2013年12月14日土曜日

仙台入り〜明日は実業団女子駅伝

 第33回全日本実業団対抗女子駅伝に備えて午後、仙台入り。明日は、日本陸連医事委員会から派遣されるNFRの仕事である。医務活動やドーピング検査が適正になされているかの監査みたいな役割。
仙台に着いたとたん、寒さが関東とは違った。日中が4℃。夕方から雪が舞い始め、明日も降り続く予報。すでに歩道は真っ白になっている。女子長距離ランナーは特に低体脂肪率で自己保温能力に欠けやすいうえ、まだ冬が始まったばかりで低温下のランニングに体が慣れていない。これに風が吹けば、選手にはとても厳しいコンディションになるだろう。各チームとも低温対策に頭を悩ませているに違いない。
手袋、アームウォーマー、帽子、長袖シャツ、ハイソックス程度では足りないかもしれない。キッチン用ビニール手袋や、アウトドア用インナーグローブ、腹を覆うビニール、スポーツ用腹巻き、ホットクリームなど、小物にこだわる市民ランナーの知恵も授けたいところだ。
懇親会では赤いリボンを付ける招待客扱いで恐縮する。実業団連合副会長の大橋 誠五氏(新潟アルビレックスRC)と一般種目採用事情、指導者の報酬問題、クラブ組織運営の工夫、苦労などについて話をした。
実業団連合には企業体単位でないと加盟できないが、この実業団連合組織が自体がもはや時代遅れではないだろうか。多くのスポーツでJリーグに代表されるように企業内運動部からクラブに主役は移りつつある。そもそも実業という名称自体が昭和の響きがする。銀行や生命保険会社が「実業」かと言われると微妙だろう。アルビレックスは実業団加盟に際して「新潟アルビレックスRC」という会社をつくって加盟せざるをえなかったそうだ。佐倉アスリート倶楽部が2社から委託を受けて2チームを駅伝に送り込んでいた異常な状態のときに、「実業団」ルールの改革がなされるチャンスだったように思う。
この駅伝も「クイーンズ駅伝」などとネーミングに凝ってみているが、旧態の実業団対抗の本質は変わらない。ゆくゆくは、クラブチームもOK、大学チームも高校チームもOK、強豪の2軍チームも市町村の代表チームもOKというくらいオープンな大会にならないものか。サッカーの天皇杯・皇后杯みたいなイメージである。


2013年12月8日日曜日

今週末は全国中学駅伝

長男の通う坂戸中女子駅伝チームがなんと埼玉県大会で優勝。全国大会を出場を決めている。

スポーツドクターとしては、駅伝の過熱が中学校にまで及ぶのはよろしくないからテレビ中継などはしないでよろしい、と提言してきているのだが、こうなるとテレビでも何でも見たくなるのが人情。
ところがテレビ朝日系列での放送予定はあるとのことだが、少なくとも生中継はなく、いつのダイジェスト放送かもわからない。ちょっと残念。
それならばいっそのこと山口へ行ってしまえとも思うが、12月15日は全日本実業団女子駅伝の仕事に割り当てられていて、ダメ。

ただし来年からは、中学の女子駅伝選手・指導者向けへの陸連医事委員会アンケートを企画しているので、行くことになるかも。

2013年10月7日月曜日

スポーツドクターになりたい人へ〜とっかかりは競技団体または地元チーム

最近何人かのスポーツドクター希望者から、どのようにスポーツドクターになれるか、尋ねられることがあった。

まずはもちろん各専門科で一人前になること。10年しっかり専門科で勤め上げられれば十分だ。整形外科や内科でなくてはダメか、と訊く人もいるがそんなことはない。産婦人科だって皮膚科だって眼科だって歯科だって、スポーツ分野で必要な科だ。
そのうえで、陸上、テニス、サッカーなどのどれか一つの競技団体に所属するのがよいのでは、とアドバイスしている。学生時代に行っていた競技でもよいし、観戦に興味のある競技でもよい。やはり何らかの競技団体の医事委員会の中で自分の位置を確保するのが、特に(勤務医なり開業なり本職を別に持ちながら)余技としてスポーツドクターを行う場合には得策と思う。
また、地元の特定のチームの手伝いをし、チームドクターを目指す方法もある。これにはそのチームの選手を日頃から診ている、などの素地が必要だろうから簡単にはいかない。また、チームの遠征などへの帯同を求められることもあるだろうし、かなりの時間と労力をチームドクターの仕事に費やすことになる。それなりの覚悟が必要だ。

日本体育協会の公認スポーツドクター資格は、やはり取得しておく方が望ましい。そのためにも、競技団体(または各都道府県体協)の推薦を得ることが必要となっている。
多くの競技団体が「おかかえの」ドクターを確保しておきたいはずなので(主催大会の医務のドクターを集めるのが容易だから)、もともとコネがなくとも、最終的に推薦を得られることの方が多いだろう。
また国体を近々行う県の体協などもドクター確保に積極的なはずだ。問い合わせてみるとよい。

2013年10月6日日曜日

日産婦・女性アスリートのヘルスケア小委員会に招集

女性アスリートの無月経などの婦人科的問題に対応するため、日本産科婦人科学会の中に「女性アスリートのヘルスケア委員会」が設けられた。新聞記事によれば「東京五輪をみすえ」てとのことだが、きっかけはどうあれ、このニッチな領域が日産婦で正面からとりあげられること自体初めてのことだ。
臨床スポーツ医学会の婦人科分科会との整合性をとりつつ、より大規模な調査や仮説の検証ができる機会なので、私もこの委員会活動に力を注ぎたいと思う。
第1回の会議は11月上旬の予定。

