがあるが、今回は初めてのトレイル。走りやすい。




桂木観音から鼻曲山を越えて一本杉までは、何度も通ったことのある秘密トレイル。それにしても鼻曲山への登りはきつい。ロープをたぐってぜいぜいしながら登る。その後の両側絶壁岩場駆け抜けジャンプ、も難所。ここでなぜか病院から携帯に電話が入って驚くが、緊急の用件でなくほっとした。
一本杉からエビガ坂までも既知のコースだったが、そこからユガテを経由して北向地蔵までがお初のトレイル。楽しい。奥武蔵グリーンラインは何度も通っているのに、そのすぐ下方にこんなトレイルが隠れていたとは。傾斜もさほどきつくなく、いつ北向地蔵が出てくるのかどきどきしながら走れた。途中で男性二人組のハイカーに遭遇。本日初めてのハイカーすれ違い。
北向地蔵から物見山までは、一昨年の奥武蔵ラン&ウォーク(今のところ最初で最後の「優勝」レース)でここだけ不整地がコースに含まれていたので記憶あり。優勝の思い出に浸りながら?さっと駆け抜け、次は日和田山。途中のロード部分で道を間違えそうになるが、ハイカーのおじさんに教えられ、あとは下るのみ。神社でぱっと開けた高麗方面の景色に感動。このコースは今まで知らなかった。ちょっと後悔。日清食品の選手も日和田山には走りに来ると言っていたし、この日も地元の中学生がリュック背負っていっぱいいたから、有名なんだね。物見山までの人気のなさと対照的。

越生駅9:15〜虚空蔵尊10:19〜桂木観音10:39〜一本杉11:24〜エビガ坂11:43〜ユガテ11:50〜北向地蔵12:08〜物見山12:21〜日和田山12:40〜高麗神社12:59 計3時間44分

2009年5月5日火曜日

STCIシンポジウムがいよいよ来週

赤羽周平コーチのブログや、田中めぐみ選手のブログでも紹介されていたのでご存じの方も多いと思うが、1週間後の5月12日に湘南トラッククラブ・インターナショナル(STCI)(代表:上野敬裕さん)の主催で「女性アスリートが活躍できる環境整備」と題したシンポジウムにシンポジストとして招かれている。
先月には上野さんが尋ねておいでになり、簡単に打合せを行った。このときの様子もちゃんとSTCIのブログに載っている。
上野さんは同じ千葉県出身で、市立船橋高校ということもあって共通の知人もあり、話題が多かった。いろんな大学、実業団チームのコーチ、監督を経て、今、女性アスリートのための支援事業を立ち上げていて、このシンポジウムも一から手弁当で企画している。その熱意が伝わってきた。スポーツ医学を手がけている産婦人科医として、可能な限り役に立てたらと思う。これから「基調講演」のスライドづくり。
以下はSTCIブログからの抜粋。

1 日時
2009年5月12日(火)18時15分~20時15分
開場および受付は17時45分~になります。

2 会場 
東京ウィメンズプラザ ホール
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-67
(JR山手線・東急東横線・京王井の頭線「渋谷駅」下車徒歩12分)
(東京メトロ地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道駅」下車徒歩7分)

3 テーマ『女性アスリートが活躍できる環境整備』

パネリスト
■難波聡氏
日本陸上競技連盟医事委員
埼玉医科大学 産婦人科 講師
国立スポーツ科学センター婦人科非常勤医

■赤羽有紀子選手(ホクレン女子陸上競技部所属)
日本初のママさんランナーとして北京五輪に出場

■赤羽周平氏(ホクレン女子陸上競技部専任コーチ)
夫としてコーチとして赤羽選手の競技活動をサポートし、見事、北京五輪出場へ導く

■大島めぐみ選手(フリー)
シドニー、アテネ五輪日本代表
現在、妊娠6か月。出産後、夫の大島健太選手(日清食品グループ)と共にロンドン五輪出場を目指している

2009年5月4日月曜日

奥武蔵ウルトラマラソン対策練習開始




学生のU君と当直前に練習。いよいよ奥武蔵ウルトラマラソンまで3ヶ月余り。トレイルももちろんいいが、ロードのアップダウンも走っておかねばならない。
越生駅集合は初の試み。出勤のためのバックパックを背負っていかねばならない。黒山まで行って一本杉峠まで登るか迷ったが、時間がありそうだったので、火の見下のバス停から黒山三滝をかすめて上がるコースをとる。この花立松ノ峠まで、一気に400m近くの標高を登る林道が久しぶりできつかった。U君のペースに合わせて追い込まずに着実に登ったが、これでもかとばかりに登りが続く。写真はその登りの終盤部分。さすがにここまで上がると越生側の景色も雄大。
後半のみNike+iPod作動。奥武蔵UMの距離表示からして、あとキロ5分平均で行かねば当直引き継ぎに間に合わないことに気づき焦り始める。鎌北湖までの下りからはU君を引き離し、がんがん攻めて駆け下りた。計2時間54分、約30K。
越生6:06〜火の見下6:50〜花立松ノ峠7:28〜鎌北湖8:40〜医大9:00

2009年4月30日木曜日

絶好のトレイル日和〜笠山から飯盛峠まで縦走

昨日の昭和の日。始発電車で東武竹沢駅まで行き、6時スタートでまずは外秩父七峰縦走のコースをたどる。
官ノ倉山をあっさり越えて、少々長いロードを走って和紙の里へ。ここまでは昨秋に寄居から小川町まで逆コースをたどったので、道もよくわかる。45分で到着。
さて問題は和紙の里から笠山までの道。和紙の里の裏からトレイルが始まっているらしいことはわかっていたが、実際は掃除中のおばさんに寺の裏の方から細い道が続いているよ、と教えてもらってやっと道がわかった。
急な登りが続くが、林道部分が多いので走り続けられる。ようやく萩平の見覚えのある小川沿いに出てきたときはほっとした。
ここからはいよいよ笠山への急登。さすがに走り登り続けることは難しく、膝押しでぐいぐい登る。


続いて堂平山へ。ここまではあっという間、前回は小雨降る中をへとへとで進んだ道だが、今回は快晴で余裕があり、実に気持ちよい。
そこから白石峠へ。車道にいったん出るが、200段近くの階段を上って定峰峠方面へ数百メートル進み、左折して七峰縦走コースから離れる。車道をおりると奥武蔵グリーンラインに合流し大野峠へ。







