2009年3月31日火曜日

ヨルダンより帰国

帰国した。いつも海外旅行は帰りの飛行機の方が時間が過ぎるのが早いような気がする。
機内で見た映画は、「容疑者Xの献身」と「最後の初恋」。読んでしまった本は海堂 尊「ナイチンゲールの沈黙」。
「容疑者X」は東野圭吾の原作をこれまた世界ジュニアの帰国時に読んだのだが、謎解きのスリルに引き込まれてたいへん面白かった。その点今回の映画はすでにストーリーがわかってしまっているためか、新鮮味がなかった。残念。
「最後の初恋」は2008年公開のアメリカ映画。リチャード・ギア、ダイアン・レイン主演だそうだが、俳優音痴の僕にはぴんとこない。昔大学の視聴覚室で見た「ある愛の詩」の焼き直し中年男女編みたいな甘ったるいつくりだったが、途中でやめずに見る気になったのは、リチャード・ギア扮する外科医が術中死患者遺族とのやりとりが真に迫っていたから。医者の側は自分に責任がないことを主張する、遺族は真実を知りたい、かけがえのない人だったことを医者にわかってほしい、両者のすれ違いが溝を生んでいくのだなあと痛感した。ちなみにこの死亡事故は悪性高熱かなにかの麻酔トラブルのようだから、確かに不可抗力なのかもしれない。どちらも気の毒と言えば気の毒。最後は「ある愛の詩」と同じで恋人たちの片方が急逝してしまうわけだが、安易なストーリーにも関わらず、泣けてしまった。基本的には涙もろい。
関空での乗換時間にはラーメンを食べながら両角先生から佐久長聖高校駅伝部についていろいろうかがう。日本一をめざす学校はやはりきびしさが違う。感心することばかり。生活面、勉強面、親への気配りも半端ではない。今度陸上部の新寮が完成して入寮式が行われたとのことだが、駅伝に集中できるようになる反面、勉強に力を注いだり他のスポーツで全国をめざしたりする同級生たちと生活の場が離れてしまうのももったいないなと感じた。
僕も同じく陸上部の監督として、あまりにも競技レベルや部の目標が違うとはいえ、このままでいいのだろうかと反省させられた。自主性を重んじるという言えば聞こえはいいが・・・。

2009年3月30日月曜日

田舎にやってきた世界大会〜世界クロカン感想

コンパクトな大会で面白かった、というのが初めて世界クロカンを観戦した感想。
まるで田舎町に巡回してきたサーカスみたいである。
さびれかけた田舎のゴルフ場の何の変哲もない林道みたいなダートコースに仕切りをし、看板を立て、観客を動員し、曲芸飛行機を飛ばし、場内放送をがんがん鳴らして一場の夢をつくる・・・そんな感じだ。
わずか2時間の間に、ジュニア・シニアの男女の4レースをやってしまうのだから、見る方は間を持てあますことがない。


ジュニア女子ではまだアフリカ選手などは少女の面影で、仲間意識が強いのかチーム6人がつるんで同じ行動をしようとする。20分前にもうレースウェアになって、寒そうにみんなで並んでジョグをしたりその場で足踏みしたりしている。幼い。
日本ジュニア選手はその点競技者としては一日の長があるようだ。
1周目はスローペースで日本選手が先頭に立つ場面などもあったが、2周目からは温まったエチオピア・ケニア勢がぐんぐん駆け下り、引き離されてしまった。それでも第2グループで粘った選手が多かった結果、見事に団体3位を獲得することができた(写真)。ジュニア女子だけを送り込んできたロシアは、同宿のホテルでは冷血美人風でツンとしていて強いのかと思ったら、全然ダメだった。痛快。

ジュニア男子も最初はスローペース。果敢に先頭を引っ張る福士選手だったが(写真)、途中シューズが脱げるアクシデントがあり、残念ながら失速してしまった。エースの村澤君はさすが前半はしっかり外国勢と張り合えたが、後半は苦しかったようだ。アフリカ勢だけでなくアメリカ、オーストラリアなどの非黒人のトップクラスにも後塵を拝してしまう。