2013年9月30日月曜日

第1回市川古道四尾連稜線トレイルラン〜34kmをなめてました(撃沈)

 ハセツネの2週間前に短い距離のレースで、刺激&最終調整を、と目論んで出場した大会(34km)だったが、2つの意味で大きく裏切られた。
1つは、(好天に恵まれたおかげもおおいにあるだろうが)期待以上に素晴らしいコースだったということ。四尾連湖が目の間に現れたときの感動、中盤の走れるトレイルの連続(でも走れない・・・)、最後に市川大門の街並みが眼下に見下ろせるところなど。
 2つ目は、思いの外ハードなコースで、かなりの疲労度・ダメージを残してしまったこと。蛾ヶ岳頂上付近の下りでスリップし両脚を踏ん張った際に両ふくらはぎが痙攣。しばらく座り込んでようやくレースに復帰したが、その後は痙攣との戦い。5km以上の長いロード区間は何とかキロ5分ちょっとでカバーできたが、そこで脚は売り切れ。


終盤は大腿後面もつり、さらに大腿前面(二頭筋)も硬直化し、全く下りがスピードアップできず。抜かれる一方の惨めな気持ちを味わった。
ハセツネ前に強すぎる刺激が入ってしまった。あと2週間で回復できるだろうか。
なお、UTMBの優勝者を真似て購入したザック(CAMELBAKのマラソナーベスト)を初投入したが、ベルトの調整が甘く背中でぶかぶかと踊る始末。初のベスト型ザックを使いこなせず。こちらも調整が必要。

2013年9月27日金曜日

9/28は埼玉女性医療フォーラムで講演(川越)

明日9月28日(土)夕方に、「女性アスリートのために〜婦人科医の役割〜」と題した講演をすることになっている。
市民公開講座とか、トレーナー向けとか、栄養士向けとかにはこういうテーマで話したことはあるけど、おそらく産婦人科医師ばかりを相手に女性スポーツ医学の話をするのは実は始めて。
ぎりぎりまで準備に時間をかけたい。
興味と時間のある方はどうぞ。

ところがこの日は、16時頃まで上尾で関東医科大学対抗陸上競技大会があって、陸上部監督としてはそちらにも顔を出したいところ。忙しいスケジュール。

2013年9月26日木曜日

アキレス腱痛で休養中

ここのところ、どうもアキレス腱の調子が悪くて、走るのを3日休んでいる。
最初に痛めたきっかけは、もう3年ほど前の関東医科大学対抗陸上の1500mオープン。左アキレス腱に激痛が走り、その後の5000mオープンは苦痛に顔をゆがめながら走った記憶がある。久しぶりにスパイクを履いて、キロ3分なんていう日頃走ったことのないスピードで走ったからだろう、と軽く見ていて、実際、その後もアキレス腱は小康状態で3年近く走り続けている。
しかし、徐々に(加齢変化とは思いたくないが)フル・ハーフだけでなく5kmのタイムも落ち始め、これはスピードの低下とスピード練習の不足が原因、と定め、8月から積極的にトラックの練習やレースを入れ始めた。
8月末の1500m記録会では、3年前より10秒以上遅いタイムにショックを受け、さらにまたアキレス腱の調子も悪くなり、奮起して学生と一緒に中距離トレーニングをすると、さらに痛みが増す、という悪循環に陥っている。
痛む場所はアキレス腱そのものではもはやなく、踵骨への付着部。痛みは左>右なのだが、左は中央やや外、右は中央やや内と異なっている、トラックが左回りなのと関連があるとみている。
明後日まで休んだら徐々に始動するつもり。痛みを気にしながらのランニングというのは本当に楽しくないものだ。

写真はとりあえず痛点に磁気治療器具を貼っているところ(左足)。

2013年8月25日日曜日

東医体〜ほろ苦い結果

今年の東医体は弘前で行われた。好成績だった種目、ふるわなかった種目が半々だったといえようか。男子トラック総合5位を獲得した。
男子100の竹内、200の中山と短距離2種目を制したのは立派。竹内は圧勝、中山は辛勝だったが、勝ちは勝ち。200で1年渥美が決勝に進出して7位入賞したのは嬉しい驚きだった。ただし4継は遅れた焦りからかバトンミス。残念だった。マイルも東大や筑波の勢いに飲まれ、5位に終わった。
400の金本は消極的な走りで準決勝落ち。奮起を促したい。長距離エースの轟は本調子でないながら、5000は3位を確保。最低限の役割を果たした。
女子は中島が100Hで嬉しい初優勝。岡部が1500で苦杯をなめた分、3000ではきっちり連覇を果たした。


3000m障害初出場の鹿島田(1年)
100mで2連覇を達成した竹内(3年)
王座奪還ならなかった男子4x100mR
5000m3位入賞の直後に果敢に800mにも出場した轟(3年)

2013年8月24日土曜日

雁坂クリスタルトレイルラン〜肝心の稜線ランではへばっていた

スポーツエイドジャパン主催の新規トレイル大会。外勤当直明けの土曜日にいったん帰宅して車で道の駅みとみまで、十分間に合うスケジュール。1人ずつ時差スタートしていくという形式は、スタート直後に変にあせったり渋滞を生んだりせず、よろしい。気に入った。
遅めにスタートしたこともあって雁坂峠まではゆっくり目に登る。雁坂小屋を経由して、ここからがいよいよ今大会白眉のクリスタルトレイルとなる(途中の水晶山から命名)。
ところが、余裕を持って登ったつもりが案外脚に来ていて、快適にとばせない。
ようやく終盤のなだらかな林道で息を吹き返して追い抜きモードに入り、最後はそれなりにちょうどよく追い込めてゴール。
3時間02分41秒の総合17位(40歳代男子5位)と、まあまあであった。