このあたりからはグリーンラインの車道とつかず離れず平行してトレイルが延びているので道に迷う心配が少ない。地図を覗き込んでいるトレイルレディー3人組に出会う。長瀞まで行くとのこと。けっこうな道のりだ。白石峠からちょうど外秩父七峰縦走の後半部分を走ることになる。正丸峠から登ってきたのだろうと推察する。行きすぎてから写真を撮っておいてもらえばよかったと後悔した。
刈場坂峠まで来ると奥武蔵道場の折り返し点で見覚えがあるだけにほっと一息。
飯盛峠から越生方面へ下ることにした。ガードレールの隙間から降りていく。ここは本当にこの道でいいの?と迷うような、倒木をかき分けながら進む小径だ。じきに舗装道路と合流し下り続けると見晴台があって、さらに下りるといよいよカーブの頂点から大平尾根を羽賀山を経て下りていくトレイルになる。ここは人も少なく、傾斜がなだらかで、岩もごつごつしておらず、おすすめのトレイル。途中バイク(モーターバイク)3台が爆音を上げて登ってきたのには興をそがれたが、さすがにおとなしく止まって僕が行き過ぎるのを待ってくれた。
戸神の集落まで下りると(ここは逆から登ろうとすると登り口がわかりにくいので注意)、後は一気にロードをバス通りまで下る。バスで越生に戻ってもよかったが、ここは欲張ってコーラ1本買い込んでから、最後の大高取山越えに挑む。いったんロードを駆け下りた脚には標高差200m程度の山越えでもきつい。
それでも無事に越生駅にたどりついたのが正午前。6時間弱の行程となった。
とにかく好天にめぐまれたトレイルはそれだけで楽しい。これまで外秩父七峰と奥武蔵グリーンラインをつなげたコースなど考えてもいなかったが、思い切って白石峠からの南下にチャレンジしてみて、これからのコース設定の幅が広がったような気がする。
今度は学生を連れてきてやろう。

東武竹沢6:10〜官ノ倉山6:33〜和紙の里6:52〜萩平7:39〜笠山8:08〜堂平山8:28〜白石峠8:38〜高篠峠9:01〜大野峠9:22〜刈場坂峠9:46〜檥峠10:08〜飯盛峠10:21〜野末張展望台10:34〜羽賀山10:41〜戸神10:57〜大高取山11:40〜越生11:59

2009年4月28日火曜日

「冬の喝采」〜懐かしい記憶を呼び起こされた


武蔵ウルトラマラソンクラブの会報で絶賛されていた「冬の喝采」を読んだ。陸上関係者、特に早稲田大学関係者や箱根駅伝ファンには知られていたようだが、僕は紹介されるまでこの本の存在を知らなかった。
このノンフィクションに近い小説、瀬古選手の現役当時を知っている世代にとっては、たまらなく懐かしいし興味深い。
当時の早大競走部は全員スポーツ刈りで居ずまい正しく、カリスマ中村清監督のもと修行僧たちのように長距離走に打ち込んでいるという、かなり極端化されたイメージだった。しかし彼らも大学生、監督に反発したり悪ふざけをしたりしながら、しかし箱根駅伝に対しては確かに純粋に取り組んでいる様子が新鮮である。
またこの本の魅力は陸上競技に関するディテールにある。一人一人の記録や戦績、出身校などは言うに及ばず、「マラップ」や「サテンのランニングパンツ」など、私が中学で陸上を始めた頃のアシックスのカタログを思い出させる名詞にぐっとくる。
また著者(金山選手)が故障と背中合わせでレースを断念したり、かろうじて出場できたり、その気持ちの浮き沈みに自然と共感・同化して、一緒にせつなさを味わえるのも魅力。
最後には、うーんやっぱり長距離も努力より素質?と自分にひき比べて少々落胆するところもあるが、読後感は充実している。
私の手元にあるベースボール・マガジン社刊(クリール)の「マラソントレーニング―世界を制した日本の名ランナーが明かすマラソン練習法」に、瀬古さんが箱根の2区から3区へタスキを渡そうとするカラー写真があるが、ひょっとしてこの3区の後ろ姿は著者(金山選手)?
誰か答えがわかったら教えてください。

2009年4月24日金曜日

脚がつったときどうするか

腓腹筋の痙攣時の対策法である。マラソンレース時ばかりでなく、夜明けに寝床の中で下腿がつった経験のある方も多いだろう。
以前は僕もつった側の下肢を伸ばし、手で足指を懸命に背屈させて痙攣している腓腹筋を伸ばすようにしていた。ところがこの伝統的かつ一般に広まっている方法ではなかなか痙攣がおさまらないことが多い。
即効性のあるのは、膝下すなわち腓腹筋の上端にあたる位置で、下腿を細い紐などを用いてぎゅっと締め上げる方法だ。紐が手近になければ、痙攣している腓腹筋の上端縁を親指でぎゅーっと押しつけてもいい。
これでつりかけているのはすぐ止まる。止まれば、下腿を伸ばすよりもだらんとゆるめて、すなわち足指を背屈でなく伸展させて、軽くマッサージして腓腹筋のこわばりがとれるのを確認すればよい。これですぐに走り出せる。

2009年4月21日火曜日

筋肉痛は昨日よりも今日

レース直後から昨日の日中にかけてはさしたる脚へのダメージもなく、今月末の休日には、外秩父七峰縦走に行こうかなどと計画を練っていたくらい。昨晩から今朝の当直も、朝に分娩が1件あったくらいで幸い起こされることはなかった。
ところが今朝からは(2日経って)かなり筋肉痛が来ている。まずつりかけた左ふくらはぎをピークに右も、それから両大腿前側面。階段の下りはもちろんロボット歩きになりそうになる。階段の上りも痛いのでついエレベーター。
レース中は余裕を持って走れて楽しかった、などと書いた気がするが、どうしてかなりぎりぎりまで追い込んでいたらしい。
産婦人科にまわってきている研修医や学生にハセツネ30Kの話をしてみるが、平地の30Kでもたいへんなのにわざわざそんなレースに、とますます変人扱いされるのがオチである。でも中にはワンダーフォーゲル部だった研修医などは、日曜は天気がよかったし山日和だったでしょう、と多少の理解を示してくれた。その程度で十分と思わなくちゃ。

2009年4月19日日曜日

ハセツネ30K〜心地よい疲労感、だが

総合248位、4時間19分50秒。
ハセツネ30Kの結果速報を見ると、なんでこんなに前の方と差をつけられちゃったんだろうねえと思う。トップとは1時間半以上の差だし、フルなら勝負できるないしはいつも勝っている相手にも数十分の大差を付けられている。
まずはスタート15分前までトイレに並んでいたのだが、その後、スタート地点に急ごうとしたらもう渋滞。スタートまでの山道を1000人以上が列をなしているから、まったく動かない。スタートラインを通過したのは5分以上過ぎたところ。
しかも2Kくらい比較的広い林道を登り切ったところで、息を呑んだ。数百人が渋滞をつくっている。ちょうど林道からシングルトラックに入るところ。ほとんど動かず、抜けるのに20分以上かかったかな。
で、その後の急勾配のシングルトラックは当然ながらなかなか追い抜けない。でも最初のピークを過ぎて得意の舗装道路(林道)下りに入ってからは抜きまくり。周囲の選手たちが止まって見えた。林道の登りもほとんどの選手が歩いている中、全部走りきった。16Kからはまたトレイルなんだけど、ここは楽しめた。快晴で木立の間から日が差し、風もなく、日なたはちょっと暑かったけどノースリーブシャツならちょうどよし。余力も十分。
でもさすがに20Kをすぎてからは、つまづいたり、滑って足を踏ん張ったりすると、ぴくっと痙攣しそうになり、実際一回はふくらはぎの起始部を押さえて20秒くらい座り込んでしまった。
でも本格的な痙攣にはならずに持ちこたえて、さらに抜きまくり、筋肉疲労がちょうど限界に達したところでゴール。おそらく約1200人中900番くらいでスタートして248位まで上がったという感じだと思う。
もちろん渋滞の間はイライラとストレスたまったけど、その後はなにしろ余裕を持ちつつどんどん抜いていくわけだから面白いに決まっている。