シニア女子は清水選手が一人20位以内をキープする好調な走りで外国勢と張り合い、応援のし甲斐があった。スパイクを選択しなかったのがよかったのかな。
シニア男子はやはりケニア、エチオピア、エリトリアが本気で臨んでくるから日本はなかなか歯が立たない。その次のグループにモロッコ、ウガンダ、カタールが来る。欧州勢がことごとく目立たない中、スペインだけはやたらと強かったのが印象的。クロスカントリーという言葉で想起される北欧諸国などは出場さえしていない。同一国から6人も出るだけに、トラック長距離種目以上にアフリカ選手が目立つわけである。
ビリの方は、シリア、エジプト、ヨルダン、アゼルバイジャンなどの近隣の選手が頑張って走っている。どの種目も競技レベルはトップからビリクラスまであまりに幅広く、日本選手同士の実力差が相対的に非常に小さいために、日本選手は中盤に固まってゴールしてくることになる。

気温は10℃ちょっとだっただろうか。丘を吹き下ろす風は冷たくて、ウインドブレーカーの上に着込んだコートを脱ぐことはできなかった。
日本の女子選手たちなどは手袋やアームウォーマーをしていたが、ちなみにそんな気の利いた小道具を身につけていたのは日本選手だけだった。外国選手はそんなもの持ってさえいないと思われる。

夜はアンマン一のメリディアンホテルの豪華なファイナル・バンケットで盛り上がった。おなかいっぱい。

2009年3月29日日曜日

WBC雑感

ちょうど今回の遠征のために羽田空港へ向かう途中でWBCの決勝がクライマックスを迎えていた。東武東上線も山手線もワンセグ携帯を両手で構える人が一両に4人ずつくらいはいただろうか。
携帯ラジオでTVの音声を聞きながら、時々その人たちの携帯画面をのぞき込ませていただいた。画面の方が1~2秒遅れるので、9回裏に同点打を浴びたときも、10回表にイチローの勝ち越し打が出たときも、僕の方が先にそれを知るのだが、携帯の持ち主に敬意を表して、すぐには態度に表さず彼らが天を仰いだり拳を握りしめたりするのを微笑みながら眺めることにした。
それにしても日本人は野球が好きだなあ。特にこれで負けたらおしまい、のトーナメント戦が。今回のWBCについては、そもそも大リーグのアジア進出の下心が見え見えだったり、韓国と何度も対戦したり、アメリカでは全く人々の関心に上っていなかったりといろいろ水をさすような報道がなされていたので、僕も当初はほとんど興味をいだいていなかった。しかし、ここで負ければ最後、の試合となるにつれて気にしないわけにはいかなくなってきた。
アジアラウンドで勝ち抜くといいよいよアメリカ本国に渡って新たな敵と戦うという旅を絡めた成長物語の構成が、なんともくすぐる。
案外いいねえ、WBC。
でも、日本代表チームについて気になることを一つ。選手構成はまるで「パリーグ+メジャーの連合軍」だ。岩村は出身こそセリーグだが今はメジャー。小笠原も元々はパの選手。純セのレギュラークラスは内川くらいか。投手も肝心なところは岩隈、松坂だし、中継ぎ・抑えも杉内、ダルビッシュとほとんどセは無視状態。タイガースファンの僕としては、2点リードの10回裏はいよいよ藤川だろう、と思ったのだが・・・。藤川の心中いかばかりか。

野球が盛り上がったところで、とてもとても残念なことに今年はこのヨルダン遠征に来ているせいで恒例の大学産婦人科野球大会第1日に出場できない。3月の最終日曜に野球が組まれるとは予想してなかった・・・・。というわけで、今年は残留メンバーでなんとか2回戦を勝ち抜き、4月の準決勝・決勝ラウンドへ駒を進めてほしい。

2009年3月28日土曜日

時のかさなり


アンマンまでの途中で一気に読んでしまったのがこの本。以前、ストリームのブックレビューでトヨザキ社長が熱をこめて紹介していて、アマゾンで即購入していたもの。今回の長旅に満を持して持参した。
全体は4章に分かれていて、2004年カリフォルニアに住む6歳のソルの独白、1982年レバノン戦争さなかのハイファに移り住むランダル(ソルの父)の独白、1962年トロントで祖父母に育てられる少女セイディ(ランダルの母)の独白、最後に1944年ナチス統制下のミュンヘンに住むクリスティーナ(セイディの母)の独白、から成る。4世代の6歳の少年少女を通して遡りながら語られる一族の60年の物語の中から、響き合い絡まり合いながら明らかにされる真実があった・・・という内容。
たまたまヨルダンの隣のイスラエルも舞台になっており、ベストタイミングだった。圧倒されて読了した後、前の章に戻っていくつもの伏線を確認したくなる小説というのは貴重である。
ナンシー・ヒューストン著、新潮クレストブックスから出ている。おすすめ。

