2010年7月20日火曜日

「街場の教育論」内田 樹

大学設置をめぐる規制緩和により、全授業をインターネットで行う初の4年生大学として、2007年4月、福岡にサイバー大学という株式会社立の大学が開学した。ウチダ先生は「この大学はあまり長く保たないだろう」と本書で予言する。
なぜか。それはこの大学が「通販」というビジネスモデルに準じて制度設計されている点にある。課業として支払われた労働価値に対して、商品が「単位」というかたちで交付される。これは教育ではない、「お買い物」だとウチダ先生は喝破する。「買い物」的勉強はまず「カタログ」(大学だとシラバス)を眺めるところから始まる。ところが通販には「カタログにない品物は買えない」という根本的な難点が存在する。これが「学び」と「通販」の決定的違いである。
「学び」は「どうしていいかわからないときにどうすべきかの目鼻をつけようとする」ときに起動する、とウチダ先生は考える。人の本源的な力がいちばんはっきり現れる瞬間である。
実際、学生が大学に求めているのは「カタログに載っていない」知的活動の現場に「巻き込まれる」ことなのだと、本書では学園漫画を例に解析されている。シラバスを読んで、すでにその意味や有用性が知られているような「教育商品」を規定の単位数集めて学士号を手に入れることではないのだ、と。
はたしてサイバー大学は入学者数低迷により、本年5月に二つある学部のうち片方の学生募集を停止すると発表した。ウチダ先生のご明察どおりである。
本書にはユーモアたっぷりに「たとえ話」を押し出すウチダ節満載である。「キーボードを押すと、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子を二個もらったとか、そういうどこを迂回したのかよくわからないようなやりとりが果たされるのが教育というものの本義なのです」など、言い得て妙ながら得も言われぬおかしさ。しかも痛快。
省みて自分の関与している医学教育の現状はどうだろうか。成績査定における「努力と成果の相関」という前提を国家試験を越えて研修医にまで延長することで、(そんな前提が意味をなさない)仕事の場における「労働のモチベーション」形成が阻害されやしないか。あるいは専門教育肥大化に伴い教養教育が縮小されるあまり、他の専門領域とネットワークを組んで新しいものを生み出すためのコミュニケーションの仕方を知らない医師を増産してしまわないか。いずれもウチダ先生が本書で警鐘を鳴らしているところである。
あまり「医学部教育は特別だ」などと肩肘張らぬがよろしかろう。ウチダ先生と神戸女学院大学から学ぶことはたくさんある。

0 件のコメント: