2012年12月15日土曜日

午後から仙台へ〜明日は実業団女子駅伝

当直明けで、浦和から新宿へ。10時から15時まで缶詰になって日産婦理事会。幹事はまあ傍聴人兼記録係みたいなもので、発言が求められるわけでもなく、かなり我慢が強いられる。ただ、今回は母体血を用いた胎児染色体診断に対する指針についての議論の行方を注視していたので、かなり当事者意識をもって臨めたから、まあよい。

その後は、明日のNFRの仕事に備えて仙台へ。
18時からの宿泊ホテルでの懇親会にかろうじて間に合い、立派な夕食にありつけた。ただ懇親会と言っても、選手やチームスタッフがいるわけでもなく、テレビ局、新聞社、地元陸協などの「おじさん」がほとんど。唯一の「知り合い」は尾縣 貢専務理事のみ。
2006年の北京世界ジュニアでホテルから一緒に競技場まで走りましたね、と話しかけたら覚えていてくれた。引退後の実業団女子長距離選手がほとんど1年以内に無月経から回復している、というアンケート研究の結果も報告した。あと、JISS受診希望の選手に対する陸連からの推薦基準が厳しすぎないかというお話しもさせていただいた。JISSの側もキャパシティがあって、診察するドクターの側も了解していて、多くの症例を積み重ねることでわかってくることもあるので、あまり絞らない方が・・・といった注文。実業団のレギュラークラス、大学のインカレ入賞クラスは許可してほしい。もちろんJISS以外の医療機関で受診してもらえばいいと言われてしまえばそれまでだが、特に無月経の選手で骨密度を測定したい場合、特にJISSは便利なのである。

2012年12月10日月曜日

小川和紙マラソン〜前半はうまく走ったが・・・

小川和紙のハーフには今回で4度目の出場。過去の自分との対戦に拘るようになっているので、過去3回のラップタイムとゴールタイムをちゃんと調べ上げてからレースに臨んだ。

2005 1:21:01(ラップタイム不明)
2009 1:21:42(19:36-20:20-18:57-19:16-3:51)
2011 1:23:24(19:30-20:45-19:32-19:32-4:07)


で、今回の結果は1:21:59(19:26-20:03-19:17-4:09)。最悪だった昨年は上回ったが、ぱっとしないタイムである。11kmを過ぎて下り基調になったところで、それ行けとばかりに少々とばしすぎたキライがあり、15kmすぎにめっきり伸びなくなってしまった。15kmまでに100m差を追いついたランさんにぴったり付かれ、19kmすぎに離される始末。
これで偶然にも川越、小川と2レース続けてランさんの次にゴールということになった。
さすがに4週連続レースで、疲労がたまってきていたということだろう。そうだ、そうに違いない。

埼玉医大1年の西井君はハーフ2レース目にして1時間20分突破。川越の反省を生かした堅実なペースメークが奏功したようだ。

写真は、左から優勝(2連覇)の轟君(2年)、僕、矢野君(OB)、西井君(1年)。

2012年12月8日土曜日

女性スポーツ医学研究会〜発育曲線に注目せよ

今日は年に一度の女性スポーツ医学研究会。今年から幹事に推挙していただいたこともあり、2年振りに参加してきた。
一番興味深かったのは松田 貴雄先生(西別府病院スポーツ医学センター長)の「運動性無月経の治療」と題した教育講演。以前よりうかがっていた「女性の骨量獲得には、身長スパートから1〜2年間がもっとも重要な時期」「この時期に体重がきちんと増えることで骨量が獲得される」というお話をまとまったかたちで聴くことができた。
成長曲線上にきっちり身長・体重をプロットしていくと、若年性骨粗鬆症に陥る無月経運動選手が「思春期の骨量の増えるべき時期に体重も骨量も増やせていない」状況が浮かび上がる。
したがって「20歳頃になって、無月経も長期化して骨粗鬆症も完成してしまってからではもはや遅い、思春期の栄養摂取、適切な体重増加が重要だ」というメッセージはインパクトをもって伝わった。
ただ、では競技特性上、思春期の体重増加が制限されてしまうような競技(長距離走、新体操など)ではどのように折り合いをつけていけばいいのか。
また「無月経と骨粗鬆症ができあがってしまった」選手にはどう対応すればいいのか。このあたりはまだ今後の課題である。
ホルモン補充療法と、摂取カロリー増量と、カルシウムの摂取促進で、果たしてどこまで骨量は回復するのか。米国スポーツ医学会などはホルモン補充療法の効果に否定的な見方をしているようだが、必ずしもそうではあるまい。まだ研究しなければならないことは多く残っている。
とりあえずは、ジュニアスポーツ選手には小学校時代だけでなく、その後も身長・体重を成長曲線上にプロットしていくことを勧めていきたい。