2013年8月18日日曜日

「女性アスリートは何を乗り越えてきたのか」

先日出版された、読売新聞運動部編「女性アスリートは何を乗り越えてきたのか」(中公新書ラクレ)、お薦めである。
読売新聞の田上記者に私も「女性アスリートと無月経」のテーマで取材を受け、本書20-12ページにとりあげられている。
柔道の暴力問題なども後半に追加され、日本の女性アスリートが直面している医学的・社会的問題が俯瞰できる。
女性アスリート、その指導者、女性アスリートのサポートに携わる方々には特に一読をお勧めしたい。

2013年7月29日月曜日

奥武蔵ウルトラマラソン〜涼しさに助けられて初めての快走

7月に移った奥武蔵ウルトラ。涼しさに助けられて、大幅自己新達成。公式は6:55:18。年代別28位、男子53位、総合55位。
これまで、この77Kウルトラマラソンには後半何回となく泣かされてきたが、距離に負けていたというより暑さに負けていたことがわかった。
それほど今回は快適に走り切れた。5Kごと(押し忘れにより10K、15Kのものもあり)のラップは以下の通り。26:47(182)-51:03(183)-23:39(183)-28:10(180)-82:49(180)-27:51(181)-31:44(166)-51:10(181)-25:42(181)-25:24(183)-26:39(183)-15:20    *(   )内はピッチ数

2013年7月11日木曜日

AERA 7.15号でも安藤美姫選手記事にコメント

最新号のAERAにも安藤美姫選手の記事があって、そこに電話取材でコメントした。こんな記事になっている。



一般的に、出産でトレーニングを中断したり、練習量が減ることで競技力は低下する。妊娠・出産によって体重や体脂肪が増えたり、ホルモンの影響で靭帯が緩んだりするなど体の変化もあり、産後1年ほどは元の体に戻すのは難しいと言われる。
日本陸上競技連盟の医事委員などを務め、女性スポーツ医学に詳しい埼玉医科大学の難波聡医師は、
「一時的に競技力が低下しますが、1年ほどで影響はなくなります。ただ授乳期間中は緊満した乳房を抱え、敏捷性やスピード、ジャンプの高さを競うのは不利で、本格的に競技復帰をするのは難しい面もあります」
ただ、故障さえなければぎりぎり間に合う可能性もあるという。逆にブランクが好影響を与えることもある。慢性疲労やケガからの回復が見込めるからだ。
 怖いのはケガだ。難波医師によると、授乳中は骨密度が低下しやすい上に、出産後に体重を減らそうと食事制限することでカルシウムなどの栄養素が不足し、疲労骨折などを起こしやすい。早くアスリートの体を取り戻そうと、筋力が戻らないうちに無理なトレーニングをすることも多く、ケガをしやすくなるという。
 4月に出産した安藤も5月に練習を再開し、6月のアイスショーで産後2カ月とは信じがたいスリムな体型を披露。急激な減量や無理な練習による体への負担も心配される。


2013年7月6日土曜日

安藤美姫選手について追加〜今度は日テレ

昨日は外勤先に日テレ「シューイチ」の担当者がやってきたので、また安藤選手のことや出産後の競技スポーツ復帰について、話をした。放映は7月7日(日)8時前くらいからとのこと。

出産後の競技復帰の先例として、ラドクリフさん、赤羽さん、小崎さんなどがとりあげられるが、今回の安藤選手とは大きく異なる点が一つある。前者が、出産後にも数年単位で競技生活を息長く続けることを前提に復帰しているのに対して、安藤選手は10ヶ月後に迫った特定の試合(ソチ五輪)だけをターゲットにして、五輪で引退することを前提にしている点だ。ひょっとするとバレーボールの大友選手なども安藤選手型だったのかもしれない。
だからこそ安藤選手は産後の練習再開を急ぐわけだし、悲壮感を湛えつつ勝負試合に類い希なる集中力で臨むという安藤選手のスタイル(美学?)にも合致しているように思われる。
婦人科スポーツドクターである私としてはかねがね、結婚後・出産後に競技生活のピークを迎えるような「ホンモノの成熟した女性アスリート」が日本に増えて欲しいと願っている。だから、できれば安藤選手にも(せっかく産後に復帰するのだから)ソチ五輪で燃え尽きるような競技生活の終わり方ではなく、4年後くらいまでを視野にいれた息の長い活躍をしてほしいと思う。そうしてこそ「(無理しないと)母親業と競技生活は両立できない」というメッセージではなく、「出産後も競技を続けられるんだよ」というメッセージを後輩の女性アスリートたちへ贈ることができるのではないか。
そして、五輪への挑戦がうまくいったにせよ不幸にして失敗に終わったにせよ、妊娠中のトレーニング内容や産褥の復帰プログラムなどをぜひ(後日)公開してほしいものである。これは今後、出産後の競技再開を目指す女性アスリートにとって大いに参考となるはずだから。
というわけで、五輪への挑戦が終了した後の安藤選手の生き方にも注目したいと思う。