装備の方は、アシックスのトレイルアタックは問題なし。トレイル区間はもっと軽量で固いシューズでいいんだけど、林道の下りでは新品のクッションが威力を発揮してくれた。バックパックミニは最初背中で遊んでいて走りにくかったけど、左右の縦ヒモをよく引っ張ってフィットさせたら、2リットルのドリンクが減るにつれ問題なくなった。ジェルフラスクは確かに一息で多くは吸い込めないけど、まあ
許容範囲内。コーヒー味のカーボショッツもまあまあ。ニューハレ(ひざ)とあしくびかんたんは今回も有効性を確認。
総括としては、天候に恵まれ心地よい疲労感と満足感。だけどタイム差にはがっかり。フルのタイムに比べると相当遅いはず。去年の富士登山競走や奥武蔵ウルトラマラソンでも同じだった。ま、トレイルはあくまで練習の一環と気分転換で、これで勝負するわけじゃないからまあいいか。それからトレイルのレースは30Kくらいが限度かな。ハセツネ本番は・・・まだいいや、というのが今の気持ち。そのかわりこの大会には来年も出てみたい。そのときはもっと早くスタートに並ばなきゃ。

2009年4月18日土曜日

明日はハセツネ30K

ヨルダンから帰国してから忙しかった・・・・。更新するヒマなし、というより元気なし。そのわずかなヒマがあれば寝ていたい、という毎日であった。
なんとか通勤ランだけは細々と続けていると、あっという間にハセツネ30Kの前日になってしまった。
もともとは大学産婦人科野球大会の準決勝・決勝の日。2回戦までに敗退した場合に備えてエントリーしていたのだが、走れることになってしまい複雑な気分である。
といっても、送られてきたハセツネ2008の報告書や今回のハセツネ30Kのプログラムを目にしていると、ふつふつとやる気が出てくるのが不思議なところで、追加募集の日に10時からパソコンの前に座っていち早く申し込みしておいてよかったなあと感じている。
トレイルの場合、この「やる気」が往々にして「トレイルグッズ」への興味・執着に向かうところが面白い。他のランナーもおそらくそうではなかろうか。
今回の装備はアシックスの新品のレース用バックパックミニにハイドラパック2リットル、中身はアミノバリュー、さらに同じハイドラパックから出たジェル・フラスクにコーヒー味のカフェイン入りカーボショッツ4個、ウェアは迷った末、晴天で気温が上昇すると想定してアシックスのノースリーブシャツとランニングトランクスのみとした。シューズはこれも1回試し履きしたばかりのアシックス・ゲルトレイルアタック。ソックスはアメリカから輸入したアシックス・トレイルセンサーの最後の1つをおろす。
で、明日の目標は4時間。順位にして全体の1/5に入れれば合格か。

2009年4月1日水曜日

野球〜続編

関東大学産婦人科野球大会。私の不在中に慈恵医大と1回戦を戦った埼玉医大P.Bustersは残念ながら3対12で完敗してしまったとのこと。やはり優秀なピッチャーがいないと難しい。今回は駒不足で野手の守備もなかなか厳しかったようだ。
これで2年連続1回戦負け。一昨年準優勝の記憶も段々霞んできた。医局長業務で忙しくて野球の強化に手が回らなかったが、今年度は心を入れ替えて?!野球にも気を配ろうと思う。本気だよ。
それから、WBCに関するエントリで、セ・リーグの選手で日本代表レギュラーだった青木の存在を忘れていたのを指摘を受けた。確かに青木、いい仕事していたよね。トータルではイチローよりも活躍したと思うよ。

2009年3月31日火曜日

ヨルダンより帰国

帰国した。いつも海外旅行は帰りの飛行機の方が時間が過ぎるのが早いような気がする。
機内で見た映画は、「容疑者Xの献身」と「最後の初恋」。読んでしまった本は海堂 尊「ナイチンゲールの沈黙」。
「容疑者X」は東野圭吾の原作をこれまた世界ジュニアの帰国時に読んだのだが、謎解きのスリルに引き込まれてたいへん面白かった。その点今回の映画はすでにストーリーがわかってしまっているためか、新鮮味がなかった。残念。
「最後の初恋」は2008年公開のアメリカ映画。リチャード・ギア、ダイアン・レイン主演だそうだが、俳優音痴の僕にはぴんとこない。昔大学の視聴覚室で見た「ある愛の詩」の焼き直し中年男女編みたいな甘ったるいつくりだったが、途中でやめずに見る気になったのは、リチャード・ギア扮する外科医が術中死患者遺族とのやりとりが真に迫っていたから。医者の側は自分に責任がないことを主張する、遺族は真実を知りたい、かけがえのない人だったことを医者にわかってほしい、両者のすれ違いが溝を生んでいくのだなあと痛感した。ちなみにこの死亡事故は悪性高熱かなにかの麻酔トラブルのようだから、確かに不可抗力なのかもしれない。どちらも気の毒と言えば気の毒。最後は「ある愛の詩」と同じで恋人たちの片方が急逝してしまうわけだが、安易なストーリーにも関わらず、泣けてしまった。基本的には涙もろい。
関空での乗換時間にはラーメンを食べながら両角先生から佐久長聖高校駅伝部についていろいろうかがう。日本一をめざす学校はやはりきびしさが違う。感心することばかり。生活面、勉強面、親への気配りも半端ではない。今度陸上部の新寮が完成して入寮式が行われたとのことだが、駅伝に集中できるようになる反面、勉強に力を注いだり他のスポーツで全国をめざしたりする同級生たちと生活の場が離れてしまうのももったいないなと感じた。
僕も同じく陸上部の監督として、あまりにも競技レベルや部の目標が違うとはいえ、このままでいいのだろうかと反省させられた。自主性を重んじるという言えば聞こえはいいが・・・。