2012年12月7日金曜日

Bose SIE2i スポーツヘッドフォン使用感

 毎日の通勤ランの際には、iPhoneとイヤフォンが欠かせない。僕にとってランニング時のイヤフォンに求めたい条件は、以下のようなものだ。
①装着が手早くできること
②走行中にはずれにくいこと
③通話マイク・音量調整ボタンが付いていること
④防水・防汗であること
⑤コードの長さが適切であること
⑥できれば音質がいいこと
⑦遮音しすぎないこと
なかなかこれらを全て満たすイヤフォンが見つからない。
アップルの純正イヤフォンは(スピーカー部のカバーをつければ)④以外は合格なのだが、なにしろ汗に弱く、夏場に装着するとすぐ故障する。すでに5本はダメにしている。
audio-technicaのATH-CP500は、②③④はいいのだが①が問題。朝の忙しいときにぐるっと耳介を回して首の後ろに通してという作業が面倒である。⑥の音質も、満足できない。

SONYのMDR-AS35Wも試したが、頭の上をぐるっと回すスタイルが気に入らず、要するにキャップやビーニー、サングラス装着時に併用しにくいため、お蔵入り。
Klipsch IMAGE S5Iがベストかと思われたが、⑦の遮音性が高すぎ、路上で走るには近づいてくる車の音が聞こえずあまりに危険なため、ランニング用にはダメ。
Boseの最初に出たインイヤータイプのイヤフォン(MIE2だったか?)も以前、一時愛用したが、当時はちょんと耳の端っこにのっけるだけのイヤーピースだったこともあり、②のはずれやすさが問題で、冬場のビーニー着用時のみ耳をイヤフォンごとおさえつけて使用していた。ただし間もなく断線して片耳が聞こえなくなってしまった。音質がたいへんよかっただけに残念だった。
さて、そのBoseからスポーツ用として初めて発売されたのがこのSIE2i。期待度高く、ただちに購入。この1ヶ月装着しているが、なかなかの満足である。耳介内にすっぽりおさまるタイプのイヤーピースは以前のようなはずれやすさがなく、走行中も問題なし。①〜⑦全てをクリアしているといってよい。ただし⑥の音質だが、Boseの(定評ある)重低音強化を期待していると、やや違うといっていい。最初にBoseのイヤフォンを聴いたときにはその豊かな低音域に感動したものだが、その感動は再現できない。もっとも走行中は音楽よりもラジオのPodcastを聴くことがほとんどになっているので、あまり音質にはこだわらないから、実際上はあまり問題にはならない。
他社のスポーツ用イヤフォンに比べて高額なので、それだけの価値があるかどうかが微妙なところだが、少なくとも現時点で僕にとっては最高点のイヤフォンとなっている。

2012年12月2日日曜日

黒山鎌北駅伝〜走るたびにタイムが落ちていく・・・

大学の真ん前を通る、正真正銘の地元レース、黒山鎌北駅伝。昨年こそ福岡国際マラソンのNFRの仕事で出走できなかったが(代わりに九州で基山ロードレースを走って遠来賞を貰った)、今年は医大職員チームを3年振りに結成して、再び最長区間の5区5kmを走った。5区は標高差にして53mを登って折り返して同じ道を降りてくるという往復コース。当然後半の方が速くなる。これまで5区に出走した3回は徐々にタイムを落としていた。