2013年7月2日火曜日

TBS取材〜女性アスリートの妊娠・出産とその後の競技復帰について


昨日の安藤選手の出産公表を受けて、さっそくTBSが夕方コメントを求めてやってきた。テレビカメラ付きなので、あわてて髭を剃り直して産婦人科外来でインタビューを受けた。もちろん安藤選手の妊娠経過や五輪までのトレーニング計画については知る立場にないので、一般論だけ。
 以前に比べて、多くの種目で女性アスリートに注目が集まるようになり、アスリート自身も長く競技生活を続けることに意義を見いだしやすくなっている。だから結婚や出産を経ても競技を継続したり復帰したりする女性アスリートが増えてきているのだろう。陸上やマラソンのような個人競技だけでなく、サッカーやバレーボールでも話題になった。
出産をしたからといって競技力が激変するわけではない。もちろん1〜2年のブランクがあるわけだから、一時的には競技力は低下するし、出産後1年くらいはなかなか元のアスリートの体に戻すのは難しいものだ。これは体重、体脂肪などの体組成の面もあるし。単にトレーニング時間を十分捻出できない事情が大きいだろう。また、授乳を継続すれば、緊満した乳房をかかえて敏捷性やスピード、ジャンプの高さを競うのは不利であるし、1〜2時間おきに授乳・搾乳をしなければならないと練習への集中力も損なわれる。また授乳中は骨密度も低下しやすいので、疲労骨折なども起こしやすい。出産後の早期マラソン復帰を企てたラドクリフ選手も、恥骨の疲労骨折で苦労した。だから、なかなか授乳をしながら本格的競技スポーツへの復帰というのは難しい。
また、妊娠中にどれくらいトレーニングを継続できたかも産褥の復帰に影響してくる。当然妊娠後期までトレーニングができているほど、競技力回復が早い。ただトレーニングは休止せざるをえなかったとしても、妊娠中というのは病気療養をしているのと違って、増加した体重による自重負荷や心拍出量の増加によりある種の負荷状態であるので、切迫早産で長期臥床を強いられたのでもない限り、スムーズな回復は見込める。
したがって、もし体型をすばやく競技仕様に戻せて、また犠牲を払って授乳をある程度のところで中止するならば、早期の競技復帰を果たすことはできるかもしれない。1年間のブランクといっても、それが連戦による慢性疲労からの回復、故障の治癒、新たなモチベーションにつながるならば、逆に妊娠前よりも強くなることもありうる。特にブランクによる加齢が不利となりにくい(30代で競技力のピークを迎えるような)持久系種目や技術がモノを言う種目(マラソン、ゴルフなど)にあてはまるだろう。フィギュアスケートでは前例がなく難しい競技だとは思うが、安藤選手はまだ25歳と若いし、元々の能力は素晴らしいので、どこかでやれるか注目だ。
ただし、乳幼児をかかえての競技復帰には、家族やスタッフによるサポートが絶対に必要。合宿や遠征で子供から離れる時間が長くなると、自分の競技ばかり追求していいのかと自問することにもなるだろう。育児そのものに加えてメンタルのサポートも必要になる。
こんなことをとりとめもなく喋った。

7月3日の「ひるおび」の中で、12時40分過ぎのどこかで放映されるとのことだ。

2013年6月10日月曜日

武甲山トレイルラン〜前半温存作戦でもやっぱりへばった

昨年に続き2回目の出場の武甲山トレイルラン27km。①序盤の涼しいがテクニカルなハイキングコース、②武甲山への急登、③武甲山〜小持山〜大持山の稜線アップダウン、④大持山からの激下り、⑤7kmもの長いアスファルト、の5つのパートからなる、27kmとはいえハードなコースだ。
スタート・ゴール地点の羊山公園には、車で65分で到着。ドリンク500mlをウエストホルダーに入れて準備完了。3週間前の医局旅行箱根トレイルで捻挫した左足首と持病の左アキレス腱の痛みがあったため、ウォーミングアップなしでゆっくりレースに入った。そのため序盤渋滞に巻き込まれたり、遅いペースに少々いらいらしたりした反面、脚は温存できた。
武甲山への林道は得意のパート。走りさえすれば歩いている大勢を抜くことができる。登山道に入ってからもおおむね好調だったが、さすがに標高600mから1300mへの急登はどう登ってもきつい。だいぶ余力を使い果たした。
武甲山からの下りは左足首を大事にしながらそっと着地せざるをえなかったため、ゆっくり。再捻挫しては元も子もない。
武甲山以降の大持、小持の細かなアップダウンも少しずつ追い抜きモードでカバーでき、大持山からの激下りはむしろ貯めていた鬱憤を晴らすかのように駆け下りられた。ここでけっこう順位もリカバー。
18キロ過ぎの林道に出てからも、快調にピッチを刻み、4分半/kmで下り続ける。昨年8分もの長居を要したエイドも2杯のドリンクのみでパス。ところがここから徐々に厳しさを増す暑さにやられる。横瀬駅が近づくとともに、ペースが維持できないと悟り、駅のエイドで一休み。ラスト2Kは、奥武蔵ウルトラマラソンなどでバテたときと同様の惨状で、ようやくゴールにたどり着いた。昨年より9分悪いタイムだった。
順位は男子40歳代の部で24位(出走188人中)、男子総合54位(出走513人中)、男女総合55位。常に出走者中、1/10以内を目指しているが、今回は達成できず。
しばらくトレイルのイベントが続くので、脚を慣らしていきたい。

2013年5月23日木曜日

吉田香織選手のドーピング違反処分について

陸上競技関係者には衝撃的なニュースが飛び込んできた。


女子マラソンの吉田が薬物違反=資格停止1年の処分

 日本アンチ・ドーピング機構は23日、昨年12月のホノルル・マラソンで女子4位の吉田香織(31)がドーピング(禁止薬物使用)検査で陽性反応を示し、今年1月18日から1年間の資格停止処分を科したと発表した。レース後の検査で持久力向上の効果があるエリスロポエチン(EPO)が検出された。同マラソンの結果は取り消される。
 吉田は2006年の北海道マラソンで優勝経験を持つ実力者。同機構によると、同選手は昨年11月に貧血治療のため、医師から告知を受けないままEPOを投与された。医師にはドーピング検査を受ける可能性を事前に伝えず、治療に際して禁止薬物の有無を確認していなかったという。同機構は、吉田が競技者としての注意を怠ったと結論づけた。 (時事ドットコム)