2009年3月30日月曜日

田舎にやってきた世界大会〜世界クロカン感想

コンパクトな大会で面白かった、というのが初めて世界クロカンを観戦した感想。
まるで田舎町に巡回してきたサーカスみたいである。
さびれかけた田舎のゴルフ場の何の変哲もない林道みたいなダートコースに仕切りをし、看板を立て、観客を動員し、曲芸飛行機を飛ばし、場内放送をがんがん鳴らして一場の夢をつくる・・・そんな感じだ。
わずか2時間の間に、ジュニア・シニアの男女の4レースをやってしまうのだから、見る方は間を持てあますことがない。


ジュニア女子ではまだアフリカ選手などは少女の面影で、仲間意識が強いのかチーム6人がつるんで同じ行動をしようとする。20分前にもうレースウェアになって、寒そうにみんなで並んでジョグをしたりその場で足踏みしたりしている。幼い。
日本ジュニア選手はその点競技者としては一日の長があるようだ。
1周目はスローペースで日本選手が先頭に立つ場面などもあったが、2周目からは温まったエチオピア・ケニア勢がぐんぐん駆け下り、引き離されてしまった。それでも第2グループで粘った選手が多かった結果、見事に団体3位を獲得することができた(写真)。ジュニア女子だけを送り込んできたロシアは、同宿のホテルでは冷血美人風でツンとしていて強いのかと思ったら、全然ダメだった。痛快。

ジュニア男子も最初はスローペース。果敢に先頭を引っ張る福士選手だったが(写真)、途中シューズが脱げるアクシデントがあり、残念ながら失速してしまった。エースの村澤君はさすが前半はしっかり外国勢と張り合えたが、後半は苦しかったようだ。アフリカ勢だけでなくアメリカ、オーストラリアなどの非黒人のトップクラスにも後塵を拝してしまう。

シニア女子は清水選手が一人20位以内をキープする好調な走りで外国勢と張り合い、応援のし甲斐があった。スパイクを選択しなかったのがよかったのかな。
シニア男子はやはりケニア、エチオピア、エリトリアが本気で臨んでくるから日本はなかなか歯が立たない。その次のグループにモロッコ、ウガンダ、カタールが来る。欧州勢がことごとく目立たない中、スペインだけはやたらと強かったのが印象的。クロスカントリーという言葉で想起される北欧諸国などは出場さえしていない。同一国から6人も出るだけに、トラック長距離種目以上にアフリカ選手が目立つわけである。
ビリの方は、シリア、エジプト、ヨルダン、アゼルバイジャンなどの近隣の選手が頑張って走っている。どの種目も競技レベルはトップからビリクラスまであまりに幅広く、日本選手同士の実力差が相対的に非常に小さいために、日本選手は中盤に固まってゴールしてくることになる。

気温は10℃ちょっとだっただろうか。丘を吹き下ろす風は冷たくて、ウインドブレーカーの上に着込んだコートを脱ぐことはできなかった。
日本の女子選手たちなどは手袋やアームウォーマーをしていたが、ちなみにそんな気の利いた小道具を身につけていたのは日本選手だけだった。外国選手はそんなもの持ってさえいないと思われる。

夜はアンマン一のメリディアンホテルの豪華なファイナル・バンケットで盛り上がった。おなかいっぱい。

2009年3月29日日曜日

WBC雑感

ちょうど今回の遠征のために羽田空港へ向かう途中でWBCの決勝がクライマックスを迎えていた。東武東上線も山手線もワンセグ携帯を両手で構える人が一両に4人ずつくらいはいただろうか。
携帯ラジオでTVの音声を聞きながら、時々その人たちの携帯画面をのぞき込ませていただいた。画面の方が1~2秒遅れるので、9回裏に同点打を浴びたときも、10回表にイチローの勝ち越し打が出たときも、僕の方が先にそれを知るのだが、携帯の持ち主に敬意を表して、すぐには態度に表さず彼らが天を仰いだり拳を握りしめたりするのを微笑みながら眺めることにした。
それにしても日本人は野球が好きだなあ。特にこれで負けたらおしまい、のトーナメント戦が。今回のWBCについては、そもそも大リーグのアジア進出の下心が見え見えだったり、韓国と何度も対戦したり、アメリカでは全く人々の関心に上っていなかったりといろいろ水をさすような報道がなされていたので、僕も当初はほとんど興味をいだいていなかった。しかし、ここで負ければ最後、の試合となるにつれて気にしないわけにはいかなくなってきた。
アジアラウンドで勝ち抜くといいよいよアメリカ本国に渡って新たな敵と戦うという旅を絡めた成長物語の構成が、なんともくすぐる。
案外いいねえ、WBC。
でも、日本代表チームについて気になることを一つ。選手構成はまるで「パリーグ+メジャーの連合軍」だ。岩村は出身こそセリーグだが今はメジャー。小笠原も元々はパの選手。純セのレギュラークラスは内川くらいか。投手も肝心なところは岩隈、松坂だし、中継ぎ・抑えも杉内、ダルビッシュとほとんどセは無視状態。タイガースファンの僕としては、2点リードの10回裏はいよいよ藤川だろう、と思ったのだが・・・。藤川の心中いかばかりか。

野球が盛り上がったところで、とてもとても残念なことに今年はこのヨルダン遠征に来ているせいで恒例の大学産婦人科野球大会第1日に出場できない。3月の最終日曜に野球が組まれるとは予想してなかった・・・・。というわけで、今年は残留メンバーでなんとか2回戦を勝ち抜き、4月の準決勝・決勝ラウンドへ駒を進めてほしい。

2009年3月28日土曜日

時のかさなり


アンマンまでの途中で一気に読んでしまったのがこの本。以前、ストリームのブックレビューでトヨザキ社長が熱をこめて紹介していて、アマゾンで即購入していたもの。今回の長旅に満を持して持参した。
全体は4章に分かれていて、2004年カリフォルニアに住む6歳のソルの独白、1982年レバノン戦争さなかのハイファに移り住むランダル(ソルの父)の独白、1962年トロントで祖父母に育てられる少女セイディ(ランダルの母)の独白、最後に1944年ナチス統制下のミュンヘンに住むクリスティーナ(セイディの母)の独白、から成る。4世代の6歳の少年少女を通して遡りながら語られる一族の60年の物語の中から、響き合い絡まり合いながら明らかにされる真実があった・・・という内容。
たまたまヨルダンの隣のイスラエルも舞台になっており、ベストタイミングだった。圧倒されて読了した後、前の章に戻っていくつもの伏線を確認したくなる小説というのは貴重である。
ナンシー・ヒューストン著、新潮クレストブックスから出ている。おすすめ。

さてそのTBSラジオのストリーム。ランニング時のお供に欠かさずpodcastを聴いていたのだが、今週で放送終了。昨日最終回をダウンロードした。「コラムの花道」や「週刊ブックレビュー」など新鮮な知的刺激をいただいていただけに、放送終了は残念至極。

