2010年12月31日金曜日

子供のランニングシューズも進歩している

アシックス・フリークの僕としては見逃せない、ジュニア用の「クールな」ランニングシューズを見つけてしまった。
アシックス・タイゴンのレーザービームシリーズ。「イチロー選手の速さを目指すジュニアシューズ」と銘打ち、短距離用と中距離用がそれぞれ2種類ずつ。マジックテープ版もあるから小学校低学年でもOK。カラーリングがまたかっこいい。つい2足、即注文してしまった。さっそく子供に履かせて記念撮影。
ソールはかなり凝ったつくりで、スパイク代わりの陸上練習用シューズのようなかなりグリップを意識した意匠で、薄底。もちろん軽量。普段の舗装道路通学にはもったいない。
タイゴンというとかつては本家アシックス「タイガー」の廉価版・普及版という位置づけで、はっきりいって「ださい」印象だったが、なかなかどうして、いつの間にか進化していた。陸上クラブに入るような小学生や、運動会・校内陸上大会で頑張りたい小学生がターゲットとなるか。ライバル商品はもちろん現在小学生に大人気の「駿足」であろう。

2010年12月30日木曜日

今日から年末年始休暇!〜走り込みのチャンス

僕の場合例年2月のフルマラソンでシーズンベストが出るのは、(気温が低いのが性にあっているとか、狙ったレースが2月にあるからとかの理由もあるが、主には)年末年始の休みに集中した練習ができるからだと思っている。特に今年のように夏の暑さがきついと、9月まではろくな走りこみはできず、10月からようやく長い距離を走り始めても11月のつくばマラソンはベストからほど遠い調子で臨むことになる。さらに今年は9-10月にアキレス腱痛で思うように距離を踏めなかったので、ますます秋口の走りこみが不足していた。
で、年末もやっと29日から休みに入り、さっそく2部練習を行った。

朝はトレイル。鎌北湖から物見山へ登り、ここで日の出。飯能から東京方面が見渡せた。物見山から北向地蔵、ユガテ、エビガ坂へ至るトレイルは「走れる」ところ。快調にとばす。鎌北湖西岸にも道があって湖一周できるようになっていることを初めて知った。写真はその西岸から見た風景。

午後からはうしろぐちRC練習会。主催する市民ランナー界の「名士」後口 洋史さん(鶴ヶ島市在住)は大学時代からの知り合いだ。坂戸・ふるさとの湯発着で高麗川のサイクリングロードを走る。10km快調jog+12kmビルドアップ走のメニューで、2時間30分前後のタイムを持つランナーばかりのトップグループにはついていけず実力差を痛感する羽目になったが、埼玉医大の学生を引っ張りながら3分40秒/kmくらいまでビルドアップできた。
所沢でフルを走った3日後としては予定通りこなせ、ターサーで25km走っても脚の痛みもない。順調な年末年始強化練習の出足。夜は当直へ。

2010年12月26日日曜日

年の瀬マラソンin所沢に飛び入り参加

エントリーはしていなかったけれど、自治医大の柴原先生が出場するというので急遽興味が湧き、先週の宮沢湖クロカンのときに主催のT山さんにことわって、ノーゼッケンで飛び入り参加。仮装のランナーが3/4くらいのちょっとかわった大会なので、ゼッケンをつけている位置もさまざま。で、ノーゼッケンでもあまり目立たない。
ただ、大会の趣旨に敬意を表して、夏祭りで売っていた仮面ライダーのお面を急遽調達して装着した。大学病院のオンコール番でもあったので、iPhoneをベストのポケットに入れて、ドリカム全70曲をシャッフルして聴きながら、というスタイルだ。
3.246kmの周回コースを13周というわかりやすい設定のレース。2周目以降は、ほぼ13分35秒から45秒の間のイーブンペースで走りきった。ちょうどラストは使い切った感じがあり、いいペース走練習になった。
なにしろ非エントリー選手なので、給水・給食には手を出せず、ゴールテープも切るわけにはいかず、周回ラインをまたいで横へそれて自主ゴール。それでも2時間58分27秒と予定外の好タイムで満足感あり。
お面の方は意外にも走行には全く支障にならず、通りすがりの子供が「仮面ライダーだ!」「ダブル!」「エクストリーム!」と僕にも意味不明の応援をしてくれて、人気者になった気分。今回1回だけではもったいない。
すれ違ったり追い抜いたりするランナーを全部確認していったはずなのに、柴原先生とは遭遇できず。
それにしても、こんないいランニングコースがすぐ横にある防衛医大の陸上部員と病院職員が羨ましい。

2010年12月19日日曜日

宮沢湖クロカン〜年代別9位、入賞ならず

年々距離が増えて19.5kmになったこの大会、飯能と日高の間にある宮沢湖周囲の緩やかな5kmの外周トレイルコースを3周、内周を1周する。トレイルといっても標高差のほとんどない、全て「走れる」トレイルで、確かに「クロスカントリー」と呼ぶのが適しているコースだ。
前週に続き、密かに40代の部の入賞をもくろんだが結果は1時間29分55秒で9位。4位の入賞ラインまで2分半の差があったから、惜しくもなんともなかった。
自衛隊大宮32連隊の優勝者は1時間13分で走っているから、17分も差をつけられている。上位は自衛隊選手が占めたが、中には僕に抜かれる自衛隊選手も2人ほど。しっかり鍛えんかい、とハッパをかけたくなる。そんなんでは北朝鮮に勝てんぞ。
ラップタイムを見ると、外周5kmの3周を26分23秒、26分34秒、26分36秒とほぼイーブンでまとめることができていて、いい練習になったことは間違いない。こういう距離とコースにこそ、シューズはゲルフジがベストマッチ。ターサーよりもややクッションがあり、もちろん不整地のトラクションは問題なし。いわゆるトレイルシューズの中ではもっとも軽量でレース向き。いい感じであった。