EPOは持久系スポーツにおける競技力を直接的に向上させるもっとも有名かつ頻用・濫用されてきた薬物である。自転車ロード競技、長距離走の分野では、ドーピングコントロールの最大のターゲットとなっている。これまで日本の選手で検出されたという報道はなかったはず。それがついに・・・。

JADAのホームページで、今回の規律パネル決定報告が公開されている。それによれば、やはり医師が本人が国際的競技者であることを認識しないままEPOの投与がなされたようだ。しかしどうも腑に落ちない。
日常の貧血診療でEPOが投与されることは稀だ。EPOはただの貧血では使われない。適応症としては「腎性貧血」である。腎疾患が背景にある貧血との診断があって初めて投与される。そのような状態なら、本来高強度の運動は奨められないはず。
吉田選手は平成24年10月21日の第1回千葉アクアラインマラソンで、25℃近い高温の中、2時間32分11秒の好タイムで優勝している。優勝インタビューでは「この調子を横浜国際女子マラソンにつなげて世界選手権代表を狙いたい」と言っていた。
ところが、4週間後、11月18日の横浜国際女子マラソンでは、2時間37分10秒の14位と惨敗している。
問題のEPOは、横浜国際女子マラソンのわずか6日前、11月12日に投与された。今回のケースは、勝負のレースの前に調子が落ち、(おそらく軽度の)貧血が明らかとなって焦る吉田選手側が「レースが近いから早く貧血を治したい」という希望を出し、ドーピングに無知な医師が安易に応じた結果ではないかと思われる。吉田選手も「知らないうちに違反薬物を投与された」一方的な被害者というわけでは決してないのだろう。

なお、医師は「ドーピング検査を受けるような選手」だと知らなかったからEPOを投与してしまった、という記事になっているが、「ドーピング検査を受けるような選手」でなければ投与してもいいかのように読めるこの記事は少々危険である。例え中学生、高校生のランナーに対してでもEPOの投与は違反であるばかりか、多血症状から血栓症を起こす危険性を孕む。また一時的に持久力向上、成績向上が得られるので、レースのたびに薬物に依存する競技者を生むことになってしまう。
高校生にも国体でドーピング検査が課される時代、吉田選手のような国際レベル競技者でなくとも、アスリートであれば誰でもドーピングコントロールには敏感であらねばならない。

2013年4月30日火曜日

「ピルを飲み始めたら、月経が止まらない」

アスリートにピル(経口避妊薬:OC)を処方する場合は、普通(アスリート以外)の患者以上に、副作用は出ないか、体調の異変はないかに気をつかうことになる。これはアスリートが、自分の体の変化やコンディションにより敏感であるためだ。特に試合期ではそうである。
今回、初めてヤーズ®の内服を開始したアスリートから、以下のような質問がきた。

生理が始まった翌日からヤーズを服用し出しました。ところが、いつもなら5日ほどで終わる生理がまだ続いており、量は多くはないのですが、終わるかな?と思ったら、終わらず、1週間になります。これは薬を飲み始めたのと関係があるのでしょうか? 試合が近いので悩んでいます。

確かに、OCの飲み始めの際の月経が「なかなか止まらずだらだら長く続く」という症状は(アスリートに限らず)けっこうな頻度である。
OCの欠点というか特性の一つとして、飲み始めの1〜3周期は内服中の少量不正出血がおこりやすい、というものがある。ヤーズ®は特に含有エチニルエストラジオール量が少ないためか、この不正出血の頻度が高い印象がある。
今回相談された、飲み始めの際の過長月経も「内服開始当初におこりやすい出血」の1種と解釈できる。規則的な内服を続けているうちに数日で止血する場合も多いが、1シート目の内服中は断続的に続いてしまう可能性もある。
それでは困るからと言って、慌ててOCの服用をやめても今の出血がすぱっと止まるというものでもなく、またかえって一時的に出血が増えたり、周期が予測不可能になったりしますので、その他の副作用がないのであれば、継続をおすすめすることになる。
その際、なるべく一日の中で「同じ時間」に内服してもらうよう、再度アスリートに確認をした方がよい。
規則的に服用継続しさえすれば現状の出血以上に量が増えてくることはまずないので、試合があったとしてもさほどコンディションを落とすことなく出場できる。
2シート目、3シート目に入ってもなお不正出血が続く場合には、OCの種類の変更(ヤーズ®以外のもの)を考慮するか、メリット・デメリットを勘案のうえOC服用そのものを見直すことになる。

また、OCを初めて試す場合は、最重要の試合を1ヶ月以内に控えた時期でなく、2〜3ヶ月以上の余裕を持っておいたほうが、こうしたトラブルに深刻に悩まなくてすむだろう。

2013年3月4日月曜日

京都マラソン〜2年連続撃沈


2回目の京都マラソン。後半のコースの厳しさを前回身をもって体験したので、今回は、シューズをいつものターサーでなくゲルフェザーを採用し、5km21分ペースで前半を自重し、後半ペースアップして2時間55分、という目論見を立てた。しかし、実際は・・・。
自重したつもりが、宝ヶ池の激坂で脚の余裕が全くなくなり、あえなく目標は潰えた。3時間05分07秒の大凡走。がっくり。

2013年2月27日水曜日

青梅マラソン〜1時間台に届かず

別大から2週間。久しぶりに青梅マラソン30kmに出場した。
目標は1時間58分、最低ラインは2時間00分と考えていた。
結果は2:01:03(ネットタイム2:00:45)。5Kごとのラップは、20:15-19:39-20:12-19:45-20:34-20:20。
折り返しまではまあ予定通りといえるが、20K以降が伸びなかった。後半抜きまくり、をイメージしていたのだが実現ならず。順位は5K通過時点で335位だったのが、じわじわ上がって268位だからまあ大崩れではないのだが・・・。