2009年3月27日金曜日

世界クロカン〜競技会前日

今日から突然ヨルダンではサマータイムに変更。時計を1時間早めた。
なので昨日は明るかった朝6時が今日はまだ夜明け前。6時からホテルの周りを30分jogした。ホテルの裏手の丘の上は高級住宅街が並ぶ。ところどころの豪邸の前には怖そうな歩哨が立っていて、じろっとこちらを睨む。
高級住宅街といってもところどころ例によって瓦礫の散らばる空き地があったりして、パレスチナなんかの風景と基本的には同一仕様であるから、銃声や爆発に相性がいい風景。というわけで少々怖い。


午前中は本番のクロスカントリーコースとなるゴルフ場へ下見へ。市街地からバスで20分以上かかる。ゴルフ場というから芝生が敷き詰められた別世界かと思いきや、ヨルダンに来て以来見慣れた石ごつごつの荒れ地そのもである。その外周を取り巻くように設定されたダートコースが今回のクロカンの舞台となる。
スタートの直線がいきなり200m登りなのに驚いたが、ラストも300m一気に標高15m以上登る。その前を含めると700m登りっぱなしで、標高差40m。
トレイルレース並みのなかなかハードなコース設定である。


路面も小石混じりの粘土質ダートが主体だが、砂利道がローラー車で圧舗装されている途中だったり、ラスト100mだけ足をとられそうな深い芝だったり、なかなか難しい。ダートは案外滑りにくいので、小石の多さを考えると、スパイクではなくてマラソンシューズという選択もあるという話を選手やコーチとした。
海外のアシックスカタログなどを見るとXCシューズ(クロカン用)が何点か必ず乗載っていて、スパイクシューズに近い足型だがスパイクではなく不整地をとらえやすいソールパターンの軽量シューズである。
残念ながら日本には「クロカン用シューズ」というジャンルがないので、こういうときにスパイクでなければじゃあマラソンシューズかということになってしまう。マラソンシューズのソールパターンは当然ロードで威力を発揮するものだから、ベストフィットというわけにはいかないのだ。
案外アシックスの今年のゲルFUJIなどがこういうときにいいのでは?

この2kmコースを、各国選手に混じって5周、10km走った。昨日の公園での練習クロカンコースとは比べものにならないくらい疲れた。ラストの700mを本気で走ると、脈拍が簡単に180を越えそうである。明日、アフリカ人たちがここをどのように軽々とこなすかが見物だ。

2009年3月26日木曜日

アンマン到着




昨夕アンマンに着いた。ドーハとさして緯度は変わらないが、標高1000mだけあって圧倒的に涼しくて爽やかである。空港から市街地へのバスの中からは、キリストがさまよったような、ごつごつした石がむき出しに点在する荒野が続いた。アンマン市街地は瓦礫なのか工事中なのか、空き地が多い。
ホテルはAl Fanar Palace Hotelという少々古びた中規模ホテル。部屋はこんな感じでなかなか豪華に広い。
夕方から練習場所に指定されている運動公園へバスで移動。2kmほどの細いトレイルが公園内に設定されていてこれがクロカン練習コースになった。シニア女子4選手のjogの後についてここを2周。最後は日が暮れて真っ暗に。


今日は朝からネット接続にtry。ロビーでのみ無線LANが接続可能というが、設定に手間取り朝練参加は断念。まずiPod touchが、つづいてPowerBookが接続に成功。セキュリティの設定を「LEAP」にして最終的にはうまくいった。全くこのあたりの理屈はわからないが・・・。
午前からすでにホテルでのドーピング検査が始まった。
午後は再び運動公園へ。2kmのクロカンコースを7周。終盤はバーレーンの赤いウェアの集団が追ってきたので必死に逃げた。平均キロ4分半を切るという思わぬスピードアップ。朝、昼とポテトやら甘いパンやら食べてばかりでホテルから出なかったので、いい腹ごなしになった。写真は練習の拠点にしたスタジアム。イスラムの雰囲気満点である。

2009年3月25日水曜日

ドーハで乗換中

今、ドーハにいる。「ドーハの悲劇」のドーハ。陸上では一昨年アジア大会があった場所。アンマン行きへのトランジットに7時間もあって、今空港のロビーで無線LANに接続している。
ここまでの12時間の長旅はさすがにしんどかった・・・。映画をSlumdog Millionare、Changelingと話題作を2つも見た。
ストリームのpodcastで町山さんが紹介しているのを聞いて興味を持っていたので、ちょうどよかった。
Slumdog Millionareは字幕無しの原語でしかなくて、聞き取れないセリフも多かったけど、でもクイズ番組にからめた息詰まる展開とラストの大団円に拍手。
これに疲れてChangelingは日本語吹き替えで。これもよかった。見るべき映画、といっていい。1920年代のロスが舞台なのだけど、古い感じがしない。現代にもあてはまるテーマ。子供たちを苦しめるのは本当にいけない。組織・官僚の腐敗、もいずこも同じ。最後に希望が残って少し救われた。見てよかった。
最後に軽く口直しのつもりで「スピード」も見ちゃった。前の2つに比べて軽かった・・・。
飛行機の中ではやっぱりBOSEのノイズキャンセリングホンが威力を発揮する。音質も、遮音性も、耳介の疲れ方も全然違う。値段が張るだけのことはある。

ドーハは暑い。外は25℃を超えて、湿度も高い。軽く調整練習をした選手たちも汗だく。これは半ズボンがいるくらい。
準備の時間がなくてミズノから送られてきた一式をそのままバッグに突っ込んだだけだったので、ハーフパンツとかハーフタイツ、ベストを一つも持ってこなかった・・・。後悔。

2009年3月24日火曜日

世界クロカンへ出発

今日の午後、慌ただしく羽田から出発して、今、乗り継ぎのために関空にいる。あと1時間たらずでドバイ経由のカタール航空で出発である。佐久長聖の両角先生とも久しぶりの再会。さっそく夕食をご一緒した。村澤君の髪の毛も高校を卒業したばかりでまだ伸びていない。
いちばん近い城西大の高橋君の故障欠場は残念である。
この数日、東京マラソンの医務員、4月第一週の日本産科婦人科学会の発表予行準備などとにかく忙しかった。一昨日などは午後8時半に寝て、午後11時半に起きて、病院へ出勤して学会準備。直前にやろうとする方が悪いのだが・・・。
さて、空港の本屋でトレイルラン雑誌と東野圭吾を仕入れて、いよいよ出発。

2009年3月18日水曜日

世界クロカンのウェア

日本チームの海外遠征に帯同すると、協力メーカーから「JAPAN」のロゴの入ったウェア一式が支給される。
シニアチームはミズノ、ジュニアはアシックスと決まっている。シドニー五輪まではシニアもアシックスで、ユニフォームのデザインもおなじみ、白地に赤たすきがけ、日の丸、だったが、ミズノになってから、ネイビーだのイエローだの、どこが日本の色?というようなデザインになってしまっていて、少々がっかりである。
円谷幸吉さんがこんなの日本のユニフォームじゃないと天国から怒っているのではないかと思う。

で、僕がこれまで参加した2回の遠征は両方世界ジュニアだったから、支給されたのは全てアシックス製。クラシックに白と赤のデザインばっかり。にんまりである。
今回の世界クロカンは、シニアとジュニアの混合チームだから、半年前の世界ジュニアで使ったアシックスを持って行けばいいかと思っていたら、どうも役員はシニア扱いのようで、ミズノの担当者からなぜか「すみません」と謝られながら段ボール一箱が送ってきた。
あれ、僕が「アシックス好き」なの知ってたの?

