箱根駅伝での東洋大の(皆を驚かせた)優勝の要因についてはいろいろ言われている。不祥事があって出場辞退が危ぶまれたことで、チームに一体感が生まれたとか、走れる喜びを感じられるようになった、とかコメントされているが、違うのではないか。そんなメンタルなことだけであるまい。
12月初旬に活動自粛期間があったことで予定していた最終段階の追い込み練習がこなせず、調整が不十分である、とレース前に監督代行がコメントしていたが、この自粛期間のおかげで疲労が抜けたのがよかったのではないだろうか。
完璧に「こうあるべき」練習がばっちりこなせればそれにこしたことはなさそうが、それはたいていレースまでに疲労が抜けるか抜けないかぎりぎりの線を目指したメニューであって、多くの選手にとっては計画通りの練習は「少しオーバーワーク気味」の設定のことが多いのではないかと思う。
練習メニューは、理想と成功体験からつくられていくものであるから、どうしても「調子がいい選手がレースでも結果を残した」事例をもとに組み立てられ、補強されていく。「調子が普通の選手が、十分な練習がこなせなかったがレースでは案外いい結果だった」事例というのがあったとしても、それは「予定通り練習できれば、もっとよかったかもしれない」という根拠のない向上心により、成功体験としてなかなか蓄積されないのである。
今回の東洋大学も、自粛期間がなくてフルに計画通りのメニューをこなして調整に入っていたら、このような好結果にはならなかったのではなかろうか。
ついフルマラソン直前期に、もう一回40km走を、もう一回アップダウンのロング走を、もう一本ハーフのレースを、とやりすぎてしまう私の自省をこめた意見である。
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