2010年12月13日月曜日

小川和紙マラソンで年代別8位入賞〜40代の部はおいしい

大学当直明けで、「八高線&走り 」で会場にスタート30分前に到着し慌ただしく出場した10kmの部。38分02秒で40代の部(「壮年A」という国体みたいな部門名がついていたが)で8位に入った。何しろ40代のお仲間に入れていただいてまだ2ヶ月しかなっていないのだから、一番若くて有利に決まっている。しかも小川和紙はハーフの部があって、こちらが人気レースでエントリーも早々に埋まってしまっていた。
つまり本当に強い40代はハーフの方に出ているということ。それで今回の「おいしい」結果と相成った。
10位まで表彰してくれるというのも太っ腹な大会だ。
ただ8位に入ったことよりも、2年前の同レースよりも3秒早くなったことがうれしい。加齢変化に抗している証。

2010年11月24日水曜日

つくばマラソン4日前

フルの4日前なので通常なら20-25km走を入れるところだが、今日は当直明け&夕方は都内で研究会というスケジュールのため、12km走しかできなかった。
レースが2週続いて疲労蓄積気味なので、むしろこれでいいかも。
今晩から高炭水化物食に切り替えていく。
あと、メンタルもつとめてpositiveに機嫌良く、を心がけていく。都内からの帰りの東上線の中で内田 樹先生の「武道的思考」を読む間にそう決めた。

2010年11月20日土曜日

新発売ピル「ヤーズ」はドーピング禁止物質ではない

11月16日に新発売となった低用量ピル「ヤーズ」(バイエル社)。従来の低用量ピル(アンジュやマーベロンなど)に比べてさらにエチニル・エストラジオール量が減り(30-35μg→20μg)、浮腫、体重増加などの副作用が出にくくなる点が特長とされる。月経困難症に悩む女性アスリートにとっても有利な点が多いだろう。
なお、「ヤーズ」に含まれる黄体ホルモン「ドロスピレノン」は利尿剤である「スピロノラクトン」と構造が類似しているため、ドーピング禁止物質に指定されていないか気になるところであったが、2010年のWADAの禁止物質リストに「スピロノラクトン」は禁止物質だが
ドロスピレノン」はそうではない、と明記してあるので、大丈夫。
欧米で一番人気とされる低用量ピルだけに、わざわざ明記したのだろう。
現在、国立スポーツ科学センター(JISS)で採用してもらっている低用量ピルは「マーベロン」だが、この「ヤーズ」も加えてもらうことを検討したい。


S5. DIURETICS AND OTHER MASKING AGENTS
Diuretics include:
Acetazolamide, amiloride, bumetanide, canrenone, chlorthalidone, etacrynic acid, furosemide, indapamide, metolazone, spironolactone, thiazides (e.g. bendroflumethiazide, chlorothiazide, hydrochlorothiazide), triamterene, and other substances with a similar chemical structure or similar biological effect(s) (except drosperinone, pamabrom and topical dorzolamide and brinzolamide, which are not prohibited).

2010年10月21日木曜日

イギリス最終日


最初の写真はサウサンプトンからバスで1時間ほどのところにあるウィンチェスターの大聖堂。大伽藍、凄いでしょう。
大聖堂から裏手の大学を抜けるとクリーク沿いにフット・パス(遊歩道)が続いていた。聖十字病院まで約2kmを歩いた。ピーターラビットの出てくるような田舎道。


そしてサウサンプトンに帰ってきて最初にしたかったのが、これ。フィッシュ・アンド・チップスを食べること。たっぷりビネガーをふりかけて。やみつきになる。

翌日はロンドンに戻って紳士靴を物色。エドワード・グリーンはサイズがなく、ロイドは高級すぎ、写真のクロケット・ジョーンズで黒のウイングチップを購入。円高のおかげで日本で買うよりは1割ほど安いか。グリーンもクロケットもラバーソールがけっこう多く入っていて驚いた。同デザインのレザーソールと同じ値段設定。10万円近くの靴でラバーソールというのは邪道のような気がするが、本場の英国紳士もラバーをけっこう選択していたぞ。ありなのかもしれない。

2010年10月20日水曜日

サウサンプトンの朝練で道迷い


サウサンプトンは港町である。わずかに10分程度走っただけで、桟橋に着いた。タイタニック号が出航した港として有名だが、ちょうどその場所にタイタニック号の再来かと目を疑うような大豪華客船が止まっていて、目が釘付けになった。
外国の初めての土地でも地図を持って走ることはしないので(もちろん事前に線路や川がどう走っているかなどは見ておくが)、よく思わぬところまで行ってしまって帰りの方向がわからなくなる。
今回失敗したのは、いつも外国には持ってくるCASIOのPROTREKを置いてきてしまったことだ。PROTREKには方位磁針が付いているので、方角で大はずしすることがない。海外時間への切り替えが容易、などの他のメリットもある。iPhoneにナビをさせるのは、海外ではどんな使用料金が請求されるかわからないので最後の手段にしたい。
で、今回は日の出直後の太陽の方向だけがたよりで、鉄道と川は(予習不足で)まったく現在地を割り出す材料にならなかった。鉄道は中央駅から東へ延びる本線のつもりが支線だったり。結局60分jogのつもりが途中完全に市内の方角を見失い、90分以上かかってやっとホテルへ帰着した。
まあでも予定調和的に知っているところだけ走ってもつまらないから、こういう道迷いも外国旅行の醍醐味だね。

2010年10月19日火曜日

ハイド・パークの朝練


さっそくasics store Londonで仕入れた防風防寒ウェアに身を固め(鏡を自分撮りしたので左右反転している)、昨日は主にテムズ川沿いを走ったので、今日は公園を制覇しようと、ハイドパークまで足を伸ばした。
公園にももちろんランナーはいるが、きわめて少数。市内の真ん中にこれだけ広々とした公園があるのだから、もっと多くてもいいような気がするが、さほど見かけないのはなぜだろう。
一つにはロンドンの公園は走りにくい。見かけは緑豊かできれいだが、あまり緑の部分(芝や草)には立ち入ってはいけない雰囲気がある。歩行者も犬の散歩もジョガーも皆、園路を通っている。が、この園路がとても固い舗装で、なんだかかなり脚にくるのである。
ロンドン市内の通りで朝、幅をきかせているのが自転車通勤の群れ。写真のようにほとんどがフラッシュイエローのジャケットやベストを着ている。最初は何かのチームユニフォームかと思ったくらい。何十台とすれ違ったことだろうか。
皆、黒タイツでちゃんと脛を出している。