2009年3月16日月曜日

荒川市民マラソン〜前半追い風は難しい

絶好のコンディション!と前々日あたりから急に(自分で勝手に)盛り上がった荒川だったが、さすがは河川敷、意外に風の影響を受け(一応そういう理由にしておく)、2時間52分07秒と、目標の50分突破はならなかった。
そもそも前半から、キロ4分では何となくキツく感じて、20分15秒程度でいった。追い風なのはわかっていたが、後半余裕を残す方が大事かな、と、失速した青梅や千葉マリンを頭に思い描いて、とにかく余裕をもってすすんだ。
15km以降ペースアップしたつもりがそれでも20分01秒。中間点は1時間25分10秒くらい。後半わずかに上げなければいけない。
ところがやはり後半の向かい風はeasyではなかった。なるべく元気そうな人の背中を借りて進むが、自然にペースは落ちる。30km前からは単身飛び出して、ここから「抜きまくり」に入ったがそれでも20分28秒に落ちてしまった。
35km過ぎは徐々に脚も固まり、そんなに落ちたつもりはなかったが21分台。こりゃだめだ、である。
でもみなさんの後半ペースダウンもそれなりに激しく、これでもどんどん抜きまくり。面白いように順位は上がっていく。
大学陸上部の先輩で、同じく50分突破を目指していたはずのK本さんも、完全に止まっていた。声をかけて前に行くが、こちらには積極性に欠けた小狡いペース配分だった自覚があるため、少々気まずい。
結局30km以降で30-40人近く抜かせていただいた気がする。それだけ今日の風はペース配分が難しかったのだろう。

前半追い風だと、楽に貯金をつくれるような気がするが、そんなことはない。脈拍は楽でも、無風でイーブンペースでいくよりは、スピードが出ている分、脚は使っていると考えた方がいい。
これは初回の長野マラソンのように前半に下りがある場合も同じで、一見楽にタイムは稼げるが、そのダメージが必ず後半にくる。結果的には途中でアウトになって、悲しい気持ちでゴールすることが多い。
というわけで、今回は目標こそクリアできなかったが、小狡く、よく言うなら経験にモノをいわせて、ちょうど実力を出し切れるペース配分で走れた、ということになるだろう。実力通りの結果である。ラップタイムは以下の通り。

20:13-20:14-20:21-20:01-20:12-20:19-20:28-21:07-9:20 ネットタイム 2:51:58

2009年3月14日土曜日

明日は荒川市民マラソン

今日の朝のような暴風だと記録は全く望めなくなってしまうが、今回こそは天候の運に恵まれそうだ。明日の予報は、快晴・微風。気温も最低6℃、最高12℃と絶好のマラソン日和。
2年後の別大マラソン出場権確保を狙って、まずはおとなしく2時間50分を目標に入る予定。
確定申告も(初めてe-Taxを使って)やっと今日〆切間際に済ませたし、心も晴れ晴れと走れそう。
サングラス、スーパーヴァームを忘れないようにしなくては・・・。

2009年3月9日月曜日

世界クロカンの日本代表決まる

世界クロカンの日本代表選手が発表された。
シニア男子には城西大の高橋優太君がいる。3年前の世界ジュニアで一緒だったし、その後も通勤ランの途中で朝練している高橋君に出会ったことがあった。何しろ地元である。
ジュニア男子には村澤明伸君・千葉健太君の佐久長聖勢が順当に入ったほか、今冬の駅伝で活躍した埼玉栄の服部翔大君も選ばれている。これも同じ埼玉県。驚くべきは1年生が選出されていること。須磨学園の西池和人君。早生まれだからほとんど中学生だ。
女子の方は直接知っている選手は一人もいないが、しまむらの沼田裕貴さん、熊谷女子高の柴田千歳さんが埼玉県だ。
なんと各部門に全て埼玉の選手がいるのが嬉しい。選手と仲良くなりやすいだろう。
出発は24日でレースは28日。ヨルダンといえばイスラエルの隣国だが、一応エジプトと並んでイスラエルと中立関係にあり、中東でももっとも安定した政情とのこと。安全面の不安はないといえばウソになるが、ヨルダンも世界大会を運営する以上、セキュリティには万全の対策を払うであろう。日本選手団が予定通り派遣されるのに、ドクターが逃げ出すわけにもいかない。

2009年3月6日金曜日

助学の謝恩会


助学(短大専攻科)の謝恩会に志願して出席。例年の遺伝の講義2時間に加えて、今回の学生達には国試対策補講まで手がけたし、もちろん何人かとは病棟実習でも一緒に働いたわけで、親近感はある。しかも19人の卒業生のうち4月から6人が病棟に就職してくると聞いたから、その子たちの写真をとって医局員に報告する義務もある。
学生達は振り袖が多数派だが、僕の方も珍しくスーツ。大学の入学式で着た紺のスーツにしてみた。そんな古いのをまだ着ているなんて自慢にならないのはわかっている。でもほとんど着る機会がなかったし、実際着られるんだもん。
他所の病院に就職していく学生達も、そこにいる産婦人科医や先輩助産婦と「埼玉医大のナンバに教わった」などという話題になる可能性があるわけなので、一生懸命、最後にいい印象を植え付けるべく、にこにこ談笑につとめた。

2009年3月4日水曜日

雪の毛呂山


今朝は薄く雪が積もった。埼玉県中西部にあたる、坂戸から毛呂山のあたりは、冬は相当冷え込む。NHKの天気予報で見る「さいたま市の気温」より最低気温はだいたい3℃から5℃低い。氷点下は当たり前、-5℃くらいのことも時々ある。
フリース手袋、ニット帽子、アンダーアーマー・コールドギアなど、グッズやウェアの進歩にも助けられ、あまり寒さを億劫に思うことはなくなった。寒さに慣れたのかな。
で、気温が低い割には雪は少ない。本格的に積もるのは一年に1回あるかないか。走って通勤するうえではありがたい。この程度の雪でもちょっと珍しいくらい。

2009年3月2日月曜日

ふかやシティマラソン〜大人げなく女子高生と勝負!