さてそのTBSラジオのストリーム。ランニング時のお供に欠かさずpodcastを聴いていたのだが、今週で放送終了。昨日最終回をダウンロードした。「コラムの花道」や「週刊ブックレビュー」など新鮮な知的刺激をいただいていただけに、放送終了は残念至極。

2009年3月27日金曜日

世界クロカン〜競技会前日

今日から突然ヨルダンではサマータイムに変更。時計を1時間早めた。
なので昨日は明るかった朝6時が今日はまだ夜明け前。6時からホテルの周りを30分jogした。ホテルの裏手の丘の上は高級住宅街が並ぶ。ところどころの豪邸の前には怖そうな歩哨が立っていて、じろっとこちらを睨む。
高級住宅街といってもところどころ例によって瓦礫の散らばる空き地があったりして、パレスチナなんかの風景と基本的には同一仕様であるから、銃声や爆発に相性がいい風景。というわけで少々怖い。


午前中は本番のクロスカントリーコースとなるゴルフ場へ下見へ。市街地からバスで20分以上かかる。ゴルフ場というから芝生が敷き詰められた別世界かと思いきや、ヨルダンに来て以来見慣れた石ごつごつの荒れ地そのもである。その外周を取り巻くように設定されたダートコースが今回のクロカンの舞台となる。
スタートの直線がいきなり200m登りなのに驚いたが、ラストも300m一気に標高15m以上登る。その前を含めると700m登りっぱなしで、標高差40m。
トレイルレース並みのなかなかハードなコース設定である。


路面も小石混じりの粘土質ダートが主体だが、砂利道がローラー車で圧舗装されている途中だったり、ラスト100mだけ足をとられそうな深い芝だったり、なかなか難しい。ダートは案外滑りにくいので、小石の多さを考えると、スパイクではなくてマラソンシューズという選択もあるという話を選手やコーチとした。
海外のアシックスカタログなどを見るとXCシューズ(クロカン用)が何点か必ず乗載っていて、スパイクシューズに近い足型だがスパイクではなく不整地をとらえやすいソールパターンの軽量シューズである。
残念ながら日本には「クロカン用シューズ」というジャンルがないので、こういうときにスパイクでなければじゃあマラソンシューズかということになってしまう。マラソンシューズのソールパターンは当然ロードで威力を発揮するものだから、ベストフィットというわけにはいかないのだ。
案外アシックスの今年のゲルFUJIなどがこういうときにいいのでは?

この2kmコースを、各国選手に混じって5周、10km走った。昨日の公園での練習クロカンコースとは比べものにならないくらい疲れた。ラストの700mを本気で走ると、脈拍が簡単に180を越えそうである。明日、アフリカ人たちがここをどのように軽々とこなすかが見物だ。

2009年3月26日木曜日

アンマン到着




昨夕アンマンに着いた。ドーハとさして緯度は変わらないが、標高1000mだけあって圧倒的に涼しくて爽やかである。空港から市街地へのバスの中からは、キリストがさまよったような、ごつごつした石がむき出しに点在する荒野が続いた。アンマン市街地は瓦礫なのか工事中なのか、空き地が多い。
ホテルはAl Fanar Palace Hotelという少々古びた中規模ホテル。部屋はこんな感じでなかなか豪華に広い。
夕方から練習場所に指定されている運動公園へバスで移動。2kmほどの細いトレイルが公園内に設定されていてこれがクロカン練習コースになった。シニア女子4選手のjogの後についてここを2周。最後は日が暮れて真っ暗に。