午後からはサウサンプトンへ移動。ロンドン・ウォータールー駅から列車で1時間15分程度である。

2010年10月18日月曜日

ロンドンのランナーは薄着



丸々ロンドン三昧の一日。まず朝練から。気温10℃以下ではなかろうか、寒い。長袖シャツ+ベスト、長タイツ+七分丈パンツでは寒かった。St. James Parkから北上してRegent Streetを「下見」して、それからテムズ川沿いに出た。ここはランナーが多かった。石畳ばかりでさほど走りやすい路面ではないのだが、とぼとぼ巨体を揺らしながら走る老年ランナーから、軽々と飛ばす競技ランナー風まで多様。ただ共通して薄着!これはヨーロッパの他の国でもそうだった。短パンが基本、中にはTシャツ1枚の者もいる。これはランナーに限らず自転車通勤者達も同様で、多くがショートタイツ、せいぜい七分丈タイツ。白いむき出しの脛と頬が紅潮している。寒さに耐えるのが美徳なのか、そもそも寒さに鈍感なのか。
僕の方は、昼にWigmore HallでVivaldiとPiazzollaの「四季」をまぜこぜで演奏するScottish Ensembleのコンサートに飛び込み。たった12£で3列目中央の特等席。思わず大拍手の熱演だった。特にPiazzollaが凄い。CD購入してさっそくiPodで繰り返し聴いている。
その後、Regent Streetのasics store Londonへ。明日からの防寒のためにGoreのジャケットとタイツ、手袋、帽子、コンプレッションソックスなどを買い込んだ。もちろん"asics Europe"のタグが付いている商品を選んで。日本で同じものが買えるんじゃつまらないからね。というわけで思わぬ散財。
次いで、AquascutumやらEdward Greenやら気になるブランドのお店もチェック。購入したかどうかは秘密。
19時半からは本日のメインイベント、(朝ネット購入しておいた)Royal Festival Hallでのモーツァルト・レクイエムをじっくり鑑賞するはずだったが・・・何しろ日本時間では完全に未明の刻。半分意識がとんでしまっていた。うーむ、レクイエムが四季に完敗。

2010年10月16日土曜日

ロンドン到着

2回目の「夏休み」(1週間)にイギリスに行くことにした。というわけで、午前に成田を発って、ANAのフランクフルト経由便でロンドンへ。先ほど市内へ到着してホテルにチェックインしたところ。
こちらは寒い。たぶん気温10℃程度。コートを持ってきていてよかった。なければ寒々しいことになったろう。マフラーも持ってくればよかった。
ランニング用には半袖Tシャツのかわりに長袖をあと2枚くらい、あと手袋もあれば完璧だった。
フランクフルトの空港で写真のごとくしっかり食べたので、水だけ飲んで今日はもう寝る。

2010年10月11日月曜日

リスタートタイムトライアル〜またもや大凡走

3週間前の関東医科大学対抗陸上競技大会にオープン出場したときに1500mで張り切りすぎて慣れぬスピードを出したものだから(結果は4分30秒という10年振りの好タイムだったのだが)、左アキレス腱の痛みにしばらく悩んでいた。アキレス腱の踵骨付着部の炎症で、トラック左回りなのが負担になったようだ(JISSで向井先生が診断してくれたから間違いない)。
アイシングしたり、インテバンクリームを塗り込んだり(昔からあるクスリだ)、走るときはキネシオテープを貼ってみたりしているうちに、1週間前から急に痛みが軽くなってきた。通勤ランのペースを上げても大丈夫になり、金曜日には別所沼公園で1km×5のスピード練習ができたので、近場の東洋大学川越キャンパスで行われたリスタート5000m記録会へ予定通り出場した。
1500mで3週間前にいい走りができたから5000mも何とかなるかと思ったが、何ともならなかった。3分30秒/kmの理想的なペースで進む集団から3000m手前で遅れると、あとはずるずる戦意喪失。18分10秒というのは、ちょっとバテたときにこの10年落ち着くタイムで、ほぼ一緒。前の組で走っていた石川眼科の院長には勝てたのだろうか。
それからやはりカーブで左アキレス腱は痛んだなあ。レース前にロキソニン飲んでおいてよかった。
応援してくれた方々には、「出直してきます」と頭を下げた。アキレス腱が気になって左右のバランスが悪くなっていた。腹筋鍛えないといけないかも。

ところでキネシオテープっていうのは体毛が生えていると接着しにくいんだっけ?せっかく貼ったテープがW-up中に剥がれてしまったぞ。次回は脚の毛を剃って試してみよう。

翌日に出雲駅伝を控えているため、東洋の駅伝チームの学生は見当たらず。柏原選手抜きでどこまでやれるか、層の厚さを見せてくれるか、注目。

2010年10月10日日曜日

ルディプロジェクト・ライドンのレンズを新調

またルディプロジェクトのお気に入りサングラスに新しいレンズを入手した。今度はインパクト調光クリア。通勤ランの帰り(つまり帰宅ラン)のときにもグラスをかけたい、となると、クリアレンズしかないわけだ。
ただこの調光レンズはただのクリアレンズではない。夜はクリアだが、明るくなって紫外線が降り注ぎだすと自動的に着色して黒っぽくなり、紫外線透過率を下げてくれる。朝から夕方まで長時間走る自転車ロードの選手などに重宝されているようだ。もちろん天気がめまぐるしく変わる山のトレイルランなどにもOKのはず。
詳細はこちら。注意点としては、30℃近い暑さの日だと着色が弱くなるということと、霧の山の上などでは紫外線が多くて着色しすぎてしまうこと、だといつもお世話になるカニヤのご主人に教わった。
レンズを新調したついでにラバーバーツを1年使ったレッドからブラックに変えてみた。まるで新品になったみたいな気分。しめて約12,000円。