2007年 18分21秒(前後半タイム不明)
2009年 18分38秒(9:38-9:00)
2010年 18分57秒(9:45-9:12)

そして今年。
2012年 19分05秒(9:50-9:15)
ついに19分台に落ちたと解釈すべきか、20秒ずつ遅くなっていた落ち幅を8秒にとどめたと解釈すべきか・・・。加齢退行恐るべし。
先週の川越ハーフがなまじ調子よく走れただけにショックである。2チーム結成した陸上部の部員にも1分差、24秒差をつけられて勝負にならず・・・。58チーム中区間23位というのも寂しい。

写真はゴールの越生町役場に集合した医大職員チームのメンバー。ちなみに僕の右隣は先月号のランナーズや岩本能史さんのウルトラ本でおなじみとなった国際医療センター外科の佐藤 弘先生。

2012年11月25日日曜日

小江戸川越〜久しぶりの快走

40代になると、ランニング歴の若い場合は例外だが、「昨年の自分より速く走れる」ことが嬉しいものである。したがってレース出場の目標は常に昨年の記録である。
今日の小江戸川越マラソン(ハーフ)も昨年の記録(1時間22分42秒)を上回ること、できれば1時間21分台を、そのためには5キロごとのラップを19分30秒で揃えたいと目論んで臨んだ。
会場の川越水上公園は、どの東上線の駅からも遠いイメージで、Googleマップも約3キロと示していたが、実際には霞ヶ関駅からわずかに2キロ走って着いてしまった。入間川の橋を渡った後、すぐ川沿いのサイクリングコースを進むのがポイント。
埼玉医大1年生の西井君と合流してナンバーカードを付けたりしているうちにすぐスタート時刻がやってきた。このレースはきっちり持ちタイムに応じてゾーン分けがされているのがいい。
最初の5キロはとにかく早くなりすぎないようにとGarminをちょくちょく確かめながら予定通り19分40秒程度で通過。1キロごとの表示箇所がいい加減なレースもあるし、自分の好きなタイミングでペースを確認できるのがGPSウォッチのいいところだ。
ペースの安定した5キロ以降はレースの流れに乗って自然なペースアップ。冷涼な気候ながら寒すぎず、快晴無風の絶好のコンディション。蔵造りの街並み、氷川神社と見所を楽しむ余裕があった。
5-10キロは19分台前半にアップ。10キロ過ぎは着いていく相手がいなくなり、いよいよ自分の余力を見積もりながら巡航速度を調整しなければならない単独走に入る。川越のハーフコースは中盤以降、橋の上り下りや曲がり角や折り返しが増え、余力がないとそのたびにリズムを崩してペースダウンしていくことになる。しかし昨年一度コースを経験している強みで、そこは余裕をもってクリアしていけた。10-15キロはわずかに18分台に入る好ラップ。欲が出て、1時間21分を切りたくなってくる。
15キロ以降はさすがにきつくなってきたが、ぽつぽつと前を行く選手をとらえることで、ペースダウンを最小限にとどめることができた。20キロ通過が1時間16分52秒。20分台はギリギリだ。ラストはそれなりにもがいて、1時間20分58秒でフィニッシュラインを駆け抜けることができた。
ラップは、19:38-19:15-18:55-19:04-4:04 だった。
5000m17分ちょうどのタイムを持つ2年生の西井君は最初の5キロを18分台前半でオーバーペースだったのが祟り、後半がた落ちだったとのこと。わずか45秒ほど前のゴールだった。しかしなにしろハーフ初戦。走り方を覚えればすぐに77分台までいくだろう。



 結果の表示を見ると、なぜか「40歳代の部」ではなく20-30歳代に混じって「一般の部」で順位が着いている。自分だけかと思ってみると、もう一人77分台で走った47歳の選手も。この記録は40歳代の部なら10位までの6位相当だけど?
ちなみに僕は40歳代なら13位に相当するので、10位までの表彰対象には入っていなかった。
 レース後は西井君と3キロほどダウンjog。職場の後輩がゴールしたところをやっと帰り際に見つけることができた。皆、昨年より大幅にタイムアップ。やはり今日は走るには絶好のコンディションだったということのようだ。