今日は朝からネット接続にtry。ロビーでのみ無線LANが接続可能というが、設定に手間取り朝練参加は断念。まずiPod touchが、つづいてPowerBookが接続に成功。セキュリティの設定を「LEAP」にして最終的にはうまくいった。全くこのあたりの理屈はわからないが・・・。
午前からすでにホテルでのドーピング検査が始まった。
午後は再び運動公園へ。2kmのクロカンコースを7周。終盤はバーレーンの赤いウェアの集団が追ってきたので必死に逃げた。平均キロ4分半を切るという思わぬスピードアップ。朝、昼とポテトやら甘いパンやら食べてばかりでホテルから出なかったので、いい腹ごなしになった。写真は練習の拠点にしたスタジアム。イスラムの雰囲気満点である。

2009年3月25日水曜日

ドーハで乗換中

今、ドーハにいる。「ドーハの悲劇」のドーハ。陸上では一昨年アジア大会があった場所。アンマン行きへのトランジットに7時間もあって、今空港のロビーで無線LANに接続している。
ここまでの12時間の長旅はさすがにしんどかった・・・。映画をSlumdog Millionare、Changelingと話題作を2つも見た。
ストリームのpodcastで町山さんが紹介しているのを聞いて興味を持っていたので、ちょうどよかった。
Slumdog Millionareは字幕無しの原語でしかなくて、聞き取れないセリフも多かったけど、でもクイズ番組にからめた息詰まる展開とラストの大団円に拍手。
これに疲れてChangelingは日本語吹き替えで。これもよかった。見るべき映画、といっていい。1920年代のロスが舞台なのだけど、古い感じがしない。現代にもあてはまるテーマ。子供たちを苦しめるのは本当にいけない。組織・官僚の腐敗、もいずこも同じ。最後に希望が残って少し救われた。見てよかった。
最後に軽く口直しのつもりで「スピード」も見ちゃった。前の2つに比べて軽かった・・・。
飛行機の中ではやっぱりBOSEのノイズキャンセリングホンが威力を発揮する。音質も、遮音性も、耳介の疲れ方も全然違う。値段が張るだけのことはある。

ドーハは暑い。外は25℃を超えて、湿度も高い。軽く調整練習をした選手たちも汗だく。これは半ズボンがいるくらい。
準備の時間がなくてミズノから送られてきた一式をそのままバッグに突っ込んだだけだったので、ハーフパンツとかハーフタイツ、ベストを一つも持ってこなかった・・・。後悔。

2009年3月24日火曜日

世界クロカンへ出発

今日の午後、慌ただしく羽田から出発して、今、乗り継ぎのために関空にいる。あと1時間たらずでドバイ経由のカタール航空で出発である。佐久長聖の両角先生とも久しぶりの再会。さっそく夕食をご一緒した。村澤君の髪の毛も高校を卒業したばかりでまだ伸びていない。
いちばん近い城西大の高橋君の故障欠場は残念である。
この数日、東京マラソンの医務員、4月第一週の日本産科婦人科学会の発表予行準備などとにかく忙しかった。一昨日などは午後8時半に寝て、午後11時半に起きて、病院へ出勤して学会準備。直前にやろうとする方が悪いのだが・・・。
さて、空港の本屋でトレイルラン雑誌と東野圭吾を仕入れて、いよいよ出発。

2009年3月18日水曜日

世界クロカンのウェア

日本チームの海外遠征に帯同すると、協力メーカーから「JAPAN」のロゴの入ったウェア一式が支給される。
シニアチームはミズノ、ジュニアはアシックスと決まっている。シドニー五輪まではシニアもアシックスで、ユニフォームのデザインもおなじみ、白地に赤たすきがけ、日の丸、だったが、ミズノになってから、ネイビーだのイエローだの、どこが日本の色?というようなデザインになってしまっていて、少々がっかりである。
円谷幸吉さんがこんなの日本のユニフォームじゃないと天国から怒っているのではないかと思う。

で、僕がこれまで参加した2回の遠征は両方世界ジュニアだったから、支給されたのは全てアシックス製。クラシックに白と赤のデザインばっかり。にんまりである。
今回の世界クロカンは、シニアとジュニアの混合チームだから、半年前の世界ジュニアで使ったアシックスを持って行けばいいかと思っていたら、どうも役員はシニア扱いのようで、ミズノの担当者からなぜか「すみません」と謝られながら段ボール一箱が送ってきた。
あれ、僕が「アシックス好き」なの知ってたの?