別大からたった2週間で疲れが残っていたからだな、と自らを慰めようとしたところが、閉会式会場で出会ったパナソニックの倉林監督から「川内が熊日30キロで宮脇に勝って優勝したよ」との衝撃ニュースが。川内君も2週間前の別大でいったん「使い切って」いるはず。しかも今回1時間29分台の好タイム。2週間前にフルを走ったから、という言い訳を使えなくされてしまった。
ちなみに宮脇君(トヨタ自動車)も10月の世界ハーフ(ブルガリア)遠征をご一緒した日本のエース(でかつ好青年)。フルを走ったばかりの川内君にやられてさぞ悔しがっていることだろう。

なお今回試験的に、レース会場で購入した小型ウエストポーチに、エナジージェル3袋をハイドラパックのソフトフラスクに詰め、21K・26Kで摂取してみた。フルやロングトレイルレースでもあまり積極的にジェルを摂る習慣はないのだが、今回はかなり「効果」を実感した。20K以降ペース維持が厳しくなり「ビルドダウン」でジリ貧になりそうなところ、ペースを持ち直すことができたうえ、ゴール後の「余裕度」が全然違う。元気。
勢いあまって、帰りは最寄りの大混雑中河辺駅利用を避け、6K離れた八高線の金子駅まで走ってしまった。効果抜群といえるが、レースでもっと力を発揮できるよう、摂取タイミングに工夫が必要なようである。
(写真はハリマネさん提供)

2013年2月26日火曜日

ランナーズ4月号と神風

40〜41ページの「別大好きのランナーたちが魅力を語り合う!」という座談会特集に登場。
北西の緩い季節風が吹くときは、前半多少の向かい風を集団の中で我慢すれば、別府から大分方面に海沿いの別大国道を駈けるときに風が後押ししてくれる。特に、前半はほとんど向かい風がなく、レース後半に向けて追い風が強まるときなどは神風と呼ぶべき好条件になる、ということを述べたら、そのまま「神風」という言葉が掲載された。
まさに台風がらみの神風に乗って別大で10年ほど前に快記録を出した大学の先輩が使っていた言葉なので、オリジナリティーは先輩に譲らなければならない。

一昨日の東京マラソンを見ても、あるいは正月の箱根駅伝を見ても、風は記録の出しやすさを大きく左右することがわかる。
東京マラソンはスタート地点からゴールへのベクトルがおおむね北西から南東方向であるので、一昨日のように北風または北西風であれば、多少の向かい風区間はあっても、全体としてのベクトルは追い風になる。ちなみに東京マラソンはこれに加えて公認コース限度いっぱいの下り坂になっているので、記録が出やすいコースなのである。
別大も北西の季節風が吹けば、スタートのうみたまごからゴールの大分市営陸上競技場まで追い風ベクトルになる。というか、それを狙って3年前にコース変更がなされたと思われる。
駅伝のような場合は、一区間が完全に追い風になったり、向かい風になったりすることがある。なかなか破られない驚異の区間記録、というのはだいたい追い風の年に出されているものである。逆に今年の箱根往路は突風に近い南風に完全にペースを押さえ込まれたわけである。


2013年2月9日土曜日

川内選手のトレーニング用シューズ論も独特

アシックス・ターサー30周年記念ページに高橋尚子さんのインタビューが掲載されていて、これを見ていると、「(トップランナーにとっては)ターサーは安全でクッションがあるので、ロングジョグや疲労回復のジョグに最適」という趣旨のことを強調している。じっさい多くの実業団選手が、朝練やジョグ、アップ、移動用にターサー、あるいは他メーカーの同レベルのレーシングシューズを用いている。
この、ロングジョグなどのもっとも「普段使いの」トレーニング用シューズに対する考え方も、川内優輝選手は実業団選手の大多数とは全く違う。川内選手が頻用するトレーニングシューズは、アシックスのGT-2000シリーズである。しかも、ご存知、スーツを着ての通勤ランにも、職場でも使用するから、オールブラックのGT-2000である。彼にとっては極細の白ラインや模様も邪魔らしい。ブルガリア遠征のときも、レース以外の練習は全て黒GTで走っていたし、先日別大のレース後に会った時も足元はやはり黒GTだった。
川内選手曰く、「実業団選手たちは、薄いシューズばかり履いて、それで怪我しているのだから、何の意味もない。GTが自分には一番合っている。これにしてから故障しなくなった。通勤ランもロングジョグもビルドアップもGTでいける。キロ3分半だって可能。」
ちなみに私もこの意見に完全に同感である。ターサーはキロ3分台で走行するのに最適な「レース用」シューズ。ジョグや疲労回復にはもっと「ごつい」シューズを履けばよい。

昨年のブルガリア遠征でのドーピング検査控え室で、川内選手は、たまたま一緒になったアメリカ女子選手(ネルソンだったと思う)と「日本の選手はなんで練習から薄いシューズを履いているのか理解できない!」と意気投合していたのは面白いエピソードだ。川内選手の考え方は、日本の実業団基準からは全くはずれているが、どうやら国際標準のようではある。ちなみに件のネルソン選手は、世界ハーフのレースでターサーを履いていた。
川内選手以外にも、藤原 新選手も最近はGT-2000シリーズを履いているようだ。実業団と一線を画した彼ら2人の競技スタイルは、トレーニング用シューズの選び方にも及んでいるといえる。