これをかけてみて鏡を覗き込むと・・・おお、元ロッテの小宮山投手みたいだぞ(写真省略)。

2010年7月27日火曜日

富士登山競走でぼろぼろになったターサー

朝のスタート前の出で立ちはこんな感じだった。足首のバンドがポイント。
そしてアウトソールが完全に剥がれてむき出しになった哀れなターサージャパン。

4日経過したが、まだ階段を上ると筋肉疲労を感じる。
奥武蔵ウルトラマラソンまであと5日。回復するかどうか・・・朝のスタート前の出で立ちはこんな感じだった。足首のバンドがポイント。
そしてアウトソールが完全に剥がれてむき出しになった哀れなターサージャパン。

4日経過したが、まだ階段を上ると筋肉疲労を感じる。
奥武蔵ウルトラマラソンまであと5日。回復するかどうか・・・。




2010年7月24日土曜日

富士登山競走~やっと余裕の完走、ついでに4時間切り

2年前に初出場したときには(山頂コース)、馬返しまでのロード区間も暑くてペースが上がらないわ、不整地になったらまったく走れず歩いてのぼるしかないわ、挙句の果てには七合目以降でたびたびふくらはぎが痙攣して立ち止まるわで、やっとこさ4時間28分という制限時間2分前のゴールだった。
当分出ない、と決めていたのだが、なんと今年から過去3年以内の同大会の実績(五合目通過タイム)がないと山頂コースのエントリーさえできなくなるということになり、それなら少なくとも2-3年おきに出場し続けないと、山頂コースのエントリー権を失ってしまうわけで、急遽出場を決めた。
今回も山登りのトレーニングは十分にできなかったが、先週の1500m、5000mのトラックレースで最近5年間のベストタイムが出ていて走力自体はまずまず好調、裏TTRや医局旅行三ツ峠などのトレイルランはまあまあやっていたことから、2年前のようなことはないだろうと見ていた。ただし仕事の疲労はけっこう溜まっていたが・・・。
半袖ジップアップシャツ+ボックスパンツ+2XUアームスリーブ+ザムストソックス+古い(7年前くらいの)ターサージャパンという装備。 キャップとサングラスと指切りグローブとボトルポーチ(400ml)両足には件の痙攣防止バンドも。
馬返しまでは暑さとの戦いだったが、快調に登ることができ、ペースを落とす選手をどんどん抜いていく。ただし苦手の不整地区間に入ってからはなかなか走り登ることができず、それでも脚に余裕はあるので、少しずつ順位を上げていく。
馬返しは63分、五合目は1時間57分の通過。ゴールは五合目の2倍になる、という先輩ランナーの言葉を思い出し、2年前に比べて好ペースであることを自覚する。
ところがアクシデント発生。古ターサーのアウトソールが爪先側からはがれ始めている。もしミッドソールまで損傷が及んだら登り続けられないかも。幸い足に突き上げ感はなく、不安になりながらもそのまま登る。
五合目以降もほとんどが歩き登りだが、少しずつかわしてピッチよく上がれた。六合目で応援してくれていたというハリ天さんを見つけられなかったのは痛恨。このあたり日が陰っており、一時、急速に冷え込んだ。汗とかけた水でびしょぬれだったパンツとシャツが少しずつ乾き始める。
さすがに八合目あたりからはだいぶ脚に来て、砂地に足をとられるたびにペースダウンしていったが、ふとカシオ・プロトレックの高度計を見るとすでに標高3200mを越えていて、残りもわずか、両手もフル動員して最後の岩場を登り切り、念願の3時間台(57分半)でゴール。前回を30分以上上回ったわけだから、自分としては大満足、感激だった。幸い頂上は晴天。500円でコーラを買ってしばし休憩。
もちろんフルマラソンや5000mのタイムからするとこのタイムは「遅すぎるんじゃないの」という向きもあるだろう。フルマラソンなら勝てる女子選手にもことごとく負けてしまう。いつか奥武蔵ウルトラで競った落合尚美さんは、僕より30分も先着して2位に入賞していて、少々ショックを受けた。喜んでばかりもいられない。ただ富士登山競走は自転車のヒルクライムと一緒で軽量選手が圧倒的に有利。中量級が歩くしかない傾斜でも軽量級の選手は走り登れる。というわけで平坦路ではまた違うだろう。
なお、途中1回だけ右ふくらはぎが攣りかけたが、その後は大丈夫。2年前に痙攣で苦しんだことを考えると、「痙攣防止バンド」、効いているような気がする。
一方、ソールのはがれたターサーは完全にお陀仏。あまりに古いシューズだと接着が弱っているのか過酷なレースには耐えられないようだ。反省。 
9日後には奥武蔵ウルトラマラソンに出走予定。疲労がどこまで抜けるか。