2009年3月16日月曜日

荒川市民マラソン〜前半追い風は難しい

絶好のコンディション!と前々日あたりから急に(自分で勝手に)盛り上がった荒川だったが、さすがは河川敷、意外に風の影響を受け(一応そういう理由にしておく)、2時間52分07秒と、目標の50分突破はならなかった。
そもそも前半から、キロ4分では何となくキツく感じて、20分15秒程度でいった。追い風なのはわかっていたが、後半余裕を残す方が大事かな、と、失速した青梅や千葉マリンを頭に思い描いて、とにかく余裕をもってすすんだ。
15km以降ペースアップしたつもりがそれでも20分01秒。中間点は1時間25分10秒くらい。後半わずかに上げなければいけない。
ところがやはり後半の向かい風はeasyではなかった。なるべく元気そうな人の背中を借りて進むが、自然にペースは落ちる。30km前からは単身飛び出して、ここから「抜きまくり」に入ったがそれでも20分28秒に落ちてしまった。
35km過ぎは徐々に脚も固まり、そんなに落ちたつもりはなかったが21分台。こりゃだめだ、である。
でもみなさんの後半ペースダウンもそれなりに激しく、これでもどんどん抜きまくり。面白いように順位は上がっていく。
大学陸上部の先輩で、同じく50分突破を目指していたはずのK本さんも、完全に止まっていた。声をかけて前に行くが、こちらには積極性に欠けた小狡いペース配分だった自覚があるため、少々気まずい。
結局30km以降で30-40人近く抜かせていただいた気がする。それだけ今日の風はペース配分が難しかったのだろう。

前半追い風だと、楽に貯金をつくれるような気がするが、そんなことはない。脈拍は楽でも、無風でイーブンペースでいくよりは、スピードが出ている分、脚は使っていると考えた方がいい。
これは初回の長野マラソンのように前半に下りがある場合も同じで、一見楽にタイムは稼げるが、そのダメージが必ず後半にくる。結果的には途中でアウトになって、悲しい気持ちでゴールすることが多い。
というわけで、今回は目標こそクリアできなかったが、小狡く、よく言うなら経験にモノをいわせて、ちょうど実力を出し切れるペース配分で走れた、ということになるだろう。実力通りの結果である。ラップタイムは以下の通り。

20:13-20:14-20:21-20:01-20:12-20:19-20:28-21:07-9:20 ネットタイム 2:51:58

2009年3月14日土曜日

明日は荒川市民マラソン

今日の朝のような暴風だと記録は全く望めなくなってしまうが、今回こそは天候の運に恵まれそうだ。明日の予報は、快晴・微風。気温も最低6℃、最高12℃と絶好のマラソン日和。
2年後の別大マラソン出場権確保を狙って、まずはおとなしく2時間50分を目標に入る予定。
確定申告も(初めてe-Taxを使って)やっと今日〆切間際に済ませたし、心も晴れ晴れと走れそう。
サングラス、スーパーヴァームを忘れないようにしなくては・・・。

2009年3月9日月曜日

世界クロカンの日本代表決まる

世界クロカンの日本代表選手が発表された。
シニア男子には城西大の高橋優太君がいる。3年前の世界ジュニアで一緒だったし、その後も通勤ランの途中で朝練している高橋君に出会ったことがあった。何しろ地元である。
ジュニア男子には村澤明伸君・千葉健太君の佐久長聖勢が順当に入ったほか、今冬の駅伝で活躍した埼玉栄の服部翔大君も選ばれている。これも同じ埼玉県。驚くべきは1年生が選出されていること。須磨学園の西池和人君。早生まれだからほとんど中学生だ。
女子の方は直接知っている選手は一人もいないが、しまむらの沼田裕貴さん、熊谷女子高の柴田千歳さんが埼玉県だ。
なんと各部門に全て埼玉の選手がいるのが嬉しい。選手と仲良くなりやすいだろう。
出発は24日でレースは28日。ヨルダンといえばイスラエルの隣国だが、一応エジプトと並んでイスラエルと中立関係にあり、中東でももっとも安定した政情とのこと。安全面の不安はないといえばウソになるが、ヨルダンも世界大会を運営する以上、セキュリティには万全の対策を払うであろう。日本選手団が予定通り派遣されるのに、ドクターが逃げ出すわけにもいかない。