荒川2週間前のハーフマラソン。ここのところ後半失速する不甲斐ないレースが続いていたため、今日はとにかくフルマラソンのペース(19分半くらい)で自重して、もしも余力があれば15kmからちょっとペースアップ、という作戦で臨んだ。
この大会、一昨年の第一回に出たときには気温が20℃を越える暑さの中大バテにバテて、確か1時間26分くらいかかった「縁起の悪い」レース。そんなこともあってとにかく自重、自重と思っていたのだが、今日は気温9℃程度で風もほとんどない絶好のレース日和。
ついまわりに引きずられて5kmを19分ちょうどで入ってしまった。
そのあたりで、偶然知り合いの女子高2年生S選手を発見!
高校生がハーフマラソン出場とはなんとチャレンジングな・・・と驚いたが、向こうもおじさんに声をかけられてびっくりしただろう。
いいペースで先に行ってしまったが、圧倒的なスピード差ではなかったので、常に数十メートル先に見え隠れしていた。
10kmまで5kmも19分10秒で、当初の自重予定がもう狂っている。S選手から離されていくのも悔しいので、そのまま突っ走ることにした。
で、10kmからは逆にじわじわと僕の方が詰め始めて、ついに15kmで追いついた。
S選手、息づかいも荒かったのでそのまま下がっていくかと思いきや、さすがは根性あり。また前に出る負けん気を見せてくれた。
お互い意識しながら並走が続き、21kmまで抜きつ抜かれつ。15-20kmは18分42秒に自然にペースアップ。遅れるわけにはいかない。
最後は競技場手前でSさんがラストスパートしたところでその背後につき、ラスト200mで抜き去った。一瞬大腿裏がツリかけたが、そのまま3秒差の勝利。女子高生相手に大人げない・・・のは百も承知です。
おかげで1年ぶりに1時間19分台が出た。ラスト1.195kmも3分50秒でカバーしてしまった。

埼玉医大陸上部からも2人が出場。しかしK主将は去年の鴻巣パンジーに引き続き、2年連続途中棄権・・・情けなし。
試験期間中、練習さぼりすぎ。付添の女子部員がとってくれた写真がこれ。女子高生もちゃんと写っている。
でも、さらにその後にはかぶりもののランナーが・・・。そういえば競技場に入る前に抜いた記憶があるけど、なんだか写真の価値がちょっと下がった気分。

2009年2月18日水曜日

世界クロスカントリー選手権の場所!

3月の世界クロスカントリー選手権の日本チームにチームドクターとして帯同することになっている。
昨年の世界ジュニアで一緒だった佐久長聖高校の両角先生に「世界クロカンも一緒に行きましょうよ」と誘われ、(大好きな)長距離種目だけだし競技は一日で終わるから拘束期間も少ないだろうからとすっかりその気になり医事委員長に届け出たところ、あっさりOK。
ところが自分で何を勘違いしたか、開催場所がドバイだとずっと思っており、いろんな知人や同僚に、今度ドバイに行くことになっててさ・・・と吹聴してまわり、しかも「ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか」などという新書まで買い込んですっかりその気になっていた。

が、先日の千葉国際クロカンの新聞記事に「なお3月にアンマン(ヨルダン)で行われる世界クロスカントリー選手権の代表選考・・・・」と書いてあるのを見て仰天。世界陸連(IAAF)のサイトを見たらやっぱりアンマンだった。しかも自分のiCalには、最初に「場所:アンマン」と入力している・・・。どこでドバイに入れ替わったのか?
アンマン、ヨルダン・・・。うーん予備知識がない。これから仕入れなくては・・・。
昨今のパレスチナ情勢で、そもそも大丈夫か?
さらに本当は千葉クロカンの放映があったのなら見て、選考される選手の情報も、得ておかねばいけなかったが。そもそも放映、あったのだろうか? 結果を見る限り、村澤君(佐久長聖)や高橋優太君(城西大)など、世界ジュニアで一緒だった選手が選ばれる見込みみたいで心強いところ。

2009年2月17日火曜日

ウインドベスト補足

昔(私が学生で「陸上競技」をやっていた15年前)はベストなんていう製品(ウェア)はなかった。
最初これを見たときも、ウインドブレーカーの袖を切り落とした変なウェア、腕のところが貧相に見えて格好悪いし絶対着ないだろう、と思っていた。
ところが最初に日本代表チーム帯同で支給されて着てみると、これがいいのだ。
まずTシャツ1枚ではなんとなく涼しいときの調節用にいい。
トレーニングウェア(いわゆるジャージ)の上を羽織るよりファショナブルだし、チノパンや半ズボン、ハーフパンツにも合う。
襟があるので、ロングTシャツだけ、などよりもちょっとだけフォーマルになる(あくまでもスポーツウェアの中だけでの話だが)。
ポケットがあるので、iPodや携帯を入れるのに便利。
それになによりも、通勤ランで着ると、バックパックのベルト類にシャツがこすれて生地が傷むのを防ぐことができるというのが最大のメリット。もちろん多少はベストもベルト部分でこすられるのだが、傷み方は圧倒的に少ない。
だから春、秋の通勤ラン、トレイルには特におすすめ。今回の購入で5着目。黒、白、赤、紺、グレーと各色取りそろえ状態になってしまった。

2009年2月15日日曜日

青梅マラソン結果〜史上稀に見る大凡走

気候コンディションも良かったので、あわゆくば1時間56分の自己ベストの更新を!と思っていたが、もう序盤から崩れた。
5km19分30秒のペースがきつくてたまらない。じわじわ抜かれていき、5-10Kは20分、10-15Kは21分近くかかる始末。後半は完走目標に切り替えたのであまり無理しなかったが、それでもきれいにビルドダウン。
いい練習になったと強がりを言いたいところだが、自己ワースト(勝田のフルの4日後に走った2時間05分50秒)も大きく更新して2時間08分24秒(ネットタイム)では・・・。
幸いふくらはぎはつったりピキッと痛んだりはしなかった。これだけがいい材料。
今日、もっとも疲労を感じたところは大腿の裏(大腿二頭筋の臀部に近い起始部)だった。
オーバートレーニング?貧血?