2010年7月20日火曜日

「街場の教育論」内田 樹

大学設置をめぐる規制緩和により、全授業をインターネットで行う初の4年生大学として、2007年4月、福岡にサイバー大学という株式会社立の大学が開学した。ウチダ先生は「この大学はあまり長く保たないだろう」と本書で予言する。
なぜか。それはこの大学が「通販」というビジネスモデルに準じて制度設計されている点にある。課業として支払われた労働価値に対して、商品が「単位」というかたちで交付される。これは教育ではない、「お買い物」だとウチダ先生は喝破する。「買い物」的勉強はまず「カタログ」(大学だとシラバス)を眺めるところから始まる。ところが通販には「カタログにない品物は買えない」という根本的な難点が存在する。これが「学び」と「通販」の決定的違いである。
「学び」は「どうしていいかわからないときにどうすべきかの目鼻をつけようとする」ときに起動する、とウチダ先生は考える。人の本源的な力がいちばんはっきり現れる瞬間である。
実際、学生が大学に求めているのは「カタログに載っていない」知的活動の現場に「巻き込まれる」ことなのだと、本書では学園漫画を例に解析されている。シラバスを読んで、すでにその意味や有用性が知られているような「教育商品」を規定の単位数集めて学士号を手に入れることではないのだ、と。
はたしてサイバー大学は入学者数低迷により、本年5月に二つある学部のうち片方の学生募集を停止すると発表した。ウチダ先生のご明察どおりである。
本書にはユーモアたっぷりに「たとえ話」を押し出すウチダ節満載である。「キーボードを押すと、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子を二個もらったとか、そういうどこを迂回したのかよくわからないようなやりとりが果たされるのが教育というものの本義なのです」など、言い得て妙ながら得も言われぬおかしさ。しかも痛快。
省みて自分の関与している医学教育の現状はどうだろうか。成績査定における「努力と成果の相関」という前提を国家試験を越えて研修医にまで延長することで、(そんな前提が意味をなさない)仕事の場における「労働のモチベーション」形成が阻害されやしないか。あるいは専門教育肥大化に伴い教養教育が縮小されるあまり、他の専門領域とネットワークを組んで新しいものを生み出すためのコミュニケーションの仕方を知らない医師を増産してしまわないか。いずれもウチダ先生が本書で警鐘を鳴らしているところである。
あまり「医学部教育は特別だ」などと肩肘張らぬがよろしかろう。ウチダ先生と神戸女学院大学から学ぶことはたくさんある。

2010年6月26日土曜日

暑いときに走るコツ

梅雨入りの後、気温と湿度が一気に上昇した感があり、ランニングには厳しい季節に突入した。
この時期に効率よく練習をする、あるいはレースを走り切る、ランニングを楽しむには、体温を上げない工夫をどのように行うかが勝負である。
ランニング中の体温は、
1. 速く走るほど上がる
2. 長く走るほど上がる
のであるから、対策は
1. 短時間しか走らない、または短時間走って体温が下がってからまた短時間走るを繰り返す
というのが一つである。「夏はサクッとスピード練習」というのはこれにあたる。
あるいは、
2. ゆっくりしか走らない
というのもアリで、とぼとぼjogだけしている限りにおいてはそんなに体温発生はないので、炎天下でもない限り、そこそこ長い時間走ることはできる。ゆっくりというのはキロ6分より遅いことが必要だろう。ウルトラマラソンなら春から秋の時期に行われても大丈夫なワケだ。練習時間を選べるならば、
3. 涼しい時間・場所しか走らない
というのも現実的だ。早朝・日没後は多少マシ。ただ菅平やボルダーに行ける人は市民ランナーではもはやないだろう。
さてここからは「実験的」な部分も含むのだが、
4. 体を冷やしながら走る
ことができれば、いろんな問題は解決するかもしれない。アイスノン内蔵ベスト、などどこか売り出さないものか。
5. 十分体を冷やしてから走る
じっさいに、オーストラリアなどではレース前のウォーミングアップならぬ「クーリングアップ」用に冷却ベストのようなもので十分体温を下げてから暑い時期のレースに出ることが行われれているという。利用している一流選手も現れているようだ(「ランニングの世界」最新号参照)。

直接冷やすことをしない限り、ウェアによる熱発散の工夫や、帽子やサングラスによる直射日光の防御といっても限界がある。
僕自身の経験では、20年前の大学2年、暑い暑い平和台陸上競技場で行われた国立七大学対抗戦800mの予選・決勝の間(2時間)に冷水シャワーをしっかり浴びて上昇しきった体温を急冷したことで、なんとか決勝で入賞できたことを思い出す。
日陰で休んでいただけの某大学の選手は、回復しきらず決勝を棄権してしまっていた。

本気で、冷却剤内蔵ベスト、開発してくれないものか。

2010年6月25日金曜日

デンマークに勝って決勝トーナメント進出

昨日から大学構内でサッカー日本代表のユニフォームを着ていかにも浮ついている学生がいて、よく見たら陸上部の学生だった。
恥ずかし。
というわけで、今朝はワールドカップ。ジェフの選手がいないので開幕時には全く興味がなかったのが、やっぱり現金なモノで初戦に勝ったことで一気に「おっと、なかなかやるじゃん」というわけで急に気になり始めた。世間一般と全く同じ程度。
今回の日本代表チームが好結果を出せている要因を考えてみた。
1.控え選手を含めたチームワークがうまくいっている。ドイツ大会ではこれがダメだったからねえ・・・。でも俊輔、CMもなくなっちゃってちょっと痛々しい。
2.ビックネームはなくとも欧州経験者(本田、松井、大久保、長谷部)がリードしている。やっぱり彼らは全く物怖じしていないよね。
3.南半球で涼しいので、運動量での勝負ができている。後半がっくり運動量が落ちてやられる、ということがない。
4.ブブセラがうるさいので、ピッチの選手が自分たちで考え、いい具合に集中できている。これ、案外大きいんじゃないか。
今日のデンマーク戦も、スタメンがこれまで2試合と同じ、と聞いたときには、疲労とコンディション低下で今日はダメかもと思ったが杞憂に終わった。さすがにそのあたりのコンディション調整はプロだ。でも決勝トーナメントとなると4戦目。同じスタメンで行けるか?
コンディションをよく見極めて、選手の入れ替えも考えてほしいところ。
今度は予選リーグで同組にいなかった南米のパラグアイが相手。なかなか難しいぞ。同じ南半球でコンディションもよさそうだし。日韓W杯2002のときも、なんとなく決勝トーナメントの相手がトルコということで油断したよね。反省を生かしてほしい。
やはりライバル国、韓国が勝ち残っているうちに負けるわけにはいかない。予選リーグ突破でまずその点ほっとした。