2012年11月2日金曜日

明日から臨床スポーツ医学会&東日本実業団駅伝

明日(11月3日)から新横浜プリンスホテルで第23回臨床スポーツ医学会が行われる。自分の出番は、明日午後のパネルディスカッション「女性アスリート3主徴の解決策を検証する」のみ。3主徴とは摂食障害、無月経、骨粗鬆症を指し、特に女子長距離ランナーの陥りやすい医学的大問題で、効果的な解決策が提唱されているとはいえない。だからこそこうして学会の1テーマになる。
明日は婦人科医として「無月経への対策」を紹介するが、さてその対策への「検証」まで踏み込めるか。
単に心理学、栄養士、婦人科医、整形外科医がそれぞれの立場から3主徴のうち1つずつへの対策私案を述べ合ったり、フロアの参加者を啓蒙するだけではつまらない。新たな方向性を見いだす場になればいいと願っている。

もう一つ気になる企画が11月4日の朝に行われるシンポジウム「ランニングブームを検証する」(また「検証」だ)。一市民ランナーとしても参加しないわけにはいかない。ただ、ランニング障害、シューズの変遷、循環器障害、強度管理などあまりにテーマが多岐に渡るので、方向が拡散してしまい物足りない議論とならないかが心配。

ちなみに明日は'12彩の国 実業団駅伝(東日本の男女実業団駅伝)が行われる。男子のスタートは、今現在当直しているここからわずか100mほどの埼玉県庁で朝8時。新横浜へ向かう前にちょっと観戦&激励に寄るつもり。

2012年10月7日日曜日

世界ハーフ〜女子が団体3位のメダル獲得

 昨日がレース当日だった。
寂しいカバルナの町が急遽飾り立てられて、少なくともスタートフィニッシュ付近は世界大会の雰囲気が(無理矢理)作り出されていたという感じ。

女子の結果は以下の通り。上位6名のアフリカ勢とは大きな差がついてしまったが、その次の地位は確保した。団体銅メダル。

1 23 Meseret Hailu ETH 1:08:55 (PB)
2 24 Feyse Tadese ETH 1:08:56 (SB)
3 41 Paskalia Chepkorir Kipkoech KEN 1:09:04 .
4 38 Lydia Cheromei KEN 1:09:13 .
5 21 Emebt Etea ETH 1:10:01 (PB)
6 40 Pauline Njeri Kahenya KEN 1:10:22 .
7 29 Gemma Steel GBR 1:11:09 (PB)
8 36 Tomomi Tanaka JPN 1:11:09 .
9 32 Mai Ito JPN 1:11:25 .
10 27 Caryl Jones GBR 1:11:52 (PB)
11 30 Sabrina Mockenhaupt GER 1:12:04 (SB)
12 33 Asami Kato JPN 1:12:11 .
13 65 Maegan Krifchin USA 1:12:29 .
14 1 Lara Tamsett AUS 1:12:58 (SB)
15 34 Yoko Miyauchi JPN 1:13:00 .
16 54 René Kalmer RSA 1:13:16 .
17 22 Derbe Godana ETH 1:13:16 (PB)
18 66 Adriana Nelson USA 1:13:30 (SB)
19 35 Kayo Sugihara JPN 1:13:36

一方、男子は以下の通り。大幅に省略させていただく。団体は9位。

1 190 Zersenay Tadese ERI 1:00:19 .
2 199 Deressa Chimsa ETH 1:00:51 (PB)
3 217 John Nzau Mwangangi KEN 1:01:01 .