5kmごとのラップタイム(見事なビルドダウン!「後半上げる」と書いていたのに何という!)
19:30-20:18-20:48-21:16-22:54-23:37


***もうひとつ収穫があった。会場に出ていたasicsの直売店で、青梅マラソンのエンブレム入りのカーボン色ウインドベストを発見し、購入。

2009年2月14日土曜日

青梅マラソン出走

別大の終了直後の両脚の極度の疲労具合、張り、痛みからして、青梅の出走は無茶かなあとも思っていたが、案外早く回復してきているので、明日は30kmに予定通り出走。幸い天気は良さそうだし、気温も高そうなので、無理せず前半を楽しく行って、脚が問題なければ後半じわじわ上げていこうと思う。東からの風の予想なので、後半は向かい風だろう。二俣尾からの8kmでがくっとペースダウンしないように、とにかく余裕を持っていくつもり。

2009年2月7日土曜日

別大マラソン結果

1週間近く経ってやっと元気が出てきたので、報告を載せます。
残念ながら、40km関門でストップとなってしまいました。


序盤は追い風に乗って19分台前半の入り。ところが気になっていた右ふくらはぎの痛みが10km手前から出現してしまい、右脚のキックを使えない走りに。走りきれるか不安がよぎる。幸い痛み走れないほどに増すことはなく、関門通過ぎりぎりのペース(キロ4分ペース)で刻んでいった。25kmの通過では関門閉鎖1分前。
ここで折り返してからは追い風に乗ってスピードアップするはずだったが、右脚をかばって走ってきた影響か、左のふくらはぎもつり、右のハムストリングも痙攣し始める始末。ペースはじりじり落ちて、30kmでは40秒、35kmでは10秒差でぎりぎり関門をくぐり抜けた。
次の5kmを21分でカバーすれば完走、というところだったが、さすがに一度落ちたペースを引き上げるのは難しく、40km関門30秒遅れで完走を逃してしまった。もし走っていればラスト2.195kmを10分かかって2時間52分台、というところだったろうが、しょうがない。
今回は走る前から勝負が決まっていたということだろう。

2009年1月29日木曜日

助学の補講


助学というのは「助産婦学校」の略。正式には埼玉医科短期大学専攻科の助産コースになる。
国家試験を前にした学生の補講を頼まれて、行ってきた。
内容は過去の国試問題をアレンジした自作問題の解答と解説。
最後に、学生達に頼まれて(←ここが重要)集合写真におさまってきた。
少々にやけて見えますか。

2009年1月28日水曜日

カーボローディング中

別大4日前。いったん体内のグリコーゲンを枯渇させるという目的で、今日は20km走。といっても、何時に終わるかわからない仕事の後に20kmはしんどいので、朝出勤で10km。夜帰宅で10kmと分割する。その間は何も食べない(水分は補給したが)。
カーボローディング法は田中宏暁先生の「賢く走るフルマラソン」(ランナーズ)をもっとも参考にしている。この本は、フォアフット着地やウォーミングアップについてなども、新鮮な指摘に満ちていて、参考にするようになってからフルマラソンがだいぶわかるようになってきた気がする。
夕食前の体重が56.2kg。やや重だが、しょうがない。ここからは炭水化物中心の食事に入る。

2009年1月26日月曜日

大阪国際女子マラソン〜この展開なら渋井選手は強い

最初からまわりの選手を気にせず「最後までちょうどもつぎりぎりのペース」で押していって、結果的に、残り距離と自分の余裕度の比較を間違えて大失速していたのが最近の渋井さんの失敗パターンだった。しかし、このレースで失敗するともう今後フルマラソンでの再起はありえない、くらいの背水の陣で臨んだ今回、あえて勝利のためにこの戦法を封印した。
結果的には、30km手前まで10人近くの団子状態ですすんで、そこから12kmレースとなった今回。渋井さんは残り距離に自信を持ってペースアップできている。今日くらい前半が遅くて、しかも残り距離が短いと、余裕度の方が残り距離を大きく上回るわけで、駅伝と思って押していってもゴールまでもつ。となるとしっかり練習ができていて、駅伝でも主要区間で快走している渋井さんの走力とスピードが生きるわけである。今回は渋井さんがもっとも「勝ちやすい」レース展開だった。
それにしても、これまでの自分の余裕度計測を謝りがちな渋井さんとは異なり、40km以降もさらにペースアップできていたのが驚きである。もちろん優勝するにしても、ラスト3kmくらいはジリ貧にペースダウンしてきつそうにゴールインするのでは、という予想を覆してくれた。まずは久しぶりの優勝、そして結果的に今後マラソンで勝負することをあきらめなくてすんだことにおめでとう、である。
ただ、やっぱり渋井さんは本当は「最後までちょうどもつぎりぎりのペース」で押していくスピードレースが好みのようだ。これはあくまでも世界選手権の、そして今後マラソンを続けていく「資格」を得るための勝負だったということ。
だからそんなに満足はしていない。ほっとはしているだろうけれど。

さて2位になった赤羽さん。遅れはしたが、最後まで「死ん」だり「つぶれ」たり大崩れしなかったのが立派。トラックに入ってからの再ペースアップには驚いた。今後マラソンで勝負できると思う。実業団駅伝にある程度合わせていただろうから、マラソン練習といってもまださわりだけだったはず。
このタイムなら、世界選手権代表にも選ばれる可能性が高いのではないか。

2009年1月25日日曜日

別大1週間前


千葉マリンの後のこの1週間、右ふくらはぎ痛で休んでいたが、いよいよ別大の1週間前、ゆっくり走っても痛みがなくなってきたので、グリコーゲンローディングの最初のステップとしていつものフルマラソン前通り、朝6時スタートで約30km走った。
ウェイトも58kgとオーバー気味なのでバームだけ1本飲んで、朝食抜きである。
ペースはかなり自重して、キロ6分からゆっくり始めて最後はキロ5分まで自然に上がった程度。
昨日、練習再開として行ったゆ〜っくりjogで脚がほぐれてくれたのか、2XUのカーフガードが効力を発揮しているのか、右脚ふくらはぎの痛みは全く出ずにすんだ。
6時の坂戸の気温は-1℃で、指先から鼻から、露出しているところに限らず至るところ冷たかったが、太陽が出てからは風もなく、走りやすくなった。鶴ヶ島を経て川越市に入り、入間川のサイクリングロードを埼玉医大総合医療センターを横目にさらに荒川下流方面へ。途中右手に富士山がくっきり見えた。埼京線を渡って、大宮とふじみ野を結ぶ県道に入って上福岡駅まで。2時間40分程度かかった。
2XUのカーフガードはこれまでは練習後の疲労回復効果を期待して、仕事中や日常生活で着けていたが、特に上端の膝直下部分の締め付けが強いので、走るときには着けていなかった。しかし今回の負傷でなにかふくらはぎをサポートするものが欲しくなり着けて走ってみたが、全く違和感がなく快調。スピードを出したときがどうなるか不明なところはあるが、とりあえず別大では着けて走ろうと思う。
ウェアコーディネートとしてはカーフガードにランパンを合わせるのがなんとなくしっくり行かないので、せっかく持っている2XU黒ショートタイツを合わせようと思う。いつもフルの終盤で悩まされるハムストリングの痙攣対策に効果があるかもしれないので。
本気マラソンでランシャツ・ランパン以外を着用したことはないが、今回はエリートランナーらしい格好よりも機能をとることにする。
ついでに今日は初めてニューハレVテープを膝に貼って走ってみた。レース前なので用心したのだが、後半なんとなく軽い膝痛が出そうになってきたので意味はあったのかな。こちらは、レースでは剥がれたり、突っ張ってじゃまになったりと難しいと思うので、貼らない予
定。