書き忘れた。今回のチームは君が代を全員で肩を組んで(口パクでなく)ちゃんと声張り上げて歌っているのが、いい。好感もてる。

日本代表ユニの「青地に赤のよだれかけ」デザイン、東大陸上部の「白地に水色のよだれかけ」が連想されるなあ。

2010年6月24日木曜日

イナーシャ

4月より病棟医長に任命され、慣れない手術予定作成などに四苦八苦していたほか、学生講義やら学会準備やらですっかりブログを更新する意欲を失ってしまっていた。
すみません。
一昨日、産婦人科の主催で行った「産婦人科に関心をもってくれているであろう6年生有志との食事会」でも「最近全然更新されていませんね」と指摘されてしまい、奮起することにした。
なにか取りかかりにくい作業を始めるのに必要な「初動」エネルギーを「イナーシャ」というらしいが、だいぶ埃がつもって重くなったイナーシャをなんとか動かし始めたところ。今後に再度ご期待。

当面の走る方の予定は、
7/23 富士登山競走
8/1 奥武蔵ウルトラマラソン
8/29 北海道マラソン
4月に上記3レースをエントリーしたときはもちろん意欲十分だったが、最近のように暑くなってくると、やはり「この季節は長距離には向いていない!」と後ろ向きになってしまう。
特にキロ4分台の「持続走ペース」ないしは「レースペース」で10km以上ロードを走るのが難しい。これは夏のフルマラソンの準備をするうえでは致命的。どうしても暑さに耐えつつゆっくりとぼとぼロングjog、と、トラック練習のような1-2kmのスピード練の組み合わせになってしまう。
幸いこの季節は朝が早くから(4時頃から)明るいので、朝の通勤ランを涼しいうちに早めに始動して練習量を確保、というのが今の時期の作戦となるか。
ちなみにここ数日朝3時15分起床のリズムに合わせたので、明日のサッカーW杯も無理なくテレビ観戦できてしまいそうだ。

2010年6月7日月曜日

医局旅行はトレイルのチャンス~三つ峠から富士急ハイランドへ


「累積入局者が2人を越えたら医局旅行を開催する」というルールに基づき、今年も医局旅行開催。今どきなかなか医局旅行を行うところは埼玉医大の中でも産婦人科業界の中でもない中、貴重な存在である。今年は山梨県石和温泉宿泊で翌日富士急ハイランド、というスケジュール。となると、恒例の日曜早朝トレイルは三ツ峠を越えて河口湖畔に降り富士急ハイランドでみんなに合流、という計画を立てた。


石和温泉5時スタート。まずタクシーで御坂みちを御坂峠北側の藤野木まで。そこから御坂峠に登る。
御坂山、清八山までは東~北東方向へ。時折朝日が正面から射してくる。人気のない気持ちのよいトレイルが続いた。


清八山からは南に進路をとり、いよいよ御巣鷹山を経て三ツ峠山へ。ここからの富士山展望は圧巻だった。カメラを構えた写真愛好家たちが砲列を富士山へ向けている中、とった一枚。数分後には富士山は雲に隠されてしまったので、貴重な瞬間だった。



次いで木無山へ。ここで道を間違って三つ峠登山口方向まで標高300mほど降りてしまう痛恨のミス。この登山道は多くのハイカーで賑わっていた。しかし意地でも10時半の富士急ハイランド集合時間に間に合わねばならないため、木無山まで走って登り返した。

木無山から霜山、天上山を経て河口湖へ向かう道はなだらかな下りで(焦っていたこともあり)快調にとばす。いいトレイルなのにハイカーはほとんどいない。

河口湖駅からロードを富士急ハイランドまで走って終了、計33km、4時間40分のトレイルだった。なんとか集合時間にはほとんど遅れずに済んだ。医局の皆さん、毎年医局旅行では単独行動すみません。荷物の運搬ありがとうございました。

2010年5月7日金曜日

裏TTR~GW中のビッグイベント

ハリ天さんからお誘いいただいたこのイベント、青梅鉄道公園をスタートして棒の峰へ向かい、埼玉と東京の都県境を縦走して雲取山へ至り、奥多摩湖まで下りてくるという60km以上の走りごたえ十分なトレイルコース。
朝6時に出発して午後5時半にゴールした。ハリ天さんにもサポートの皆さんにも感謝。





2010年4月11日日曜日

鶴見岳一気登山大会の「下見」

金曜日の第3回別府遺伝医学セミナーでの特別講演は無事に終わった。内容もりこみすぎ(カウンセリング7例も)、説明不親切(エクソンーイントロンボーダーでの一塩基置換でmRNAの欠損がおきる機序とか)、理由説明抜きの観察事実羅列(転座保因者の習慣流産について)とか、いろいろ反省点はある。でも、座長の楢原先生(大分大)ほか、別府産婦人科医会の先生方にもご好評をいただきありがたかった。いつまでも遺伝の同じネタでしゃべるわけにはいかないので、大学での遺伝外来もっと頑張らないとね。

こちらでは鶴見岳一気登山は全市民的行事らしく、亀の井ホテルのフロントのおばさんも、不老泉という100円温泉で石けんとタオルを貸してくれたおじいさんも明日一気登山すると言っていた。別大マラソンなんかよりもひょっとしたら市民には身近なんでしょうね。
ちなみに「競争」として駆け上る「いだてんレース」の他に、ばらばらにスタートして自分でスタンプを押しながら歩きのぼる部門もあるので、おじいさんなんかはそっちの参加と思われる。



さて前日はせっかくなので由布岳でトレイルの足慣らし。まず別府駅前から湯布院行きのバスに乗って由布岳登山口(標高800m)まで。12時に登り開始で、13時に由布岳東峰(1580m)、下山は東登山道を選択し、14時に由布岳東登山口(=鶴見岳西登山口)(800m)、もういちど鶴見岳へ向けて上り、中腹(1100mくらい)をかすめて15時に鶴見岳ロープウェー(500m)までという道程。終盤は明日の一気登山道を逆向きに下った。しばらくトレイルに出ていなかったおかげで、脚や腿には相当ダメージが。翌日の下見、調整、というには・・・やりすぎでしたね。計3時間のトレイルラン。
一日中曇天で山の上の方は霧が濃く小雨も時々ぱらぱら。頂上付近は全く眺望無し。それでも由布岳正面登山道にはけっこうな数の人がいた。一方、由布岳東登山道〜鶴見岳西登山道はマイナールートのようで、誰にも遭遇しなかった。道標が朽ちていたり、道がわかりにくいところもたくさん。