2013年2月8日金曜日

出産が女性トップランナーに与える影響


先日の大阪国際女子マラソンで、37歳の小崎まり選手が2時間26分41秒の好タイムで日本人3番手となる4位でフィニッシュした。
小崎選手は一昨年の7月に長男を出産。産褥1年6ヶ月ということになる。
報道によれば、本格的な練習を始めたのはレースの約1ヶ月前。育児や家事で練習量は以前の3分の1に減っており、走り込みはできたが、スピード練習がきちんとできないままの出走だったようだ。それでこのタイムなのだから恐れ入る。
もともとマラソンに関しては「はずさない」選手だったので、マラソンという種目が「手の内に入っていたから」とも言えるだろう。
ただ、本人が、出産後にどのような体の変化を自覚しているのか、出産後のトレーニングの工夫点はどのようなものだったのかには、私も興味がある。

一般的には、特に出産を経たからといって女性の運動能力が大きく変化することは考えられない。少なくとも(加齢変化以上に)低下することはない。
もちろん一時的には、体脂肪がついたり、脚筋力が落ちたり、(授乳の影響で)骨塩量が減少したり、(帝王切開の場合は)創部が痛んだり、(経膣分娩の場合は)骨盤や恥骨が痛んだり、ということはある。しかし、出産から1年程度経過すればほぼそれらの影響はなくなってくるのが普通である。
むしろアスリートにとっては、ブランクによるロスよりも(強制的な)休養期間が生じることにより勤続疲労から回復するというメリットが出ている可能性さえある。
ちなみに、世界記録保持者のポーラ・ラドクリフ選手が出産後の復帰に苦労し、故障がちとなっている理由は、早期の復帰を目指すあまり、授乳による骨塩溶出によるとされる骨密度減少時期に激しいトレーニングを再開したこと、また妊娠中も後期までビルドアップ、傾斜トレッドミルなどの高負荷のトレーニングを行ったことで、「休養によるメリット」もほとんど享受できなかったことにあると個人的には思っている。
日本では赤羽有紀子選手がママさんトップランナーとして活躍しているが、やはり出産後の1年は全く思い通りには走れなかったという。
今後はセカンド・ウインドACの嶋原清子選手が出産からの復帰を目指しているようなので、注目したい。

2013年2月3日日曜日

6回目の別大マラソン〜走力ダウンを突きつける結果

これまでの5回が、
平成20年(37歳)自己ベスト(2時間46分)◎
平成21年(38歳)40キロ関門止め   ×
平成22年(39歳)2時間51分     △
平成23年(40歳)自己3位記録(2時間48分)◎
平成24年(41歳)発熱で3時間10分    ×
と来ているので、今年は可もなく不可もない△の結果かな、と予想していたが、まあそんな感じの結果になってしまった。
2時間55分37秒(約3000名出走中 711位)
ラップは以下の通り。
19:31-20:24-20:24-20:38-20:33-20:44-21:31-22:00-9:50

朝から快晴の別府は、日なたでは汗ばむほどの陽気で微風。急遽、ウェアをランニングシャツ1枚に変更した。
今回は2時間47分のエントリータイムで699番のナンバーカード。スタート直後から、相当頑張っているつもりだが、周囲(600番台、700番台の選手)のスピードになかなかついて行けない。それもそのはず、5キロ通過は予定より40秒速い19分31秒でびっくり。自分のペースに落としたところが、抜かれまくる。現在の「自分のペース」とは残念ながら20分20〜30秒だったよう。15キロ過ぎからはなんとか安定した集団にくっつくことができ、20キロあたりからはじわじわと追い抜きモードに入る。
しかしその調子も30キロまで。ここで一気に疲れを感じてペースダウン。33キロでは一瞬立ち止まるほどの左膝裏痙攣に見舞われた。幸い追い風に助けられて大崩れこそしないで済んだが、40キロすぎからもなんども両ふくらはぎがピクつき、全くラストスパートをかけられず、最低限2時間55分切りとの目標もクリアできなかった。
そんな尻すぼみのゴールだったのでがっかり感ばかり先に立っていた。
しかし、ひそかにライバル視していた大学の先輩や後輩、埼玉医大のお仲間、産婦人科の大先生、トレイルのお仲間立ちも、皆案外苦戦されていたようで、まあそれなりに実力を発揮できたかな、と少し気持ちが前向きになってきた。

レース後は、事前に言われていたランナーズ主催の座談会で、福岡大の田中先生、世界記録保持者の保坂さん、元IH優勝の安池さんらと好き勝手な放談。これは楽しかった。2月号の記事なるようだ。
さらに座談会を行っていた会議室に、見事に大会記録で優勝した川内優輝君が登場!ぶら下がり会見のためだったが、僕も田中先生も保坂さんも皆川内君とは知り合いで、川内君の方も興奮。嬉しい記念撮影ができてさらに気持ちは前向きに。
次は青梅マラソンを経て、京都マラソンの予定。

2013年2月2日土曜日

明日は別大マラソン〜大分で講演会に参加

さて、いよいよ明日は年間の最大目標レースである別府大分毎日マラソン。昨年のように直前で体調を崩すこともなく、まずまずのコンディションが維持できた。今日の別府は春の暖かさ。さすがにマラソンには暑すぎる陽気だったが、明日は気温は下がってくれる見込みで、風さえ強くなければ(ほどよい北西の季節風くらいがベストだが)完璧だ。