21 208 Yuki Kawauchi JPN 1:04:04 .
29 212 Tsuyoshi Ugachi JPN 1:04:49 (SB)
35 211 Naoki Okamoto JPN 1:05:40 .
58 210 Chihiro Miyawaki JPN 1:08:33 .
67 209 Masato Kihara JPN 1:11:31

どうしても女子はある程度力を出してメダルを確保したのに、男子は不甲斐ない、しかも実業団勢はどうした、という話になってしまうだろうが、コンディショニングの問題などいくつか簡単には片付けられない課題がある。
陸連の医事委員会に報告し、議論をして今後に役立てることが必要になるだろう
 チームドクターとしては、団体入賞した女子から2名のドーピング検査に付き添い、午後は数名の選手の手当て。それなりに忙しかった。
写真は7位争いで力走する田中智美選手と、表彰控室の女子チーム。

2012年10月6日土曜日

世界ハーフ前日はコース下見など

午前中に、今度はホテルから海側の崖を降り、黒海沿いの道(海抜60mくらい)をカバルナ方面(東)へ走って行った。写真のような絶景の道路で、片側に黒海が見え隠れする。緩いカーブと傾斜で舗装もよく、日本ならさぞかし「黒海ビューライン」とでも名前が付いて観光道路になりそうな道である。車の通行量も少ない。台地の上の「高速自動車道」を戻って、計17km、85分。
 午後はテクニカル・ミーティングとコース下見で、初めて12km離れたカバルナ市内へ。世界ハーフを開催する町にしては、何もないうらぶれた貧しい感じの町である。中央広場の回りのアパートはまるで1950〜60年代建築?という古くささで、その頃の東欧映画にでも出てきそうである。

ミーティングが行われたcity hallもこのような小ささで、昔は共産党の市委員会でも開催されていたのかという雰囲気である。
コースは5kmの周回4周。さほどのアップダウンはないが、スタートフィニッシュ地点回りが傾斜がやや急なのとタイル張りの舗装で足場がやや悪い。また折り返しのスペースが狭く、スピードが速いと事故が懸念されるところ。
レース本番は、9時半スタートの女子はともかく、11時スタートの男子は暑さがどう影響するか。

2012年10月5日金曜日

ブルガリア3日目〜隣町バルチクまで遠征

昨日の午後は、国会沿い西側に約6km離れたバルチクの町まで走って行ってみた。最初は宿泊先のある台地上を黒海から離れる北方向に走ってから幹線道路沿いを西へ。この自動車道路は田園地帯をつっきる片側1車線の一直線。当然ながらたまに来る車は相当な速度で飛ばす。車道の脇には幅の狭い路側帯ともいうべき未舗装路があるので、そこを走ってよけながらひたすら炎天下を進んだ。
そのうち気づいたのだが、道路沿いにところどころ墓碑がある。どうやらこの地点で交通事故で亡くなった人の墓碑のようだ。車の絵が彫られているものもある。似顔絵が彫られていて若者がほとんどらしい。こうした墓碑が何と1〜2キロおきに少なくとも7つはあった。写真をとらせていただき、手を合わせて進んだが、あまりにも墓碑が多い。そんなにここは事故多発道路なのか、と思うとだんだん怖くなり、(車同士の衝突に巻き込まれる可能性まで考慮して)なるべく車道から離れた路側帯の端を走った。死亡事故現場に墓碑を設置するのはブルガリアの文化なのだろうか。

さて、遠回りをしながら約12kmでバルチクの町に到達。海抜200mから一気に0mまで下る。バルチクはかつて黒海貿易の港町として栄えたところで、大聖堂などの歴史的遺物やビーチなどもあり観光名所にもなっているところ。しかし何しろ町の中心部にも人の気配があまりない。だらーっとカフェのようなところに群れている地元の中年男性達だけ。買い物をしたくなるような店もない。
中央広場のようなところにツーリスト・インフォメーションがあったが、まわりに観光客は皆無。というわけで、名所にも寄らず、バルチクの町は走って通り過ぎただけに終わった。ここはギリシャか、という印象はますます強固なものになった。
それから時々黒海の見え隠れする、海岸沿いの風情のある道を東(カバルナ方面)へ。帰りは朝練で確認していた道なので、不安に感じることもなく、最後に150m急登してホテルへ帰着。21km、2時間。




午後練を終えたところで、ちょうど競技会前検査が開始。日本チームからも男子選手1名が選出されたので、検査に付き添った。走ってばかりではなく、少しはチームドクターらしい仕事もしている。