別府二泊目は外勤先のビデオデッキに噛みつかれていた状態から無事救出されたアンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」を見た。スターリニズムに席巻されていた1950年代ポーランドの労働者の悲哀が描かれている。1970年代の映画なのに、ついこの前に滞在していただけあってワルシャワや地方都市の街並みにとても親近感を覚えた。

2010年4月10日土曜日

ポーランド大統領機、なんとスモレンスクで墜落

ポーランド大統領絶望か 搭乗機が着陸直前に墜落 4月10日17時51分配信 毎日新聞
【モスクワ大木俊治、ウィーン樋口直樹】ロシア西部スモレンスクで10日午前11時(日本時間同日午後4時)ごろ、ポーランドのレフ・カチンスキ大統領(60)ら同国政府要人が搭乗したツポレフ154型旅客機が墜落した。タス通信などによると、乗員乗客87人全員が絶望視されており、大統領や同乗のマリア夫人も死亡した模様だ。ロシア通信は、搭乗者数は132人だったと報じた。
同機は着陸直前にスモレンスクの空港付近で墜落したとみられる。当時、付近は濃霧だったとの情報もある。ロイター通信によると、ポーランド中央銀行総裁も搭乗していた。
カチンスキ大統領らは同日、スモレンスク州で予定されていた「カチンの森事件」70年の追悼式典に出席するため現地に向かっていた。第二次大戦中にポーランドの軍人ら2万人以上が当時のソ連秘密警察によって虐殺された事件で、長年、ポーランドとロシアの政治対立の一因となっていた。墜落機には、事件の犠牲者の遺族ら関係者が多数搭乗していた模様だ。
カチンスキ大統領は05年12月に就任。「反ロシア派」として知られ、プーチン前政権としばしば対立していた。プーチン露首相は8日に別途開かれたカチンの森追悼式典にポーランドのトゥスク首相と共に出席し、両国の関係改善を演出していた。
メドベージェフ露大統領は10日、プーチン首相をトップとする墜落原因調査の政府委員会設置を命じた。

僕にとってはショッキングな事故のニュースがとびこんできた。「スモレンスク」でまさかと思ったが、やはり「カティンの森」の追悼式典に向かっていたのか・・・。ポーランド人要職者が大勢スモレンスクで亡くなるとは、まさに「カティンの森」と同じ構図。もちろん陰謀ではないだろうが、ある意味「カティンの森」の犠牲者に加えるべきであろう。そもそもソ連によるこんな犯罪的事件がなければ、このような式典もないわけだから。
ポーランド国民はどんな思いだろうか。あらためて「カティンの森」が繰り返し喧伝され、反ロシア感情が盛り上がるのではないか。
ロシアとしては式典開催でポーランドとの宥和をはかろうと思っていたに違いないが、逆効果になってしまった。

2010年4月7日水曜日

今週末は別府で講演と登山競走

明後日4月9日金曜日に別府に飛んで「第3回別府遺伝医学セミナー」で講演をさせていただくことになっている。題は「周産期遺伝カウンセリングと出生前診断の実際」。19時~20時30分に西別府病院2階のカンファレンス室で行われる。
近隣の開業の先生方向け、あるいは学生講義の中でこれまで紹介してきた出生前診断について、具体例を4-5例あげて話そうと思う。遺伝カウンセリングでは、単に医学的情報の提供にとどまらず、カウンセリングという「コミュニケーションプロセス」を大事にしつつ、その中で倫理、社会規範にも配慮していかねばならない。きわめて社会的な医療である。そこに関与していくことの難しさ、面白さが伝わればいいが。
そのまま日曜日まで別府にとどまり、「べっぷ鶴見岳一気登山」いだてんレースに出場する予定。昨年7月にコースを下見しておいた成果を発揮できるか。富士登山競走のミニチュア版としてのトライアルにもなる。どれくらい戦えるか。楽しみ。ただしポーランドでの食生活が効いて体重オーバー気味。

2010年4月5日月曜日

「ベルリン陥落 1945」

ワルシャワからの帰途に読み始めたこの本を読み終えた。
ヴィスワ川を渡りワルシャワを占領し、東プロイセンを奪還して徐々にベルリンへ侵攻するソ連軍。ソ連軍の暴虐から逃れようと西を目指すドイツ人民。ベルリンに最後まで立てこもり次々と自死をとげるヒトラーをはじめとするナチスの幹部たち。中でも女性を襲った破壊的な性暴力を克明にしかし淡々と描いた点がこの大部の書物を衝撃的かつ説得力のあるものにしている。
しかしこの書の特徴は単に性暴力を「告発」しているわけではないところにある。例えば、特定のソ連軍将校と性関係の「契約」を結ぶことで不特定多数兵士からの性暴力を免れ物質的援助も得ていたドイツ女性が存在したことも叙しつつこのように言う。
「真相がレイプと売春の中間のどのあたりにあるにせよ、食料と保護を得るためのこういった契約は、女性を太古の、ほとんど原初の状態に戻らせた(608ページ)。」
ドイツとポーランドの間には、ナチス強制収容所、ワルシャワ蜂起のような凄絶な過去があり、ポーランドとロシアの間にも「カティンの森」のような大殺戮があり、ロシアとドイツの間にもこの書のように暴力を伴う侵攻をし合った歴史がある。現在これらの3ヶ国が接して共存していること自体が僕からすると驚異的に思える。殺戮の歴史を水に流せるわけはないと思うが、大陸で接して生きる必然なのか。

ところでこの本の「解説」が最低である。暴力と殺戮を否定しようとするスターリンはじめソ連共産党の態度を、なんと南京事件の「死者30万人」の虚偽を検証しようとする日本の識者になぞらえて共に非難するのだ。一緒にするな、といいたい。