2009年3月6日金曜日

助学の謝恩会


助学(短大専攻科)の謝恩会に志願して出席。例年の遺伝の講義2時間に加えて、今回の学生達には国試対策補講まで手がけたし、もちろん何人かとは病棟実習でも一緒に働いたわけで、親近感はある。しかも19人の卒業生のうち4月から6人が病棟に就職してくると聞いたから、その子たちの写真をとって医局員に報告する義務もある。
学生達は振り袖が多数派だが、僕の方も珍しくスーツ。大学の入学式で着た紺のスーツにしてみた。そんな古いのをまだ着ているなんて自慢にならないのはわかっている。でもほとんど着る機会がなかったし、実際着られるんだもん。
他所の病院に就職していく学生達も、そこにいる産婦人科医や先輩助産婦と「埼玉医大のナンバに教わった」などという話題になる可能性があるわけなので、一生懸命、最後にいい印象を植え付けるべく、にこにこ談笑につとめた。

2009年3月4日水曜日

雪の毛呂山


今朝は薄く雪が積もった。埼玉県中西部にあたる、坂戸から毛呂山のあたりは、冬は相当冷え込む。NHKの天気予報で見る「さいたま市の気温」より最低気温はだいたい3℃から5℃低い。氷点下は当たり前、-5℃くらいのことも時々ある。
フリース手袋、ニット帽子、アンダーアーマー・コールドギアなど、グッズやウェアの進歩にも助けられ、あまり寒さを億劫に思うことはなくなった。寒さに慣れたのかな。
で、気温が低い割には雪は少ない。本格的に積もるのは一年に1回あるかないか。走って通勤するうえではありがたい。この程度の雪でもちょっと珍しいくらい。

2009年3月2日月曜日

ふかやシティマラソン〜大人げなく女子高生と勝負!

荒川2週間前のハーフマラソン。ここのところ後半失速する不甲斐ないレースが続いていたため、今日はとにかくフルマラソンのペース(19分半くらい)で自重して、もしも余力があれば15kmからちょっとペースアップ、という作戦で臨んだ。
この大会、一昨年の第一回に出たときには気温が20℃を越える暑さの中大バテにバテて、確か1時間26分くらいかかった「縁起の悪い」レース。そんなこともあってとにかく自重、自重と思っていたのだが、今日は気温9℃程度で風もほとんどない絶好のレース日和。
ついまわりに引きずられて5kmを19分ちょうどで入ってしまった。
そのあたりで、偶然知り合いの女子高2年生S選手を発見!
高校生がハーフマラソン出場とはなんとチャレンジングな・・・と驚いたが、向こうもおじさんに声をかけられてびっくりしただろう。
いいペースで先に行ってしまったが、圧倒的なスピード差ではなかったので、常に数十メートル先に見え隠れしていた。
10kmまで5kmも19分10秒で、当初の自重予定がもう狂っている。S選手から離されていくのも悔しいので、そのまま突っ走ることにした。
で、10kmからは逆にじわじわと僕の方が詰め始めて、ついに15kmで追いついた。
S選手、息づかいも荒かったのでそのまま下がっていくかと思いきや、さすがは根性あり。また前に出る負けん気を見せてくれた。
お互い意識しながら並走が続き、21kmまで抜きつ抜かれつ。15-20kmは18分42秒に自然にペースアップ。遅れるわけにはいかない。
最後は競技場手前でSさんがラストスパートしたところでその背後につき、ラスト200mで抜き去った。一瞬大腿裏がツリかけたが、そのまま3秒差の勝利。女子高生相手に大人げない・・・のは百も承知です。
おかげで1年ぶりに1時間19分台が出た。ラスト1.195kmも3分50秒でカバーしてしまった。

埼玉医大陸上部からも2人が出場。しかしK主将は去年の鴻巣パンジーに引き続き、2年連続途中棄権・・・情けなし。
試験期間中、練習さぼりすぎ。付添の女子部員がとってくれた写真がこれ。女子高生もちゃんと写っている。
でも、さらにその後にはかぶりもののランナーが・・・。そういえば競技場に入る前に抜いた記憶があるけど、なんだか写真の価値がちょっと下がった気分。