2012年10月4日木曜日

ブルガリアはほとんどギリシャ〜GARMINは実業団ランナーにも浸透

1日半滞在したブラチスラバ(派手さはないけどなかなかいい町だった)から、ウィーン国際空港を経て、いよいよ世界ハーフの開催国ブルガリアへ。ヴァルナ空港は、1970年代の東欧の雰囲気が漂うみすぼらしい田舎の小空港。かなり蒸し暑い。
おんぼろバスに乗って約40km離れたカバルナ近郊のホテルへ向かう途中にアクシデント。車内に焦げるような異臭がしておかしいなと思っていると、車内前方の床面がどんどん暑くなり、運転手がエアコンを切り、緩い下り坂をエンジンoffでニュートラルで下りながら何回もエンジンをかけ直そうとしている。さすがに車内がちょっとした騒ぎになりかけたとき、ガソリンスタンドへかろじて滑り込み、ここで応援のバスに乗り換えることとなった。オイル漏れからエンストを起こしたらしい。ちなみにいすず製の古い小型バスだった。
選手村となるゴルフリゾート(ホテル)に到着すると、ここでも大問題。次々と選手団が到着しているというのに、部屋の割り当てがなされていない。数部屋分の鍵を渡されて行ってみると、広いくせにベッドが一つしかない、床の舗装がされていない、その部屋に管理人が住んでいる(!)、などのトラブル続出。最後にはなんとか部屋を獲得して、野宿・雑魚寝はかろうじて避けられた。
ブルガリアに入った途端のこのドタバタ続出具合は、やはり西欧とは明らかに違う。運転手のラフな服装や、道路沿いのまさに何もない荒野の連続した風景、昼間の日差しなどは、ギリシャに近いかも。経済的なレベルもドイツ・オーストリアではなく、おそらくギリシャ寄りのはず。緑の牧場とバラとヨーグルトとというブルガリアのイメージをだいぶ修正しなければならない。実際、少し南に行くとトルコ、ギリシャに連続しているわけだから。

さてそうなると選手の練習場所にも事欠く。とりあえずこの日はゴルフリゾート内の車やカートが通る固い舗装道路で走るしかない。こういう新しい土地でいきなり距離を測りながら走るのに役立つのはなんといってもGPSウォッチである。僕のGARMIN(Forerunner 401)も狩り出されて、ある女子選手のペース走のお供になった(ちなみに僕自身は部屋割りのドタバタで走るどころではなかった)。コーチや監督たちに訊くと、もはやGARMINは相当な割合で実業団チーム、選手に浸透しているという。それはそうだろう、便利だもの。2年前の世界クロカンの頃は、まだ僕のGARMINを見せても「なんですかそれ?」という選手が多かったのに、ここ2年の変化は大きい。
実業団へ浸透するタイミングがやや市民ランナー(の中のマニア層)に遅れをとったのは、こうしたランニング関連グッズのとるいつものパターン。SKINS、2XUなどのコンプレッションウェアなども同様だった。

2012年10月3日水曜日

ドナウ川沿いで練習

 昨日はブルガリア入り前の一日、ブラチスラバで調整練習。ドナウ川沿いにそびえ立つブラチスラバ城を中心とした街で、両岸には(ヨーロッパらしく)自転車道が完備されている。

日本でサイクリングロードというと、街中からはずれて田舎の河岸などに「サイクリングを楽しむため」に設置されているイメージだが、ヨーロッパのそれは町と町をつなぐ自転車専用道路が市街地にもそのままつながり、自転車道を辿るのみで街中まで通勤できてしまうようなものだ。
ただし通勤通学者で混み合うということは全くなく、のんびりしたもの。サイクリストよりもむしろジョガーと多くすれ違った。平日の夕方から走っている若者は案外多い。


 世界ハーフ出場の選手達は、数名があてにしていたトラックが使用を断られるというハプニングがあったものの、多くはこのドナウ川沿いのコースや公園をjogで調整練習。
僕もウィーン方面へひたすら自転車道をひた走り、適当なところで折り返して帰ってきた。約16km。気温は18℃くらいで涼しく、曇時々小雨。走りやすい。
明日、いよいよ世界ハーフの開催地、ブルガリア・カバルナへ移動する。