2008年12月12日金曜日

マラソン大会における安全管理〜自己体調管理編

マラソン大会に参加する人というのは本来、休日をレースのために費やせるほど体力的に(時間的に、経済的にもだが)余力のある人のはずである。
こういう人があくまでも自由意志で参加してくるものであるから、その中にレース距離を走りきれない者や体調の悪い者が混じっていることを主催者側が想定すべき根拠は本来乏しい。だから、「レース中の健康管理、安全管理は自分の責任で行ってください」というそっけない文言が要項に含まれているレースも多く、これはある意味当然ともいえる。ランニングというのは本来そういうもの、すなわち自分の体調・安全管理を自分で行いながら自分の責任で行うものだからである。少なくとも、トレーニング中の安全管理は自分で行っているに決まっている。
ところが最近、ランニングイベントも多様化し、日頃からトレーニングを積んでいるとはいいがたい人たちが多く出場してくるレースや、酷暑期のレース、不整地や丘陵地帯のレースなども出場者を多く集めるようになってきた。
またレース中の突然死が(昔から存在したはずだが)特にクローズアップされるようになり、あたかもあらゆる事故は主催者側が防がねばならないかのような風潮になっている。現に、あるマラソン大会などではことこまかに「以下の方は走行しないでください」という条件をホームページに掲載したり、レース当日にも配布したりしている(表)。少しでも事故を防止しようという善意から出た発案だとは思うし、じっさいよくできていることは認めるが、一方でランナーに対して過保護ではなかろうか。ランナーとはもっと自分の体について自分で判断し自分で責任を持つべき、そしてそれができる人たちのはずである。
2008年の大阪国際女子マラソンで初マラソンに挑戦した福士選手が終盤失速して4度も路上に転倒したことに対して、日本陸上競技連盟が安全管理の立場から、競走強制中止の要件を定める対策を打ち出した。これなども市民ランナーとしては「そこまで決めてもらわなくてもダメなときは自分で判断する」と少々反発心を感じるくらいが正常である。「よろよろになっても走り続けようとする選手」は「結果が全て」の競技エリートであることが多いのだが、これがテレビで大写しにされることで市民ランナーへの悪影響を心配する、というのが日本陸連の考えである。
確かに多くのランナーは、日々のトレーニングならば体調や天候が悪いときには「今日は中止!」と即決できるが、ことレースとなると「せっかく出場料を払っているのだから・・・」と出場をとりやめたり途中棄権したりする勇気を持てないのも事実である。したがってこのような大会主催者や日本陸連の試みも無駄とはいえないのかもしれない。
じっさいにランニング中の突然の心停止や不整脈などからかろうじて生還した人が共通して語ることは、「いつもとは違った」「尋常でない痛みや苦しさがあった」ということである。この他人からはわからない「なにか変」に自分自身が気づくかどうかが非常に重要なポイントで、この「なにか変」を決して根性や気合、精神力で乗り越えてはならないのである。

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