今日は受付の後、急遽大分西高校へ行って、西別府病院スポーツ医学センターと大分陸協共催の講演会に行ってきた。講師は順天堂の鯉川なつえさん。監督業に加えて、女子長距離選手の無月経や貧血などの医学的問題についても活発に発言しておられるので、これまでにも学会のシンポジウムや研究会で何度もご一緒したことがある。
今日はメインの聴衆が、高校の陸上部員やその指導者・保護者だったということで、啓蒙的な話がほとんどだった。こうした講演会を主催するなど、啓蒙活動を頻繁に行っておられる西別府病院の松田貴雄先生(産婦人科)には本当に敬意を表する。
いくつか鯉川さんと議論したい内容もあったが、また今度ということで。簡単にまとめると、「若年女子選手が長距離走で結果を追い求めるのと、女性として健康を追い求めるのとでは相容れないのでないか」という相克が浮かび上がったといえる。鯉川さん自身も、女性競技者の健康維持という立場と監督として速く走らせなければならない立場の間で、微妙なバランスをとらざるをえないようである。


2013年1月20日日曜日

都道府県対抗男子駅伝感想


今日は千葉マリンマラソン(ハーフ)に出場。そのレポートは後回しにして、帰宅後録画してあった都道府県対抗男子駅伝をチェック。存外、楽しめた。

面白かったポイントをあげておく。
①埼玉医大の総合診療内科秘書の息子さんが埼玉の2区で出場して7人抜き(17→10位。体は細くて小さいのに、頑張った。
②上野君(東京)の猛追。1分15秒差から終盤ぐんぐん詰まり、最後は5秒差。テレビカメラが油断してゴールテープを切る北村君しか映していなかった斜め後ろで渾身のラストスパートしていた。宗さんも「もうあきらめたか」みたいな発言をしていたけど、とんでもなかった。S&B所属としてのラストレースかな?意地を見た。
③で、当然上野君が区間賞かと思ったら、なんと日体大3年、佐久長聖の後輩矢野君(長野)が4秒差で上野君を抑えて区間賞。箱根では9区で区間2位だった選手。これには驚いた。都大路を走っていなかった選手。こういう選手が大学後半学年で頑張るのは両角先生の力だと思う。なにしろ今日は勝った他のアンカーたちの顔ぶれが凄い。
④その矢野君はゴール直前、鎧坂君(広島)をかわすも、鎧坂君も火が付いて負けじと直前で抜き返す。もっと早く気付けよ。ゴールまで20m近くあってよかったね。
⑤埼玉のもう一人の中学生斉藤君が6区で区間賞!お見事。一気に5位まで上がって上位進出の足がかり。埼玉県民としては楽しめた。
⑥斉藤君を引き継いだ6区設楽啓太君も実業団選手に全くひけをとらない、軽い走り。埼玉県チームに思い入れがあるというコメントがいい。埼玉県のユニフォームに合わせて、緑のマラソンシューズにしていたの、こだわりに気づいたよ(ちなみに箱根では白×紺のシューズ)。
⑦兵庫の4区区間賞の秋山君。区間2位に20秒差をつけ、愛知や東京を一気に1分近く離した優勝の立役者だが、インタビューのコメントがあまりに「残念な感じ」だったのは愛嬌ということで。
⑧インタビューへの受け答えが立派だったのは、2区区間賞の中学生新迫君(広島)。総じてNHKの各所のインタビューワーはいい仕事していた。

2013年1月8日火曜日

ランニング時の低体温

今年の箱根駅伝5区で2人の選手がリタイアという異常事態があった。
実際、選手の事前の体調はどうだったか。どの地点から「おかしく」なったのか、など医学的な総括が学連の医事よりなされることを期待したいが、気象条件が問題であったことは間違いない。
前代未聞の強風が関東を吹き荒れ、箱根山中では低温+強風が選手を苦しめた。リタイアの理由は「低体温症」+「脱水」ということになっている。「脱水」の方は、調子よくゴールした選手であっても血液を採取すれば脱水気味に決まっているので、必ずしもリタイアした選手に限らない。あまり意味があるとは思われない。問題は低体温症の方である。
ランニング中にそもそも低温になることがあるのか。
通常、調子良く走っている間は低体温にはならない。筋肉で糖や脂肪などのエネルギー源を「燃焼」させながら走るからで、筋温は上昇する。
しかし、ペースダウンして「内燃機関」の活動が低下したときや、いわゆる「ガス欠」で燃焼させるエネルギーが枯渇したときは、もはや筋温の上昇はできなくなり、外気温によっては低体温になり得る
今回の箱根駅伝でも登りの間は(頑張らないと登れないので)低体温とはならなかったが、登りでエネルギーを使い果たし、最高点を過ぎてもっとも強風低温にさらされたところで、さらに下りにかかったため登りのときほど筋活動が必要なくなり筋温が低下するのと共に、倒れている
筋温が低下し始めると、もはや脚は動かなくなり、体温が維持できなくなり、「低体温症」へまっしぐらである。山の遭難事故と同様の事態であり、トムラウシでの大量遭難などが思い出される。長袖シャツに手袋、程度のウェアリングでは到底体温の維持は難しく、外部からの保温なしでの自力での回復は不可能であろう。今回両校の監督がただちに棄権を決意したのは英断であったと思われる。
こうした事態を防ぐためにウェアリングに工夫の余地はなかっただろうか。エリートロードランナーには馴染みのないスタイルではあるが、ここはトレイルランナーの知恵を借用したい。上衣には保温アンダー+ソフトシェル(最初は腰巻きスタイルでもよい)、下はロングタイツまたは「ハーフタイツ+ハイソックス」、さらにネックウォーマーにビーニーがあれば、だいぶ違ったのではないか。
さらには途中可能となった給水において、魔法瓶を用意しておいて加温した熱い飲料を手渡すという技もありえた。
もしも再びこのような過酷な気象条件となることがあるかもしれない。その場合は決して危険な低体温症によるリタイア者を出さないよう、各大学が工夫を見せてくれるに違いない。