2010年4月2日金曜日

帰国中の事件3つ

ワルシャワ最終日から帰国までの事件、その一。
選手団の乗ったバスがワルシャワ市内通過中に交差点で前のタクシーとコツンと衝突。タクシーが勝手にバックしてきた?大した衝撃ではなかったが、しばらく警察呼んでバスが使えなくなった。
その二。
ワルシャワの空港免税店で買ったコニャック1本をアムステルダムで成田行きの飛行機に乗り換える際の手荷物検査で没収された。どうして!免税店で買ったのだぞ!と相当(英語で)吠えたのだが、偉丈夫の男性係官が毅然と「EU圏外から持ち込まれた液体はダメ」「ワルシャワの免税店で所定のシール(封?)をしてもらわなければダメ」「ここでできることはない」と言い放つ。僕も"It's a pity!"とまで叫んだが、「ワルシャワの免税店に文句を言え」と言われプリプリと退散。機嫌最悪。
その三。
成田空港から帰り、坂戸までの直行バスが、川越駅前停車中に後退してきた前のトラックに「コツン」。警察呼んで、その間30分乗客は待ちぼうけ。1日に2回、乗っているバスが「衝突事故」を起こすというのもすごい偶然。僕が「事故運」をポーランドから輸入したかとも思ったが、もちろん黙っていた。

ところで今回の遠征では立命館大の十倉みゆき監督と、特に女子選手の無月経についてだいぶ突っ込んだ議論ができた。さすがに女性監督で、プレマリン+ルトラールなんて薬剤名がすぐ出てくる。ホルモン療法の考え方、ディビゲルなどの新しい経皮エストラジオール薬などいくつか教えてさしあげた。役に立てていただければいいが、何しろ関西が本拠地なので、直接選手を見てあげることはなかなかできないのが残念。

2010年3月31日水曜日

「地下水道」ここか!




ワルシャワの朝練は、やはりショパンを小さい音で鳴らしながらヴィスワ川を目指した。ちなみにlaだからヴィスラかと思ったらそうではなくてヴィスワ川と発音するらしい。前回のビドゴシチ遠征前に予習として見たアンジェイ・ワイダ「地下水道」の一シーン、旧市街から地下水道を通ってヴィスワ川に達した蜂起市民が、助けに来てくれないソ連軍のいる向こう岸を鉄柵越しに遠く見やる、というその同じ風景を見たかった。
ヴィスワ川沿いを南から北に走る途中で日の出。映画で見たのと同じ遠さで向こう岸が見える。満足。なんでも無事に逃れた市民は、40km北方まで地下水道で逃げて助かったらしい。もはやすっかり復興されて戦争の爪痕が全く残っていない旧市街に上がり、ホテルへ戻る。13.5K。
夕方にはアムステルダム経由でいよいよ帰国。

2010年3月30日火曜日

ワルシャワへ


レースの翌日。まず朝練はビドゴシチ南部を東西に走る運河沿いを走った。北岸を西進し適当なところで運河を渡って南岸を戻ってこようと思ったところが、なかなか運河を渡る橋がない。どんどん市内から遠ざかり5km以上も走ってものさびしい工事現場みたいなところに到達したところで、やっと人工堰があって南岸に渡ることができた。日本にもある不法投棄にでも手を染めていそうな工場があって、日本と同じく不審者対策で犬にけたたましく吠えられた。柵をとびこえてかみつかれるかと思った。こんなところで犬にやられてはかなワン、というわけでさっさと逃げた。
ちなみにポーランドでの朝練の際にNike+iPodを作動させながらiPhoneから聴いていた音楽は毎日ショパン。どうせならポーランドに浸らなきゃ。この日はマズルカ全集をBGMに走った。
9時出発でワルシャワまでバス移動。バスの中では持参したDVD「ふたりのベロニカ」を見た。これもポーランドもの予習の一環。ポーランドの鬼才キェシロフスキが監督したファンタジックな物語だが、ポーランドを舞台にしているのは半分だけだし(残りはフランス)、特にポーランド色ぷんぷんの映画ではなかった。映画の中で鳴り響く声楽とオーケストラのための宗教曲風の切なくも激しい透き通ったテーマ音楽が印象深かったが、これは実在した曲ではなく、Zbigniew Preisnerがつくりあげた「オランダの架空の作曲家ブッデンメイヤー」の曲とのことだ。現時点ではiTunes storeで見つけることはできなかった。


ワルシャワ到着は午後4時半。ただちにホテルを出て、高速徒歩で旧市街、新市街を歩き回った。衛兵の交代式にちょうど出くわした。旧市街は完全に戦災から元の街並みが再現され、むしろけばけばしささえ感じるカラフルな街並みになっている。
夕食後にもコニャックで真っ赤になった顔でチョコレートの老舗「Wedel」に両角先生と繰り出した。後ろは巨大建築・大文化宮殿。

2010年3月29日月曜日

アフリカ勢抜きの世界クロカンが見たい


昨日はまず朝練でブルダ川から市内へ引かれている運河沿いを走った。川の両側とも遊歩道として整備されていて、とても気持ちがよく走りやすい。地元のジョガーとも数人すれ違った。ただし行き過ぎてホテルへの帰り道が見当つかなくなってしまった。カシオ・プロトレックのコンパス機能を頼りに北方向を目指し高架の線路沿いに行くと、見覚えのある橋に突然たどりついた。冷や汗かいた。約12km、65分。


さて世界クロカンの方は、朝から雨も上がっていて、昼には時折日差しの見える天気となった。コースは泥濘状態のところもあるが、心配した「湿地帯」みたいな感じにはならなかった。
クロカンでのケニア勢の強さは圧倒的であった。特にジュニアはほぼ全メダルを制圧。
日本勢はジュニアでは欧米選手より分が良くアフリカ選手の次に来る。村澤君も伊沢さんも健闘した。
ところがシニアではアフリカ選手にはもちろん、欧米選手にも差をつけられてしまう。大学や実業団でのロード偏重の練習、競技のあり方を考えさせられる。
ホテルへ戻ると、フランス選手にエレベーター内で何か秘密をささやかれるような口調で"Kenyan junior is not junior."と教えられた。欧米勢の間ではこれが裏の標語となっているようだ。